悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

ずぼらな性格

2017-06-20 22:00:29 | ウォーキング

今日はどのコースを歩くか迷った。
距離を稼ぐには、北川辺図書館から遊水地を半周するコース(20km強)がよい。
だが、遊水地コースの場合、家に戻ってから母が戻るまでの時間が短く、慌ただしい。

介護者にとって、自由な時間は貴重である。
ショートステイの場合、母が介護施設に泊まってくるので、不在の時間のびのびできる。
翌日帰ってくる日は、当然歩きから帰る日でもあり、せわしない気分にならざるを得ない。
出先から家に戻る際、電車や道路の都合で、家で母の帰りを待てないことがある。
家人も出かけていると、帰路、介護施設やケアマネージャーに電話をして、
送迎時間の調整を依頼することが必要になる。これまでに2~3度そんなことがあった。

急遽ウォークの計画を入れる時など、母の行き先を探さないと返事ができない。
あれこれ調整することが必要になるので、いつも窮屈な思いがついて回る。
それで、つい、1人で行動することを選んでしまう。
もちろん、計画さえきちんとすれば、どこにでも行けるのだが、どうしてもブレーキがかかる。

ある会の会長など、忙しい合間を縫って全国を歩いていた。要は心がけ次第なのだろう。
私はその点ずぼらなので、ゆったりとした余裕の中で、物事を決めるのが性に合っている。
とはいえ、何を最優先するのかということであり、介護に逃げるのは狡いのかもしれない。

   


時は金なり

2017-06-19 20:38:23 | 雑記

小説などの朗読や落語を聞きながら歩く楽しみを続けている。一編の収録時間が長いので、
時間の経過が早く感じられる。

毎日の歩行は、最低2時間強から4時間になる。この時間帯を学習に振り向けたらどうか。
英語の学習教材では、「1日10分でOK」などと、冗談のようなものもある。
続けられればの話しかもしれないが、月に25日、毎日2時間英語の教材を聞き続けたら、
1年くらいで話せるようになるのではないだろうか。

だが、言葉というものは、話し、聞き、会話をする内に身につくものであって、CDを聞いて、
習得できるとは思えない。
それでも、繰り返し聞き続ける内に、会話に結びつけようとする気になるかもしれない。

手話の場合も、覚えたら使おう(ろう者と話そう)という人は、身につかない。覚え始めから、
会話に入っていける人でないと、手話サークルに何年いても、使えるようにはなれない。
それはサークルで良く見てきたので、間違いがない。

英語にしても、外国人と会話しようという意識をもたないと、話せるようにはなれない。
今、自分には外国人と会話をしようという内発的なものを持っていないし、環境にもない。
ただの言葉遊びに終わってしまうかもしれないが、ちょっと試して見たいとは思っている。

   


車内の風景

2017-06-18 21:51:06 | 雑記

昨日は「東海・ひたちなか健歩の会」の例会で、水戸の新ヘルスロードコースを歩いた。
総勢91人が2班に分かれて13kmを歩く。
見知った顔が何人もいる。挨拶を交わし、おしゃべりをしながら、楽しく歩いた。
気温は上がってきたが、風があったので快適だった。

会ではトランシーバー導入直後とのことで、操作について若干のアドバイスをした。

意識的に利用しようとするスタッフがいるので、早々に使いこなせるようになるだろう。
上手に利用すれば、安全な例会運営に資することができる。

トランシーバーは、操作さえ間違えなければ、瞬時に通話できるのが最大の利点だし、

障害物の有無など周囲の環境にもよるが、同時に全スタッフに伝えることもできる。
例会時のように長い列になると、先頭からアンカーまで呼び出しが届かないことがある。
そのような時は、中間にいる者が中継基地の役割を果たせば、十分緊急速報に使える。
ただ、スタッフにその自覚がないと、無用の長物と化す。

携帯の場合、呼び出し音に気がつかなかったり、操作を誤り通じないことが意外に多い。

これまでの例会での経験では、状況にもよるが、緊急時には役に立たない。

帰路、結城で下りるYさんと水戸線に乗った。いろいろな話をしながら前の席を見ると、
若い女性が、分厚い文庫本を読んでいる。何の本だろうと興味を持って眺めていた。
その内、携帯を取り出して、文庫本を膝の上に置いたので、書名がわかった。
宮部みゆきの『蒲生邸事件』で、図書館のシールが貼ってあった。
私も好きな作品で、何度も読んでいる。「面白いでしょう!」と、声をかけたくなった。
そんなことはできないのが残念だが、妙に同志的親近感が湧きだし、心楽しくなった。

残念ながら、彼女は途中の駅で降りていった。

  


