古楽の小路

30余年住んだ杜の都から東京へ。両親の介護も終了、気が付けば高齢者に。介護される身になるまで音楽生活を楽しみたいものです

活力と慰め

2020-12-14 16:25:50 | クラシック音楽

今年も半月を残すこととなった。

年初め、シフのベートーヴェンピアノコンチェルト1&5番の

放映があった。そして昨夜はアルゲリッチでまた1番を聴き、

これ以上の演奏はないかと思えるくらい素晴らしかった。

そのあとは3重コンチェルト、昔からどこがいいのかよく

わからない曲と思っていた曲。名手3人{ムター、ヨーヨー・マ、

バレンボイムピアノ&指揮}なので聴いてはみたが、やはり

ソロが3種の変な曲だなという印象はぬぐえなかった。

このメンバーで最近CDも出ていた。ついでに40年前に出たCDも検索。

ムター、ヨーヨー・マは同じだがピアノ:マーク・ゼルツァー 

指揮:カラヤン

どうせならバレンボイムは指揮だけにしてもらって、

ピアノはゼルツァーで聴いてみたかったと思ったが。

 

先日バッハコレギウムで聴いた「運命」もこのご時世もあり、

音楽がもたらす活力を、あらためて感じた。この時演奏されたもう一つ

の曲は「ハ長調ミサ」。存在さえ知らなかった曲だった。それほど

傑作とは思えなかったが、人の声に癒された。合唱と言えば

12月初め、東京カテドラル大聖堂で開催された、コンサート

「Consolation」慰め

文字通りしばし心穏やかになれる選曲と演奏で今年忘れられない

コンサートになった。

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こころ和んだボッケリー二

2014-04-27 21:27:21 | クラシック音楽
鈴木秀美のガットサロンVol.9 4月25日
ボッケリー二のひととき

ボッケリー二というとハイドンやモーツアルトに似てるような、
何かもう一つインパクトに欠けるという気がしていた。
「スターバト・マーテル」は好きなのだが代表的な作品である弦楽曲を
よく聴いたことがなかった。

ボッケリー二といえばチェロ曲だが最強のバロック・チェロ奏者が
2人登場し、低音の響き豊かな弦楽5重奏曲3曲、ヴァイオリン、ヴィオラ
チェロのトリオ、チェロと通奏低音チェロのソナタ、ヴァイオリンデュオ、
とボッケリー二尽くしのプログラムであったが、全然厭きなかった。

なかでもチェロ2台のソナタはお二人の息のあったスリリングな名演に
圧倒された。例の有名な「メヌエット」の入っている弦楽五重奏曲も
最後に聴くことができた。その前に演奏された短調の五重奏曲も明るい
長閑なイメージの強いボッケリー二の違う面もうかがえて楽しめた。

プログラム解説によると、ビルスマ氏いわく『ボッケリー二を弾く時はね、
テーマとか発展とかを探しちゃいけない。そこにいるシチュエーション
そのものが音楽なんだ』とあるがボッケリー二の特徴を言い得て妙だ。

5人の奏者のお互い知り尽くしたような信頼感のあるアンサンブルを
ハクジュホールの心地よいシートに体を埋めリラックスして聴けて
幸せなひと時だった。今音楽が生まれているという生演奏のよさは言う
までもないが、音楽の喜びを共有できた貴重なコンサートだった。
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センチメンタル・コンサート

2014-03-27 22:44:28 | クラシック音楽
3月初め母が亡くなり、覚悟はしていたもののこんなに悲しいとは想像してなかった。
一月末ようやく退院してたまによくなるかもしれない、と思うときもあったが
全体的に年には抗えず衰弱してしまっていった。

昨日行った「坪田昭三室内楽リサイタル」のチラシを2月初め母に見せ、「昔のピアノの先生のコンサートよ」、と言った時もわかっているのかわかっていないのかはっきりしなかった。

母が亡くなりコンサート行きはまだ自粛すべきかと迷ったが大昔、母と一緒に
よく巌本真理弦楽四重奏団のコンサートに行ったという思い出もあるので
供養になるかもしれないと思い行くことにした。
ピアノの入る3、4、5重奏の曲には必ず登場したピアニストでもあった。
会場も同じく東京文化会館小ホール。

