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[中華航空機事故]4月26日13回忌慰霊式

2006-04-27 | 業界ニュース
<コメント>
 中華航空機の名古屋空港内墜落事故から12年が経過し、13回忌の慰霊式が執り行われた。乗客乗員264人が犠牲となった。
事故の直接原因は、副操縦士の誤操作によるものだが、機首を上げようとするコンピュータと下げようとする操縦士との矛盾により墜落した。
コンピュータと人間の関係について、当該機のエアバスとボーイングでは開発コンセプトが違う。誤ってゴー・アラウンドモードをエンゲージしてしまった後、そのままコンピュータの指示通りであれば事故は起こっていないと考えられるが、「まだ修正は間に合う」とAP作動中に逆操作が行われ、コンピュータはますます機首をあげようとする。そして失速墜落となってしまった。
 2001年1月、日本航空機2機が異常接近(ニアミス)し、乗客100人が重軽傷を負った事故ではコンピュータと管制官の指示(便名の呼び違いもあったが)が違い、回避行動が遅れ多くの負傷者を出した事故は記憶に新しい。管制官の責任は追及しないが、コンピュータの指示を優先するよう通達が出た。
 ケースは違うが、コンピュータとどう付き合って行くかが、航空事故回避のコアになる事は間違いない。

※詳しくは、ブログ下部に記した国土交通省事故調査委員会発表の事実でご確認頂きたい。


(中国新聞4月26日17時16分)
 名古屋空港で1994年4月、中華航空機が墜落し、乗客ら264人が死亡した事故の13回忌の26日、墜落現場近くの慰霊施設「やすらぎの園」(愛知県春日井市)で、台湾からの18人を含む遺族や関係者ら約230人が参加して、慰霊式が営まれた。
 遺族会の山本昇会長(52)が「犠牲者の死を無駄にしないためにも、空の安全が間違いなく達成することを祈る」とあいさつ。85年の日航ジャンボ機墜落事故や、91年の信楽高原鉄道事故の関係者も参列して、黙とうや献花が行われた。

(事故内容)
平成6年4月26日20時16分頃、名古屋空港で中華航空機の台北発名古屋行きエアバスA300-600R 型機(CI-140便)(搭乗者総員271名)が南北に延びる2740m滑走路の南側から着陸しようとしたところ失敗し、滑走路南端着陸帯に墜落炎上した。
名古屋空港は、名古屋市の北部に位置し、名古屋市、春日井市、西春日井郡豊山町(オリックスのイチローのふるさと)、小牧市にまたがる空港で、国内線、国際線ターミナルビルを含め、その大部分は西春日井郡豊山町にあるため、救急出動は西春日井郡東部消防組合消防本部が担当している。今回の事故は、春日井地内であった。

