とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

パロディの神様(6)

2007年02月21日 15時57分01秒 | とんねるずコント研究



<パロディの功罪>


関連記事→仮面ノリダーはパロディか(1)
     仮面ノリダーはパロディか(2)


「俄(にわか)」という祭りがある。正徳・亨保の頃、大坂ではじまったとされる大衆芸能だ。現在も福岡の「博多にわか」をはじめ、大阪、岐阜などの祭りで継承されているらしい。

顔を半分だけ隠す「半面」をつけ、ありあわせの衣装を身にまとった一般の人々が、ひとりあるいは二人組で舞台にのぼり、即興の笑話をする。素人が演じること、本格的な衣装やセットは作らないこと、物ではなく言葉でオチをつけること、方言を使うこと、といったルールさえ守れば、誰でも参加することができるという。鶴見俊輔氏によると、これが現代の漫才や新喜劇の源流だということだ。

・・・俄の半面は、その役になりきらず、というところか。なりきれば、その役にしばられて運命のままにあやつられて悲劇風になる。なりきらずの状態では、アマテュアが自分の生活をすてきれず、尻に卵のからをくっつけたまま動きまわり、尻についた生活のスタイルが、顔につけた劇中の役柄を批判する。逆に日常生活の自分の役(サラリーマンなり、職人なり、主婦なり)を、道を歩く道化の立場から批判する。・・・

半面をとおして男が女に、老人が若者に、こどもが老人にかわり、役がかわることで、この社会の対立する部分が、この無礼講の2日だけ、たがいに抱きあう姿があらわれる。
(*1)


以前、江戸期の日本画家・蹄斎北馬筆「吉原俄図」を見た事がある(俄は吉原などの遊廓でも行われていた)。絵の中で、遊女たちは若衆の扮装をし、舞台で勇壮に長刀をふりまわし演じている。下男とおぼしき男たちが、タコや魚のかぶりものをつけて歩きまわっている。そしてそれをすし詰めの観衆が見ている(おそらく俄の日は誰でも入れたのだろう)。「無礼講」の熱気が伝わってくる絵だ。

「俄」という芸能は、日本の笑芸のルーツのひとつとして非常に興味深いと思う。が、これを<パロディ>の観点からながめることもできるのではないか。


なぜ、人はパロディを求めるのか。

究極的に、パロディの真骨頂とはセルフパロディ(自己卑下ではない)にある、とわたしは考えている。「我は我をパロディす、ゆえに我あり」である。

俄芸は、おそらく江戸時代の封建的な身分制度をいっとき無化して、人々の不満を解消するという社会的役割はあったであろう。が、それと同時に、「自分でない何か」になる機会を人々に与える役割もあったのではないだろうか。

しかも俄は、他者の目を通して「日常生活の自分の役」を「批判」するというところに大きな特色がある。これは現代パロディのメタフィクションや自己再帰性、自己言及性に通じるものであると思う。

人間というものは、自己肯定と同じくらいに自己の解放を欲求するものだ。あるいは、自我の執着を逃れ、<無我>となりたいという願いを本能的に持っているものだと思う。世界中に仮面祭やカーニバルが存在するのは、そのような欲求が普遍的なものであることの証であるだろう。たとえ一時的にでも「自分でない何か」になることで、日常のこわばりをほぐし、ガス抜きをしてやるのだ。

いや、そのような理屈をこえて、「自分でない何か」になること、自分を笑い飛ばすことには、一種麻薬のような愉悦がある。なにかしら人を酔わせる魅力があるのだ。


で、とんねるずである。

とんねるずのパロディコントに限定して言えば、彼らが映画、ドラマ、漫画、子供番組、過去のバラエティなど、それまでのパロディの枠を大きく超えて、ありとあらゆるものをパロディしまくったことは、量の上でも質の上でも、まさに圧倒的な事件であったといえるだろう。しかし、それだけでは、とんねるずがあれほどの熱狂をもって支持された理由としては不十分だ。

