OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

お別れ会の準備

2008年08月30日 | その他いろいろ
弟の「お別れ会」の準備のために実家へ。
「夏草や 強者どもが 夢のあと」という句があったけれど、実家の庭は丈高く雑草が生い茂っている。
人の住まなくなった家は、ほんとうに寂しい。

弟の部屋に行き、CDや本、それに弟が並べて飾っていた備前焼のぐい飲みなどを適当に選りだした。
お別れ会に来て下さった方への「形見分け」のつもり。
なにか邪魔にならないもので、手元に置いてもいいというものがあったら、持って帰っていただこうと思う。

「何でこんなにものが多いんだろうねぇ」
「少しは自分で捨ててくれれば良かったのにねぇ」と嘆くと、義妹は笑って、「お姉さんは知らないでしょ。高校時代の学ランだってどこかにとってありますよ。捨てても良い?って聞いたら、当たり前のようにダメって言われましたもん」という。
そんなわけだから、彼の読書の歴史がわかるほど、そして、音楽の趣味の変遷がわかるほど、すべてのものが、保存してある。

こんなにもたくさんのものに囲まれながら、弟はひとりぼっちで死んだのだ。

その後、お別れ会の会場へ行って、下見と打ち合わせ。
弟の好きだった街、弟が家族とともによく訪れた場所にあるその建物は、少々足は不便だが、落ち着いたたたずまい。
会場からは、日本庭園の深い緑も見渡せる。
何とかあと一週間、頑張って準備をして、和やかな良い会にしたいと思う。

豪雨の中を

2008年08月29日 | 家族の話題
息子から電話で、「子守に来て欲しい」と呼び出された。
そろそろricoちゃんの顔を見たいなぁと思っていたところだったので、二つ返事で引き受ける。
ちょうど鳥取からお魚を取ったところだったので、お土産にお魚を持参。
天気予報は「雨」と言っていたけれど、まだ降り始めてはいなかった。

お嫁さんは、大学&職場の先輩のお通夜に出かけるのだそう。
たった3時間ほどの外出なのに、息子一人では無理だなんて、なんだか頼りないお父さんだと思ったけれど、まあ孫の守りは嬉しいので、文句は言わない。
yu-子さんは、ricoちゃんと名残を惜しむかのように、ギリギリまで母乳を含ませてから出かけていった。

彼女が電車に乗って外出するのは、ほぼ4ヶ月ぶり。
流産で入院して以来、病院と近所の買い物以外は、ほとんど引きこもりのようにマンションで暮らしてきた。
真面目に、真面目に出産に備え、赤ちゃんが生まれてからは、またまた真面目に育児に専心。
そろそろ息抜きをしても良い頃だと思う。
まあ、今回はその息抜きに備えて、おばあちゃんのお留守番練習と言うことで…。

ママが出かけている間、ricoちゃんはとっても良い子。
大きくぐずることもなく、しばらくはベッドで良い子にねんねもしてくれた。
お腹が空いたらしい様子が見えたので、冷凍した母乳をほ乳瓶で授乳。
すご~く久しぶりの行為なのに、ぜんぜん戸惑わないでできる。
「昔取った杵柄」というのは、こんなことを言うのだろう。

予定していた時間よりもずうっと早くyu-子さんが帰ってきた。
たぶん気が気じゃなくて、急いで帰宅したのだろう。
「そんなにあわてて帰ってこなくても大丈夫だったのに」と言いながらも、yu-子さんの気持ちもよくわかる。
初めて乳飲み子をおいて外出する時って、なんとも慌ただしい気分になるもの。
帰宅するや、ricoちゃんに張っているお乳を含ませて、満足そうな様子。
母親ってこういうものだったなあと、昔を思い出して胸の熱くなる思いだった。

少し遅めの夕飯を三人で食べる。
献立は、私が持参したお刺身。
前に並んだ二人の食欲の旺盛なこと!
そうそう、授乳してる時って、食欲も半端じゃなかった。
食後にはyu-子さんのお土産のケーキ。
「夜ケーキを食べて良いのか?」と、自問した(せっかく減った体重をキープしなくては!)が、まあ今日は子守を頑張ったんだからと、ご褒美に許すことにした。