目から鱗

2017-06-17 21:56:25 | 障害者問題

付き合いのあるろう者は、ほとんどの人が先天性のろうであり、聾学校卒業である。
断続的にだが40年以上の付き合いになる。結婚式の通訳をしたり、病院での通訳、
会社での通訳を依頼されたこともあった。
聞こえる人中心に回っている社会では、生きにくいだろうなと思うことが多かったが、
かわいそうだと思ったことはなかった。
だが、下記のように思ったことはなかったので、「目から鱗」の思いがした。

以前読んだことのある『ろう文化宣言』からの引用である。以前は気にとめなかった。
ろう者の木村晴美と聴者の市田泰弘が1995年『現代思想』に掲載し、反響があった。
当時かなりの物議を醸し、賛否両論をまとめた『ろう文化』が2000年4月に出ていた。

「ろう文化宣言」からの抜粋


『中途失聴者と違って、先天性のろう者にとって「ろう」は突然ふっ

てわいた災難ではない。
「ろう」は生まれ落ちた時からずっと自分自身の一部なのであり、
まさに「自分自身であることの証し」である。
そうした人にとって、「ろう」は決して治療すべき「障害」ではない。』


だから、自分たちの言葉「日本手話」に誇りを持ち、日本語と同等の扱いを求める。

聞こえる人に近づくことを最高目標とするろう教育を拒否し、聾学校での教育言語は、
「日本手話」で行なうことを求める。
そして、「人工内耳」を問題にしたヵ所で、上記の引用部分が出てくる。

人工内耳は、聴覚の獲得に有効な方法とされるが、「ろう」の否定につながるとして、
警戒する。口話法と同じく、聞こえる人に近づくことを目的としているが、文化的な面、
社会的な存在としての「ろう者」の総体が尊重されない社会では、単純には喜べない。
また、すべての高度難聴者に適応するものでもないし、術後の個人差も大きい。
「日本手話」を第1言語、「日本語」を第2言語として教育に取り入れることを求める。

その背景には、手話サークルに来る人の大半が、軽い善意で手話に近づこうとするが、
ろう者の置かれた社会的な面を知ろうとすることは、微妙に避ける多くの善意者がいる。
「暗い面は知りたくない」と、露骨に発言する人がいたが、善意の人の代弁者であった。

今日は、東海・ひたちなか健歩の会の例会に参加した。


母が先に気がつく

2017-06-16 18:48:20 | 雑記

今日はデイサービスがないので、母が在宅している。相変わらず「目が見えない」、
「おじちゃん(夫)が早く迎えに来ればいい」、「背中が痒い」、「ご飯はまだか」等々、
訴えが続く。完全無視することもできず、相づちを打つと難しい本は頭に入らない。
窓を開け、涼しい風が入ってくると、この時期でも「寒い」と言う。
エアコンは嫌いでないので助かるが、外からの風で十分でも、窓は開けられない。

午後になり、外に出たいというので庭に出た。「目が見えない」と訴えるわりには、
小さなアリを見つけては、眺めたり、「ホタルブクロ」に手で触れて、きれいだという。
私があまり母を外に出したくないのは、注文が多いからである。あれを片づけろ、
草が生えていると、用を言いつける。何とか言い逃れるが、うるさいことこの上ない。

しばらくして、部屋に戻ると、母が「自転車はどうしたんだい」と言う。
何の話かと思って聞くと、「自転車がない」と言う。
私が、外に出た母の傍に座り込んだベンチの脇には、いつも自転車が置いてある。
私は気がつかなかったが、母は自転車がないことに気がついていたのだ。
間もなく私も気がつき、外に出てみると、所定の場所に確かに自転車はなかった。

昨日夕方、近所のコンビニに行き、自転車を置いて、歩いて帰ってきたのだった。
そのことにやっと気がつき、さっそく取りに行き、2、3の買い物をして帰った。

老老介護は、話題に事欠かない。

   


日本手話

2017-06-15 21:59:18 | 手話

13日に借りたCD『楢山節考』はパソコンに取り込んであるので、本日返しに行った。
次に借りたのは、藤沢周平のCD『驟り雨/朝焼け』という短編。朗読は柳家小三治。
知っている落語家だったので、どんな朗読をするのか心配したが、上手に読んでいた。

立川談志の落語CDも借りた。彼は横柄な印象を持っているので好きではないのだが、
名人とも言われているので、聴いてみたくなり借りてきた。

最後に「綾小路きみまろ」。軽いお笑い、嫌いではない。面白いが、連続で聴くと飽きる。

本も出してくれたので、あれっと思った。昨日予約した、初歩の手話テキストだった。
初歩ではあるが、いわゆる「日本手話」を使って解説している。
私が覚えた「日本語対応手話」とかなり違う表現をするので、けっこう難しい。

