古楽の小路

30余年住んだ杜の都から東京へ。両親の介護も終了、気が付けば高齢者に。介護される身になるまで音楽生活を楽しみたいものです

狂い咲き?

2012-09-30 19:50:00 | 庭の植物
7月に咲いていた牡丹臭木がまた咲いた。毬のような花はなかなか
綺麗だが、名前の通り、葉はちょっと臭いので切り花にするわけにはいかず。

ようやく涼しくなったので夏の間すっかり伸びてしまった芝を刈ることに。
母からはシルバー人材センターに頼んだら?といわれたが、頼むほどの
ことはないと思い、シルバー人材の私がすることにした。

坐骨神経痛と肩こりの身にはちょっと辛いのだが電動式の古い重い芝刈り機を
物置から運び出し、延長コードをつなげて無事開始。芝の青くさい匂いが
漂って心地よい。芝が伸びているので何回か同じ場所を往復したらしょっぱい
汗が驚くほど出て、顔は赤鬼のように。みるみるうちに成果が表れるのでやる気
になって徹底的に刈りこんでしまった。


それに比べすぐには成果の見えない楽器の練習。
そういえばSheetmusicplus・comに注文したジョン・レイエのソナタの楽譜がまだ
届かないのに気づいた。8月22日に発送したというメールを受け取っていたので
安い便とはいえ時間がかかり過ぎている。

催促メールを書かねばと思ったがこの頃英語を全然使わなくなったのでどう書いて
いいかわからなくなった。ともかく 未だ届かないのでどうなってるのか
知らせてください、ということだけ書いて、あとは返事待ち。注文した頃は
レイエ兄弟のあまり知られていない曲を吹きたいという気持ちが強かったのだが
今はシックハルトにもいろいろ良さそうな曲があるので吹きたい曲には困らない。

チェンバロとリコーダーが少しずつではあるけど又生活の中に組み込まれて
来てレッスンや発表会などの目標を持って練習できるという幸せを感じている。
これで夜のコンサートに気兼ねなくに行けるようになればいいのだが、、難しい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋になりレッスン再開

2012-09-27 21:20:10 | ルネッサンス・バロック音楽
ようやく秋らしくなった。このところ急に歩くのが大変になった母用に
車椅子を介護保険でレンタルした。時々家の周りを散歩している。
母も注意して歩くのに疲れてしまったので周りの景色を楽しめていいと
言っている。押すのにたいして力がいらないので段差さえなければこちらも
一緒に歩くのより楽。
でもあまり車いすに頼り過ぎるといけないのでほどほどにしないと歩けなく
なってしまうと怖い。
先日知らない道を散歩していたら栗林があった。栗はまだ青緑の小さな「いが」
にしっかりおおわれている。いがぐり頭の子供みたいで可愛い。

今日は何と14ヶ月ぶりのリコーダーレッスンを受けに高田馬場へ。
先日友人と3本リコーダー曲を合わせたことからソロ・レッスンをまた受けなければ・・
という気になった。
仙台での最期のレッスンがいつかな、、と思って自分のブログを調べたら
2011年の7月半ばだった。その時はテレマンのソナチネイ短調をみて頂いていた。
続きにするか、新曲にするか迷ったがリセットの意味もこめてシックハルトの
作品1のソナタに挑戦。

5楽章あるうち3楽章までとりあえず曲の感じがつかめた。先生が吹かれるとますます
いい曲に思えてきたのでよかった。
でも曲の解釈以前の基本的な音の出し方、呼吸、タンギングなどが怪しくなって
いるのを見抜かれてしまい、曲を離れて基本的な練習が今一番必要ということになった。
次回までロングトーンの宿題も。久しぶりに日常生活にない緊張感を味わって
気分も一新。帰りは足取りも軽く。やはりレッスンは楽しい。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャペルコンサート

2012-09-23 20:58:00 | ルネッサンス・バロック音楽
仙台在住チェンバロ友人からコンサートのお知らせをいただいていた。
バロックヴァイオリンにトラヴェルソ、ガンバにチェンバロ、に珍しい
2台のクラヴィコードまでいろいろな古楽器の響きを楽しめる内容。
クラヴィコード2台の演奏というものがどういうものか興味津々なので
行ければ、、と願っていたのが実現!

