OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

手仕事の会

2006年01月30日 | お友達
高校の同級生と、スカート作り。
「わたしも」と参加を申し出てくれた平塚からの友人も参加して、手を動かしながらのおしゃべりに楽しい一日を過ごした。
私ともう一人は、ツイードのスカートを裁って、刺繍を。
平塚の友人は、私が持参したニット生地でハイネックセーターを2枚完成させる。

お昼ご飯に、五目寿司を持参した。
前々日の夕飯用に、少々余分に具を作っておいて、朝、酢飯に混ぜ込んだもの。
ニンジン・椎茸・ゴボウ・高野豆腐は甘辛く煮て、ハスは酢でさっと煮て、ご飯に混ぜる。
かなり大量の白ごまも一緒にまぜ、甘い卵と紅ショウガ・カニ風味かまぼこ・きぬさやを上にのせる。
ありきたりだけど、けっこう色鮮やかで、おいしくもある。

平塚の友人が夕方メールで、「母の作ってくれたちらし寿司の味を久しぶりに思い出しました。」と書いてくれた。
彼女は、大学4年の時にお母さんを亡くされた。
30年以上前の味の記憶。
素敵だなあと思う。
子供達も、私の作ったものの味を2050年くらいに思い出す事ってあるかしら。
心に響く誉め言葉をもらった。

だるま市

2006年01月28日 | 季節の話題
1月28日は、近所の麻生不動院のだるま市。
「関東納めのだるま市」というらしく、近隣ではかなり有名で、臨時のバス便も多く出て、沿道にはたくさんの屋台が並び、多くの人で賑わう。

我が家のリビングにも、いつのころからか、だるまさんが一体置かれるようになっている。
最初に買ってきたのは、多分長男だったのだろう。
小学生用の小さなだるまさん(¥100で、手のひらに載るほどの小さなもの、小学生にしか売ってくれない)から始まって、以来毎年、古いだるまを納めて新しいものを購入するのが恒例になっている。

子供が受験の年には「合格祈願」、一発合格と言うことで購入時に「ヨーッ、パン」と活を入れてくれる。
普段の年は「家内安全」、「ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨイ」の三三七拍子となる。

今年は土曜日で、夫が休日だったので、10時前に連れ立って出かけた。
お天気がよいので、もうすでにかなりの人出。
古いだるまを納め、不動院にお参りをし、新しいだるまさんを購入。(ここまではお決まりのコース)
その後、夫はメザシを一箱購入(私は嫌いなのでイヤ~な顔)。
娘のお気に入り「薄荷パイプ」(高3の時にも「よく通る」なんて言って買わされた!)や、じゃがバターのお店、息子達が好きだったくじ付きのリンゴ飴、チョコバナナ、当てもののおもちゃやさんなどなつかしく眺めながらおしゃべり。
子供が大きくなって、二人でだるま市なんて初めてのこと。
何年か後には、毎年になるかなぁと、チラッと思ってみたり。

その後、これも恒例、帰り道途中のスーパーで、だるま市協賛の特売の野菜を抱えて帰宅した。

不穏が強いです。

2006年01月25日 | 母のこと
このところ、面会に行くたび、母は割合に穏やかで元気そうだった。
気になっていたのは、ホームシックが強いことで、「明日家に帰るんだったわよね?」という問いが始まると、止まらなくなること。
まるで、道に迷った子供が同じ所をグルグル回って途方に暮れてしまうように、会話がとぎれるたびに「明日家に帰るんだったわよね?」を繰り返す。

「明日じゃあないわよ」、「まだいつか決まっていないでしょ!」といえば、「じゃあ、決まったら一番に教えてね」と納得してくれる。
以前のように激しく憤ったりすることはなくなっていた。

他の入居者のお年寄りともなじんできていて、それなりに仲良しも作っていたようだった。
もちろん気に入らない方もあるのだが、そんな方をあしざまに言うような場面も少なくなっていたように思っていた。

とこらが、OT園の職員さんから、「不穏が強いです」と言うお話しがあった。
レクの時間に、気に入らない方を怒鳴りつけたり、小さな事で激怒したりが多くなっているという。
また、夜にはナースコールを押し続けて、「今すぐ家に帰る」や「トイレに連れて行け」をひっきりなしに繰り返しているらしい。

とりあえず心療内科の診察を受けることにし、様子を見守って頂くようお願いした。
弟に話すと、「安定剤を出してもらえばいいんだよ。色々くよくよ考えて、イライラさせておくより、そのほうがずっと本人も幸せなんだから。」と言う。
そんなものなのだろうか。
薬で「帰宅願望」が消えるものなのかどうか、疑問は残るが、専門家の意見を聞き、様子を見ていく他はない。

