エチュードの頃

思いつきを書きとめておくために。

葬儀の行方

2006-05-03 | 思考
最近続けて葬式に参列する機会がありました。

田舎では自宅から葬式を出すのが当たり前で、葬祭センターなどを使うのは例外(むしろ非常識)という風潮でしたが、高齢化が進んで人手が頼めなくなったためかこのところ自宅から出す方が少数派となってきているようです。

まあ親戚にしても組合にしてもお別れ以外の部分において手間が省けるのは大いに有り難いことで、結構なことだと喜んでおりました。


ところが単に手が省けるだけなら良かったのですが、どうも演出が目に余るように思えたのです。

まずBGMがうるさい。
もう少し抑え目ならいい雰囲気なのに、音楽聴きに来てんじゃねえんだぞって感じ。
まあ故人の好きだった音楽を流すというのはなかなか良い趣向だと思うのですが。

でも自分の時なら何が流れるかな?
♪ヤッバイヤバイヤバイヤ~バイって、ムネオハウスなんか流してくれるかい子供達よ。

遺言に書いても却下されそうですな。


そして随分と司会者がでしゃばる。
粛々と式を進行してくれるだけでよいものを、まるで結婚式か何かのように不必要に感情を煽るようなナレーション。

人が死ぬだけで普通悲しいんだから、それ以上無理に泣かせようとしなくたっていいんじゃないの?

多分ちゃんとした台本があって、名前やプロフィールをはめ込むだけで済むようになっているのでしょう。
でもどう見ても業者の自己陶酔のような気が。
一回もトチらないのは大したものですが、それならいっそ機械に喋らせた方がコストが安くて済むんじゃないかと。

要所要所でリモコンを押すだけで次のセリフを出力するようにしてですね。
自動出棺ロボット、お返し引換ロボットとか一式も付属して「ひとり葬儀屋セット」みたいなのでやってくれた方がサイバー気分が楽しめる分だけまだ嬉しい。


葬式の多様化が進むのは良いことですが、それは本来故人や親族の意向に沿ったものというのが前提条件であるはずで、ただ「今までのスタイルじゃ古いですよ、これからはこうですよ」みたいな提案は単なるお節介で、業者主導という点で従来と何ら変わるところがありません。


ひょっとして田舎が遅れに遅れていた反動でかえって演出過剰になってしまったのか?とも思えたりして。
このごろ東京の葬式にはとんと出てないのでただの想像なんですが。
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