OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

父との別れ

2005年11月30日 | その他いろいろ
父との別れ

 父の死は突然だった。がんが発見された時にはもう手遅れで、長くてあと三ヶ月、治療の方法はありませんと医師に告げられ、私たち家族は、父を関西の赴任先から東京の自宅へ連れ帰った。
 退院前に受けた輸血の効果もあってか、多少ふらつきながらも、父は自分で歩いて、快活ともいうべき笑顔で自宅へ帰り着いた。あと半月で新しい年を迎えるという頃である。
 それまでの二ヶ月の病院生活での父の希望は、早く家に帰りたい、家のご飯が食べたいというものだった、病院で一人過ごす夜は長いとも嘆いた。私たちは、残る日々を家族とともに暮らさせたいと考えたのである。
 「ホスピスに…」ということも話し合われた。より良い治療や疼痛ケアが行われるかもしれない。無理な延命が行われることもないだろう。良い点はたくさんあったのだが、受け入れ先が柏だという。しばしば通うには遠すぎる。やはり毎日家族と過ごせる自宅がよい。私たちは、自宅で父に死を迎えさせることを選択した。
 父には何と告げたらいいのだろうか。体調が決して上向くことがない以上、自宅療養で十分治るとは説明できない。坂道を転がり落ちていくように病状は悪化していくだろう。「おやじの家なのだから、ここでずっと過ごして欲しい。どこにも行かずにここにいてほしい』という弟のことばで、父は自分の病気を理解した。
 父の退院・帰宅を祝うパーティー、クリスマス、お正月、皆が集まるには事欠かない時期だった。父のベッドは居間とふすま一枚隔てた部屋に置かれていたので、私たちはふすまを開け放っては、集まってご飯を食べた。母・弟の家族五人、私の家族五人。小学校六年を頭に乳児まで、六人の孫が賑やかに笑い、大きな声でおしゃべりをした。学校のある日にも、一番チビの赤ん坊は、父のベッドの横で昼寝をした。自宅に帰って安心し、楽しそうな父の笑顔が見られた。
 母は長い夜を父のベッドの脇で横になり、たくさんの話しをしたそうだ。弟にも、私にも、父はそうっと別れのことば、感謝のことばを告げた。貴重な家族の時間だった。
 わずかながらも大好きなカレーやおまんじゅうを食べて満足そうだった父も、松が明ける頃から、日ごとに弱っていった。体のつらさからだんだん気短になった父に応えながら、用便の始末、吹き出すように止まらない汗で日に何度も着替えをさせるなど、看病の中心だった母は疲れ果てていた。一緒に住むめいやおいも、生活のリズムが狂ったためか、体調を崩して落ち着きがなく、義妹も辛そうだった。私も、朝晩一時間の運転をして通っていたが、家に残した子どもたちへの心配もあって、心も体もつかれていた。
 長くないとわかっていても、この生活がいつまで続くのだろうという疑問が頭に浮かぶ。父に優しいことばがかけられないこともあった。ほとんど水ものどを通らなくなった父の顔を見て、私は、一日でも長く生きてほしいとは思わなくなっていた。
 自宅へ帰ってから三十五日目の朝、父は逝った。息をしなくなったのもわからないほどの静かな死だったそうだ。
 通夜の席で、、「あんな死に方がしたい」という声を聞いた。理解ある医師の協力、親類や友人達の心遣いや協力、家族力を合わせての看病、近頃では珍しい自宅での静かな死。しかし、私は、それを理想的であったとは思えない。ホスピスにいれば、父はあと数日、もしかすると一月だって生きたかもしれない。十分な看護の手のあるところにいれば、雑事に気を回さず、父の心にもっと寄り添っていられたのではないか、心から生きてほしいと願うことができたのではないかと思う。父は、こんな生活を早く終わりにしたいと思っていたのを知っていたのではないだろうか、どんなに寂しい思いでいたのだろうか。
 長い間、いつもその思いを抱えていた。台所で食器を洗いながら、お風呂で温まりながら、眠りにつく時も、父の死への後悔が私と共にある。梅雨も明けようとする頃、「病院で死ぬこと」という映画を見た。がん患者の病院での最後の日々を描いたものである。画面に大きく映る病室の白い壁を見た瞬間、私は大切なことを悟った。死は日常であるということ。非日常を象徴するような白い壁とパイプベッドを見て、私は日常の大切さを思った。
 美しいものも、醜いものも、全部含んで、死は日常の中で迎えられればいいのだと思った。父の死は理想的ではなかった。しかし、家族が心を尽くして、普段の生活の中で父を見送ろうと努力した。父への愛も、負い目もすべて背負って、私は私の日常を生きていこうと、今、心から思う。

