ウォーキングクラブに加盟するろう者は、全国に30人くらい把握されている。
手話通訳、または手話を理解する指導員等は約10人が把握されている。
私の知り合いのウォーカーを核として「花桃ウオーク」に10人くらい揃ったことがある。
それをきっかけとして、神奈川のSさんの紹介で栃木の夫婦が古河悠歩の会に入会した。
その後、次々に市内のろう者の入会が続き、最多で10人が会員登録していた。
大阪、神奈川、東京のろう者を中心に、ウォーキング協会を設立しようという動きがあり、
私も賛助会員に名を連ねた。組織はなかなかできなかったが、大会実行委員会に対し、
手話通訳の設置を働きかけるなどの活動が続けられた。
その内に、ろう者3人が公認ウォーキング指導者の資格を取得した。
しかし、資格更新のための活動報告、研修などに課題のあることがわかってきた。
スキルアップ研修会には手話通訳が配置されないので、研修会の受講に困難が伴う。
次に、活動の場がないことである。
この度、神奈川のSさんが要望したことにより、神奈川県ウオーキング協会が尽力し、
「ウオーキングフェスタ東京」において、スタッフとして活動することができた。
11月の「日本スリーデーマーチ」でも、活動の場が設けられると聞いている。
東京Fでは、他のスタッフとのコミュニケーションに課題が残ったとSさんから聞いた。
今後も、神奈川のMさんが仲介の労を担ってくれるそうである。
Mさんは、つくば国際などにもスタッフとして協力してくれている。
手話の学習も始め、神奈川の手話講習会に通い出したと言っていた。
全国的な「聴覚障害者ウォーキング協会」を設立するのは難しいかもしれないが、
誰でも入会できる形で、関東を中心にウォーキングクラブを作ることを思いついた。
会活動を続ける中で、ろう者の公認指導員の活動の場を提供することもできる。
聞こえる人を中心にすると、ろう者の立場が理解されないまま運営される虞がある。
この点が、もっとも注意を要するところである。
ろう者の言葉である手話は、1873(明治6)年に京都でろう教育の創始とともに生まれ、
わずかに144年でしかない。公的教育の場は、5年後「京都盲唖院」の創立となる。
その後、ろう教育は、音声語である日本語を教え込むという苦難の道を歩みだす。
いまだに、文部科学省と厚生労働省では手話に対する対応に落差があり、
当事者は、自分の言葉を学校で学ぶことができないでいる。
手話は、ろう教育においてろう者の言葉として正当な認知を得ていない。そのことは、
教師がすべての授業を手話で行なうという態勢がとられていないことに、現れている。
現実問題としては、手話をマスターした教員がほとんどいないということに原因がある。
片言の日本語しかできない外国人が日本語を教え、授業を行なうようなものである。
そんな社会の中で生きるろう者だからこそ、合理的配慮のもとで、ウォーキングクラブも、
運営することが必要になる。ちょっと話が飛ぶようだが、そういうことである。
ろう者が中心となって運営する「ウォーキングクラブ」の設立はどうかと思うようになった。
近々、神奈川のSさん(ろう者・公認指導員)と連絡をとってみたい。