P231
クリスティーヌがエリックに初めてさらわれて地下の家で二週間を過ごす場面。
トカイ・ワインとザリガニと手羽先の食事をするあたりです。
「・・・それから二週間、悲劇は毎日繰り返された・・・二週間ずっと、わたしは彼に嘘を突き通したの。
わたしの嘘は、嘘をつく原因となった化け物に負けないくらい醜かったけど、そのおかげで、わたしは自由の身になれたのよ。
わたしは彼のお面を燃やしてしまった。
わたしのお芝居は完璧だったので、彼は、歌っていない時でも、わたしの視線を自分にむけさせようとするようになったわ」
この二週間、仮面もつけず「ありのままの姿」でクリスティーヌと平和に過ごすうちに、醜い顔を見てもらおうとした。ルイ・フィリップ様式の、つまりエリックの母親の部屋で。
ここで上演されているのは「エリックの最も望んだ場面」なのかもしれません。
かつて手ひどく拒絶された痛ましい、そして「この望みが成されないうちは死んでも死に切れない」くらいの妄執と憧れを持っていた場面。
ルイ・フィリップ様式の部屋で「ありのままの自分」を受け入れてもらう事・・・
クリスティーヌが襲われるかも、殺されるかもしれない状況で逃げたいのは当然です。でも、そんなエリックを騙す、心を踏みにじることに対して「胸を痛める」、誰一人としてエリックに持つ事のなかった「罪悪感」をひしひしと感じているのは大切です。以前にも書きましたが。
そしてこの「ルイ・フィリップ様式の部屋での仮面のない姿での二人きりの場面」を繰り返すうちに「気持ちが落ち着くどころか、恋に狂ったようになっていった」と書かれているので、かなりクリスティーヌにしつこかったのではないかと思われます。
エリック的にはクリスティーヌの心がほしい、ずっと「ついに母親では果たされなかった、ルイ・フィリップ様式で愛される人間としての場面」を心が満たされるまで「再現」してほしい、という一種の狂気がかった気持ちなのではないでしょうか?
「あれこれと奴隷のように気を使うエリック」を想像すると、その「愛を乞う」と言う行為に激しい違和感を持つのですが(悲愴なまでに高いプライドの持ち主というイメージがあるので)、怪人の欠落、執着が
「ルイ・フィリップ様式の母親の部屋でありのままの姿で愛されること」
なので、異常性があっても仕方ないのかもしれません。
いえ、そんな場面を偶然にも愛するクリスティーヌに再現されてしまって迸る感情がとめられなくなっているのかもしれません。
心理学的な治療で、欠落した年齢に遡って、人生、精神をゆがめるほど大きな欠落、苦しみを「やり直す」と言う行為がありますがそういう部分もあったのかと思います。(退行療法?)
そんなエリックに対してクリスティーヌは
「わたしが行けば、彼が落ち着くと思ったのに、彼は恋に狂ったようになってしまったんですもの!!・・・だから、わたし、怖いのよ!もう、怖くて怖くて・・・」
と言っています。
そしてラウルの質問。
「君が怖いのはわかるけど・・・きみはほんとうにぼくを愛しているのかい?・・・
もしも、エリックが美男子なら、きみは僕を好きなっていただろうか?」
「しょうがない人ねぇ!なぜそんなことを言い出すの?・・・・犯した罪を犯すように、わたしが心の奥底にしまっている事を訊きだして、いったいどうしようと言うの?」
クリスティーヌはエリックが醜い事が愛せない理由だと明言します。母親と同じ理由で拒絶していたわけです。※
そして自暴自棄に、オペラ座の怪人になっていくのです。
もちろんエリックがクリスティーヌが心から自分を嫌いでなく、ありのままの自分と過ごしてくれたと簡単に信じていたとは思われません。
「必ず 戻ってくるわ!」と言う言葉を信じていたのなら、なぜクリスティーヌのいなくなったルイ・フィリップ様式の部屋で泣くのでしょうか?