さてさて、夕飯を食べ始めた頃から。ものすごい土砂降りになってきた。
音高く降る雨、そして、稲妻・雷。
「しばらくすれば、小降りになりますよ。それまでゆっくりしていって下さい」
そういってもらって、食後もしばらくricoちゃんと遊んで過ごす。(抱っこしてあやすと、ニッコリ笑ったりして、なんともかわいらしい

少しだけ小降りになったのを見澄まして、帰宅することに。
確かに、息子の家付近は小降りだったのだが、5分ほど走ると、それはそれは大変な降りになってきた!
ワイパーを最速で動かしても、前が見えない。
道には、大量の水がたまっている。
路肩に近いあたりを走行しようものなら、ものすごい水しぶき。

時々、真っ黒な空が、昼間のように明るくなる。
ガッシャーンという大音響とともに。
あっ、信号のライトが消えた!

恐怖のドライブ。
たった30分足らずの距離なのだが、前を行く車のテールランプに目を凝らし、必死で運転を続けた。
いつのまにか膝がぶるぶる震えているのに気付いたが、運転を投げ出すわけにはいかない。
何日か前に、群馬県(?)で車が水没してなくなった主婦の方のニュースを思い出す。
「誰にも助けてもらえない、自分で頑張らなくては」と、自分を励ましながら、なんとか無事に自宅へ到着。

珍しく起きていた夫に「こわかったよ~!」と一部始終を報告して、何とか心が落ち着いた。
義妹からきたメールに「川になった道を走って今帰宅。こわかった~」と返信したら、甥っ子から「いいな~、僕もそこ走りたい」
と言ってきた。
「馬鹿息子め!」と、義妹は言うけれど、私も、確かにそう思う…。

夏の終わり

2008年08月28日 | マジャル語
あんなに暑かった夏が、幕を引くようにばさっと終わった感じ。
「まだしばらくは暑いだろう」と覚悟を決めていたのが、あっさりとかわされた感じである。

夏中、「今年は不戦敗だ~!」と、おとなしく外出も控えていた私は、ここのところの涼しさに生き返ったような感がある。
ところが、夏中元気に活動をしていた友人達は、急な気温の変化で、みな体調を崩しているらしい。
ウ~ン、なんとなくわかるような気がする。
夏の疲れが出る頃だもの。

今日のハンガリー語も、生徒は二人だけ。(夏バテで欠席というメールをもらった)
和気藹々で楽しいけれど、気を抜く暇もない。
それに、相手が、ハンガリー留学3年というYさんだから、わたしはもうアップ、アップ!

先生とYさんとの会話は、8割方不明。
私は、自信のない笑顔で、エヘヘヘという意味不明の発言…。
まあ、あんまりわからないときは、「○○の意味がわからない~!」と日本語で叫ぶのだけれど。

今日のテキストは、「女の子が生まれて良かった」というもの。
ハンガリーでも(日本でも?)、母親は娘が生まれる方が嬉しいという文章を読んだ。
女の子だったら、女友達みたいに気が合って、楽しくおしゃべりもできるし、買い物も楽しいし…というもの。
(でも、女の子の性格にも因るのよね。と、おもいきり無口な娘の母は思います)

その後、「子どもの頃」という設問に答える。
「最初の思い出は?」--「たくさんの雪。新潟に住んでいたから。多分3~4歳くらいの時。」
「学校から帰ったら、すぐにテレビを見ていた?」--「あんまり。たぶんお話しの本を読んでいたと思う。もちろん、小さい頃にも、もうテレビは合ったんですよ!」
「良い生徒だった?」--「わからないけれど、5月に会ったとき、恩師が「良い生徒だった」と言っていたから、たぶん良い生徒だったと思う」
「初めての男友達はいつ頃?」--「小学校6年の時。いっしょに歩いて家まで帰ってた」
(先生からの質問は、「彼の名前は?」だったけれど、私は全然思い出せない…。Yさんからも「なんで~?、覚えてないの~?」と突っ込まれたけれど、顔も名前もぜんぜん浮かんでこない。ま、40年余も経てばそんなもんでしょ!)

