とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「タクシードライバー」その2

2006年03月07日 01時06分28秒 | とんねるずコント研究
<目黒の油面>
コント「タクシードライバー」に登場する、具体的な事物がもつ意味について、前回に引き続き考えてみたい。コント中に浮上してくるこれらの記号は、それぞれどのような役割をになっているのか。

今回は、地名に焦点をあてる。
タカさん演じる乗客を乗せてタクシーが向かうのは、「目黒の油面」である。この地名の意味を解読するためには、コントの流れを最後までおさえておく必要が、どうしても出てくる。以下、オチのどんでん返しにも関わる内容になります。鑑賞の楽しみをとっておきたい方は、鑑賞後に読むことをおすすめします。

3年間無事故・無違反で通してきたドライバー吉田(ノリさん)は、あと15分で念願の個人タクシーの申請資格がとれる。最後の最後につまづかないように、吉田は残りの15分を休憩しようと決める。

そこへ若い男の客(タカさん)が。休憩だという身ぶりでやりすごそうとするが、客は乗車拒否で吉田を近代化センターへ通報すると言う。しかたなく乗車させる吉田。客が命じた行き先は、目黒の油面。吉田の事情を知って「じゃあ残り時間止まっておけば」と申し出る客。しかし真面目な吉田は申し出を断り油面へ向かう。

一方通行の多い油面でヒヤヒヤしながらの運転。油面ババアまで登場しながらも時間は刻々と過ぎる。残りあと2分!というところで、よそ見をした瞬間、歩行者を轢いてしまう吉田。客が死体を車のトランクにおしこみ、吉田に逃げるよう指示する。が、もう逃れようがないとわかっている吉田は、緊張の糸が切れた途端、バットで油面ババアを殺害、そしてさらに乗客をも撲殺。うすら笑いを浮べ、ひとこと「猫3匹轢いちゃった」・・・終。

「タクシードライバー」がかなりのブラックコメディであることが、おわかりいただけただろうか。オチへむかう過程においても、迫る時間とのたたかいに緊張感がみなぎるコントとなっている。

この、なんともいえない緊張感や不気味さを引き立てているひとつの要因が、「目黒の油面」という地名にあるとわたしは考えた。コント中では、何度となく「油面」の地名が繰り返される。

地方在住者にはまったく耳なれない、しかも奇妙な響きをもった地名。調べてみると、油面という地名はすでに公的には存在せず、住区や学校、交差点名にのみ残っているらしい。江戸時代の中ごろ、この地域は菜種油の生産地だった。絞った油は、芝の増上寺をはじめとする寺社の灯明油として使われていた。絞油を業とする者には租税が免除されていたため、「油免」が転じて「油面」という地名になったといわれている。

また、目黒という地域は、目黒川・立会川・呑川の三本の川が長年台地を浸食してきたため、地形が複雑で、坂が多い。だから、コントの中で客が「油面は一方通行が多い」と言っているのは、事実にもとづいているのだ。

昔から、日本の文芸において「坂」は、この世と彼岸との境界の象徴とされてきた。夏目漱石の短編『琴のそら音』では、主人公が友人にさんざん幽霊話を聞かされたあと、深夜に極楽水、切支丹坂といった「いかにも」な名前の入り組んだ坂道を、いくつも越えながら帰宅する場面がある。途中で棺桶や灯籠に出くわすなどしつつ、肝を冷やしながら家に帰るのである。

つまり、「坂」という記号と、坂の名前の響きがもたらす不気味さとが、おそろしい雰囲気を存分にもりあげているのだ。これと同じ作用を、「油面」にも見い出すことはできないだろうか?

もっと深読みすれば、油面が生産していた油が灯明を連想させ、牡丹灯籠やろくろっ首といった、日本人の心性に刷り込まれた古い記憶さえも、「油面」という地名が呼び起こすとも言えまいか---まあ、そこまでは言い過ぎだとしても、東京在住者であれば、コントを見ながら、油面の坂や路地を思い浮かべることは容易であろう。

一方、それ以外の観客にとっても、「油面」というなんとも奇妙な、粘着質な語感、響きから、おかしみと同時にある種の不気味さを感じ取ることは、十分できるはずだ。このように、特定の地名が物語の雰囲気とわかちがたく結びつくのは、おそらく落語(の怪談)や日本文学の伝統だと言えるだろう。その意味で「タクシードライバー」は、コントの域を超えた作品となっているのだと、わたしは考える。

このようなことを可能にしたのは、とんねるずが<東京>という場所と深く関わり、それをネタにしてきた芸人だからだ。それは、浅草や新宿で育ったいわゆる「江戸前」の芸人たちと東京との関わりとは、まったく異質なものだ。

東京に一度も行ったことがなくても、とんねるずのファンであれば「成増」、「祖師谷大蔵」、東武東上線、板橋区などと聞くと、まるでずっと昔からなじんだ土地であるかのようななつかしささえ感じるだろう。

つまり、タカさんとノリさんが育った町、その東京の中のローカリズムを、自由自在にネタにとりこむことが、とんねるずの笑いを形成する大切な要素だったのだ。

「タクシードライバー」は、そのようなとんねるずと<東京>との関わりが、コントの領域をはみだして、さらに複雑な次元において機能した一例だと言えると思う。

「タクシードライバー」の吉田と客は、油面という土地に迷い込むことで、この世とあの世、正常と異常の境界を、知らず知らずの内に越えてしまうのである。



その3へ出発~~





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