優しい女性がルイ・フィリップ様式の部屋でありのままの自分と穏かに過ごしてくれることはもう二度とないのだ・・・・。
そう絶望して泣いているのだと思います。
そして言葉に尽くせぬ絶望が激しい怒りに変わっていく・・・。
仮面をしていない、ありのままの醜いままのエリックでもエリックのお母さんがぎゅっと抱きしめてくれたら・・・。
とエリック本人でなくても願わずには入られません。
「今、とうとう、自分自身より(エリック)を愛していることが分ったのだ。
今まで犯した過ちを償うにはまだ間に合うかもしれない。間に合わせなくてはいけない。
明日、あの子の見ている前で仮面を全部燃やしてしまおう」
「ファントム」P128
この美しい場面は永遠に失われてしまいます。そして胸を焦がす封印された「場面」としてエリックの心臓に宿るのでしょう。
※ 厳密に言うと、原作のエリックのお母さんは「泣きながら」仮面を付けさせています。息子の顔を見ようともしないのは父親です。でも「両親に忌み嫌われていた」とも書かれているので、エリックのお母さんが息子を哀れみながら仮面をつけているのか、自分を哀れんでいるのか分りません。
クリスティーヌがエリックに初めてさらわれて地下の家で二週間を過ごす場面。
トカイ・ワインとザリガニと手羽先の食事をするあたりです。
「・・・それから二週間、悲劇は毎日繰り返された・・・二週間ずっと、わたしは彼に嘘を突き通したの。
わたしの嘘は、嘘をつく原因となった化け物に負けないくらい醜かったけど、そのおかげで、わたしは自由の身になれたのよ。
わたしは彼のお面を燃やしてしまった。
わたしのお芝居は完璧だったので、彼は、歌っていない時でも、わたしの視線を自分にむけさせようとするようになったわ」
この二週間、仮面もつけず「ありのままの姿」でクリスティーヌと平和に過ごすうちに、醜い顔を見てもらおうとした。ルイ・フィリップ様式の、つまりエリックの母親の部屋で。
ここで上演されているのは「エリックの最も望んだ場面」なのかもしれません。
かつて手ひどく拒絶された痛ましい、そして「この望みが成されないうちは死んでも死に切れない」くらいの妄執と憧れを持っていた場面。
ルイ・フィリップ様式の部屋で「ありのままの自分」を受け入れてもらう事・・・
クリスティーヌが襲われるかも、殺されるかもしれない状況で逃げたいのは当然です。でも、そんなエリックを騙す、心を踏みにじることに対して「胸を痛める」、誰一人としてエリックに持つ事のなかった「罪悪感」をひしひしと感じているのは大切です。以前にも書きましたが。
そしてこの「ルイ・フィリップ様式の部屋での仮面のない姿での二人きりの場面」を繰り返すうちに「気持ちが落ち着くどころか、恋に狂ったようになっていった」と書かれているので、かなりクリスティーヌにしつこかったのではないかと思われます。
エリック的にはクリスティーヌの心がほしい、ずっと「ついに母親では果たされなかった、ルイ・フィリップ様式で愛される人間としての場面」を心が満たされるまで「再現」してほしい、という一種の狂気がかった気持ちなのではないでしょうか?
「あれこれと奴隷のように気を使うエリック」を想像すると、その「愛を乞う」と言う行為に激しい違和感を持つのですが(悲愴なまでに高いプライドの持ち主というイメージがあるので)、怪人の欠落、執着が
「ルイ・フィリップ様式の母親の部屋でありのままの姿で愛されること」
なので、異常性があっても仕方ないのかもしれません。
いえ、そんな場面を偶然にも愛するクリスティーヌに再現されてしまって迸る感情がとめられなくなっているのかもしれません。
心理学的な治療で、欠落した年齢に遡って、人生、精神をゆがめるほど大きな欠落、苦しみを「やり直す」と言う行為がありますがそういう部分もあったのかと思います。(退行療法?)
そんなエリックに対してクリスティーヌは
「わたしが行けば、彼が落ち着くと思ったのに、彼は恋に狂ったようになってしまったんですもの!!・・・だから、わたし、怖いのよ!もう、怖くて怖くて・・・」
と言っています。
そしてラウルの質問。
「君が怖いのはわかるけど・・・きみはほんとうにぼくを愛しているのかい?・・・
もしも、エリックが美男子なら、きみは僕を好きなっていただろうか?」
「しょうがない人ねぇ!なぜそんなことを言い出すの?・・・・犯した罪を犯すように、わたしが心の奥底にしまっている事を訊きだして、いったいどうしようと言うの?」
クリスティーヌはエリックが醜い事が愛せない理由だと明言します。母親と同じ理由で拒絶していたわけです。※
そして自暴自棄に、オペラ座の怪人になっていくのです。
もちろんエリックがクリスティーヌが心から自分を嫌いでなく、ありのままの自分と過ごしてくれたと簡単に信じていたとは思われません。
「必ず 戻ってくるわ!」と言う言葉を信じていたのなら、なぜクリスティーヌのいなくなったルイ・フィリップ様式の部屋で泣くのでしょうか?
優しい女性がルイ・フィリップ様式の部屋でありのままの自分と穏かに過ごしてくれることはもう二度とないのだ・・・・。
そう絶望して泣いているのだと思います。
そして言葉に尽くせぬ絶望が激しい怒りに変わっていく・・・。
仮面をしていない、ありのままの醜いままのエリックでもエリックのお母さんがぎゅっと抱きしめてくれたら・・・。
とエリック本人でなくても願わずには入られません。
「今、とうとう、自分自身より(エリック)を愛していることが分ったのだ。
今まで犯した過ちを償うにはまだ間に合うかもしれない。間に合わせなくてはいけない。
明日、あの子の見ている前で仮面を全部燃やしてしまおう」
「ファントム」P128
この美しい場面は永遠に失われてしまいます。そして胸を焦がす封印された「場面」としてエリックの心臓に宿るのでしょう。
※ 厳密に言うと、原作のエリックのお母さんは「泣きながら」仮面を付けさせています。息子の顔を見ようともしないのは父親です。でも「両親に忌み嫌われていた」とも書かれているので、エリックのお母さんが息子を哀れみながら仮面をつけているのか、自分を哀れんでいるのか分りません。