今日で、gergely先生の授業は終わり。
けっこう早口で、泣きそうになったこともあったけれど、楽しく勉強になった授業に感謝。
夏の終わり、ハンガリー語も一区切り。
ちょっと寂しい…。

孫との食事

2008年08月27日 | 母のこと
「夏休み中に一度」と言って、弟のお嫁さんと姪・甥がOT園の母を訪ねてくれた。
私も付き合って、5人でランチ。
「私はお肉がいい」という母の意見に従って、みんなでフレンチ。

久しぶりに孫娘のya-ちゃんの顔を見て、母の一言。
「あらぁ~、かわいらしいお嬢ちゃんねぇ」(多分、私と知り合いのどこかの女の子だと思ったらしい)
でも、すぐに(みごとな変身ぶり!)ya-ちゃんだと思い直して、楽しく会話。
会ったときに誰かと認識はできなくても、誰であるかがわかればきちんと話が紡いでいける…見事です。

5人での食事は大笑いの連続。
少々お澄ましのレストランでは、もしかするとひんしゅくものだったかも。
でも、楽しく楽しく話している間に、あっという間にデザートまで進んだ。
甥や姪は、夏休みに行った北海道旅行の話を大騒ぎで報告してくれる。(父親がいなくなっても、ママとしっかり楽しく暮らしてくれているようで、私にはとてもありがたいことだった)
私は、我が家の息子達の昔の武勇伝を披露して、「すげえな~」、「さすが~」と甥や姪を感心させたり。
今日の母は、もっぱら相づちを打つ方に回って、「こんなに笑ったのは久しぶりだわ~」と幸せな笑顔を見せていた。

お嫁さんは、「お母さんと会って、うちのYさん(弟)のことを聞かれたら、困ると思っていたけれど、全然大丈夫なんですねぇ~」「これなら安心して、また会いに来ます」と、言ってくれた。
そう、母は今目の前にいない人のことを、記憶の中から引っ張り出して、話題にすることはない。
母にとっては、いつまでも、「息子は会社で忙しい」でいいし、「この間会いに来てくれた」でもいい。
私にだって、まだ生きているように思えるのだから。

帰りの車の中から、「おばあちゃ~ん、また来るね~!」
二人の孫が、大きな声で叫びながら、手を振っている。
「おかげで本当に良い時間をもらった」
これはこの頃の母の口癖。
私にとっても、良い時間だった。

オペレッタこうもり@三井55フェスティバル

2008年08月26日 | 趣味(読書・洋裁・音楽・映画)
弟の友人達を招いての「お別れの会」が、2週間後に迫っている。
高校・大学・会社関係を代表して下さる3人のお友達と何度かメールをやり取りし、なんと60名あまりの方々が集まって下さることになった。
十分なおもてなしができるとは思わないが、それでもできる限りに準備はしたいと思っている。

お友達とのメールや、会当日に配るつもりの挨拶状を用意していると、どうしても弟のことを想い、涙が出てしまう。
遺稿(というほどもののでもないが)も整理して、興味のある方には見ていただこうかと、弟からのメールなども読み返している。
これも、涙の出てくる作業である。
というわけで、この頃は、家事の合間にパソコンに向かって、ベショベショと涙を流していることが多い。

ずいぶん後ろ向きな作業だなぁと思うけれど、私がやるべき仕事なのかなとも思う。
弟の鎮魂のため・冥福を祈るためというよりも、私が次の一歩を踏み出すための最低限の作業だと思うことにした。
そう、弓を射るときだって、一度後ろにたわめなければ、前には飛んでいかないもの。
この2週間、うんとベショベショ後ろ向きになってもいいのかもしれない。

と、泣き言はここまで。
昼間はベショベショだったけど、夕方からは、毎夏のお楽しみ、三井ビルで行われるオペレッタこうもりに出かけた。
もちろん、ごひいきのバリトン歌手中西勝之さんが出演なさる舞台である。