昨日は会場の横浜にあるサレジオ学院のチャペルへ向かった。構内では
丁度 文化祭が開催されており、模擬店には人が溢れていた。
ここのチャぺルでは文化祭にあわせて古楽のコンサートがずっと行われて
きたそうなので毎年楽しみにされているお客様も多いことだろう。
あたりまえだが中高校生の保護者があまりに若くて驚いた。私なんか彼らの
祖父母の方に近い世代かしら・・とガクッときた。

天井の高い、いかにも響きのよさそうなこじんまりとしたチャペルに入ると
チェンバロの調律中だった。チェンバロの前には2台のクラヴィコードが
出番を待っている。いずれも高橋靖志氏作。チェンバロはジャーマン一段。

最近めきめき腕をあげている友人のチェンバロソロを聴き、
ヴァイオリン+トラヴェルソ+BCでのバッハの「トリオソナタBWV525」や
テレマンの「パリカル6番」は初めて聴いた時のことや自分が弾いた時のこと
などいろいろ思い出しながら演奏を楽しんだ。

クラヴィコード2台の演奏曲はラモーの「ガボットと変奏」にヘンデルの
「2台のクラヴィコードによる組曲」だった。
2台合わさってもとても小さな音で初めはびっくりしたが不思議なもので
耳が慣れてくる。聴いていくうちに強弱もピアノからPPPP位までを感じる
ことが出来、フォルテは出なくとも実に表情豊かに聴こえるのだった。
ただ音が極端に小さいのでお互いの音を聴くのも大変で相当に耳をすませないと
合わせられないのではないかと思う。お二人の息があってとても親密ないい演奏だった。
このあとチェンバロを聞いたらなんと大きな音!と思ったのだった。

盛りだくさんの演奏が終わった後、クラヴィコードをよく見せていただくことが
できて良かった。
楽器の場所用途により様々な木材がつかわれており、木材図鑑をみるようで
面白かったし、精巧な弦のはり方には感動してしまった。
打鍵の時、チェンバロのようなつっかかる抵抗感がなく、強弱がつくので
ピアノに近いといえば近い。鍵盤が浅いので手の重みだけで弾けるが手指の
コントロールは難しそうだった。

クラヴィコードの幽き音は人に聴かせるためではなく自分の楽しみのためという
傾向が強い。コンパクトだし、まず近所迷惑にはならないのでこれから将来
老人ホームに入ったらチェンバロではなくクラヴィコードを持って行った方が
いいかもしれない。でもその頃には耳も悪くなってこの小さい音が聴こえ
なかったりして・・・。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和懐かし本 「ついこの間あった、昔」

2012-09-20 19:30:45 | 本・雑誌
今までも「昭和懐かし本」の部類はいくつか買って両親にプレゼント
したりしていたが、肝心の親達より私の方が面白がっていたようだ。
もうすぐ終わる朝ドラも昭和30年代になってからはより楽しめた。

林望氏のエッセイはイギリスもののみならず読みやすいし、本屋でこの
本を手に取った時、即買いだった。
本の表紙の写真をみて「これは長馬じゃないの、」と小学校時代を
思いだして懐かしかった。長馬について記述は「荒っぽく、しかし仲良く」
という章にあり・・・男の子の遊びの代表格で、これに対し女の子たちは、
ゴム段跳びとかまごとだとか、エレガントで安全な遊びをした。中略...
彼女たちはかかる荒技には加わることをしなかった。と書かれてある。

リンボウ先生は大人しい男の子で女の子の遊びの方がお好きだったようだが、
私はゴム段も好きだったが、お転婆だったとみえて小学6年の頃は男の子たちと
一緒になって遊ぶ休み時間が楽しみだった。今だったら怪我するから
止めなさいといわれそうだ。

私もいわゆる団塊の世代なのでこういう写真を見るたびに私も随分古い
人間になってしまったわ、、と思うことしきり。
電気洗濯機や冷蔵庫、テレビが初めて家にやって来た時のことを鮮明に
覚えている世代だ。我が家が他の家と違っていた点はテレビよりも
ずっと前にテープレコーダーを買ったことかもしれない。ソニー製で
スーツケース位の大きさの重いものだった。ラジオ番組を録音して、
何回も再生したり、速回しにしては喜んだものだった。テレビは大分遅れて
東京オリンピックの時に我が家にやってきた。

この本は「写真でみる日本生活図引」というの中に掲載されている写真を
林氏が選んでその写真から「ああだ、こうだ」と想像を膨らませていくのだが
その観察眼が鋭く、細やかで、面白く説得力があって、その説明を読むと
もう本当にそのような物語がありそう、と思わせてしまう。さらに単に昔を
懐かしむだけに終わらず現代の文明批評になっているところがいい。
続編が出て欲しい。団塊世代には懐かしさがこみあげてくる本。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒寿祝

