風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

新日曜美術館-吉村順三

2005-11-27 21:59:34 | インポート
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いつもの日曜日は朝からテレビ三昧になります。7:30-ムシキング(テイジ)8:00-仮面ライダー(クミコ・テイジ)8:30-趣味の園芸(クミコ)9:00-新日曜美術館(私とクミコ)10:00-サンデープロジェクト(私)12:00-お宝鑑定団(全員)。
特に楽しみにしているのは新日曜美術館とお宝鑑定団、最近日曜美術館を見ていて鑑定額は?とつい思ってしまうのはウチの家族だけでしょうか。
今日の新日曜美術館は「建築家吉村順三」でした。特に有名なのは「軽井沢の山荘」で、小さな山荘ですがその中に人の動き、スケール、感性や機能、設備的な工夫、細部のディテールなど建築の魅力が結晶化したような建物です。
彼は「建築は詩」であり、そしてもっとも大切な事は「建築は堅牢である事、無駄がない事、人にやさしい事」だと言っています。私自身もその言葉のような建築を作りたいと願っていて(30代の頃はデザインが先行してた時もありましたが)、最近は彼の本で読むたび勇気付けられています。
今、構造計算の偽装の話題で建築界はたいへんです。私達も構造設計、設備設計は外部の協力事務所に再委託します。建築材料・技術、設備機器など日進月歩で、インターネットの環境の変化の早さなどは、電気設備設計者でも全ては把握しきれません。メーカーの専門家を呼んで協議し、設計するしかない時代です。
分業化しても統括責任は依頼された私達が負わねばなりません。その為には協力事務所と永く信頼関係を築きながら付き合うしかなく、利害関係で構造や設備事務所を変える要望は断るしかありません。
つい百年くらい前の建築は、人を自然や外敵から守るシェルターの役目を持つことが第一でしたが、現在は経済の仕組みとの関係が第一になっています。そうなると今回のように売れる条件、「安く、広く、早く」が最優先され、今まで以上の切詰めが行われ、それは末端を(職人さんなど)ギリギリのところへ追い込んで行くような所があります。
建築の設計は様々な条件を基にイメージを図面化し、実際の建物に作り上げます。ある意味自分自身を建築で表現している事でもあり、何にも変えがたい子供のような存在です。そう思っている設計者も多いはずです。
偽装した人には建築は金銭的な物としか考えられなかったのでしょう。小さな個人構造事務所が大都市経済の過当競争の中で、踏込んではいけない「闇」へと進んでしまった事に言いようの無い悲しさを感じます。