さてプログラムはモーツアルトのピアノコンチェルト3曲の室内楽版で
ピアノ5重奏曲の形だ。第一ヴァイオリンをアメリカで活躍中の先生の娘さん
が弾き、チェロとコントラバス以外は巌本真理弦楽四重奏団のメンバーだったのも
懐かしかった。息のあった弦楽団に控えめなピアノがとけあって端正な演奏
だった。80才過ぎの方が弾いているとは思えぬピアノだった。アンコールは
先生が一番好きだといわれたK414の2楽章が弾かれ、老成した落ち着いた
音楽を聴くことができ、しみじみ行ってよかったと思った。

坪田先生は私がまだ10代後半から20代前半に習っていたピアノの先生であった。
幼い時から数えると4人目で最後のピアノの先生になる。趣味でピアノを弾く
私であったが、レッスンは結構厳しかった。発表会では2台のピアノ曲
(モーツアルトソナタやシャブリエのスペイン)を弾いてアンサンブルの楽しさを
味わったのも貴重な経験だった。

40年もお会いすることがなかったし、演奏も聴かなかったのだが20年ほど前
ある古楽講習会でやはりピアニストの奥様に偶然お会いし、ご無沙汰を許して
いただいたのももう昔のこととなった。先生のご健康を心から願うばかりだ。


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木琴デイズコンサート

2013-10-11 18:10:30 | クラシック音楽
数年前からリコーダーの先生が木琴奏者と共演するようになってこの2つ
の楽器は合うのだろうか・・・と思いながら実際の演奏は未だ聴いたことが
なかった。マリンバは今まで何回か聴く機会はあったのだが、残響が多すぎで
気持ちが悪くなって耳を覆いたくなることもあった。ハンドベルの音色も
苦手なので残響に敏感なのかもしれない。逆に木琴は残響が少なすぎるのでは
ないかと思っていたが・・・。

その木琴奏者通崎さんのコンサートがあるというのでその前に先月上梓された
「木琴デイズ」を読了。今まで知らなかった平岡養一の「木琴人生」がよく
わかるし、日本の音楽界、戦争を挟んだ日米関係などの背景のリサーチも
よくなされていて大変な労作だ。
著者の飽くない好奇心が埋もれた事実を少しずつ取り出してみせていく過程には
こちらもワクワクさせられる。木琴と平岡養一の全てが分かるといえそうだ。

私は名前だけしか知らなかったが母の世代なら演奏も聴いたことがあるかも
しれない。一世を風靡したそうだからおそらく母なら何か知っていると思う。
そういう昔の話をきける親子の会話というのももうできないと思うと本当に残念だ。

さてコンサート使用楽器は本の中にも詳しく書いている、平岡養一の遺族から
譲り受けたというアメリカ製の「ディーガン」を使って行われた。
プログラムは平岡養一が好んだ曲や、あらたに通崎さんが現代の作曲家に委嘱
した曲あるいは平岡養一に献呈されながら演奏されなかったという台湾出身の
作曲家の曲など盛りだくさん。ちょっと散漫な感じもしたがそれは木琴という
楽器のレパートリーを考えるとしょうがない気がする。木琴という楽器の位置
はアコーデオンに似てるかもしれない。他楽器曲の編曲がどうしても多い。
リコーダーとのデュオ曲はバロック曲にはありえない音やグリッサンドを
多用したミステリアスな面白い曲だった。

リコーダーも木琴も両方ともクラシック界の王道?からは外れている楽器だ。
尤もリコーダーはルネッサンス期からのレパートリーのある歴史のある楽器
で木琴は100年ほどの新しい楽器という大きな違いはあるが、世の中の
一般的な扱いは低い地位にあるようだ。通崎さんも木琴という楽器の地位を
高めたいということをおっしゃっていらした。楽器はそれぞれ特色があり
優劣をつけられるものではない。とかくオーケストラに入っている楽器が
勝っていると考えたがるのは教育のおかげ?そんな私もリコーダーの素晴らしい
演奏にめぐり合わなければリコーダーに深入りしなかったので、木琴も偏見なく
聴いてみる必要があると思った。この本を読めばききたくなること受け合いだ。











