古楽の小路

30余年住んだ杜の都から東京へ。両親の介護も終了、気が付けば高齢者に。介護される身になるまで音楽生活を楽しみたいものです

木霊

2018-09-26 13:00:00 | ルネッサンス・バロック音楽

今朝の「古楽の楽しみ」では久しぶりにオトテールの「エコー」が聴けた。

何といってもわかりやすいのでアンコールなどでもよく吹かれる曲。

響きの良い会場であれば効果も上がる。

O.ラッソの「楽しいこだま」もそのものずばり、ダブルコーラスで歌われ、管楽器編曲版もよい。

B.マリーニの3本のヴァイオリンのエコーソナタもある。何の曲か忘れてしまったが、

エコー係の奏者が舞台袖で演奏して拍手喝采だったコンサートなど思い出す。

 

エコー効果を狙った曲は鍵盤曲にも沢山あり、バッハの「フランス風序曲」の終曲はずばり「Echo」。

2段鍵盤を上下するのでそのことばかりに気がいくと、ダメでタイミングが大事。

 

オルガン曲もスウェーリンクの「エコーファンタジー」はじめ、部分的にエコーに

なる曲は沢山ある。

今、私が苦労して練習しているF.Tunderの「コラールファンタジー」にもエコー箇所があり、

オルガンの残響をフルにつかって効果のあがるところだ。

ところでエコーはギリシア神話にあった気がすると思い、岩波少年文庫「ギリシア・ローマ神話」

で調べた。子供のために書かれた本(1954年発行)で上下2冊。ちょっと調べるのによいので

長いこと持っている。

この本によると、エコーは森のニンフでおしゃべりが大好き、ゼウスの正妻ヘラの怒りを

買い、自分から話をするのを禁じられてしまう。ある時、思いを寄せる、ナルキッソスが

話した言葉をエコーがおうむがえしにしたことからナルキッソスの不興を買い、森の奥に

隠れ、悲しみのためにだんだんやせ細り、とうとう声だけになってしまう。この声が

今でも自分に話しかける人々に返事する。それを人々はエコーと呼んでいる・・・という

ことだった。ナルキッソスもからんでいたのは忘れていた。

 