(航空事故調査委員会発表の事実)
 B1816は、平成6年4月26日、中華航空140便(台北国際空港-名古屋空港)として、運航乗務員2名、客室乗務員13名及び乗客256名(幼児2名含む)計271名が搭乗して台北国際空港を08時53分協定世界時(日本標準時17時53分)に離陸した。
 台湾民用航空当局に提出された同機の飛行計画は、次のとおりであった。
  飛行方式:計器飛行方式
  出発飛行場:台北国際空港
  目的飛行場:名古屋空港
  巡航速度:465kt
  巡航高度:FL330(約10058m)
  経路:A1 SUC-JAKAL-KE-SIV-XMC
  所要時間:2時間18分
  代替飛行場:東京国際空港
 DFDR記録によれば、同機は09時14分頃FL330に達し、飛行計画に従い、名古屋空港へ向けて飛行していた。
 事故発生前の約30分間の飛行経過は、DFDR記録及びCVR記録によれば、次のとおりであった。
 副操縦士により操縦された同機は、FL330で巡航中、10時47分35秒、東京コントロールからFL210への降下を指示され、降下を開始した。この降下に先立つ数分前から約25分間にわたって、機長は副操縦士に進入及び着陸のためのブリーフィングを行っている。10時58分18秒、名古屋アプローチと交信を始め、同アプローチの指示に従い、逐次高度を下げ速度を減じていった。
 11時04分03秒、同機は名古屋アプローチから進路010への左旋回を指示され、その後の同07分14秒、滑走路34へのILSアプローチを許可されるとともに、名古屋タワーとの交信を指示された。
 台北離陸後、気圧高度1,000ftを過ぎた08時54分頃から、上昇、巡航、降下を通じて、AP NO2(オートパイロット2番)がエンゲージされていたが、名古屋空港への初期の進入段階である11時07分22秒にAP NO1もエンゲージされた。
 その後、同11分35秒、副操縦士によりNO1及びNO2ともに解除された。
 同機は、11時12分19秒アウター・マーカーを通過し、同13分39秒、名古屋タワーから着陸が許可された。このとき通報された風は、290 6ktであった。
 同機は、手動操縦で正常にILS進入を続けていたが、11時14分05秒、気圧高度約1,070ftを通過中、副操縦士が誤ってゴー・レバーを作動させたため、GO AROUNDモードとなって推力が増加した。
 機長は副操縦士に対し、ゴー・レバーを作動させた旨を注意し、「それを解除して」と指示した。
 同機は、気圧高度約1,040ft(滑走路から約5.5km付近)で、約15秒間水平飛行の状態となった。
 機長は副操縦士に対し、高くなった降下経路を修正するように指示し、副操縦士はこれを了承している。副操縦士が機長の指示によりエレベータを機首下げ方向に操作した結果、同機は徐々に正規の降下経路に近づいた。
 この間、機長は副操縦士に対し二度GO AROUNDモードである旨の注意を喚起している。
 11時14分18秒、気圧高度約1,040ft、正規の降下経路の上方1.2ドットの位置付近で、APがNO2そしてNO1とほぼ同時にエンゲージされ、その後、約30秒間使用された。機長また副操縦士によるAPを使用する旨の意思表示、あるいは呼唱が行われた明確な記録はCVRにない。APの使用が開始されたときから約18秒の間に、THSの角度は-5.3度から、機首上げ方向の限界に近い-12.3度のままであった。この間、エレベータは連続して機首下げの方向へ操作されている。
 同機はこのような状態で着陸進入を続け、11時15分02秒、気圧高度約510ft(滑走路から約1.8km付近)を通過中、副操縦士からTHRがラッチされたことを告げられた機長は、副操縦士に操縦を交代する旨を告げた。この時点では、スラスト・レバーが前方に大きく動いておりEPRが約1.0から1.5以上まで増加していたが、すぐにスラスト・レバーが引き戻され、EPRは1.3まで減少した。
 また、機長が操縦を交代したころから、エレベータはほぼ機首下げの限界まで操作されている。
 11時15分11秒、機長が「GO LEVER」と呼唱した直後、再びスラスト・レバーが大きく前方に動いてEPRが1.6以上に増加し、同機は急上昇を始めた。
 副操縦士は名古屋タワーにゴー・アラウンドする旨を通報し、名古屋タワーはこれを了承した。同機は急上昇を始めるとともにAOAが急激に増加し、CASは急激に減少した。この間、THSの角度は、-12.3度から-7.4度に減少し、また、SLASTS/FLAPSは、副操縦士が名古屋タワーにゴー・アラウンドを通報した後に30/40から15/15に戻された。
 11時15分17秒、GPWSのモード5の警報音「GLIDE SLOPE」が1回、同25秒、失速警報音が約2秒間作動した。
 11時15分31秒、気圧高度約1,730ft(電波高度約1,790ft)に達した後、機首下げとなって急降下を始めた。
 11時15分37秒、GPWSのモード2の警報音「TERRAIN TERRAIN」が1回、同40秒から墜落まで失速警報音がそれぞれ作動している。
 11時15分45秒ころ、同機は同空港の誘導路E1付近の着陸帯内に墜落した。
 事故発生地点は、名古屋空港の滑走路34末端中心から東北東約110mの着陸帯内で、事故発生時刻は、11時15分45秒(日本標準時20時15分45秒)ごろであった。

☆中華航空のホームページ

☆航空事故調査委員会(PDFファイル)

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2 コメント

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事故に思う (kuni)
2006-04-27 22:16:01
ご訪問ありがとうございました。昨今、これだけ航空機関連の人為的ミス・事故が多いのに、事故も12年も経つと人々の記憶からも薄れてしまい、取り上げるマスコミも少ない。矛盾を感じています。

飛行機・飛行場という空間が大好きです。その空間の向こうに未知の世界を感じてしまいます。
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中華航空140便 慰霊祭 (たけちよ)
2009-09-11 01:29:19
私は(株)愛知冠婚葬祭互助会の元社員で、たしか2004年の慰霊祭に、献花を手渡す係として出席させて頂きました。

飛行機事故・・・・・二度と起こっては欲しくないと、その時改めて思ってことを思い出しました。

事故のない、平和な空でありますように・・・・・
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