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所沢ミューズのコンサート

2013-02-11 21:34:00 | クラシック音楽
所沢ミューズのピアニストシリーズ2012~13の最終回。
ファジル・サイ、ツィメルマンに次いでコンスタンチン・リフシッツ
を聴きに行った。(2月9日)
ベートーベンの後期のピアノソナタ30番、31番、32番の3大名曲
という気の抜けない濃いプログラム。
普段古楽系に偏ってしまっているのでクラシックのコンサートが新鮮。
でも一曲が長くて集中力がいる。
昔はピアノ曲を特に良く聴いたので長い間聴かなくても記憶のすみに
仕舞われてあるようだ。ベートーベンはそれほど聴く方ではなかった
ので、不思議。この3曲より29番のハンマークラヴィアソナタが
好きだった。本となると今や読んだことも覚えていないことが多いのだが。
音楽の記憶はいくらでも詰めこみ可能?認知症になるとなくなるのだろうか??
なんだか寂しく生る・・・。

演奏はかつての巨匠の誰かの系統というのではなくあくまで
リフシッツ独自の解釈によるもので曲の隅々から全体の構築まで
新しい曲を聴くようなスリリングな演奏だった。
31番に出てくる「フーガ」からリフシッツの「フーガの技法」のCDを
思い出した。バッハをピアノで演奏するにあたり躊躇することなく
ロマンチックに弾き、それがピアノという楽器を生かせるいい方法
なのかもしれないと思わせてしまう演奏。

休憩後の32番は椅子に座るか座らないうちに弾き始められ、
びっくりした。お客様に喜んでいただければうれしい、という
様なタイプの演奏者ではなく、聴衆などいなくても延々弾き続ける
のではないか、と思った。

三者三様の演奏がとても面白いシリーズだったが、今年度は清水和音、
ツィメンルマン(またして)、オピッツの3人がベートーベン
のピアノソナタの名曲ばかり弾く。ツィメルマンは30~32番と、
リフシッツと全く同じプロなのであった。
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そっけない女⇒つれない娘

2012-12-25 20:12:15 | クラシック音楽
今週の「古楽の楽しみ」ではクリスマス時期の宗教曲の名曲に
チェンバロ曲の組み合わせ。今朝のフローベルガーの二長調組曲は
放送されたCDを良く聴いているが朝のまだ疲れていない耳で
聴くとまた感動は新た。たった一度しか聴けなかったレオンハルト
のコンサートも思いだした。

続くはセリーヌ・フリッシュ。こちらはまだ若手のようだ。
ラモーの新クラヴサン曲集から「そっけない女」が放送された。
「そっけない女」・・そんな曲あったっけ、、と思ったら
べーレンライター版の訳では「無関心」という題名になっている曲だった。
「L'Indifferente 」
無関心、そっけない、つれない・・と連想していったら、
ヴォルフの「つれない娘」を思い出した。「心とけた娘」と
対にして歌われる。歌詞はかのゲーテだが、マドリガルの歌詞の
ような他愛のない恋の歌だ。

大分昔歌の伴奏をしたことがあって、ドイツリートも少し
弾いた。そんな中で、ヴォルフに出会い、魅了された。その時
買ったCDがシュワルツコップとフルトヴェングラ-の共演という
珍しい一枚。
ヴォルフ・リートリサイタル。1953年のザルツブルグモーツアルテウム
での実況録音。一曲終ることに待ちかねたように割れんばかりの拍手。

指揮者サヴァリッシュやブリテンの歌の伴奏もとても良かった
記憶があるけれど、フルトヴェングラ―のピアノは武骨だが心深く
届くような魔力がある。

昨年の引っ越しの時、LPは大分処分して後悔した。CDの処分は最小に
しておいてよかった。一枚のCDから今まで忘れていたことが芋づる式に
蘇ってきた。
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ツィメルマンコンサート

2012-12-09 17:20:00 | クラシック音楽
昨日は所沢ミューズの「ウイークエンド ピアノシリーズ」の第2弾。
クリスチャン・ツィメルマンのコンサートだった。日本でもファンが多く、
数年前、仙台でもコンサートがあったのだが入場料が高くて諦めた
ことがあった。

最初はオール・ドビュッシー・プロということだったが、10月末に
発表されたプログラムは前半ドビュッシーで後半がシマノフスキ
の前奏曲にブラームスソナタ作品2の2番に替わった。
ドビュッシーばかりよりは良かったと思った。ブラームスのピアノ
ソナタの作品5の3番ならよく知っているのだが、2番ってどの曲だ
ったけ?。幸いツィメルマンの演奏がYoutube にあったが(これは違法に
載せられたそうで訴訟中とか。開演前もシツコイほど録音録画は固く
お断りします、と放送や係り員が座席を回ってアナウンスしていた)

