風もなく穏やかな日。
この季節、こんな日はなかなか無いので、母をちょっと外へ連れ出すことにした。
といっても、余り人混みは心配なので、近所のスーパーまで。
まず、マフラーにダウンジャケット、レッグウォーマーという重装備。
母の歩行補助に使っているシルバーカーからは、バッグをはずし、手元にかけてあるタオルも取って身軽にする。
外出の時、母は「ティッシュを持っていった方が…」とか、お茶を入れておくためのカップを「これも持っていきたい」とか、あれこれ言うけれど、とにかく身軽でいてくれないと危ないので、断固として、「私が必要なものは持ってるから、全部置いていって!」と、つい言葉が荒くなってしまう。
それでも、ポケットはふくらんでいるし、細々したものはあちらこちらに隠し持っているらしい。
スーパーまでのドライブ(ほんの短い間だけど)を楽しんだ後、今日のメインイベントのお買い物。
まず入り口のところでイチゴのパック。
そうそう、フルーツゼリーも忘れちゃいけない!
そして、お菓子売り場。
「海苔が巻いてあるおせんべはあるかしら」(もちろんありますとも!)
「チョコレートも欲しいわ」(ハイハイ、これなんかどうでしょう?)
「のどスッキリのど飴って言うのもいいわねぇ」(ゴメンね、残りを私が食べるから、こっちの黒砂糖入りニッキアメにして)
「グミは、カラフルだからコラーゲン入りにしましょう」
「あっ、このラムネも欲しいわ~」
少々興奮気味の母は、目に入るもの、どれもみんな欲しくなるらしい。
たくさんカゴに入れたからもう今日はこれでいいんじゃないと話がまとまりかけた時、目に入ったアーモンドグリコを、「これ懐かしい!欲しい!」と大きな声を出す。
もちろんあわててカゴに入れ、これでレジの列に並ぶことにした。
レジを待つ間、母を立たせておくのは心配なので、併設されているパン屋さんのイートインでコーヒーを飲みながら待っていてもらうことにした。
「目移りして選べない」と迷う母に、チョココルネを勧めて、飲み物の希望を聞くと「カフェオレがいい」としっかりした答えが返ってきた。
お盆にコーヒーとパン、お砂糖、スプーン、それにお手拭きをセットして、「会計してくる間にこれを食べていてね」と、私だけテーブルを離れた。
ちょうどお昼前のスーパーは少し混み合っていて、レジでは少し手間取った。
あわてて母の所へ戻ると、母はジャケットを脱ぎ、じっと食べず私を待っていたらしい。
「あら、食べててねっていったのに、どうしたの?」
「あなたが帰るの待ってたのよ」
「じゃあ、もう食べていいよ~」
食べ始めた母のお盆を見ると、さっきちゃんとのせておいたお手拭きの袋が消えている。
「お母さん、手拭かないで、お手拭きポケットにしまったんでしょ?」と問うと、「ウフフ」と照れたように笑う。
コルネの入っていたビニール袋も、たたんで持って帰ろうとする。(止めさせたけど…)
どうも今の母には、ティッシュ、洗面台の横から持ってくるお手拭き用の紙、テーブルの上に置いてある袋入りの爪楊枝、お菓子の入っていた箱や袋、リボン…、そんなものがとても大切らしい。
OT園で暮らしていれば、そういう類のものはほとんど必要ないのだが、放っておくとベッドの回りはそれらの細々したもので一杯になってしまう。
アクセサリーや洋服が好きで、おしゃれだった母だが、今はほとんど関心を示さず、着ているものも手に触ったものを適当に着ているふうに見受けられる。
でも、細々したものへの関心は強く、私にはゴミとしか見えないものまでとにかく保存しておきたいらしい(例えば、手を拭いた後のウェットティッシュや一度使用した使い捨てマスクなんかも!)。
食事のたびにウエットティッシュは配られるし、手洗い場にはいつもお手拭き用のペーパーが用意され、お部屋にはティシュの箱を切らさないようにしている。
それでも、「何かあった時に無くっちゃ困る」と、あれこれ貯め込むのだ。
大切なものって、ほんと、人によって違う。
同じ人でも、その人の年齢や置かれた環境によって、全く違ってくる。
実家で大量のものを整理、廃棄した私には、この頃流行りの「老前整理」というのが切実に感じられるのだが、そんなことはつゆとも思わない母は無邪気にゴミのような細々したものを貯めている。
貯め込むことも、楽しみの一つと考えるならば、何もかも止めさせて取り上げるのもかわいそう。
最晩年の母のコレクションが、お手拭きだったり、爪楊枝なのはちょっと悲しい気もする。
私の大切なものってなんだろう?
これからどういうふうに変わっていくんだろうか?
帰りに、車にシルバーカーを乗せようとして気がついた。
母は、シルバーカーの座席シートの下に文庫本二冊を忍ばせていた。
まったく、細々と持って歩くのが好きな母である。