アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

917 新シリーズ 令和に巡る京の神社  第30番 上御霊神社 怨霊たちも味方に

2022-04-18 11:09:44 | 日記

 

第30番 上御霊神社

上御霊前通りから見る

京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495

主祭神    崇道天皇 他戸親王 井上大皇后 藤原大夫人 橘大夫 文大夫 火雷神  吉備大臣

鳥居には菊の紋章

怨霊思想は古代では主たる考え方であった。あらゆる禍が誰かの「怨み」を「晴らす」ことで発すると思われた。「怨み(恨み)をかう」ことは避けなければならないのだ。その霊力は怨みの深さ大きさに比例し、何より当該人物の社会的地位で決まる。従って、高貴な方が怨みを残して死ぬと大きな「怨霊」となる。それが天皇や天皇の皇子で皇位につく可能性のあった方ならば国を滅ぼしかねない霊力を持つ。

平安初期の最大の怨霊が、崇道天皇である。桓武天皇の弟君の早良親王のことで、奈良平城京から長岡京に遷都時の大事件で兄桓武への謀反を疑われる。皇位争いと絡めて冤罪でありながら流され憤死する。たちまち怨霊となり平安初期関係ある重要人物の多くを呪い殺す。よって天皇位につかないにも関わらず天皇号を与えられここに祀られた。後日、仁明天皇・清和天皇の御世に他の7柱とともに合祀され「八所御霊大明神」とも呼ばれる。その後の崇徳天皇とともに平安京2大怨霊として今日まで篤く篤く奉られている。

摂社にはあらゆる有力な神をまつる

拝殿では神輿の組み立て中

応仁の乱勃発の地

場所は相国寺のすぐ北、上京区の北限にあり、現在は境内の領域は広くないが、当時、「御霊の森」と言われここに陣を構えた東軍の畠山政長が戦を仕掛けたのが応仁の乱の始まりだ。境内にその石碑が建っている。また、芭蕉の「半日は神を友にや年忘れ」の句碑もあり江戸時代にも特別な場所との認識だったようだ。伺った4月下旬はちょうど5月1日の神幸祭の準備で、御神輿の組み立てが行われていた。昔は、5月18日の還幸祭迄、京都御苑の今出川御門から入った神輿が御所の朔平門(北辺の門)に奉安され天皇が親しくご覧になられたらしい。

注目すべきは、その神輿2基は後陽成天皇、後水尾天皇の御寄進で、祭りの際に使用する指鉾15本余りすべてが歴代天皇か豊臣家、あるいは東福門院(徳川家で後水尾天皇妃)からの寄進であることだ。皇室からの崇敬の念の深さが分かる。

芭蕉の句碑

現代になって、ご利益は家内安全から安産祈願・学業・事業繁栄まで幅広い。このように「怨霊」をむしろ幸運をもたらす「恵みの神」とする柔軟な考えが日本にはあり、今日では恐れをいだくどころか地域に親しまれる神社となっている。天神信仰の北野天満宮も縁日には毎度多くの人で賑わい、受験シーズンには合格祈願のメッカとなっている。こちら上御霊神社では毎月18日には「囀市(さえずりいち)」という縁日が立つ。食料品が中心だが日用品など雑貨なども並ぶ地元の恒例行事だそうだ。恐らくその時は、8柱の怨霊や呪いの神も微笑んで平和な日常を見守っていて下さると思う。

なお、鳥居前に店を構える「からいた」は、唐板と言い神前菓子である。残念ながらお休み中で味わえなかった。

水田玉雲堂 からいた

御霊神社祭日

歳旦祭    一月一日

節分祭    節分の日

紀元祭    二月十一日

祈年祭    春分の日

御霊祭社頭之儀    五月一日

御霊祭渡御之儀    五月十八日

御内儀春季祭       五月二十日

大祓式    六月三十日

例祭       八月十八日

七五三祝              十一月十五日

火焚祭    十一月十八日

新嘗祭    十一月二十三日

御内儀秋季祭       十一月二十八日

大祓式    十二月三十一日

月次祭    毎月一日

囀市 毎月十八日

 


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