コンサート開演が17時というあまりみかけない時間。自分の夕食
はともかく母の夕食を用意しては所沢へ。
会場はほぼ満員。ドビュッシーの版画の3曲、前奏曲集第1巻から
6曲のいずれもよく知られている曲。一音一音に神経が行き届き
くっきりと設計図がみられるような端正な演奏。面白み、ということに
なると私にはエマールのドビュッシーのほうがピンと来る気がした。

休憩後のシマノフスキの前奏曲3曲は初めて聴いた。いずれも
小品だったのであっという間に終ってしまった。若書きの作品でいろいろな
作曲家の要素がみられ、以降の作品も聴いてみないと論じられない気がする。
ロビーに楽譜が張り出されてあったので、携帯で撮ったら imslp で
同じものが公開されていた。

さて最後を飾るのがブラームスソナタ。こちらも20歳頃の作品で、
若いエネルギーには満ちていたが、なんだか混沌としていて理解に
苦しむところもあり、ブラームス自身ももっと推敲したかったのでは
ないかと思った。ソナタ3番やスケルツォ(作品4)にも洗練されない
部分があり、それが魅力にもなっているがこの2番はちょっと・・・。
晩年の作品に見られる比類のない深い境地に至るには若い時このくらいの
豪放磊落ぶりが必要なのかもしれない。そう思って聴くと若気の至り
が何か愛しいものに見えてきた。
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名曲揃い

2012-11-05 13:31:20 | クラシック音楽
昨日はNHKの題名を書くのも嫌なクラシック番組でモーツアルトのレクイエム特集。
最近のクラウディオ・アバドが見られるというのでいつもは夜9時半にご就寝の母と
観た。今は耳がかなり聴こえなくなった母が大のアバドファンのため、CDやDVDをよく
注文させられ、私もお付き合いでDVDを時々みていたのであまりの老け様にショック。
番組冒頭のカラヤン追悼から23年の年月がたったのだし、大病もしたことだし・・・。
2007年のブランデンブルグ全6曲のDVDの時の表情とは大分違っていた。
曲が曲だけに微笑むこともなく、モーツアルトが最後の力を振り絞って書いた、
痛々しい姿とオーバーラップしてしまったが毅然とした風格に心を打たれた。



今週の「古楽の楽しみ」は  =バッハの秋のカンタータ選=
「秋の」がつくなぜか哀切が漂ってくる。
プログラムをみていたらどれも聴きたい曲ばかり。
今日は名曲中の名曲カンタータ78番が放送された。この中のソプラノ&アルトの
二重唱「Wir eilen...」は大昔に学生時代にクワイヤで複数で!歌ったのだが
(正確には練習オルガニスと本番アルト)恥ずかしながら長い間この曲がカンタータ
78番の中の曲とは知らなかったのだ。礒山氏のバッハの名著の序文で78番の
「テノールのレチタチーヴォ」を聴いたことからバッハ研究の道へ、、と書いて
あったのでどんな曲かしらと思って聴いたらパッサカリア風の重々しい第1曲の
あとにこのデュエットがでてきてびっくりしたのだった。

バッハ・カンタータは実はあまり知らないのでこういう放送のたびにチェック
するのだがCDを購入する段になると優先順位が落ちて行き、未だ手持ちが少ない。
指揮者もガ―ディナーに偏っている。他の指揮者でも聴いてみたいが目移りしてしまう。
なにしろ膨大な数なのでリコーダーの登場するカンタータなどを中心に聴いて
みるのもいいかもしれない。
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夢のあとに

2012-09-15 12:10:15 | クラシック音楽
昨日のコンサートはまさに夢のようだった・・・。

仙台でNHKバロック講座に通っていた時、講師の先生からCDやDVDをたくさん紹介され
たがその中でも特におすすめの演奏家の一人がサンドリーヌ・ピオ―だった。
そのピオ―が武蔵文化会館小ホールで「夢のあとに」と題する近現代プロ中心の
コンサートをするというので楽しみにしていたのだった。

コンサートプロと同じ曲目の入ったCDも既に売られていたが、先入観なし
に聴いてみたかったのであえて買わず。会場でも売っていた(終了後サイン会も)。

最初のフォーレから魅了されてしまい、メンデルスゾーン、ショ―ソン、シュトラウス
後半ブ―ショ(1966~)、プーランク、ブリテンの曲を全身耳にして聴いた。
吉田秀和氏は「鈴をころがすような声」と評したそうだがそんな軽薄な!感じは
全然しなかった。フランス歌曲とブリテンが特に良いと思った。バロック専門と
いう印象があったのだが、とくにヴォルフ等も聴いてみたいと思った。

