悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

目から鱗

2017-06-17 21:56:25 | 障害者問題

付き合いのあるろう者は、ほとんどの人が先天性のろうであり、聾学校卒業である。
断続的にだが40年以上の付き合いになる。結婚式の通訳をしたり、病院での通訳、
会社での通訳を依頼されたこともあった。
聞こえる人中心に回っている社会では、生きにくいだろうなと思うことが多かったが、
かわいそうだと思ったことはなかった。
だが、下記のように思ったことはなかったので、「目から鱗」の思いがした。

以前読んだことのある『ろう文化宣言』からの引用である。以前は気にとめなかった。
ろう者の木村晴美と聴者の市田泰弘が1995年『現代思想』に掲載し、反響があった。
当時かなりの物議を醸し、賛否両論をまとめた『ろう文化』が2000年4月に出ていた。

「ろう文化宣言」からの抜粋


『中途失聴者と違って、先天性のろう者にとって「ろう」は突然ふっ

てわいた災難ではない。
「ろう」は生まれ落ちた時からずっと自分自身の一部なのであり、
まさに「自分自身であることの証し」である。
そうした人にとって、「ろう」は決して治療すべき「障害」ではない。』


だから、自分たちの言葉「日本手話」に誇りを持ち、日本語と同等の扱いを求める。

聞こえる人に近づくことを最高目標とするろう教育を拒否し、聾学校での教育言語は、
「日本手話」で行なうことを求める。
そして、「人工内耳」を問題にしたヵ所で、上記の引用部分が出てくる。

人工内耳は、聴覚の獲得に有効な方法とされるが、「ろう」の否定につながるとして、
警戒する。口話法と同じく、聞こえる人に近づくことを目的としているが、文化的な面、
社会的な存在としての「ろう者」の総体が尊重されない社会では、単純には喜べない。
また、すべての高度難聴者に適応するものでもないし、術後の個人差も大きい。
「日本手話」を第1言語、「日本語」を第2言語として教育に取り入れることを求める。

その背景には、手話サークルに来る人の大半が、軽い善意で手話に近づこうとするが、
ろう者の置かれた社会的な面を知ろうとすることは、微妙に避ける多くの善意者がいる。
「暗い面は知りたくない」と、露骨に発言する人がいたが、善意の人の代弁者であった。

今日は、東海・ひたちなか健歩の会の例会に参加した。