魚(どっかんセット)到着

2005年11月30日 | Weblog
オーストラリアから帰国した翌日、毎月頼んでいる九州からの魚が到着した。
今月は、定置漁が豊漁らしく、「どっかんセット」なるものが届く。
毎月沢山の魚が入っているのだが、今月は内容も良く、大きなコロダイが二匹、一匹は2kgを超える大物だった。

息子たちに魚が届いた旨をメールで報せ、届いた魚の始末をする。
太刀魚や、カンパチ子などはおろすのも楽だけれど、大物のコロダイは力も要り、息が切れる。
ほとんどの魚を三枚におろし、ラップに来るんで冷蔵庫にしまい、頭やカマの部分は湯通しをしてアラ煮やアラ汁に、中骨は低温のオーブンでじっくり焼いておく(骨せんべいとして食す、出汁を取るのに使用、犬のおやつ)。
この作業で2時間余、どっと疲れた。

長男はその晩のうちに帰ってきた。
献立は、刺身(カンパチ、コロダイ、太刀魚、イトヒキアジ)、アラ汁、天ぷら(太刀魚、はす、茄子、シシトウなど)、おひたし。

次男は翌日「やっと暇が作れたよ」と顔を見せる。
献立は、刺身、アラ汁、アラ煮、太刀魚のチーズフライ、など。
太刀魚のチーズフライは、三枚におろした太刀魚の身を適当な長さに切って、チーズ(オーストラリア土産)を芯にしてクルッと巻きようじで留めて、パン粉を振って揚げたもの。
太刀魚の淡泊な身に、チーズが良く合い、カリッとした食感もおいしく、とても好評だった。

OT園へは、昼食時に刺身を作って持参した。
部屋に食事を運んでもらって、おしゃべりしながら楽しく食事。
話題はもっぱら、明日家に帰る話と一人で歩ける話。
まあ、仕方がないか…!
平常の昼食と持参の刺身をあわせて完食した。

帰ってきました!

2005年11月28日 | Weblog
一週間のオーストラリア旅行から、無事に戻ってきた。
本当に楽しい1週間。
美しい風景・花々・現地の人とのちょっとしたおしゃべり・おいしい食物。
すべてに満足な旅行だった。

旅行中、76歳の姑は終始元気で頑張っていて、すべての予定(ペンギンパレード・イルカウォッチイング・ブルーマウンテン4WD観光etc.)を無事こなした。
ずいぶんくたびれただろうに、一切の愚痴は言わず、旅行の最後には、「痛いところはどこもない、次はどこに行こうかネェ~。」との発言。
本当に、ご立派!

帰宅した後の家族の発言。
夫「毎日白菜ばっかり食べさせられた!あいつ(娘)は本当に白菜が好きなんだなあ~。」
 「Yちゃん(娘)が洗濯物たためるのを発見したよ~。」(いつもは一切手伝わないものね!!)
娘「お父さんと二人で和牛ステーキの高いの買って食べたよ!」
 「クウ(犬)が留守番ばっかりで寂しがって、うるさかったよ~!」
クウは、私の顔を見るなり大騒ぎ、飛びついてきて離れない。

やっぱり家はいいもんです!

夕方OT園へ。
「お久しぶり~。」と挨拶したが、母はあまり気になっていないよう。
「二三日来なかった?」という返事。
こちらも平和でよかったわ。

このところ、母は一人でトイレに行くことを試みて、介護士さんたちを困らせているよう。
ベッドの柵を自分ではずし、起きあがってベッドから離れようとして転んだりしたらしい。
「一人でやって、怪我をしたらたいへんよ!」
「ヘルパーさんを呼んでからにしてね!」
と繰り返し注意しているのだが、「もう、自分でできるもの!」とすました顔で。

ベッドの柵を自分でははずせないようなタイプのものにするなどの工夫をお願いした。
身体の動きがよくなって、母の気持ちも明るくなった。
せっかくだからこのまま大事にして欲しいと思うのだが、何事にもせっかちで積極的な母(考える前に飛び出してしまうみたいな…)の性格も戻ってきたらしく、「できる!できる!」「やりた~い!!」ととどめることができない。