伴奏のピアニストも歌にぴったりよりそい、時には対等に渡りあっていて良かった。
曲が終わると仲よく手をつなぎ二人の合作の出来を共に喜びあうようないい雰囲気。


プログラムには歌詞訳がなかったので内容を理解できず残念。前もって予習して
おくべきだった。もっとも前日に送られていた武蔵野文化会館のメルマガで歌詞訳を
みることができたのをあとで知った。フォーレの「夢のあとに」もチェロ曲のほうを
よく聴くので原曲の歌詞がこういう内容だったか遅ればせながら知ったのだった。

<歌詞訳>

「夢のあとに」 op.7-1
詞:R. ビュシーヌ

眠りに落ちれば、あなたの姿に満たされ
夢に映る幸福は、燃えさかる蜃気楼
あなたの優しい目、朗らかに響く声
あなたは夜明けの空のようにまばゆく輝いていた
あなたに呼ばれると、私は大地を離れ
あなたとともに光に向かって逃げ出した
二人のために雲の狭間にかすかに空がのぞく
妙なる美しさ、幾重にも差しこむ厳かな光
それなのに、それなのに夢は覚めてしまう
私は呼びかける、ああ夜よ、まやかしをもういちど
輝きに満ちた姿をもういちど
その姿をもういちど、ああ、神妙なる夜よ


内容がわかるとまた聴きたくなったし、なんども聴きたいので結局HMVで
安く買うことにした。


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世田谷美術館へ

2012-07-19 21:52:00 | クラシック音楽
「楽園のカンヴァス」を読み終えた時すぐにでも世田谷美術館所蔵の
アンリ・ルソーの絵を見に行きたかったのだが、なかなか果たせず昨日
ようやく行けた。

知り合いの作曲家+ピアニストから世田谷美術館講堂での歌の
コンサートでご自身の作曲された曲の演奏があると聴き、ちょうど
良い機会と、猛暑の中、外出。東急田園都市線の用賀駅から美術館行きの
バスに乗った。

美術館は、所沢の航空公園を思い出すような広大な砧公園の端にあった。
さてお目当てのルソーの絵は全く展示されてなかったので係員にきいたら、
いつもみられるといいわけではないので事前にチェックして下さい、
といわれ、見られず残念だった。

ちょうど花森安治の「暮らしの手帖」の表紙の原画展をしていたので
ざっとみた。昔の表紙に見覚えのあったものがあってしばし昭和40~50年代に
タイムスリップ。「商品テスト」というその頃には珍しい企画があった。
結構厳しかったのでメーカーにとっては脅威だっただろう。我が家では
これを参考にして電気製品を買うこともあった。

さてコンサートは美術館の講堂で行われた。講堂というので四角のホールが
浮かんだが扇型のすり鉢状の開放的な小さなホールだった。



「自然と文化のコンサート」というシリーズ。この夏は3都市リレーチャリティ
コンサートで神戸7月、東京7月18日、そして仙台に隣接した名取市で
8月12日にも開催される。この公演をプロデュ―スするのがソプラノの
松岡万希さん。

ラフマニノフの「ヴォ―カリーズ」から「ある晴れた日に」まで、間に日本歌曲
も4曲含まれ、一つ除いて有名曲ばかりだった。この一つが福島の詩人の
和合亮一さんの詩に曲を宮城の高橋侑子さんがつけた「かいごうⅢ(変換できず、出会う意味)」
わかりやすい優しいフレーズがどのような音楽になるのか興味があったが
詩の持ち味を生かしたやはり柔らかい感じの心地よい曲になっていた。
ピアノパートも綺麗だった。

曲の間には歌い手のお話も入り、終始リラックスした雰囲気の中で行われ
高年齢層の多かった聴衆も満足したようだった。
ボリュームのある華やかな歌唱と明るい雰囲気がイタリアオペラ曲によく
合っているように思えた。

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まずファジル・祭

2012-07-02 10:35:30 | クラシック音楽
所沢ミューズのメンバーズというのになって2回目のコンサートに行った。
ここには3つホールがあるのだが、そのうちの一番大きな「アークホール」
に行った。前回の「マレの肖像」コンサートは中規模の[マーキーホール]であった。
そうなると残りの「キューブ」という小ホールにも行きたくなる。ここでは
10月に寺神戸+鈴木両氏のコンサートが予定されている。