「日本手話」は、「伝統的手話」とも言われ、ろう者が通常使う手話で、文法が違う。
「日本手話」を使う人たちは、独自の文法を持つ言語的少数者であるという自覚があり、
このろう者独特の手話で教育できる教師を育て、聾学校でも「日本手話」で授業をして
ほしいと願っている。

私もそうであるが、ろう者同士で会話しているのを、完全に読み取れる教師は少ない。
ろう学校のほとんどの教師は、つい最近まで手話を使わずに授業をしていた。
最近でこそ、補助的に手話を取り入れて授業を行なっているが、「日本語対応手話」
なので、ろう児には十分に伝わらない。その結果、授業を理解できず、日本語の
習得も不十分になる、という主張がある。

わたしは、「日本手話」を読み取れないが、彼らの主張には同意できる。
「日本手話」は、日本語とは文法が違うので、外国語に近いと理解したほうが良い。
下の例は、簡単な語順の違いを示す程度の解説だが、もっとわかりにくい例もある。

手話の語順の違いだけでなく、表情、口の形(パピプペポの形)を付け加えて、
現在形、過去形などの時制や、強調、感情を表したり、眉の動き、身体の移動
(前に乗り出したり、後へ引いたり)なども使われる。
これらは、地域の講習会ではなかなか学べない。意識的な指導者の下で学ぶか、
日々の交流を積み重ねる中で理解していくしかないので、難しいのである。

先のつくば国際2日目に、急遽、出発式の通訳を担当したが、冷や汗ものであった。
しばらくやっていないので、単語がすぐにでてこなかった。また、準備もしなかったので、
ウォーキング特有の表現や、難しい言い回しが「翻訳」できず、ろう者には通じなかった
のではと、申し訳ない思いであった。

今日の歩き~スマホのアプリは操作ミスで掲載できなかった。


『楢山節考』を聴く

2017-06-14 19:30:26 | 介護

昨日、北川辺図書館で借りてきた朗読CD『楢山節考』を聞きながら歩いた。
歩きながら聞くには重い内容と思われ、懸念していたのだが、すぐに引き込まれた。

朗読は小沢昭一。「小沢昭一の小沢昭一的こころ」をラジオで聞いていたので、
軽い語り口かと思ったが、会話の部分はそれなりに、地の部分も淡々と読んでいる。

この作品、「親捨て」の短編小説であることは知っていたが、読んだことはなかった。

老母は、しっかり者で家事万端何でもできる。息子は、貧しく食べるのもやっとだが、
母親を捨てることには迷いがある。
村の掟通り、70歳になったら山に行くと決め、こまごまと準備を進めていた。
息子に後添いをもらい、山に行く前の晩、別れの席を設け、どぶろくまで準備した。

翌朝早く、しきたり通り言葉を交わすこともなく、息子に背負われ、山に向かう。
頂上が近づくと、息子は歩が遅くなり、迷いが出てくる。
母親は、息子を背中から叱咤し、白骨累々とした山頂に下ろさせ、筵に座る。
息子は、胸が張り裂けそうな思いを振り切って、山を下りていく。

途中の谷で、隣の親父と息子に遭遇する。隣の親父は、自分の母親と同年配。
その息子は、別れの席も設けず、嫌がる親父を荒縄で背に縛り付け上ってきた。
山の頂上まで連れて行かず、ずっと手前の谷で、父親を崖上から蹴落としてしまう。
山は奥深いので、途中で捨てていくことも許されていた。
そんなことが当たり前の寒村での風習である。

主人公の息子が、母親を山奥に捨てに行く場面では、図らずも涙がにじんだ。

現実の家に帰ると、母はわがままばかり言い、私は同じ土俵で言い争っている。

   


聴覚障害者ウォーキング協会

2017-06-13 21:58:10 | ウォーキング

ウォーキングクラブに加盟するろう者は、全国に30人くらい把握されている。
手話通訳、または手話を理解する指導員等は約10人が把握されている。
私の知り合いのウォーカーを核として「花桃ウオーク」に10人くらい揃ったことがある。

それをきっかけとして、神奈川のSさんの紹介で栃木の夫婦が古河悠歩の会に入会した。
その後、次々に市内のろう者の入会が続き、最多で10人が会員登録していた。

大阪、神奈川、東京のろう者を中心に、ウォーキング協会を設立しようという動きがあり、
私も賛助会員に名を連ねた。組織はなかなかできなかったが、大会実行委員会に対し、
手話通訳の設置を働きかけるなどの活動が続けられた。

その内に、ろう者3人が公認ウォーキング指導者の資格を取得した。
しかし、資格更新のための活動報告、研修などに課題のあることがわかってきた。
スキルアップ研修会には手話通訳が配置されないので、研修会の受講に困難が伴う。
次に、活動の場がないことである。

