逆順でたどる平安京の天皇たち
嵯峨天皇 ② 神皇正統記で読む 嵯峨天皇
元号 |
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先代 |
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次代 |
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誕生 |
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崩御 |
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陵所 |
嵯峨山上陵 |
諱 |
神野 |
父親 |
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母親 |
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皇后 |
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子女 |
仁明天皇 他多数 |
皇居 |
「神皇正統記」を見ると、嵯峨天皇の欄はそのほとんどを空海と最澄の功績を伝えている。
嵯峨天皇については、幼少の頃から聡明であった事、読書を好み諸芸を学ばれた事を書き絶賛している。さらに特に深く仏教を崇拝されたことを書いたあと、伝教大師・弘法大師が唐から伝えた天台宗・真言宗の両宗派がこの御代から広まったという事と、その二人の大師はただ人ではない(ただものではない)ことを詳細に記載している。
さらに奈良東大寺・興福寺の華厳宗や法相宗についても詳しく書き、その後広まった律宗・禅宗についても経緯を書いている。その上で、宗教や宗派は人それぞれの信じるものを信仰するべきであり、違う宗派を批判すべきではないとしている。おそらく比叡山の寺門派と山門派の争いや、奈良興福寺と京都の諸寺とのもめごとに終始している状況を憂いて書いたものと思われる。言うまでもなく神皇正統記は、南北朝時代に南朝の正当性と天皇の資質やあるべき姿を滔々と北畠親房が書いたものである。
この嵯峨天皇の段では長々と天皇と宗教について書いている。宗派の伝来の様子や経緯については極めて誤りが多いと謙遜しながらも、どの宗派も捨てずに信じる事が国家の災いを除くには大事な事だと強調している。仏教に限らず儒教や道教のような人道を説くものも重要だと言いそれぞれを取り立てて用いるのが聖代と言うべきと結論付けている。
嵯峨天皇の項目だが、明らかに当代の後醍醐天皇の御代を称えている。
さらに、天の王が民を導くには諸芸・諸道みな欠く事が出来ないものであると言っている。詩・書・礼の三道に加えて算道も必要な資質と説いている。そして、嵯峨天皇については、顕教・密教の両方に帰依深く、儒教も究明し文章も巧みであったと書き、書道にも優れ宮城の門の額は自らお書きになったと書いている。実際、空海・橘逸成と並び三筆の一人となっている。三蹟(小野東風・佐理・行成)など含めても天皇経験者では嵯峨天皇一人である。
嵯峨天皇の書書道か垂涎の書
その様に、神皇正統記では嵯峨天皇を称えながら実は、後醍醐天皇と南朝の徳について強調することで、北朝の徳の無さや当時の宗教界への痛烈な批判を長々と書いていた。ここまで歴代天皇の功績を書いていたが、ここで本当に書きたいことを一気に書いたという事だ。親房の面目躍如たる文章だ。
続く。
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