ガンバの中野哲也、オーボエの本間正史両氏の追悼コンサートに行った。
追悼コンサートに行くというのは少し気が重かったが、お元気な時の演奏を
思い出しながら、感謝の気持ちで臨むにした。
このお二人揃っての演奏を聴いたのはひと昔前のこと、2003年、
宮城県美術館でのコンサートだった。
90年代には同県美術館の講堂でゴールデンウイークに古楽のグループ、
ルネッサンスコンソートによるコンサートが開かれていた。
その頃は丁度チェンバロも習い始め、他の古楽器やルネッサンス、バロックの曲
を知ることに喜びを感じていた。それは今でも続いているが。
古楽のコンサートは主に仙台では東勝山の個人美術館で行われていたが、
ガンバの中野哲也さんは宮城県にお住まいのこともあってガンバの入るコンサート
ではお馴染みであった。
一方昔からオーボエは好きな楽器だったが、バロック・オーボエをキングス・コンソート
のコンサートで聴いてからモダンよりもバロックの音色に更に惹かれるものがあった。
あの時にオーボエ・ダ・モーレを初めて聴き感激したものだった。
それからのち「バロックを聴く、フレンチ・オーボエの魅力」というコンサート
が県美術館の主催で開催され、本間さんのバロックオーボエに魅了された。
それ以来、お二人は七が浜、蔵王、天童と仙台周辺のコンサートにも出演されたので
その都度チャンスを逃すまいと出かけた。
特に天童美術館での数回のコンサートは印象的だった。これは山形在住のチェンバリスト
梅津樹子さんの存在が大きい。私のチェンバロの先生でもあるのでリハーサルの
様子などもよく伺っており、アンサンブル仲間としての相性の良さを感じた。
この3人の唯一のCDが浜松楽器博物館の楽器を使用したこの一枚だ。
追悼コンサートは有田正広氏の進行で行われ、テレマン、マレ、CPEバッハ、に
最後はお二人に近しい出演者全員でのクープランのコンセールより、演奏された。
プログラムはお二人のいきいきした写真や愛溢れる追悼文もあり、特別のものとなった。
追悼コンサートに行くというのは少し気が重かったが、お元気な時の演奏を
思い出しながら、感謝の気持ちで臨むにした。
このお二人揃っての演奏を聴いたのはひと昔前のこと、2003年、
宮城県美術館でのコンサートだった。
90年代には同県美術館の講堂でゴールデンウイークに古楽のグループ、
ルネッサンスコンソートによるコンサートが開かれていた。
その頃は丁度チェンバロも習い始め、他の古楽器やルネッサンス、バロックの曲
を知ることに喜びを感じていた。それは今でも続いているが。
古楽のコンサートは主に仙台では東勝山の個人美術館で行われていたが、
ガンバの中野哲也さんは宮城県にお住まいのこともあってガンバの入るコンサート
ではお馴染みであった。
一方昔からオーボエは好きな楽器だったが、バロック・オーボエをキングス・コンソート
のコンサートで聴いてからモダンよりもバロックの音色に更に惹かれるものがあった。
あの時にオーボエ・ダ・モーレを初めて聴き感激したものだった。
それからのち「バロックを聴く、フレンチ・オーボエの魅力」というコンサート
が県美術館の主催で開催され、本間さんのバロックオーボエに魅了された。
それ以来、お二人は七が浜、蔵王、天童と仙台周辺のコンサートにも出演されたので
その都度チャンスを逃すまいと出かけた。
特に天童美術館での数回のコンサートは印象的だった。これは山形在住のチェンバリスト
梅津樹子さんの存在が大きい。私のチェンバロの先生でもあるのでリハーサルの
様子などもよく伺っており、アンサンブル仲間としての相性の良さを感じた。
この3人の唯一のCDが浜松楽器博物館の楽器を使用したこの一枚だ。
追悼コンサートは有田正広氏の進行で行われ、テレマン、マレ、CPEバッハ、に
最後はお二人に近しい出演者全員でのクープランのコンセールより、演奏された。
プログラムはお二人のいきいきした写真や愛溢れる追悼文もあり、特別のものとなった。
一度でも、コレギウム・ムジクム・テレマンで中野哲也氏を聴いておけば良かったと思います。
本間氏も、アルヒーフ・レーベルでの録音やコンサートでも活躍されていたようですが、ライヴで聴くことは、できませんでした。
日本の古楽界に尽くされた方々に合掌。