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横山操展

2018-09-19 21:01:21 | 展覧会

昔、三鷹市美術ギャラリーに横山操の作品が収蔵されていることを

知り、行ってみたことがあった。その時は公開していないといわれ、

企画展を待つしかないかな・・・と残念だった。三鷹はアトリエがあったり、深代寺に

眠っていたりと縁があるせいか、1993年のギャラリーの開館記念の展覧会も

横山操展(没後20年)だったそうだ。この時は観ていない。

今年開館25年記念展としてこのような展覧会が開かれてよかった。実は暑さも

一段落の頃、休館日に行ってしまったが,先日ようやく観ることができた。

 横山操の日本画を初めてみたのは大分昔の山種美術館であった。まだ兜町に

あったころだ。その時は故郷越後の水墨画風景画だったのでそれほどの

強烈な印象はなく、横山大観ではない「横山」という日本画家の存在を知ったという

感じだった。その後、どこか都心のデパートで加山又造との2人展があり、ライバルとも

評された対照的な2人がこれからの日本画を面白くしてくれそうな気がした。

1999年には大規模な回顧展が国立近代美術館であった。あの時は初期大作が多く、

「溶鉱炉」「ウオール街」「塔」「炎々桜島」など「描きたい!」という迸るエネルギー

 が画面を突き破りそうは荒々しいタッチで こういう日本画もあり得るのだと思った。

とうわけで横山操の作品は晩年から遡ってみてきたということになる。

今回の展覧会では大作はなかったが、珍しい挿絵の数々を観ることが出来た。

毎日新聞の連載小説の挿絵でで永井龍男の「石版東京図絵」(1967年)。

当時毎日新聞をとっていなかったので全く知らなかった。

120余りの小さな原画が展示されていたが当時の暮らしの細部がみえて面白かった。

両親より少し上の時代だが、私でもなんだか懐かしい感じがする。

晩年脳卒中を患い、半身不随の身で描かれた、「茜」「むさし乃」を見るのはつらいものが

あるが、ここまで描けるのは驚異的だ。気にいらない絵は焼いてしまうという自分への厳しさ、

妥協しない頑固さなど生き方にも感銘を受ける。53才で亡くなった時は涙が止まらなかった

ことを思い出したが、それも45年前とは。

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ロ短調ミサ

2018-09-08 23:41:40 | ルネッサンス・バロック音楽

バッハの4大宗教曲のうちの一つの、「ロ短調ミサ」。

この中で演奏会数が多いのは「マタイ」だろう。私もプロ・アマ合わせると

相当聴いているが、一番印象が強かったのはバッハ・コレギウム・ジャパンが

結成されてからすぐの「マタイ」だった。90年代初めのことだ。

「ロ短調ミサ」は自分でも歌いたいと思いながらいまだ果たせず、もう無理

のような気がする。かなり高度な技術力とエネルギーが必要だ。

 

今日はトン・コープマン率いる「アムステルダム・バロックオーケストラ&合唱団」の

コンサートに行った。「ロ短調」の前に、バッハの「小フーガ」が演奏され、

会場のパイプオルガンの響きも聴くことが出来た。7月に所沢ミューズでの

コープマンのオルガンコンサートでもこの超有名曲が入っていたが、コープマンの

演奏は同じく超特急であったが、ここトリフォニーのオルガンの方が深みのある音

のように感じた。

席が3階バルコニーの前端で音響がどうなのかと心配だったが、舞台がよく見えるし

合唱団、オケの音もよく聴こえてよかったと思いきや、歌ソリストの声が聴こえにく

かった。後ろ姿しかみられなかったのだからしょうがない。でもコープマンの

躍動感溢れる指揮を見ているのは楽しく、ポンセールやハーツェルツェトのソロは

さすが年季の入ったものだった。舞台にはポジティフオルガンが2台あり、歌ソロの

伴奏の際のコープマンのオルガンの右手がなんとも美しかった。合唱団も26名と

多くはないがレベルが高く、プロ集団の質を見せつけられた。

明日の札幌でのコンサートは中止という。東日本大震災のあとの状況を思い出す。

一日も早い復旧を祈るばかりだ。

トリフォニーホールは初めて行ったが、錦糸町駅からも近く、残響も程よく

良いホールだった。今度はパイプオルガンコンサートを聴いてみたい。 

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夜には光をたたえ

2018-09-03 11:20:20 | ルネッサンス・バロック音楽

今合唱団ではモンテヴェルディのマドリガル「愛する女の墓に流す涙」を練習

している。連作になっていて6曲ある。このうちの第3曲「夜には光をたたえ」のみ

昔仙台の合唱団で歌ったことがあった。もう30年近く前の話だ。

この曲を歌っていると当時練習場だった木造の古い教会の集会室の隅々まで

思い出して懐かしくなる。メンバーで残っている方はもう誰もいない。

今回こちらの合唱団でまた歌ってみて、意外にも歌詞やメロデイーを覚えていた

のにびっくりした。かつて歌ったはずの曲でもかなり忘れている曲が多い中、

珍しい。よほど印象的だったのかもしれない。

持っているCDも1990年のコンソートオブミュージック。装飾としての

グリッサンドが効果的でかっこいい。

30年前のエマ・カークビー初め、メンバーはみな若く活気に満ち溢れている。

90年代初め、宮城県北の中新田のバッハホールでカークビーと

エヴリン・タブ、アントニー・ルーリー(リュート)の3人の実演も聴いた。

この時はイタリア物一色で、モンテヴェルデイやディンディアのデユオ、

ミケランジェロ・ガリレイのリュート曲など初めて聴き、イタリアバロックの

芳醇な世界に魅せられたのだった。

このCDはマドリガル第6巻の曲が収められており「アリアンナの嘆き」

「西が戻り」などの有名曲も含んでいる。マドリガル5巻からはBCも入り

一層ドラマチックになり、小オペラといってもいいくらいだ。

90年代にはこの後コンチェルト・イタリアーノやラ・ヴェネクシアーナなど

本家イタリアのグループが出てきて今やモンテヴェルデイは日本でも盛んに

演奏されるようになった。隔世の感を覚える。

 

コメント (2)
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