開演前に広大な航空公園のごくごく一部を散策。お弁当持ちで一日過ごしたら
リフレッシュしそうだ。ベンチで読書している人もちらほら。



収容人数2002人の大ホールには立派なパイプオルガンもありこんな
広いホールはなんだか久しぶりで落ち着かなかった。
開演前にいつものように携帯で舞台を撮ろうとしたら、席案内係の女性が
飛んできて、「撮影禁止」といわれてしまった。
この女性がたえず客席を見はっていて、あちこち走って行っては撮影阻止を告げる
光景をよく見た。開演中は勿論まずいが、開演前もダメとは・・。

さてこれから2013年にかけて3人のピアニストのコンサートが
開かれるのだが、トップバッターはファジル・サイ。
広々としたステージには黒光りするピアノが一台。この大きなホールの
隅々まで音が達するのだからピアノというものは巨大な化け物だとつくづく
思った。

最初のモーツアルト・ソナタは期待通り、曲の終りのトルコ行進曲は民族色を
強く出したリズムで弾かれてなかなか面白かった。
次の「ぺトルーシュカ」はファジル・サイ編曲版ということだった。
スト―リーが頭に入ってなかったが、ピアノから今まで聴いたことのないような
様々な音が聴こえてきて、それと時には両足を踏みならす音、つぶやく声
とが渾然一体になって融けだすような不思議な感覚になった。

この後の休憩では調律が入った。弦を切らんばかりの打鍵が多かったので
無理もない。長い休憩でホール内を散歩。

圧巻は最後の「展覧会の絵」これはホロヴィッツはじめいろいろな演奏を
聴いているのだが、非常に新鮮に聴こえたのはどうしてなのだろうか。
「古城」のあとの「プロムナード」の最期はやおら立って3つ弦をはじいた
のは遊びがあっていいと思った。ここでも従来のピアノではない新しい音が
聴こえてこの化け物楽器の面白さに目をつぶることはないと、近年古楽器
ばかりに傾いていた自分の枠をたまにははずしてみるのもよし、、と開放された
気分になった。

アンコールは自作2曲ふくめ4曲もあり、自作のチェロソナタの
ピアノバージョンが良かった。これからどういう風に変っていくのか楽しみだ。
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ラヴェルのピアノコンチェルト

2012-06-06 17:30:00 | クラシック音楽
亡くなってしまった吉田秀和翁の声が聴きたくなり、先週の土曜日に
本当に久しぶりにNHKラジオ「名曲のたのしみ、吉田秀和」をつけた。
テーマはラフマニノフの何回目かで 放送されたのはピアノコンチェルト4番。
演奏は2通りでアンセネスとべネディエッティ・ミケランジェリ。

2・3番のコンチェルトに比べ聴く機会の少ない曲なのだが、隅々まで
覚えていた。何故かと思ったらこの曲とラヴェルのピアノコンチェルトの
入ったLPを持っていて昔よく聴いていたのだった。一時期ラヴェルのコンチェルト
にのめりこんでピアノコンチェルトのベスト・ワンだわ、と1人で思っていた。

昨秋の引っ越しでLPはあらかた捨ててしまったのでこのLPは手元には無い。
確か映像があったと思い、ヴィデオテープの山を探したら、あった。
持っていたLPとは指揮者とオケが違っていて、テープの方は
指揮:チェリビダッケでオケ:ロンドン交響楽団。ライブ録音。
何年のころかわからなかったので調べてみたらYouTubeにあり、
1982年らしいということがわかった。LPはかなり前だろうけど
演奏スタイルが大幅に変っているとは思えなかった。
ミケランジェリの特徴ある手の動き、チェリビダッケの恍惚の表情に
見入ってしまった。お気に入りの2楽章は磨かれたピアノの音と受け継ぐ
フルートやコールアングレの響きとが呼応してなんとも美しい。



ミケランジェリの実演は一度だけ聴いたことがあった。
この時のプログラムが何だったか、「シューマンの謝肉祭」くらいしか
思いだせない。その後コンサート会場まで行ってキャンセルという目にもあった。

