第16番 敷地神社(わら天神)
京都市北区衣笠天神森町10
主祭神 木花開耶姫命
ご利益 子宝・安産・子育て
鳥居。
先日、作家筒井康隆が「美人絶滅」と言う散文を発表した。美人がいなくなる?と思いきや、「美人」と、表現できない世の中になると言う。比較対称する「美人」は、「不美人」を貶める差別語であると言う世論をちゃかしたものだ。文学の世界では、現代の差別語でも当時の世相を正しく表わす為に必要な表現があるのだと言う。まさにその通りで、古事記・日本書記にも差別的な表現は満載だ。差別するよこしまな気持ちがないのならば表現の自由は保証されるべきだと。先生は「断筆」した。
我々でも昨今、女性には言えないワードが格段に増えた。「可愛いね」「スタイル良いね」や「彼氏いる?」など言えない。まして「子供いるの?」も微妙で、新婚さんに、「妊娠はいつ?」や「子造り頑張っている?」はもっての他だ。最近、ある国会議員が結婚式のあいさつで、「ぜひ元気な赤ちゃんを沢山・・・。」と言って物議をかもした。
子供は国の宝だ。
しかし、つい最近まで(昭和の時代)は、当たり前のあいさつだった。誰もが子供を持つのを当然に思っていて、周囲もそう認識し激励した。寿退社やお目出度退社が好ましいとしていた。価値観の多様性と今は言うが何万年の人類の歴史上「妊娠出産」は神に願うほど普遍的なものであった。当然に、そのことを担当?する神様も多い。
ここ敷地神社は、愛称「わら天神」と言う。安産の神として信仰されているが、御守として藁が授与される。その藁に節があれば男児、節がなければ女児が誕生すると言われその為、わら天神と呼ばれる。主祭神の木花開耶姫命(このはなのさくやびめ)は、天照大御神の孫の男神に求婚される。姫の父はそれを喜んで、姉と共に差し出すが、男神は醜い姉ではなく美しい妹とだけ結婚した。父は怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのは姉を妻にすれば御子の命は岩のように永遠のものとなり、妹を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓を立てたから」と言い、妹の木花開耶姫命だけと結婚すれば、「天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げたのだとされている。その後、今のように寿命が短くなったとされる。また、醜い女性も大切にすべきだとの教えも伝えているのだと解釈したい。決して差別的表現ではない。
そして長く妊娠・出産と育児は女性の切実な願いとなった。古代には出産には命の危険が伴い、赤ちゃんも多くが育たず間もなく死ぬことも多かった。さらに、男の子か女の子かも重要な関心事だった。特に、武家や商家など大きな家では、男子誕生は嫁に課せられた義務だった。従って、「藁の節」で男子か女子かを占うこちらのお守りは人気を呼んだのだと思う。勿論、男子のみの相続は現代にはありえない風習である。
西大路通りを北へ、今出川通りを越えて金閣寺方面を目指し桜で有名な平野神社のすぐ北にある。近くには、仁和寺や竜安寺など衣笠方面にも近く、見どころも多い。境内はそう広くはない、足利義満の時代に北山殿(金閣寺)の敷地に重なり狭くなったようだ。
家族の愛情は普遍だ。
現代は、子を産むかどうかは誰に強制されることも無いが、欲しい夫婦にとって子宝への願いは以前より一層切実なのかも知れない。その日、一人の御婦人が、一心不乱にお祈りを続けていた。しばらく邪魔しないように佇んでいたが、いつまでも祈りは終わらなかった。