アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

657 アチャコの京都日誌  長く生きていると面白くない事が多い

2019-10-24 08:16:20 | 日記

長く生きていると、面白くない事が多い。

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学校の先生が、同僚先生をいじめていた事件だ。筆者は、以前から「先生」と呼ばれる方達の品性を疑っている。

 

政治家・医者・弁護士・芸術家・僧侶、そして学校の先生だ。以前の職業柄(元証券マン)それぞれの先生方について、その実態についてコメントしたいところだが、

誤解を覚悟で申し上げると、国家資格や選挙を経ると中には進歩をしなくても日々過ごせる職業だ。

圧倒的多数の先生方は、日々研削を重ねていらっしゃることも知っている。

しかし、小学校の先生は全く新しい知識を吸収しなくても出来る仕事だ。自らの守備範囲さえ押えれば事は済む。繰り返し言うが大半の先生は、苦しみもがいていらっしゃる。

残念ながら、一定のリテラシーを持った父兄たちはそのような学校に、大事な子供を預けない。地域性を十分に見極めるうえに、私立を中心に一部学校に人気が集まるのは当然の事だろう。

教育改革は急務ではあるが、今日明日に改善される期待はない。一方、自分の子や孫を守らねばならない。ある種の「合成の誤謬」であり教育格差は増々拡大する。

今後、外国人就労者の子供達も大勢いる地域もあり、幼児虐待のニュースに接するにつけて「教育」以前に「育児」すら当たり前に出来ない家庭もあるのだ。

経済格差の幅よりも数倍大きな教育格差が存在しているのだ。勉強どころか人道教育も行き届かない学校現場がある。心ある先生は多く「精神疾患」になる。


筆者は、経済的には最底辺にいた為、家庭での教育は全くなかったが、良い先生に恵まれ勉強した。(十分ではないが、)鉄拳も当たり前だったが、理不尽ではなかった。

叩かれる恐怖心は健全ではないが、「ならぬことはならぬ」のである。筆者の小学生5年時の先生は、「連帯責任」を徹底的に教えていた。クラスの誰かが行儀悪い行いをすれば、クラス全員が「鉄拳」を受ける事があった。

今なら、ハラスメント事件だが、時代がそうだったのだ。

最後に、十数年前からの筆者の意見提言を繰り返す。

『学校の先生は、企業人の中で特に優秀な人材が自薦他薦を含め、教師に就任する。従って、相当な高収入が約束されて、10年をめどに引退し企業に高いポジションで復帰する。』

世間の事情も知らず、世間に送り出す為に子供達を教育するのは、企業経験者にするのは当たり前だ。「世間知らず」の先生方に子供は預けられない。

この度の事件は刑事事件だ。何故加害教師の実名、顔を公表しない??

 

 

 

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