何となくですが、ブルターニュでのクリスティーヌというのは妖精さんを何度も目撃していたりして可愛い。
でも妖精さんってやっぱり異教的な非キリスト教的な存在ですよね。
「ガーゴイル」と言う言葉も異教的。
原作はキリスト教的な最後で締めくくられるのですが、クリスティーヌ(とラウル、もしかしたらエリック)と言う地方の子供は土着の幻想に取り巻かれていて面白いです。
ブルターニュやノルマンディーと言うのはケルト文化の影響もあるみたいです。
もちろん北欧の文化の影響もあるでしょうが。
ケルトといえばイギリス、と言うイメージがあるのですが泳いでも渡れる海峡を挟んだ地域なので重層的というか、様々な文化がやっぱり堆積しているのかもしれませんね。
あとぼんやり・・・あくまでもぼんやり思いついたのが「聖愚者」(ユロージヴァヤ)と言うロシアの存在とダーエ・パパの類似点など。
金に執着せず、神を讃えて放浪している「聖愚者」
<聖なる愚者>は多くの場合、ロシアの村から村へと放浪の生活を送ります。16世紀から18世紀まで、彼らに宿を与えて世話をすることは各地の軍指令官の義務と定められていました。18世紀以降、それが農民の仕事とされてから、<聖なる愚者>によって戸を叩かれた家は有徳の家とされました。19世紀なかば頃まで、放浪の聖愚者が尊敬を集めていた様子がトルストイの『幼年時代』(1852年)などに描かれています。
「報酬を求めず、納屋に泊まっている」と言う描写からの飛躍した発想なのですが、そういう底抜けの清らかさ、聖性がクリスティーヌ→エリックと言うふうに伝わった・・・なんて妄想しています。
金銭に対してのエリックのスタンス、と言うのは一見非常に汚いです。恐喝してますから。
でも、クリスティーヌとの結婚を諦めるとすぐに返してしまったりと、彼独自の金銭感覚というのはユニークです。
というか、「人間から搾取する事に何のやましさも感じなかった」と言う部分は好きだったり・・・。