旅行に行ってきます

2005年11月20日 | Weblog
姑のお供で、オーストラリア旅行に出かけることになった。
M家のお嫁さんツアーで、姑と息子の嫁二人(ウ~ンと古い嫁さんと古い嫁さん、ちゅうぶるの嫁さん)の三人で出かける。

訪れるのは、メルボルンとシドニー。
計画立案および手配は私が代表して行った。

留守中は、娘が家事を受け持って、お父さんと犬の世話をする。
長男も二日ほど帰宅して、様子を見てくれるそう。
「OT園へも顔出してね!」と頼んでおいた。

月曜日から8日間の予定で出かけるので、月末までこのblogはお休みします。

孫の手君からの報告書

2005年11月18日 | Weblog
訪問リハビリからの報告書が来ていた。

最近、とても気分がよいようで、会話も穏やかです。
車椅子からベッドへの移動も、足を地面につけ歩くようにされています。
右膝が一番痺れていて辛いとのことで、治療後は少し楽になります。
両足関節は可動域が広がってきています…

週2回の病院でのリハビリと、週2回の訪問リハビリのおかげで、ずいぶん身体の動きがよくなった。
そして、身体が動くことで自信も出てきたのだろうか、性格も気むずかしさ・怒りっぽさが薄れ、本来の明るい性格が戻ってきているように思う。

OT園に移って9ヶ月。
少しずつの変化だが、よい方に向かっているので嬉しく思う。

弟へのメール

2005年11月17日 | Weblog
以下、弟へのメールです。

拝復。
法事の件はおおむねOKだと思います。
(中略)
また、おみやげなのですが、OT園に持ち帰れるもの(つまり数が多いもの)もご用意頂けますか。
お歳暮代わりにちょうどいいかと思いますので。

ホテルの部屋は多分いらないかなあ…と思うのですが。
まあ、大事を取って確保しておいた方がいいのかなぁ。
この頃はだいぶ体力が付いてきたようなので、けっこう長時間座っているようです。

お手洗いも便器で、本人によれば自分で全部、できます。
昨日も、自分で全部できるから、介護士さんは呼ばなくていい、トイレに連れて行けといわれました。
車椅子を便器に近づけたところ、「立ち上がらせてちょうだい!」「ズボンをおろして!」「座らせて!」etc.…。
この状態を「自分で全部できる」というのか、とても疑問です。
当然、介護士さんを呼んで手伝ってもらいました。

というわけで、身体の動きはずいぶんよくなってきています。
車で遠出しても、まあ大丈夫でしょう。
こういうことは、頭でいくら心配していても始まらないし。
出たとこ勝負!でこなすしかないよね。

江戸鮨さんの電話は、***-***-*****
手順としては、
1、江戸鮨に電話を入れ、カウンターを空けてもらうように依頼。(車椅子で行きますと伝える)
2、OT園に電話、または口頭で「昼食は不要、外食する」旨を告げる。
3、車椅子を押して、江戸鮨へ。
以上です。

簡単でしょ!
よろしくお願いいたします。

法事は父の13回忌。
都内にあるお寺まで母を連れ出し、その後ホテルで会食をさせる計画を立てている。
母の親戚の主立った人たちをみんな呼んで、とにかく楽しく過ごして欲しいと思っている。



ナルニア国物語

2005年11月16日 | Weblog
この間映画(In her shoes)を見に行ったら、「ナルニア国物語」の予告をやっていた。
心の奥の方が揺さぶられるのを感じる。
初めて見る映像なのに、とにかくなつかしい。

ナルニアと出会わせてくれたのは父。
子供の頃、出張するたびに、丸善で何かしら本を買って来てくれた。
嬉しくて、早くまた出張に行けばいいのにと勝手なことを考えたりもした。
岩波の少年文庫が多かったかなあ。
今でも大切に持っている本も多い。

ナルニアはその中でも、一番のお気に入りだった。
子供たちにも読んで欲しくて、「おもしろいよ、おもしろいよ」と熱心に勧めた。
ただ、度が過ぎたのか、上の二人は「読んだけどまあまあかな」という程度だったし、娘には「私はいい」と断られてしまった。
私自身も、この頃はほとんど手に取ることもなく、本棚に並べておく程度だった。
「指輪物語」や「ゲド戦記」は定期的に読み返して楽しんでいたけれど、「ナルニア」は少し子供っぽい感じがして…。

でも、予告の映像を見たら、懐かしくて懐かしくて、読みかけの本(「駆け抜けてテッサ」K・M ペイトン著 これもけっこうおもしろいんだけど。)を放り出して「ライオンと魔女」を一気読み。
「カスピアン王子の角笛」も読み終え、ただいま「朝開き丸東の海へ」を読書中。