本来は、屋外の広場で、飲み物やおつまみを片手にオペレッタを眺めるというこの企画。
残念!
今年は雨で、ロビーにパイプ椅子を並べての実施。
でも、熱心なお客さんは、早々席取りをして、ほぼ満席の状態。

「今年は、アデーレを歌うソプラノがとても良いですよ」
以前に、中西さんが教えて下さった。
ホント、素晴らしいソプラノ!
もちろん中西さんは歌も動きも素敵でうっとりと見惚れていたが、他の方々も皆さんなかなか良くって、今年も見応えがありました。

帰りの電車の中でも、耳には「乾杯!乾杯!」という歌声が響いていた。
すっかり気分転換ができて、ほんとうに幸せな気分。

中西さんの声には、一度ならず慰められている。
母がまだまだ具合が悪く、私が鬱々としていたときに出会って、それからのご縁だもの。
歌っている人は、人を慰めたいと思っているわけではないのだろう。
でも、芸術には・音楽にはそんな力がある。
そんなことをしみじみ感じ、中西さんの歌声と歌う姿から力を一杯もらって、元気になって帰ってきた!

(今年は、写真を撮るチャンス無し。残念!)

ももたらう 唱歌・童謡を歌う

2008年08月23日 | 母のこと
ここ三日ばかり、とても涼しい。
とても8月だとは信じられないほど。
雨が降り出しそうなのを気にしていたが、まあ大丈夫なようなので、母を連れての外出を決めた。

行く先は、コンサート。

ももたらうという三人組のアカペラボーカルグループのコンサート。
「唱歌・童謡を歌う」としてあるプログラムなので、どの曲もよく知っている懐かしいものばかり。
ふじの山、さくら、チューリップ、かたつむり、夏は来ぬ、七つの子、金魚の昼寝etc.、美しいアレンジ、しっかりしたハーモニーで歌われる。

母もとても楽しんで聴いてくれた。
「みんなで歌おうコーナー」では、身を乗り出すようにして、大きな声でしっかり歌っていた。
そうそう、今までは車椅子席で見ていたけれど、今日は、座席に捕まりながら階段を下り、前方中央の座席に陣取った。
ステージが近いと、やっぱり臨場感もあって、楽しさも大きいと思う。

帰りにはお茶を飲みに、近所のレストランへ。
時々ランチに出かけるそのレストランでは、母の顔を覚えていてくれたらしく、「いつもありがとうございます」と歓迎してもらい、母はとても嬉しそう。
お薦めの「苺のモンブラン」をチョイスして、ティータイム。



ハイ、この穏やかな笑顔。
いろいろ物忘れはあっても(注1)、今こんなに嬉しそうに笑ってくれるなら、これ以上望むこともないのだろう。

OT園では、明日は夏祭り。
帰りの駐車場では、模擬店の準備も進んでいる。
廊下やエレベーターには、提灯や紙風船がぶら下げてあり、食堂には紅白の幕。
「あら、明日もお楽しみがあるのね!」と、母は嬉しそう。
そう、たくさん楽しんで下さいね!

(注1)
残念ながら、物忘れはとてもひどくなっている。今日も午前中に、叔父達が訪ねてきてくれたこともわからないようだった。
コンサートを待つ間も、同じ話題ばかりを、何度も何度も繰り返す。
ただ、今のところ、おだやかな物忘れ状態なのが救い…なのかなぁ。

小さな魔笛@シアターX(カイ)

2008年08月22日 | 趣味(読書・洋裁・音楽・映画)
バリトン歌手中西勝之さんが出演なさる子ども向けのオペラ。
「子ども向け」というところに、ちょっと引っかかったが、でも、もちろん楽しみに聞きに(見に?)行った。

