夏目漱石は明治29年から33年(当時30才から34才)の5年間、熊本大学(旧第五高等学校)の英文学の教授として、熊本で暮らしています。
その間6回転居しており、内坪井旧居は5番目の住まいで一年8か月暮らし、鏡子さんが「熊本で住んだ家の中で一番良かった」と語っています。
新婚で長女筆子さんが生まれたのが内坪井旧居で、産湯に使った井戸が残っています。
2016年4月16日の熊本地震で、土壁や洋館の外壁の剥落などの被害が出て、災害復旧工事を2020年3月から2年間を掛けて行い、2022年3月に完了しました。
2017年11月から2018年3月まで地震被害の調査と復旧図面の作成をし、工事の調査記録と監理を行いました。
夏目漱石が実際暮らした住まい部分はピンクの部分になります。当時は北側に水回りの部分が建っていたはずですが、大正時代に増改築されています。
大正4年に水色の玄関、洋館、便所が増改築され、緑の部分もほぼ近い時期に増改築されたと思われます。
南庭も広く、木々で鬱蒼としています。明治期も広縁に面した庭が南、西、北それぞれにあり、風通しが良く、明るい気持ちの良い住まいだったと思います。
元は陸軍法務官が住んでいた家との事で、鴨居高が6尺と高く開放的です。
大正時代になり銀行員(後に銀行支店長)の自宅となり、社宅としても使われています。大正4年に玄関、洋館を増改築した記録があり、
続いて西側和室、北側台所、お手伝いさんの部屋が増改築されたようです。
洋館はアールデコ風の凝ったデザインで、外壁は荒い骨材が入ったドイツ壁が陰影がある表情を持っています。ただ地震では窓腰下の壁の
剥落が発生し、しばらく風雨に晒される状況が続いていました。
洋館被害
洋館以外は伝統的な木造建築ですが、洋館外壁は両面斜め木摺の上、外壁側はドイツ壁、内壁は漆喰塗りとなっています。塗り厚も厚く、
壁式構造になっています。そのことで地震の揺れが異なり、和室側との接点部分は損傷が大きくなっていました。
洋館の両面斜め木摺下地は、強度も高く強固なのですが、内壁の腰板部だけが内部木摺が無く、構造的なバランスが悪く、被害が発生して
いました。災害復旧工事では弱点を解消する為、内壁腰壁部に斜め木摺を増設しました。
土 壁
伝統的な木造部分は、土壁を解体し、新しい土と解体土を混ぜ合わせた土を約一年ほど寝かせます。
その間に2度藁スサを加え、練り返しを行います。
竹小舞の締め直しの上、荒壁→斑直し→中塗り→仕上塗りの順番で復旧していきます。最初土はどぶ臭い臭いがしますが、乾燥すると臭いは消えます。
最終的には漆喰、ジュラク塗で仕上げますが、中塗り状態の土壁の表情はとても魅力的で惹かれます。
洋館外壁
洋館は窓周りの骨材入りモルタル洗い出しとドイツ壁仕上げの復旧工事については、経年変化による色合いと新しい壁の色が全く同じにはならないので、
心配しましたが、経験豊富な左官さんで上手に復旧してくれました。
終わりに
文化財の地震災害復旧に携わるのは初めての経験でした。調査から監理まで悩み、考える手探りの仕事でした。
熟練の職人さんに頼る部分も多く、時に意見の衝突もあり言い合いもしましたが、良い経験になりました。
夏目漱石が暮らした雰囲気が良く残っている旧居だと言われます。近くには坪井川が流れ、川風も吹いていたと思います。
漱石先生、鏡子夫人と赤ちゃんの暮らしや、「二百十日」のもとになる阿蘇行にこの家から出かける様子など想像すると楽しいですね。
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