2012-09-17 23:31:25 | その他
連休に母の卒寿祝をした。父も母も平均寿命を越え、私にも長生きの遺伝子が
間違いなくあるようでちょっと恐ろしい。

米寿(88歳)に比べ影の薄い卒寿(90歳)九十を縦に書く「卒」の俗字から。
80歳の傘寿もその種。この頃は百歳もざらにいるらしいから、次の白寿(99)、
百寿まで祝えるかもしれない。そうなると私の年は、、。100歳を超えると
111歳に「皇寿」というのがあった。
これは「皇」の字を分解して{「白」=99}+「一」+「十」+「一」で
合計111。はじめて知った。

母はもう欲しいものもないけど、グレン・グールドのゴールドべルグ変奏曲の
1981年盤を聴いてみたいというのでネットで即購入。今年グールド生誕80年
没後30年なので以前にましてCDが発売中のようだ。私は古楽の世界に触れてからは
グールドのバッハはどうしても理解できなくなってしまい聴いているのも
苦痛になってしまった。他のピアニストのバッハは聴けるのだが。
例えばシフやリフシッツなど。

さて孫の代は都合で来られず、60歳代の子だけ参加。
祝宴の献立は母が才巻エビの天麩羅がいいというので買い出しに。車エビの
小さいのだとうことだが、はたして売ってるのか。3箇所探して似ていると
思われるイリアンタイガ―というエビをみつけ、ほっとした。あとは定番の
アナゴやキス、ホタテに野菜を8種。
揚げ物は普段殆んどしないので新しい油をたっぷり使って、天麩羅屋さんには
負けるが、まあまあの出来となった。母は外食もままならないので家で揚げたてを
喜んでもらえて良かった。


そして連休最後の今日は古くからの友人ファミリーと久しぶりのリコーダー合奏。
ずっと練習をさぼっていたので皆さんについていけるかと不安だったが、一緒に
練習するトリオ曲を決めたら次第にやる気が湧いてきた。長らく休んでしまった
リコーダーレッスンも受けることになりそう。背中を押してもらった形になった。感謝。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢のあとに

2012-09-15 12:10:15 | クラシック音楽
昨日のコンサートはまさに夢のようだった・・・。

仙台でNHKバロック講座に通っていた時、講師の先生からCDやDVDをたくさん紹介され
たがその中でも特におすすめの演奏家の一人がサンドリーヌ・ピオ―だった。
そのピオ―が武蔵文化会館小ホールで「夢のあとに」と題する近現代プロ中心の
コンサートをするというので楽しみにしていたのだった。

コンサートプロと同じ曲目の入ったCDも既に売られていたが、先入観なし
に聴いてみたかったのであえて買わず。会場でも売っていた(終了後サイン会も)。

最初のフォーレから魅了されてしまい、メンデルスゾーン、ショ―ソン、シュトラウス
後半ブ―ショ(1966~)、プーランク、ブリテンの曲を全身耳にして聴いた。
吉田秀和氏は「鈴をころがすような声」と評したそうだがそんな軽薄な!感じは
全然しなかった。フランス歌曲とブリテンが特に良いと思った。バロック専門と
いう印象があったのだが、とくにヴォルフ等も聴いてみたいと思った。

伴奏のピアニストも歌にぴったりよりそい、時には対等に渡りあっていて良かった。
曲が終わると仲よく手をつなぎ二人の合作の出来を共に喜びあうようないい雰囲気。


プログラムには歌詞訳がなかったので内容を理解できず残念。前もって予習して
おくべきだった。もっとも前日に送られていた武蔵野文化会館のメルマガで歌詞訳を
みることができたのをあとで知った。フォーレの「夢のあとに」もチェロ曲のほうを
よく聴くので原曲の歌詞がこういう内容だったか遅ればせながら知ったのだった。

<歌詞訳>

「夢のあとに」 op.7-1
詞:R. ビュシーヌ

眠りに落ちれば、あなたの姿に満たされ
夢に映る幸福は、燃えさかる蜃気楼
あなたの優しい目、朗らかに響く声
あなたは夜明けの空のようにまばゆく輝いていた
あなたに呼ばれると、私は大地を離れ
あなたとともに光に向かって逃げ出した
二人のために雲の狭間にかすかに空がのぞく
妙なる美しさ、幾重にも差しこむ厳かな光
それなのに、それなのに夢は覚めてしまう
私は呼びかける、ああ夜よ、まやかしをもういちど
輝きに満ちた姿をもういちど
その姿をもういちど、ああ、神妙なる夜よ


