今年の夏は酷暑の中、坐骨神経痛で苦しむことになるとは・・。
特に午前中は痛みで思うように体を動かせないので最小限の家事だけにし、
あとは寝転がって本を読むことくらいしかできない。我ながら情けない。
さて水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」の中にあった言い回しに「よく耕された」
というのがあり、気になっていた。著者がある女性小説家を称して・・・英語、フランス語
で言う「よく耕された」という表現が似合う、人生によって育まれ、教養によって
磨かれた、繊細な精神が宿っているのが見える・・・・
英語では【cultivated】だろう。ためしに英英辞書をひいてみたら
of a person having good manners and education とある。
ドイツ語イタリア語にもあり元は同じラテン語から派生したらしい。
ヨーロッパ語圏ではよくつかわれる表現なのだろう。
英語:cultivated
仏語:cultive
独語:kultiviert
伊語:culturale
羅語:cultus
こういう顔をした人、例えば誰だろう?と考えた時、真っ先に浮かんだのは
須賀敦子さんだった。それで今度はその須賀さんの読書録「本に読まれて」を
ペラペラめくって私にも読めそうな本はないかな、、、と探してみたら
最後に「5重奏」があった。ジェラ―ル・フィリップの妻、アンヌ・フィリップ作。
昔図書館で借りて読んだことを思い出したが、あらためて須賀さんの思い入れを
読んでまた読みたくなり、中古で買った。
登場人物は『私・アニエス』『イザ』『ペーチャ』『ヴァンサン』『クレマンス』の5人
に猫。「イザ、ペーチャ、ヴァンサン(息子)」の3人は家族で「私」の向かいのアパルトマンに
越してくる。若き女性「クレマンス」の登場でその平和な家庭に亀裂が入る・・・。
「五重奏」という題名は翻訳者のもので原作は「le regard de Vincent]
確かに5人の登場人物がからみあう様は五重奏かもしれない。登場人物は音楽に
関連する職業だったり内容も音楽に関わるところもあるし、と思いながらも
題を変えていいのだろうか、とも思う。洋画にはよくあることだけど。
この小説、「私」と「作者」が各章交互に語るという構成になっている。
「私」からみた4人、「作者」からみた3人(私・アニエスが知り得ない部分)に
ついて書かれてあり、作品をより深いものにしている。
作者アンヌ・フィリップがどんな人なのかなと検索してみたら、この方も
「よく耕された」にふさわしいような雰囲気をもった女性だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6d/d2/1f6cc845c6247291c19dc3c2943f4c0a_s.jpg)
特に午前中は痛みで思うように体を動かせないので最小限の家事だけにし、
あとは寝転がって本を読むことくらいしかできない。我ながら情けない。
さて水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」の中にあった言い回しに「よく耕された」
というのがあり、気になっていた。著者がある女性小説家を称して・・・英語、フランス語
で言う「よく耕された」という表現が似合う、人生によって育まれ、教養によって
磨かれた、繊細な精神が宿っているのが見える・・・・
英語では【cultivated】だろう。ためしに英英辞書をひいてみたら
of a person having good manners and education とある。
ドイツ語イタリア語にもあり元は同じラテン語から派生したらしい。
ヨーロッパ語圏ではよくつかわれる表現なのだろう。
英語:cultivated
仏語:cultive
独語:kultiviert
伊語:culturale
羅語:cultus
こういう顔をした人、例えば誰だろう?と考えた時、真っ先に浮かんだのは
須賀敦子さんだった。それで今度はその須賀さんの読書録「本に読まれて」を
ペラペラめくって私にも読めそうな本はないかな、、、と探してみたら
最後に「5重奏」があった。ジェラ―ル・フィリップの妻、アンヌ・フィリップ作。
昔図書館で借りて読んだことを思い出したが、あらためて須賀さんの思い入れを
読んでまた読みたくなり、中古で買った。
登場人物は『私・アニエス』『イザ』『ペーチャ』『ヴァンサン』『クレマンス』の5人
に猫。「イザ、ペーチャ、ヴァンサン(息子)」の3人は家族で「私」の向かいのアパルトマンに
越してくる。若き女性「クレマンス」の登場でその平和な家庭に亀裂が入る・・・。
「五重奏」という題名は翻訳者のもので原作は「le regard de Vincent]
確かに5人の登場人物がからみあう様は五重奏かもしれない。登場人物は音楽に
関連する職業だったり内容も音楽に関わるところもあるし、と思いながらも
題を変えていいのだろうか、とも思う。洋画にはよくあることだけど。
この小説、「私」と「作者」が各章交互に語るという構成になっている。
「私」からみた4人、「作者」からみた3人(私・アニエスが知り得ない部分)に
ついて書かれてあり、作品をより深いものにしている。
作者アンヌ・フィリップがどんな人なのかなと検索してみたら、この方も
「よく耕された」にふさわしいような雰囲気をもった女性だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6d/d2/1f6cc845c6247291c19dc3c2943f4c0a_s.jpg)