生きていて活動中の演奏家ならば演奏は変化していくのでその演奏家の
若い時の演奏をあまり聴こうとも思わないのだが、亡くなってみると
若い時から全部丸ごと知りたくなる演奏家がいてミケランジェリも
そういう1人だった。

レアCDが2枚ある。
1941~2年録音の方は音質は悪いのだが、21~2歳の青年の
演奏とはとても思えない老成した演奏なので驚く。
このCDは未公開の録音を探して何でも寄せ集めました、というしろもので
ベートーベンのコンチェルトなどは僅か数分だけで消えてなくなる!
珍しいところではヴィヴァルデイのコンチェルトなるものも抜粋で
入っている。勿論編曲だ。原曲がなにか突き止めてないけど、
こちらは大昔のバロック演奏を彷彿とさせられる。

もう一つは1957年の未公開ライブ録音。こちらもモノラル。
往年のイタリア映画俳優みたいな面立ちのミケランジェリ氏。
シューマンの「ウイーンの謝肉祭の道化」や、ドビュッシーの「映像」からの
4曲などが入っている。おまけとしてリハーサル風景も入っていて、調律に
厳しかったということを物語っている。

両方ともミケランジェリ生存中だったら発売許可されなかったCDでは
ないかと思う。
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横浜のコンサートへ

2012-02-12 23:14:30 | クラシック音楽

横浜のイギリス館での古楽のコンサートに行って来た。
早めに家を出て渋谷から東横線に乗ったら35分で元町中華街に着いた。
こんなに速く行けるのだったらあまり億劫にならずに横浜でのコンサート
にも行けそうだ。

さて横浜は何年ぶりだろうか?横浜美術館にダ.ビンチの「白テンを
抱く貴婦人」を観に行った時以来のような気がする。あの時は観終わって
足早に夜遅く仙台に帰ったのだった。

今日は快晴で暖かく「海の見える丘公園」からの眺めも壮大だった。
せっかくだから西洋館めぐりもしようと思ったが、時間も限られている
のでコンサート前の2時間ほどを歩き回った。

まずコンサートの会場へ下見をかねイギリス館に。リハーサルの音が
聴こえてきて気分が盛り上がった。



山手111番館ではやめの アフタヌーンティ。スコーンがイマイチ。



イギリスに来たような錯覚におそわれる石造りの教会、山手聖公会。



近くにはレトロな公衆電話があり目をひいた。「自働電話」とある。


まだ時間があったので
岩崎ミュジアムでガレのガラスコレクションや西洋衣装の変遷の展示を観る。
左の2つはルネッサンス時代、右の2つはバロック時代の衣装。


さてイギリス館に戻り、クラシカルチェロ=エマヌエル・ジラール
            フォルテピアノ=渡邊順生
両氏の演奏でベートーヴェンのチェロソナタ3曲(2,5,3番)
                +アンコール(1番の2楽章)
を聴いた。チェロは1750年製、フォルテピアノ(ホフマン)も18世紀、の
オリジナルということだった。チェロは実にのびやかで楽器が良く鳴っていたし
弓使いが巧みなのか音の表情も豊かだった。

フォルテピアノは弱音は綺麗だったが強打すると音が割れるような感じだし、
残響がなくぺシャッとした音なので沢山聴くうちに頭が疲れてしまい、
楽器の限界を感じてしまった。もう少し後の時代のピアノの方がいいのでは
と思ってしまった。ともあれお二人の時として火花散らすデュオは聴きごたえ
があり、アンコールにまたベートーヴェンだったのでベートーヴェン尽くしで
あった。久しぶりにバロック演奏にはない激しい演奏を聴いて頭に血が上って
いくのがわかった。コンサート後はまっしぐらに家路に。門限の6時には
十分間に合った。







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ベートーベンのピアノコンチェルト6番!

2012-01-15 21:55:33 | クラシック音楽
村上春樹氏の「小澤征爾さんと、音楽について 話をする」を
読んでいたら、ベートーベンのヴァイオリンコンチェルトニ長調
の編曲版のピアノコンチェルトという曲のことが出て来た。
小澤氏はピーターゼルキンと何度か実演もし、レコードもあるという。
かのヴァイオリンコンチェルトを思い出してみてベートーベンの交響曲の
ピアノ版などよりはましかもしれない、と思った。ベートーベン自身の
作とのことでもあるし。