ボーイフレンド

2006年01月24日 | 母のこと
母が元気であちこちと出かけていた頃(もう1年半以上前になる)、毎月数枚の無料ご招待券が送られてきた。
題名のない音楽会の公開録画入場券だったり、深夜の音楽会(読売?)だったり、新日鐵アワーの公開録音だったり。
音楽好きのお知り合い、Mさんが母に代わって応募葉書を出して下さり、全部はずれの時は気の毒がって他の方の余っているものを調達して送ってくださっていた。
だから母は月に数回音楽会を楽しむことが出来たわけで、私も時々はお相伴にあずかって、まだ今ほど有名ではなかった西本智美さんやチョン・ミョンファ氏、金聖響氏などがタクトを振る音楽会を楽しませて頂いた。

毎月、何枚もの葉書を書いたり(随分めんどうな仕事だと思うのだが)、当たったかどうかを電話で問い合わせて下さったり、そしてたまには音楽会のあとの軽いお食事やお茶を楽しんでいたようだ。
エジプトへのツアー旅行で知り合ったというが、まあボーイフレンドのようなものかな。

母が事故にあったあとも、Mさんから葉書を頂いたり、お電話を頂いたりしていたのだが、今年の年賀状のお返しで元気になったことをお知らせしたこともあり、是非伺いたいとお見舞いに来て下さった。

MさんのおみやげはシャネルのNO19オードトワレ。
母は嬉しそうに頂いた袋を覗いたが、食べ物でないと分かったとたん、ベッドの上に放り出し、私が持参した桜餅ににっこりしている。
久しぶりの再会に話が弾んではいるのだが、よく聞いていると少しずれている部分もあるような…。
Mさんのお話しは、音楽会、絵画の展覧会、そして能や謡いのお話しなどとても興味深い。
そしてこういう話に、母は的確な相づちを打ち、的確な質問を発する。
どうにも話がずれてしまうのは、事が自分の身に及んだ時だ。
「遠いところのコンサートにはもう行きませんのよ。夜は足元も悪いですしねぇ。」
「旅行にも行きたいんですけれど、娘が心配して前みたいに一人で出かけさせてくれませんから」etc.
母の口から出たのでなければとてもまともなのだが、やはり母は自分の体の現状を認識していられないことが分かってしまう。
まあ、「もう一生車椅子!」なんていう事実を心に重く抱えて生きることもないのかもしれないけれど。

一時間半ほど楽しくおしゃべりをして、Mさんは帰られた。
伺ったところによると、午前中は日本橋三越で個展を鑑賞していらしたとのこと。
その後、こちらにいらして、また、東京駅の大丸に「わたせせいぞう」の絵を見に行くとおっしゃる。
もう70歳はとっくに過ぎていらっしゃるようだが、お元気で活動的なことに驚かされた。

雪かきと松前漬け

2006年01月22日 | 季節の話題
昨日とうってかわっての良い天気。
日の光が雪に反射して、とてもまぶしい。

今日は、駐車場の雪かきをしなくっちゃ!
去年までは息子達が居て、一声かければあっという間に雪かきなど終了したのに…とちょっと寂しく思う。
娘が居るには居るのだが、試験前、勉強中と言うことで、ブスッとして口もきかない。
あきらめて、お昼頃にスコップを持って外へ出た。

車の前にも、車の上にも思いの外沢山の雪が積もっていて、内心途方に暮れる。
でもとにかくやるしかないと思い定めて、スコップで雪をすくう。
ちっともはかどらないし、すくった雪をどこに捨てたものかと思案していると、救い主が現れた。
バケツを2つ持参で、「この中に入れて下さい。捨ててきてあげますよ」とおっしゃる。
お子さんの雪遊びに付き合っていて暇だし、雪だるまを作るのに使うからとのこと。
一人でやるよりもずうっと張り合いも出て、明るい気持ちで車の周りの雪を片づけることが出来た。
ホントにありがたいお手伝い。

小一時間ほど格闘したら、腕も腰もミシミシと悲鳴を上げてきた。
雪国のお年寄りは、70歳・80歳の方が雪下ろしをしていると聞く。
この程度のことで音を上げてはいけないんだけど、でもやっぱりね。

雪かきを終えて、お手伝いくださった近所の若いご主人にさて何をお礼をしたものやらと考える。
「そうそう、こんな時のために…」と冷蔵庫から自家製の松前漬けを取り出した。
暮れから松前漬けを3回つけて、「俺はまだろくに食ってないぞ!」と、夫からクレームがきている。
わたしが独り占めして食べているわけではなくて、つい息子に持たしたり、ちょっとおみやげに使ったり。
自家消費をしている暇がない。
でも、お礼の品にはちょうどいいかなあと、小分けの容器に入れて、あらためてお礼に伺った。

2006年01月21日 | 季節の話題
この冬初めての大雪。
朝起きた時からもう窓の外は真っ白で、寒さが苦手の私は、この景色を見ただけでふとんにUターンしたくなってしまう。

21日は、センター試験の1日目。
そういえば、次男が大学受験の年もセンターの前日の夜から大雪が降った。
雪の積もる中、出先から「すべらないように!」と念じながら歩いて帰ったのを思い出す。
ただ、次の朝、試験に出かける息子が歩いて駅まで行ったのか、バスが動いていたのかはよく思い出せない。
記憶なんて、そんなものなのだろう。
自分に関わる印象的なことだけがくっきりと残る。