とんねるずが日本の喜劇史の中でユニークな存在たりえたのは、彼らが意識的にセルフパロディをしたコメディアンだったからではないだろうか?徹底してみずからを茶化すことのできた彼らだからこそ、人々は熱狂したのではないだろうか。

業界の裏側、その可笑しさ、バカバカしさをネタにし、その中に身を置く自分達をも茶化したとんねるず。石田プロデューサーをキャラクターにしあげ、コントを作る過程を見せたとんねるず。お笑いでありながら歌もやることを「勘違いしてない?」と互いに問いかけていたとんねるず。

とんねるずが登場したときの爆発的な人気は、熱狂や陶酔といったエキセントリックな言葉でしか説明がつかない何かがある。それは、セルフパロディへの人々の隠れた欲求、それを卑屈になることなく堂々とやってみせ、根源的な欲望をわれわれに替わって体現してくれたこの二人組への驚き、というものだったのではないだろうか?


しかし、現代パロディにも難問がある。

まず、リンダ・ハッチオンが指摘している「保守性」が挙げられる。
これはとんねるずについても言えることだ。「仮面ライダーはパロディか(2)」でも述べたが、彼らはパロディの対象を軽蔑することはけっしてないし、本質的な価値を転覆させようなどという野心も持っていなかった(*2)。それはある面ではかなり保守的なありかただとも言える。

もっとも、そのようなロマンチシズムやノスタルジーは、とんねるずが本質的にもつ長所でもある。それは日本的な湿った笑いではあるけれども、だからこそ日本お笑い界のトップに君臨したともいえるのだから。

より問題なのは、パロディを行う本人が、逆に人からパロディされるほどに "ビッグ" になってしまうことだ。「重く生きるのは簡単だ。軽く生きるなんていうことは、誰にとってもなかなかできるこっちゃない」と青島幸男は言った(*3)が、フツーの人は、年齢を重ねる程に「重く生きる」ようになってしまう。

「重く生きる」人間がパロディをしたところで、誰にも信用されないし、嫌味になってしまうのがオチだろう。それに、「重く」なればなるほど、周囲には自分を賞賛する者ばかりが集まるようになり、自分をパロディする気力は失われていく。

実は、この点において、わたしはある時期心配していた。とんねるずが「大御所」と呼ばれはじめたからだ。若手芸人にもちあげられ、若いスタッフにもちあげられ、芸能界の大物の座に落ち着いてしまうことは、とりわけとんねるずにとってダメージである。

だから、「みなさんのおかげでした」の最近のミニコント(?)コーナー「オレとヤハギと、時々アンザイ」で、タカさんが「大御所」である自分自身を茶化した時、思わず「やった!」と拍手したのだ。タカさんは、「大物」になることの危険性を十二分に理解している!そして、セルフパロディというとんねるずの真骨頂を、守っていこうとしている。そのことに、わたしは感動した。

それはノリさんも同様である。日常の瑣末なことについて(特に食について)、彼がいまだに一般ピープルの感覚を持ちつづけているのは、パロディがあくまで大衆芸術の泥臭い手法であることを知りぬいているからだろう。だからこそ、彼はいつまでも「軽く」あろうと努力しているのだ。

とんねるずがこのスタンスを守り続けるかぎり、大衆は決して彼らから離れはしないだろう。そして、それを見る我々ワンフーもまた、<セルフパロディ>しつづける勇気を忘れてはならないのだろうと思う。



(*1 『太夫才蔵伝』 鶴見俊輔 平凡社ライブラリー)

(*2 例外もある。たとえば「一杯のかけそば」のパロディコント「一杯のかけうどん」。だれもが認める "美談" をやや意地悪におちょくっている。消費税導入を知らなかった貧しい一家が、うどん代が足りず逮捕される、とか。しかしこのようなアナーキーなパロディコントは、とんねるずにおいてはやや異色だろう。)

(*3 『ちょっとまった!青島だァ』 青島幸男 岩波書店 2006)



やっと、おわり。



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