内容がわかるとまた聴きたくなったし、なんども聴きたいので結局HMVで
安く買うことにした。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルリン国立美術館展へ

2012-09-12 20:35:35 | 展覧会
ようやくベルリン国立美術館展を観に西洋美術館に行ってきた。
6月から開催しており、もっと早く行きたかったのだが、なんやかや
用事が多かったのと暑すぎてバテてしまい、涼しくなったら行こう、、
と思っていてつい遅くなってしまった。

相変わらず暑い日で上野駅公園口はゴールデンウイークみたいに人で
溢れていた。文化会館前に「都美術館は60分待ち」のプラカードが
あり、さもありなんと思った。今上野に2つのフェルメール作品が来て
いるなんてちょっと異常としか思えない。「真珠の耳飾り」の方は
2000年5月にわざわざ大阪まで行って観た感激を大事にしたいので
今回はパス。でもレンブラントはじめ他の絵は観たかったが・・。

西洋美術館は入場券売り場には列があったが前売り券を持っていたので
並ぶことなく入れたが、会場の中はやはりかなりの混みようだった。
デューラ―、クラナッハ、そしてやはりフェルメールの前には人だかり。
期待に通り、デューラ―の肖像画は素晴らしいものだった。
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」はお馴染みの窓からの光の差し込んだ
部屋で若い娘が一心に鏡をみて首飾りをつける初々しさが伝わってくる。
特に指先の表現が秀逸。「真珠の耳飾りの少女」の目ぐらいこちらに訴えて
来るものがあった。
赤いリボンがちょっと目立ち過ぎるような気がしたが、この赤の絵の具は
南米ペルーのエンジムシ(カイガラムシの一種)が原料だそう。
ちなみにフェルメールが青(ラピスラズリ)と共に多用した黄色の顔料
(インディアン・イエロー)はインドのベンガル地方の特産でその原料は
マンゴーの葉だけを餌として与えられた牝牛の尿を蒸発させて精製した
ものだそうだ。(フェルメールへの招待=朝日新聞出版)。

事前にあまりチェックをしなかったのでリーメンシュナイダー工房の
「奏楽天使」を観られるとは思ってなかったので嬉しかった。
楽器を演奏する6人の天使(あまり天使らしくないけど)の繊細な表情や
衣などが菩提樹の木彫で巧みに表現されていた。
絵ハガキが欲しかったが無くて残念。大体欲しい絵ハガキはないことが多い。

音楽関連ではもう一つベラスケスの「3人の音楽家」という絵があった。
2人は壮年男性でビウエラ、ヴァイオリンを奏でながらすっかり自分たちの
世界に入ってしまっている。ヴァイオリンは子供用みたいに小さい。
左前には10歳位の少年がコップ(中身はワイン?)を掲げながら
ビウエラを持ち、意味ありげにこちらを見ている。同じく黒いサルも
こちらをみつめる。「3人の音楽家」というくらいだから少年も楽師なのだろう。
テーブルの堅そうなパンの横にはチーズらしきものにナイフが突き刺さっている。
最初はどうしてここにペン立があるのだろう?と思ってしまった(笑)
この食事は楽師への報酬なのだろうか?楽師の生活はなかなか厳しそう。



展覧会のあとはミュジアムショップへ。ここは一般向け美術本が揃って
いて立ち読みするのが楽しい。来年3月から西洋美術館ではラファエロ展がある。
ずっと先のような気がしてたが、半年後なのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無事終了

2012-09-08 23:10:32 | その他
隣家との境に毎年烏瓜がつるを伸ばすのだが今年は駐車場の上の方まで勢力
範囲を広げた。忙しさにかまけて花の時期を見逃したら、もう若緑の実が
いくつもなっていた。これが秋には真っ赤になる。まだ日中は暑いがやはり秋が
すぐそばまで来ている。

8月下旬の仙台のチェンバロ発表会に続き、新宿でのトラヴェルソ中心の
「第11回バロック音楽発表会」も終わった。前田りり子先生指導のこの発表会
は仙台に居た頃から2回参加したので3回目となった。

両方ともに春頃参加を決めてから母をかかえているので何かあってドタキャンに
なったら、迷惑をかけるという心配が頭を離れなかったが両方とも参加できて
まずは良かった。

会場は新宿の近江楽堂。こちらに越してから古楽コンサートはここが多いので
京王新線に乗るのにも慣れた。家から一時間弱でいけるのも魅力。
古楽器の発表会もよくここで開かれるのだが私にとっては今日が初舞台だった。
舞台といっても客席とは地続きなのでとても親密なリラックスした雰囲気。
曲はトラヴェルソのお2人、ガンバとアーベルのトリオ、ト長調。