雪は夜まで降り止まず、私も一日ダラーと過ごした。
犬が退屈してうるさいので、夕方ちょっとだけ散歩に。
ダックスフントの足の長さよりも深く積もった雪の中、ちょっとはしゃいで歩き回るクチャ君を眺めながら、「ふーん、猫のように暮らしているからこたつ派かと思ったけど、少しは庭派の部分も残っていたんだなぁ」と妙なところで感心。
薄暗くなった公園の雪景色は街灯の明かりがともり、「ナルニア国物語」の冒頭を思わせる。

新年会

2006年01月20日 | お友達
洋裁の先生からお声掛かりの新年会。
10人ほどが集まって、話に花が咲く。
今日のランチは、玉川学園駅前の新しい和食屋さん。
お屋敷だったおうちを改装して、和食屋さんにしたとのことで、二階の大きなお座敷に通されて、個室でのランチだった。
芝生のお庭には、大きな木が整然と植えられ、鯉の居る池もありと、なかなか素敵な眺め。
お値段も、まあリーズナブルで、女性客で賑わっていた。
(味?まあ、あんなものかな、可もなく不可もなし!)

食後にケーキセットを誘われたのだが、コーヒーだけで我慢。
帰り道、お団子を買ってOT園へ寄り、母とお茶にした。
お団子はみたらしと胡麻団子。
2本は多すぎるけれど、両方食べたいという母のリクエストにより、一本を半分ずつにする。
「どっちの味を先にしよう」と母は大いに迷っている。

エッ、眼にアイロン!

2006年01月18日 | 家族の話題
夜、たまった洗濯物にアイロンをかけていた。
いつもやっている場所で、いつものように。

でも、「間が悪い」ということがあるらしい。
犬が私にクーンと鼻を鳴らしながら近づいてきたと思ったら、「ギャッ」と一声あげて逃げていった。
何が起こったか、あまりはっきりとはわからないまま、どこかやけどをしていないか体中を探し回った。

「おかあさん!眼だよ。眼に変な筋がある!」と、遠くから見ていた娘。
何と眼球、黒眼の所に1センチほどの白くなった筋が見える。
エーッ、アイロンが眼に入ったの~?
背筋がゾクゾクとして、オロオロ、何をどうして良いやら分からない。
とりあえず、娘が犬のまぶたをこじあけて、私がそこに流水を何度も何度も注いで冷やした。

我が家の愛犬クチャ君は、どうも生まれつきかなりの弱視らしい。
家の中でも、色んなものにぶつかって歩いたり、目の前にあるものがわからずあさってのところを探したり。
「かわいいからいいよね」「別に、自分でエサを捜さなきゃいけないわけじゃなし」と、呑気に構えて可愛がってきた。
でも、眼にアイロンが入るまでわかんないなんてねぇ~。

明朝、獣医さんに見てもらったところ、「角膜に傷が付いてますね」と、目薬を処方して下さった。
「この子は、まあ何があっても仕方がないですよ。なんかあったらすぐ連れてきて下さい。」と、先生に変な慰められ方をして、でもまあ、大事にならずにホッと胸をなで下ろす。

携帯電話を買いに

2006年01月17日 | 家族の話題
姑が携帯電話に毎月4千円ほど払っているらしい。
「エーッ!そんなに使うんですか?」と驚いたら、それが最低料金なのだという。
「そんな契約、高すぎるよねぇ~」と義妹も娘も私も意見が一致。
今日、私が一緒に行って適当なものを購入することになった。

事前に、私や娘が使っている「docomoのファミ割」に一緒にするのが良いだろうと、docomoショップに相談に行った。
「苗字は同じだけど、住所が違うし、引き落とし口座も違うし、保険証なんかも違うんだけど、どうやって親子の証明をしましょうか?」
「戸籍をお持ちください。」
でも、戸籍を取るには区役所に行って、450円も(!)払わなくちゃいけない、もったいないよね~。
引き出しの奥をゴソゴソ探して、夫の母子手帳を見つけ出した。
「ウン、これで親子の確認はバッチリ!」

まず夫の実家へ、舅姑を車に乗せ最寄りのビックカメラへ行く。
古くて変色した母子手帳をいさんで店員さんに見せるが、「あっ、いいですよ。名前が同じだし。」とろくに確かめもしない。
拍子抜けで少しがっっかり。

あとの手続は順調にこなし、年配者向けのわかりやすい携帯電話を手に入れた。
ついでに、舅がランチをごちそうしてくれて、3人で中華を分け合って食べる。
その後舅は「ちょっと、散歩!」と消え、私は姑を家に連れて帰って、新しい携帯を使えるようにあちこちいじって四苦八苦。
考えてみれば、携帯をいじって使えるようにするのはいつも娘の役目。
「おかあさん、もうメール使えるからね」なんてね。
午後のちょっと眠たくなる時間を、携帯電話とそのマニュアル本とにらめっこして過ごした。