この度、神奈川のSさんが要望したことにより、神奈川県ウオーキング協会が尽力し、
「ウオーキングフェスタ東京」において、スタッフとして活動することができた。
11月の「日本スリーデーマーチ」でも、活動の場が設けられると聞いている。
東京Fでは、他のスタッフとのコミュニケーションに課題が残ったとSさんから聞いた。
今後も、神奈川のMさんが仲介の労を担ってくれるそうである。
Mさんは、つくば国際などにもスタッフとして協力してくれている。
手話の学習も始め、神奈川の手話講習会に通い出したと言っていた。

全国的な「聴覚障害者ウォーキング協会」を設立するのは難しいかもしれないが、
誰でも入会できる形で、関東を中心にウォーキングクラブを作ることを思いついた。
会活動を続ける中で、ろう者の公認指導員の活動の場を提供することもできる。

聞こえる人を中心にすると、ろう者の立場が理解されないまま運営される虞がある。
この点が、もっとも注意を要するところである。

ろう者の言葉である手話は、1873(明治6)年に京都でろう教育の創始とともに生まれ、
わずかに144年でしかない。公的教育の場は、5年後「京都盲唖院」の創立となる。
その後、ろう教育は、音声語である日本語を教え込むという苦難の道を歩みだす。
いまだに、文部科学省と厚生労働省では手話に対する対応に落差があり、
当事者は、自分の言葉を学校で学ぶことができないでいる。

手話は、ろう教育においてろう者の言葉として正当な認知を得ていない。そのことは、
教師がすべての授業を手話で行なうという態勢がとられていないことに、現れている。
現実問題としては、手話をマスターした教員がほとんどいないということに原因がある。
片言の日本語しかできない外国人が日本語を教え、授業を行なうようなものである。

そんな社会の中で生きるろう者だからこそ、合理的配慮のもとで、ウォーキングクラブも、
運営することが必要になる。ちょっと話が飛ぶようだが、そういうことである。

ろう者が中心となって運営する「ウォーキングクラブ」の設立はどうかと思うようになった。
近々、神奈川のSさん(ろう者・公認指導員)と連絡をとってみたい。

   


「老害?」・・・語尾上げ?

2017-06-12 19:08:46 | 言葉

最近、毎日音楽を聴きながら歩くようになってしまった。ラジオはめったに聞かない。
気に入らない司会進行がほとんどなので、聞くに堪えないからである。
無意味な話題の垂れ流しや、能力を誇示しつつ馬鹿笑いをする司会者の存在も。

司会進行係のことをパーソナリティと言っていたが、最近はアンカーと言うらしい。
横文字に対する反感もあるかもしれない。直感的には「キザ」と感じている。

テレビが流す癖が蔓延し、「めっちゃ」ですべて済ましているのを聞くのも耐えがたい。

それにしても、「反疑問=語尾上げ」は今も使う人が多い。今回ネットで調べたところ、
不快に思い、質問をしたり、話題にしているページをかなり見つけた。
その中に、「語尾上げ撲滅闘争」というページを見つけ、我が意を得た気分であった。
心理分析、対策」というコーナーがあり、対策をまねてみたくなった。
質問をするつもりがない場面で、「~?」とやられた場合、何度か聞き直したり、
否定してみると効果があるらしい。
困っている方は読んでみることをお薦めする。

本年1月、「高齢者」から「前期高齢者」に格下げになったが、「老害」は進行したか。

   


ウォーキングに引退はない

2017-06-11 21:40:36 | ウォーキング

プロの選手は、お金がもらえるだけの仕事ができくなると、止めなければならない。
いわゆる引き際のことで、その人の考え方により、さまざまな形があり、引退という。
プロでなくても、その競技を止めなければならないとき、やはり引退ということがある。
サッカー選手が走れなくなれば、サッカー競技から手(足)をひくだろう。膝が痛くて、
マラソンや登山から身を引いて、ウォーキングに鞍替えすることもよくある話。
競技からは身を引いても、指導者としてその世界に残ることはある。
指導だけというのは、ウォーキング指導員の場合専門性(権威や職能)が低いので、
現状ではあまり考えられない。
ただ、ウォーキングは、膝や腰に故障があっても、ぎりぎりまで続けることができる。
そういう意味では、生涯スポーツ(運動)といえる。
行政が真剣に考え、後押しなければならないのは、マラソンよりもウォーキングだ。
取り組める年齢の幅が広く、事故が比較的少なく、健康増進に資することができる。
文化や歴史とからめて取り組むこともできるので、税金を使う理由になるはずだ。

「はなももマラソン」への力の入れ方は、ウォーキングとでは、天と地ほど違う。
違いを並べ立てるのがうんざりするほど、多岐にわたるので、ここでは言わない。

そんなわけで、わが町の現況は、市民のほうを見ていないと思う。

総合公園の入り口にある、禁止事項の看板~最近急に増え、品がない

大賀蓮が4~5輪咲いた