リハーサルの時は人も少なかったので笛の音がよく響いて驚いた。
自分の弾くチェンバロの音は聴こえづらく客席ではどのようにように聴こえる
のか不安だったが、他の方の演奏を聴いているうちに意外にバランス良く聴こえて
いることがわかった。

約10分のリハーサルの後は新宿3丁目の貸しスタジオに移動し2時間ほど練習した。
ここ一ヶ月、何回か一緒に練習をしたので気心もしれ、いろいろ思いつくことを
遠慮なく言い、曲を作っていく過程が本当に楽しかった。本番はあっという間。
3楽章は速くなり過ぎないようにしようと言っていたのだが、やはり逸る心を
抑えきれずか速くなってしまってスリル満点・・。でも全体的には練習の成果は
まあまあ出せたのではないかと思う。

会場に戻り2部の途中からずっと聴いた。出番のあとは帰宅時間が遅くなる
ので打ち上げも出ず、泣く泣く会場を後にした。顔見知りの方にご挨拶する時間が
なく失礼してしまった。
帰宅したのは6時15分。ほぼ予定通りだったが私の留守中の困った出来事を
母からくどくどと聞かされ、音楽モードが一気にふっとんでしまった。10時間の
留守番は無理になってきたのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

A.ピッキニ―ニ

2012-09-05 14:39:25 | ルネッサンス・バロック音楽
「古楽の楽しみ」今週は英、仏、伊、独のリュート音楽+各国の曲。
4月の再放送のようだが、以前のように毎日聴いていないので新鮮。
秋になりリュートの調べが耳に心地よい、、と言いたいところだが
いつになったら涼しくなるのやら・・・。

まず月曜日にはダウランドのリュート曲やリュート歌曲を聴き、
仙台で入っていた合唱団で歌ったダウランド曲をいろいろ思いだして
しまった。やはりダウランドはいいな・・。

さて今日はイタリア篇。ピッキニ―ニのリュート曲が5曲も放送された
3曲はリュート・アティオルバート(ティオルボ化されたリュート)用。
2曲はキタローネ用。なかでもパッサカリアがよかった。
演奏:コンラートユングへ―ネル

ヴィヴァルデイのヴァィオリンとリュートのソナタという曲も今日
初めて聴いた。チェロとテオルボも入っての4弦合奏という編成だった。


さてピッキニ―ニ廉価盤CDは数年前買ってあまり聴いていなかったもの。
ジャケットの絵については以前のブログで触れている。

http://blog.goo.ne.jp/euterpeparnassus/m/200808/1

寓意画にはリュートがよく描かれている。聴覚や享楽を表し、切れた弦は
「この世の儚さ」を表すといわれるが、この絵ではリュートでなく
マンドリンがうつ伏せになっており、弦の様子はわからない。

さてこのCDはピッキニ―ニの2つの曲集(1623,1639)からの抜粋。
トッカータ、コレンテ、アリア、ガリアルダ、バッタリア、リチェルカーレ、
パッサカリア、チャッコーナ、サラバンド、ベルガマスコ、にひとつ全く
わからない「Calasone」という題名があった。これはなんだろう、カラソーネ。







コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月になった

2012-09-01 21:15:40 | その他
朝方豪雨があり、日中も時々雨があり、安定しない天気だった。
午後には出先で豪雨にあって、ずぶぬれになってしまった。
今は虫の声も涼しげにきこえてきて今夜は久しぶり熱帯夜から開放され
明日は真夏日にもならないらしい。

この夏ほど蝉の合唱をきいたことはなかったし、スイカ、麦茶、そうめんの
出番が多かった夏はないような気がする。日傘も随分重宝した。

9月に入ったのでちょっとだけ秋の先取りをしたくなった。
花屋の店先にワレモコウだけの花束をみつけた。
[野におけ、ワレモコウ]であるけど。丁度父の供花を切らしていたので
二束買った。結構沢山だったので母の部屋にもお裾分け。野の花々と
一緒に活けてもよかったがあえて吾亦紅を主役に。


昨年の今頃は東京に引っ越すという 我が生涯の中でも三番目位に
大きな決心を短期間に余儀なくされ、それから2ケ月というものは家の
片づけが大変だった。引っ越してからは自分の荷物を皆開ける暇もなく
とりあえず仕舞いこんでしまったものもあって中身はすっかり忘れて
しまっている。暑さが一段落したら私の荷物のチェックもしたいのだが
当分夏前に中断した亡き父の残したものの片づけが優先されそう。














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする