アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

681 生きてるだけで丸儲け ⑫  横山やすし 西川きよし 

2019-12-26 12:02:06 | 日記

横山やすし 西川きよし

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遂にわが先輩について書く。筆者の出身中学の先輩が、「木村雄二」こと「横山やすし」だ。筆者が中学現役の時、卒業生であるやすしが、運動会に突然参加した。確か、毎日マラソンにエントリーしていて、本格的アスリートだったはずだ。800m走に出場しダントツのトップで走った姿を覚えている。翌日、偽サインが校内のあちこちにあった事が印象的だった。まさに地元の英雄扱いだったのだ。中学時代、数々のアマチュアコンテストを総なめにした木村少年は、堺伸すけ・正すけの芸名で、卒業後いきなりデビューし「天才少年漫才師」と言われた。2年でコンビ別れし、横山ノックに拾われて、横山エンタツを創設者とする名門横山の屋号を与えられた。その後、横山プリンや、レッツゴー正司(横山たかし)など、次々コンビをかえるが、長続きしない時代が続く。

 

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一方、西川きよしは、コメディアンの石井きんのかばん持ちから吉本新喜劇の芝居のちょい役に出る程度だった。しかし、当時超人気ものの「ヘレン杉本(現西川ヘレン)」と周囲の反対をこえて駆け落ち同然に結婚していた。何としても一旗揚げなければいけない状況にあったのだ。浪曲師の中山礼子の仲立ちで、お互い背水の陣でコンビを組む。

 

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当然、当初はやすし主体の漫才構成だったが、慣れて来たきよしにも自由にしゃべらせたところ、ボケと突っ込みが交互に逆転するやすし・きよしの型が出来た。それまでのダイマル・ラケットもいとし・こいしもほとんどが、ボケ役が自由にボケて突っ込み役が鋭く突っ込んで笑いを取っていた。横山エンタツが、ボケの原型を完成させてアチャコが「むちゃくちゃでござりますがな。」と、笑いを取ったのが原点である。

とにかく面白い漫才だった。同じネタでも何度も笑えた。一度聞いたら2度目は笑えない現在の漫才とは違った。怖くてチンピラ風のやすしを、きよしが小ばかにするネタは鉄板だった。「怒るでーーー。」のやすしの代表的ギャグはそこから生まれた。

やすしの晩年の不祥事は書くのは辛いので書かないが、このような破滅的芸人は今後出ないと思う。反社と疑われるだけで、謹慎させるような昨今の芸能界では、やすしのような破天荒な芸人は育たない。きよしが、葬式の時、「いつも怒ってたなあ。もうゆっくりしいや。(涙)」と呼びかけたのを覚えている。打ち破りたい既存の何か権威を感じた時、やすしはその権威を許せないのだろう。常にトップを目指す男には、それをコントロールできないのだ。常に怒りがにじみ出るものだろう。筆者にはよく理解できる。貧乏な片親家庭であった彼の幼少期を思うとぬくぬくとは生きていけなかったのだ。死ぬか生きるかの漫才は、やすしだけだった。また、師匠横山ノックは、やすしが「なかなか師匠を越えられんわ。」と言うのを聞いていて、葬式の時、「はようからワシを越えていたよ。」と言った。その通りだと筆者も思う。

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因みに、やすしは毎週のように散髪屋に通った。神経質さこそが彼の本質だと筆者は考える。


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