アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

656 アチャコの京都日誌  即位 ③

2019-10-23 07:58:00 | 日記

もうちょっと「即位」について書く。

即位式(現代では「即位礼正殿の儀」と言う。)は、誠に厳粛なものである。しかし江戸時代以前には、厳粛ではあっても、もっとオープンなものだった。

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東山天皇即位図

皇室には、見せる儀式と、秘する儀式とがある。大嘗祭や正月の四方拝など神道の儀式は秘するのが原則だが、即位式などの御祝い事や大喪の例などの禁忌は庶民と共有していた。

即位式などは、驚くべきことに宮中に自由に出入りし共に祝っていた。現在の京都御苑(その中の御所を禁裏と言う)の道端にはござを敷いて民衆が見物していた。

見物人は、上級公家が前を通ってもその日は礼をしなくても許されたかも知れない。もしかしたら出店も出て商売する者もあったかもしれない。

禁裏内には入場を許された一定の庶民が、高御座を拝しお祝いをしていたのだ。昨日のテレビ中継で、「幡」と呼ばれる「旗」が左右に配された中庭に、好天であれば古式ゆかしく雅楽団が勢ぞろいしたはずだが、その後ろに一般参詣者が見物している様子を想像してもらいたい。中には、弁当を広げたり、ぐずる赤ちゃんに授乳する母親の姿も古い絵に残っている。

天明の飢饉の時には、禁裏周辺を何度も巡り、あたかも天皇を神様のように拝み賽銭するものが数万人に及ぶ事件もあった。「御所千度参り」

その様に、明治以前は皇室と庶民の距離感は、現代とは全く違う様相であった。警備上の問題はあるが、庶民が儀式空間を共有できる工夫があっても良いのではないだろうか。

筆者は、その様な機会があれば参加したい。間違いなく恐れ多くて涙が出るだろう。