第4章 前期3事案の総括
光格天皇
光格天皇の前半生の3大事件をまとめた。明治維新の尊王の動きにつながる幕府と皇室の変化の兆しが見事に浮かび上がった。しかも、それが傍系からの即位であった天皇がきっかけとなっている。皇室でも将軍家でもそして現代の企業経営者でも多くみられる「傍系の改革力」は侮れない。
改革は、よそ者・若者・変わり者と、よく言われるが皇室にも例は多い。「不測の天運」に導かれたのは、後鳥羽天皇や後白河天皇・後醍醐天皇もその例であり神に選ばれ改革の寵児である。しかし、これほど見事に正確にしかも時代を見通した天皇は他に知らない。
典仁親王
しかも70歳まで長寿を誇るこの天皇だが、ここまでで25歳前後とまだまだ先は長い。現代ではまだ社会人のスタートを切ったばかりの若者だ。実父典仁親王や叔父の鷹司輔平の存在、そして後桜町上皇の訓育は大きなものであったと推察する。
典仁親王(尊号 慶光天皇)陵墓 蘆山寺内
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事件の概要 |
朝幕関係 |
光格天皇 |
御所千度参り
天明の大飢饉で、近隣の庶民が京都御所周辺を、救済を願って巡り、それに対して天皇や皇室・公家が動いた。 |
一見すると宗教的な「千度参り」だが、かなり政治的な行動で幕府に聞き入られなかった為の庶民による天皇への直訴。 地域社会の安全を願い行われてきた千度参りのあり方が活用されたもの。 単なる「祈願」であった民衆運動に、「米の廉売など政治的要求」を「訴願」する者たちの思惑が入り込み変化。 |
大政委任論を覆す前代未聞の事態。 天皇権威の回復から幕末の尊王・攘夷運動での皇室の政治的役割を考えれば京都固有の運動。 朝廷が幕府の政策に意見言うのが当たり前に。 |
公家諸法度に違反し幕府の施策に口出しした。 当時の庶民と天皇の関係性や幕末にかけての朝幕関係に大きく影響。 天皇への見方が、一層「生神視」する方向に。
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寛政度御所再建
天明の大火で焼失した御所の再建で、朝幕が意見対立した。 |
御所の再建を裏松固禅の復古式で行うように要求。古義に沿った朝廷の儀礼を復活させる為には、儀式の場である紫宸殿・清涼殿・神嘉殿などが平安朝の規模である事が必要。
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幕府は仕方なく要求通り再建。 今後の新しい要求には断固拒否する方針へ。 御所千度参りを経て、朝廷が対等に幕府に要求して来たもの。 松平定信と鷹司輔平との人間関係が構築される。
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・天皇側 天皇親裁が明らかに。 幕府と対等に交渉しようという姿勢。 ・老中松平定信 皇室への崇敬を幕府権威の回復に。また、御所再建工事を経済的起爆剤に。 |
尊号一件
天皇の実父閑院宮典仁親王への太上天皇の尊号を幕府に要求した。
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朝廷は前例をたてに尊号宣下を迫る。 幕府は老中松平定信を中心に、返事を先延ばし。 幕府の「治済大御所問題」との関係で複雑に推移。
結果、朝廷の敗北で高級公家の処分へ。
後桜町上皇が諫める。 |
朝廷(天皇)には既に対等関係という意識。 幕府は、老中松平定信が、返事を引き延ばしながら拒否。最後は強行手段に出て関係公卿を処分。 大政委任論を根拠に賛成派の公家を直接処分。 結果、幕府政権の矛盾とも言える一層の尊王思想を助長することに。 |
光格天皇が、朝廷内の体制を固めて、先例を示し執拗に要求し、幕府の承認なくとも強行しようとした。 主体的に朝廷政治を主導し関白を罷免してでも実行しようとした。
後桜町上皇の諫めの影響もあり断念。 即位後初の挫折? |
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