こんなに遅く来ても…

2005年11月15日 | Weblog
夕方、出先から急いでOT園へ向かう。
母は珍しくベッドで過ごしていた。
私の顔を見るなり、「こんなに遅く来ても少ししか話せないじゃないの!」「つまらない!」と立て続けに文句。
きっと、ベッドで退屈、寂しい思いをしていたのだろう。

夕方行く時はだいたい4時過ぎを目安に出かけて、1時間半~2時間一緒に過ごすようにしている。
でも、ほぼ毎日(週4~5回) 出かけるとなると、いくら暇な私でも時間のやりくりに苦労する。
少し遅くなる日もあるのは、大目に見て欲しいもの。
母に言っても仕方がないので、心の中で「言いたいこと言ってて何よ!」とつぶやくだけ。

ベッドから起こすのを手伝い、座らせて、おやつにする。
今日は柿。
季節のものなので、喜んで食べていた。

ベッドの枕元には、海苔の缶、クッキーの缶、そしてグミを入れる小さな瓶が置いてある。
「どれも空っぽなのよね」と嘆くので、行くたびにどれか一つに少しだけ食べ物を補充してくる。
例えば、ゼリービーンズを20粒くらいとか、グミ10個くらい、母のリクエストの炭酸せんべい3~4枚とか。

けちなようだが、置いてあるものは、「少しだけ、少しだけ…」と言いながら、全部食べきってしまうので、多くは置けない。
糖尿病の関係もあり、また、あまり太ってしまっても困るだろうと気を遣う。

「暗いからもう遅いと思ったけど、意外にゆっくりおしゃべりできたわね」とご機嫌も治って、夕食へ。
「言われたら、あとあとまで気に病むんだから、勝手なことばかり言わないでよね」と、これまた心の中でつぶやいて手を振った。

血液検査

2005年11月14日 | Weblog
母が事故に遭う2ヶ月前、昨年の5月、我が家の愛犬kutya君は溶血性貧血という恐ろしい病気にかかり、ほとんど立ち上がれないような危篤状態にまで陥った。(昨年の我が家はさんざんだった!!)
かかりつけの獣医さんの適切な治療のおかげで、すっかり回復して、今はとても元気に暮らしているが、3月に1度の検査だけは欠かせない。

いろいろ故障の多い犬で、出かける前に尿検査用の尿の採取。(膀胱結石の検査用)
その後車に乗せて、獣医さんまで走る。
行き先が分かるのか、助手席でムニャムニャと文句の言い続け。
待合室では、私の顔を見上げながら、「早く帰ろうよ!」の催促。
血液の採取の折りには、ものすごい悲鳴が聞こえてきた。

幸い空いていたので、1時間ほどで診察は終わり、検査の結果も良好だった。
kutya君、ご苦労様!

思っていたより早めに終わったのを幸い、OT園へと飛んで行き、お昼ご飯をお寿司屋さんに連れ出した。
ちょうど大学祭の後片付けで授業のなかった娘も合流。
楽しく食事をし、食後は近所をしばらく散歩。
小菊がとても美しかった。


E先生のコンサート

2005年11月12日 | Weblog
長年マジャール語を教えて頂いているE先生は、いろいろな顔を持っている。
中高生二人の子供の母親という家庭人の顔。
ハンガリーからの来訪者のお世話を受け持つ通訳としての顔。
もちろんハンガリー語の先生としての顔。

その他に、音楽家としても活躍していらっしゃる。
なかなか場所と日程が合わず、聞きに行けないのだが、今日は田園調布でハンガリー民謡のコンサートをなさるというので、いそいそと出かけた。

アカペラだったり、鍵盤楽器や笛、ヴァイオリン、太鼓などの伴奏が入ったり。
聞いたことのあるもの、初めて聞くもの、いずれも美しいハンガリーの民族音楽が歌われた。
古楽器などもいろいろ使われて、それぞれの音色もなかなか楽しい。
先生は、2着の民族衣装を着用、これまた色や刺繍が美しい。
耳も目も忙しく、楽しいコンサートだった。

受付を引き受けていたのは、先生の息子さん(高校1年生)。
久しぶりに会ったら、すらりと背が高く、髪の毛は天を指してきれいに整えられて、なかなかハンサムな青年に成長していた。
息子さんを紹介する時の先生の顔は、民謡を歌う時の歌手の顔をとはひと味違って、誇らしげな母の顔だった。