伴奏は、ピアノ・オーボエ・フルート。
出演者は4人で、2人は二役をやるので、6人分の役が出てくる。
つまり、魔女も、童子も、あれも、これも、全部省略。

椅子席の前には、「桟敷席」と称する、土間に直に座ってみる席があって、前の2列くらいは子どもの観客がびっしり座っている。
1時間半の上演と書いてあるけれど、前方の子どもたちが退屈して騒ぎ出したら…、とちょっと不安なまま幕が上がった。

歌はドイツ語、台詞は日本語でという形でお芝居が進む。
舞台装置も簡単なものだけど、なかなか雰囲気があっていい。
中西さんの巧みな狂言回しに、子どもたちは上手に反応し、スムースに話が運ばれていく。

有名なアリアは原語で歌われるのだが、メロディーの雰囲気と歌い手の表情で十分何を言っているのかがわかるらしく、子どもたちはとても良い反応。
夜の女王は、なかなかの迫力で観客を圧倒し、パパゲーノのアリアも、パパゲーノとパミーナのデュエットもなかなか素敵。
タミーノの絵姿に恋するアリアも甘く切なかった。

残念だったのは、ザラストロの歌う「この清き宮には」。
私たちの席の前に座った赤ちゃんが、ちょうど目を覚まし、泣きだしてしまった!
ザラストロを演じていたのは中西さん(パパゲーノと二役)だったので、私はこのアリアをとても楽しみにして行った。
だって、バリトンの中西さんが、バスのこのアリアを歌う事なんて滅多にないだろうから。
「え~、ここで泣いちゃうの~!」とガッカリしたが、まあ半分くらいは聞き取れた。
相手は、生もの。ケンカはできません。

一番圧巻だったのは、パパゲーノとパパゲーナ(夜の女王との二役)の「パパパの二重唱」
歌に入る前のお芝居部分の演出も楽しく、観客達の笑いを誘った。
デュエットは、声の具合も良くマッチして、コミカルな感じでとてもかわいい。(もう一度聴きた~い!)

ちょっと物足りない部分もあったけれど(一時間半では仕方がない!)、子どもにおもねらず、音楽的な部分ではほとんど妥協をせずに、とてもよくまとめられた作品に仕上がっていたと思う。
子どもたちが最期まで退屈せずに見ていたのが、何よりの証拠。
キャッチコピーの「子どもと一緒におとなも愉しめる本格オペラ」が、ちゃんと実践できていた。
こういうのを、たくさんの子どもたちに見て欲しいなぁ…。

そう、おとなも(私も!)十分愉しんだ。
パソコンに向かっている今でも、まだ目の前には中西さんの歌っている姿がちらつき、耳にはザラストロやパパパが聞こえている。
楽しい夜でした。(あちこちで、いろんな音楽体験をさせてくださる中西さんに感謝!感謝!)

落雷・停電・大雨による速度規制

2008年08月21日 | マジャル語
ひっさしぶりのハンガリー語。
早くも、秋からの授業案内が配られる。
あまりにも身辺が慌ただしいので、ちょっと休業しようかなぁと思うのだが、授業自体はかなり楽しく受講しているので、やっぱり続けるか~とぐらついてしまう。

夕方、四ッ谷に着いたとき、やけに暗く、風も冷たい。
DILA に向かって歩いている間にも、ピカピカ・ゴロゴロ。
「きっと夕立だ~」と思っていたら、ヒューヒュー強い風が吹き、大粒の雨が降り出した。
教室に着いてからだったから、私はぬれなかったけれど、10分ほど遅刻した(雨のせいで電車が遅れたんだって!)Yさんはぐしょ濡れ。
教室の冷房で、ガタガタ震えていた。

授業は、まあボチボチ。
時節柄、オリンピックのことが話題になる。
室伏は残念だった(注1)とか、北島のそばで泳いでいたハンガリーの選手はメダルに届かなくってちょっとがっかりだとか、水球やフェンシング(ハンガリーの強い種目)の中継が見られないのでつまらないとか。
みんな、なんとなくハンガリーのことを気にしながら、オリンピックを見ているのがわかって微笑ましい。
(注1)室伏選手のお母さんは日本ではルーマニア人として知られているが、実はルーマニア領内のトランシルバニア出身。ここは、マジャール人が住んでいるところで、言葉もハンガリー語が話される。つまり、ハンガリーにとって、トランシルバニアは、切り取られた領土の一部で、ハンガリーそのものという思い入れの強いところ。だから、ハンガリー人にとって、室伏選手は同胞。今日得た情報によれば、室伏選手自身もハンガリー語が話せるのだそうな。


