また、しつこくロシア的な話題だったり・・・。
「ディア・ハンター」を見たこと事のある人だけどうぞ。
映画を見ていると主人公たちはアメリカ人ですけれども、ロシア系の人たちらしいです。
結婚式でも教会はロシア正教風で、ダンス・パーティのシーンではロシア民謡も流れてきます。
つまりアメリカのロシアの血を持った人たちが戦争に駆り出されていったわけです。
また、ベトナムの兵士は旧ソヴィエト(ロシア)の支援していた国の兵士。
つまり「アメリカ」対「ベトナム」という図式は、裏を返せば、実は当然ながら「アメリカ」対「旧ソ連」という関係になるわけです。代理戦争と言うのでしょうか?
「ロシア」の血を持った人間が、強制的に「ソヴィエト(ロシア)の支援する北ベトナムの兵士」と戦わなければならなかった物語とも見えてくるのです。
この映画の持っているやりきれない悲しみのようなものは、もしかしたらそこにも込められていたんじゃないかと思ったりするんですね。
最初の鹿狩りのときに、優れたハンターは一撃で鹿をしとめるというようなことを主人公が言いますが、その一言が何度も弾を込めて撃ち合いをする最後のロシアン・ルーレットのシーンにもだぶりました。
何度も何度も強烈な死を味わうと言う、狂気へ導く無慈悲な極限状態との対比なのかも、とも思いました。
もちろん大国に翻弄・蹂躙されるベトナムの悲劇と言うのも考えなくてはなりません。
「ディア・ハンター」を見たこと事のある人だけどうぞ。
映画を見ていると主人公たちはアメリカ人ですけれども、ロシア系の人たちらしいです。
結婚式でも教会はロシア正教風で、ダンス・パーティのシーンではロシア民謡も流れてきます。
つまりアメリカのロシアの血を持った人たちが戦争に駆り出されていったわけです。
また、ベトナムの兵士は旧ソヴィエト(ロシア)の支援していた国の兵士。
つまり「アメリカ」対「ベトナム」という図式は、裏を返せば、実は当然ながら「アメリカ」対「旧ソ連」という関係になるわけです。代理戦争と言うのでしょうか?
「ロシア」の血を持った人間が、強制的に「ソヴィエト(ロシア)の支援する北ベトナムの兵士」と戦わなければならなかった物語とも見えてくるのです。
この映画の持っているやりきれない悲しみのようなものは、もしかしたらそこにも込められていたんじゃないかと思ったりするんですね。
最初の鹿狩りのときに、優れたハンターは一撃で鹿をしとめるというようなことを主人公が言いますが、その一言が何度も弾を込めて撃ち合いをする最後のロシアン・ルーレットのシーンにもだぶりました。
何度も何度も強烈な死を味わうと言う、狂気へ導く無慈悲な極限状態との対比なのかも、とも思いました。
もちろん大国に翻弄・蹂躙されるベトナムの悲劇と言うのも考えなくてはなりません。