電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

ブルース・リー生誕日

2006-11-27 22:50:45 | Weblog
11月27日って何の日だったっけ???去年初日の映画日だったかなあと、最近ボケが始まっていて何か思い出せないでいたら、あ、ブルース・リーの生まれた日、ということに気がつきました。
今日の朝、朝日新聞の朝刊に「広東省でブルース・リーの博物館を作る」という記事がでていたので、なんでまたと思っていたのですが、こうゆうことだったということで納得。亡くなって33年が経つのに、今だブルース・リー人気は衰えずというところです。なにせ、香港での主演作品+亡くなってから作られた『死亡遊戯』と、その後、倉庫に眠っていたフーテッジをつなげて作った作品しかないわけですから、ファンにとっては新しいもの見たさがつのるばかり。一時期、韓国で、CGでブルース・リー作品を作るという企画までありましたが、いつの間にか立ち消えになってしまいました。
日本でブルース・リーの『燃えよドラゴン』が大ヒットとなった1973年は、私はちょうど中学生になったばかりでしたが、当時、テレビで映画情報をやっていた「スーパージョッキー」や品田雄吉、今野雄二、両氏の解説による映画特集があった「11PM」のリーとオハラの対決シーンの映像を観て、早く観たい!とドキドキさせていたものです。当時は、映画雑誌はロードショーを読んでいたのですが、映画紹介のページにこの作品が載っていた時、「この中国人が出ている映画、なんなんだろう」と不思議に思ったのが、この作品に興味を持った第一歩でした。
たしか、うちの田舎の映画館で観たのは、12月の公開1週目のすぐ、親に内緒で観に行きました。(田舎は学校推薦映画以外を観るとうるさかったので)その後、1月に父親と観に行きましたが、その時、同時上映がアラン・ドロンの『スコルピオ』で、それを挟んで2回観たわけです。(当時は入れ替え制なんかなかった)その後、どうしても映画のちらしとかほしくて、映画会社に手紙を出したら、「燃えよドラゴン新聞」が送られてきて、もう有頂天になりました。
今、考えてみると、その後、第一次映画ちらし集めブームというのが起こったわけですが、これももしかすると『燃えよドラゴン』が影響しているのかもしれませんね。


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2 コメント

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ドラゴン世代です。 (HOSO-P)
2006-11-28 10:17:55
自分も「燃えよ・・・・」世代です。初めて見たのは今の渋東シネタワーがある、昔、渋谷宝塚と呼ばれていた映画館の地下の名画座。「007ダイヤモンドは永遠に」との豪華2本立て。その後、よく見た組み合わせは「ダーティハリー2」との2本立てでした。ちなみに渋谷で初見のときはフィルムの状態が悪く(昔は名画座が多い割にはプリント数も少なく、よく上映されている作品は傷が多かったり、場面が飛んじゃったりしていましたよね)、例のオハラがビール瓶を持って殴りかかるところがほとんど飛んでしまってました(オハラ、ビール瓶を持って襲い掛かる→次はもう、踏みつけた後のリーの顔Upスローって感じ)。あとは最初の頃のプリントの字幕にはウィリアムスが深夜に忍び込むリーの姿を見て「月光仮面だ」という訳になってたのですが、その後は別訳になってたのも記憶に残っています。ちょっと懐かしくて書き込んでみました。
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>リー (FREEMAN)
2006-11-28 23:36:49
HOSO-Pさん、こんばんは。名画座だとかなりプリントぼろぼろだったでしょうね。私も初公開、リバイバル、そしてディレクターズカット版と、最終的には最後の公開の宣伝してますしね。「月光仮面」の台詞は懐かしいですね。当時はお客さんにわかりやすいような異訳をよく字幕につけてましたね。
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