帰りの電車は、もう大変。
新宿駅のホームは、もう人で溢れて、こぼれそう。
落雷・停電・大雨による速度規制で、電車が大幅に遅れているのだとか。
ホーム一杯の人びとは、無言のまま整列して電車の到着を待ち、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込み、途中でのろのろ運転になっても、電車が止まってしまっても、文句を言う人もいない。
なんておとなしく、規律がとれているのだろう。

30分ほど遅れて家に到着。
一月ぶりの新宿行きに、もうへとへと。
夕飯を家で食べるはずだった娘は、まだ帰っていない。
きっと夕立を避けて、同僚と飲みにでも行ったに違いない。
まったくぅ~!

ぎりぎりを楽しむ?

2008年08月20日 | マジャル語
明日は、久しぶりのハンガリー語。
(お盆休みが2週間、その前の2週間を、私は病気で欠席したので、まるまる一月怠けてしまったことになる)

お休みの間にも、一先生は、メールで早々教材を送ってくださり(きっちり予習をして来いよという無言のプレッシャー!)、たっぷり下調べをする時間はあったはずなのだが…。
昨晩やっとテキストを印刷し、今日午後から辞書を引くはずだったのだが、実はまだ一行も…
いつもいつも自転車操業ばかりで、困ったもんです。

ギリギリまでやる気が起きない。
この困った性癖がなければ、もう少しマシな人間になれていた気がするなぁ。
ま、50歳を過ぎて昔からの困った癖が簡単に直るはずもない。
むしろギリギリまで粘って間に合ったときの達成感に妙に満足したり、ギリギリにでも何とか間に合わせられるような時間の逆算がうまくなったり。
間に合わなかったときの開き直り方が、歳のせいもあって堂に入ってきたり。
つまらない側面ばかりが発達、習熟してきたような気さえする。

さあ、今日のブログは書き終えた。
これからがんばろうっと!

横濱飲茶ランチ

2008年08月19日 | お友達
8月のお楽しみ会、今月の参加者は7人。

あんまり暑いので、どこに行ったらいいのか良いアイディアを思いつかないでいたのだが、友人のアドバイスにより、横浜駅あたりで涼しく過ごすという暗に決定。

まずランチは、金臨門での飲茶。
ここの飲茶ランチ『翡翠』コースは、11時から先着20名が、少しお得な値段でいただける。
ぜひ、安い価格で食べたいものだと、開店前に店の前に陣取り、(おしゃべりをしながら開店を待ち)しっかり一番でお得なランチをいただいた。

29階なので、とても良い眺め。
新横浜のPホテルのタワー、新宿の高層ビル群なども見渡せる。
落ち着いて、接客もまあまあ親切。
ゆっくりおしゃべりができました。
(味? ウ~ン、まあまあかなぁ~。ちょっとコースの組み立て方に工夫がないような…。値段から言うと、少々不満が残るかも。。。。。)

その後、そごうに場所を移し、家庭用品の階をおしゃべりしながらゆっくり見て回る。
陶器や、家具など、ふだんあまりゆっくり眺められないものを、友人といろいろ批評しながら見て回るのは、なかなかおもしろい。
ロイヤルコペンハーゲン、ジノリ、マイセン、etc.ゆっくり見ると、なかなかの見応え。
たのしかったわぁ~!

そして、またティータイム。
食堂街の「シェ・松尾」で、お茶を飲みながら、またまたおしゃべり。
女三人寄ればかしましいというけれど、おばさん7人のおしゃべりパワーといったら、もうもういつまでたっても止まりません。

「あ~、満足した!」と、解散したのは5時過ぎ。
充実した一日、ぜいたくな一日でした。