悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

『楢山節考』を聴く

2017-06-14 19:30:26 | 介護

昨日、北川辺図書館で借りてきた朗読CD『楢山節考』を聞きながら歩いた。
歩きながら聞くには重い内容と思われ、懸念していたのだが、すぐに引き込まれた。

朗読は小沢昭一。「小沢昭一の小沢昭一的こころ」をラジオで聞いていたので、
軽い語り口かと思ったが、会話の部分はそれなりに、地の部分も淡々と読んでいる。

この作品、「親捨て」の短編小説であることは知っていたが、読んだことはなかった。

老母は、しっかり者で家事万端何でもできる。息子は、貧しく食べるのもやっとだが、
母親を捨てることには迷いがある。
村の掟通り、70歳になったら山に行くと決め、こまごまと準備を進めていた。
息子に後添いをもらい、山に行く前の晩、別れの席を設け、どぶろくまで準備した。

翌朝早く、しきたり通り言葉を交わすこともなく、息子に背負われ、山に向かう。
頂上が近づくと、息子は歩が遅くなり、迷いが出てくる。
母親は、息子を背中から叱咤し、白骨累々とした山頂に下ろさせ、筵に座る。
息子は、胸が張り裂けそうな思いを振り切って、山を下りていく。

途中の谷で、隣の親父と息子に遭遇する。隣の親父は、自分の母親と同年配。
その息子は、別れの席も設けず、嫌がる親父を荒縄で背に縛り付け上ってきた。
山の頂上まで連れて行かず、ずっと手前の谷で、父親を崖上から蹴落としてしまう。
山は奥深いので、途中で捨てていくことも許されていた。
そんなことが当たり前の寒村での風習である。

主人公の息子が、母親を山奥に捨てに行く場面では、図らずも涙がにじんだ。

現実の家に帰ると、母はわがままばかり言い、私は同じ土俵で言い争っている。