こんな編曲があるとは今まで知らなかったのだが、他のピアニストも
何人かCDを出していた。ピアノコンチェルト6番となっている。
CD会社の無料試聴で少し聴いてみたが1・2・楽章はピアノが出てくる前に
終了(笑)3楽章のみほんの少し聴いたが、まあアリかも、と思った。
全曲ちゃんと聴いてみたくなったが買う気までは起こらない。

この本は曲を2人で聴きながらの対談もあるので曲は知っていても
聴いたことがない演奏は想像するほかない。それにしても村上氏の詳しいこと。
小澤氏の記憶の外にあったことがらも引き出し、展開させ、名インタビューアーと
しての資質も素晴らしい。単なる物知り訳知りではなく心の奥深くから
音楽を必要としていて文章を書くことと音楽とは密接に結びついているのであった。
村上氏の作中に出て来た曲のCDが売れるというのも、その曲を深く知らなければ
作品を理解できないからだろう。
ともかく2人で音盤を聴きながらの親密なトークや間の「ト書き」のような
箇所からは臨場感が漂い、進行形のスリリングな構成にもなっている。
よく友人とCDの貸し借りをするが、こうやって同時に聴いて感想を述べ合うのも
楽しそうだなあと思った。
今まで知らなかった数々のエピソードもあった。
なんと小澤氏には65年にヴィヴァルディとテレマンのオーボエコンチェルトの
レコーディングがあるそうだ。これらの曲はほんの50年前にはまだ演奏される
ことがとても少なかったとは今からみると信じられない位だ。

マーラーの楽譜にいかに細かい指示が多いか、という箇所で、ある古楽の演奏家の
発言を思い出した。そのチェリストは バロック時代の楽譜には指示が少なく
それは作曲家が演奏家を信頼して楽譜にあれこれ書かなかったのでそれ以後の
作曲家は演奏家を信頼してないので指示を書かざるを得なかったのだ、と
冗談交じりに話されたのだった。マーラーは作曲家にして指揮者で交響曲の
初演も自身が殆んどだ。その演奏が他の指揮者とどのような違いがあったのか
興味がわく。
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通院納め

2011-12-28 20:46:40 | クラシック音楽
「仕事納め」まで通院付き添いすることになった。
来年は4日が「通院初め」だからまるまる6日間は通院なしになる。
ちょっと一息というところだ。

引っ越しにより例年のような年末年始の私の移動もなくなったわけだ。
昨年までは母がおせち料理を買ってしまっていたので、今回からは私が作ることにした。
といっても人数も少ないので最小限だけ。

例年だとこの時期、今年の出来事のまとめ(コンサート、レッスン、
映画、読書、アンサンブルなど)をして勝手にベストスリー&
ワ-ストスリーなどを決めて1人で楽しんでいたのだが、今年は震災も
ありイベントが極端に減ってしまった。震災後の数々の心温まるコンサート
は忘れ難い。
10月の引っ越しとその後の介護で日々の暮らしに追われることとなったが
仙台で親しくさせていただいた友人達が手紙やメールを下さり、とても励まされ
感謝の気持ちでいっぱいだ。ありがとうございます!

さて今年いただいたCDがまだあった。仙台にご縁のある舘野泉さんのCD。
1枚は「風のしるし」左手のためのピアノ作品集1
もう一つは「その左手のために」左手のためのピアノ作品集3
こちらは日本の作曲家が中心になっていて谷川賢作曲を初めて聴いたが
演奏がいいせいかピアノの音自体の魅力をあらためて感じた。

舘野さんは今みたいにカッコイイピアニストが居ない?頃、燕尾服でなく
ラフないでたちで登場し、メシアンなど弾く異色のピアニストだった。
フィンランドに長く住み、教えていらしたので、その昔ヘルシンキに
滞在したとき港の市場でお見かけしたことがあった。まだ40代であったと思う。
フィンランドではとても有名で、私が日本人と知ると「舘野は素晴らしい」
とよく言われた。フィンランドの作曲家の作品も随分沢山紹介された。
カスキもそのうちの一人だが、ピアノ曲「夜の海辺」は心に染み入る
素敵な曲だ。岩場の多い岸辺の様子が目に浮かぶ。

左手の作品はソロやコンチェルトしか知らなかったが、舘野さんはコルンゴルトの
「2つのヴァイオリン、チェロ、左手ピアノの為の組曲」の入ったCDも
だしておられる。前々ブログのコメントでTさんが触れられている作曲家だ。
どんな曲か興味がわく。




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