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[JAL機]2005年着陸時前輪脱落事故は操縦に問題

2009-05-29 | 業界ニュース
<コメント>
2005年6月、JALの新千歳発羽田行きが着陸時、前輪が全て脱落した事故の原因が運輸安全委員会より発表されました。
原因は、当時着陸を担当していた副操縦士の操作に異常があり、想定オーバーの重量が前輪にかかり脱落したものと発表。

通常の着陸では、主輪(翼の下にある)から着陸し、徐々に機首が下がり前輪が接地します。操縦士は主輪接地前にフレアという機首を少し上げる操作を行い、なるべく主輪がスムーズに接地するよう操縦します。

今回は、主輪が「ドン」というイメージのように、激しく接地し、バウンドして浮き上がりそうになり、操縦士は機首を急激に下げたため、前輪を強く接地し外れたと説明しています。

一方的に運輸安全委員会の報告を鵜呑みにする事は出来ませんが、何らかの事情により(ウィンドシアや、強めの接地が安全と判断した場合など)結果的にそうなったのかも知れません。
シートに座ったら、強めのベルト着用を習慣づけ、自分の身は自ら守る。
この気持ちで搭乗して頂きますように。


<日航機脱輪>前脚に過大荷重…運輸安全委が調査報告書 5月29日13時39分配信 毎日新聞

 05年6月に新千歳空港発の日本航空1002便ボーイング767-300型機(乗員・乗客222人)が羽田空港に着陸した際、前脚のタイヤが2本ともはずれて走行し、乗客17人が軽傷を負ったトラブルで、運輸安全委員会は29日、調査報告書を公表した。接地時に、機体中央付近にある主脚がバウンドしたうえ、着陸を担当した副操縦士が機首を下げる操作をしたため、接地した前脚に過大な荷重がかかったことが原因としている。
 トラブルは同月15日午前10時ごろ発生し、同機が羽田空港A滑走路に着陸した際、前脚右側のタイヤがはずれ左側タイヤも破損してはずれた。前脚はホイールのみで走り、停止した。当時、機長昇格のため訓練中の副操縦士が操縦していた。
 着陸は通常、機首を上げ、主脚が接地した後、前脚を接地する。報告書では、主脚が接地する際、強めに接地したため、主脚のタイヤが滑走路から離れるほどではなかったが、バウンドした。この際、機首を下げる操縦かんの操作をしたため、機体の重量が主脚にかかる前に前脚にかかり破損したとしている。
 日航はトラブルから約2カ月後の05年8月、機長や副操縦士に配布するマニュアルを「大きな下げかじでノーズホイール(前脚)をタッチダウンさせてはならない」と改定した。
 日航は「けがをされたお客様に改めておわびします。報告書の内容を精査し、再発防止に向けて対応を検討します」というコメントを発表した。【平井桂月】

[乱気流]羽田発のエア・ドウ機で4人がけが

2009-05-13 | 事故・事件・トラブル
<コメント>
5月13日午後4時過ぎ、羽田発新千歳行きのエアドウ機が乱気流に巻き込まれ、乗客乗員4名が軽い怪我を負いました。
離陸して数分後、上昇を続ける中で起きた事故です。
当然シートベルト着用サインが点灯され、離陸前にはCAによるベルト確認が行われたにも関わらず起きてしまいました。正常にベルト着用がなされていたかは不明ですが、CAも怪我を負っている事を考えると、急激な下向きの風により想像を超える力がかかったと思われます。

事故の事はキャプテンに伝えられ、羽田に引き返すか、このまま新千歳へ向かうか、判断した結果、新千歳への飛ぶ事を選択。
賛否はあるでしょうが、適切な判断だったと思います。

私も今朝、岡山から羽田に到着しましたが、大島上空付近からコトコトと揺れが続き、いつも以上に上からの風を感じました。
また着陸直前の羽田は、着陸決心高度付近まで視界が開けず、着陸はできましたが滑走路は照明が点灯され、朝9時前とは思えない暗さでした。

春先はこのように、思わぬアクシデントもありますので、搭乗時はいつもよりきつめにシートベルトを締められます事をお薦めいたします。
怪我をされた方々の回復を祈ります。



<乱気流>新千歳行きエア・ドゥ機、茨城県上空で4人けが 5月13日20時19分配信 毎日新聞

 国土交通省新千歳空港事務所によると、13日午後4時40分ごろ、茨城県守谷市の上空で羽田発新千歳行き北海道国際航空(エア・ドゥ)21便(ボーイング767-300型機、乗客乗員182人)が乱気流に巻き込まれ、40~60代の乗客3人(男性1、女性2)と女性客室乗務員(25)の計4人が軽いけがをした。このうち乗客女性1人と客室乗務員は新千歳到着後、念のため北海道千歳市内の病院へ運ばれた。
 同事務所やエア・ドゥによると、同機は午後4時22分に羽田を離陸。高度約3500メートルを飛行中に乱気流に遭ったという。当時、機内ではベルト着用のサインが点灯していた。同機は予定通り飛行を続け、ほぼ定刻の同5時46分に新千歳に着いた。【久野華代】