母が事故にあったのは、2004年7月のこと。
その後、7ヶ月の入院加療を経て、終の棲家と考えて現在のOT園に移った。
「そろそろ退院できるように、転院先を探して下さい」と医師から告げられた時、リハビリをしながら褥瘡も治し、そして精神的にも安定の出来るところ。
出来れば、私が通いやすいところで。
そんなふうに考えて、あちこちに電話をした。
病院の相談窓口に紹介してもらった病院、友人からのクチコミ、知り合いの医師からの紹介…。
近所の老人病院などにも片っ端から電話して、少しでも良さそうなところは見学にも出かけた。
でも、良いと思えるところはなかった。
そんな時にうちのポストに入っていたOT園の入居案内。
うちのすぐ近所だし、病院ではないけれど、症状が落ち着いたら、最終的にはこんな所も良いかもと思って、見学に出かけた。
ちょうど開所したところだったので、空き室はたくさんあった。
そして、そのためなのか、営業の方はとても親切。
母の状態が悪い(足の複雑骨折はまだ完全に治っていない、10cmくらいの褥瘡が背中にある、かなりひどい不穏の状態etc.)ことも承知の上で、すべて応相談で対応してくれるという。
病院で相談したら、とくに病院でなくても過ごすことが出来るという。
(今になって考えると、これはけっこう病院側の無責任な対応だったと思う。難しい患者だから、追い出せる先があるなら早めが良い、その後困ればどこか他に病院を探すだろう…みたいな)
褥瘡の消毒の仕方や、足のギブスなどなど、退院に必要な引き継ぎを病院とOT園に頼んで、とにかく強行退院した。
ちょうどバレンタインデーの日。
母にもバレンタインのチョコレートを買ったのを良く覚えている。
病院からの1時間ほどの道中は、針のむしろだったなぁ。
寝台タクシーを頼んで、寝かせての移動。
道路に起伏があり、車が揺れる度に、「痛い!」「どうにかして!」と母が怒鳴る。
道路工事で舗装がはがされている所などは、「痛いでしょ!」「ちゃんと運転しなさい!」「痛いっていってるのがわからないの!」
弟と二人、「もう少しだから」「もうちょっと我慢ね!」と慰めたり、「それだけ大きい声で怒鳴れるんなら、元気だね~」と冷やかしたり、ヘトヘトになった。
入居後も、しばらくは落ち着かない。
「早く家に帰りたい」の一点張り。
「こんな所にだまして連れてきて」「親を捨てた」「親不孝者」
会う度にののしられ、OT園に行く足取りの重かったこと。
それでも、放っては置けなくて、週に5~6回も通い、半日くらいをOT園で過ごすこともあった。
と、そんなこんなの日が今では嘘のよう。
少しずつ気持ちも落ち着き、体も良くなって、今に至る。
この頃は、「ここはいいところだよ」「体が良くなって、本当に良かった」等の言葉を煩瑣に聞く。
7年の間には、最愛の息子に先を越されるという大事件もあった。
でも、幸いにも母は蚊帳の外。
いまだに弟の不在に気付いているのか、いないのか(たぶん気付いてないのだと思う)。
入居から丸7年。
入居当時は、こんなに元気になるとも、長く生きることが出来るとも、思えなかった。(医師からも、けっこう悲観的な話ししか聞かなかったし)
8年目も、ますます元気で過ごせそう。
良かった、良かった。
事故に遭わなければ、きっと今でもアクティブなはつらつとした母だっただろう。
惜しかったなぁ…と、時々思う。
でも、たらればの話は仕方がない。
今の母の生活を、少しでも快適に、楽しいことをたくさん見つけてあげるよう努力しよう。
最後に先日の母の様子を。
OT園に行き、エレベーターから降りたら、母の怒鳴り声が聞こえる。
よく見ると、不穏状態で大きな声を出している入居者さんに向かって、「うるさいわよ!」と怒鳴り返しているのだ。
私を見つけると、「あぁ、よかった。これで部屋に行けるわ。ここうるさくて」という。
「そうねぇ、怒鳴ってる人が二人もいたものね」
「アラ、うるさいのは一人だけよ」と、母。
「そう?なんだかもう一人大きな声が聞こえてたけど」
母は不思議そうに、「一人しかいなかったと思ったけどねぇ」といいながら、はたと気付いて、「私の事?」
あまり大きい声とか出さない方が良いよ。
イヤだと思った時は、お部屋に帰るとか、一階にいって気分転換するとかすれば良いんじゃない。
そんなふうにアドバイスをする私に、母はニヤッと笑って、「たまには大きい声張り上げて人を怒鳴るのもいいモンよ。ストレス解消だわよ」と、のたまう。
完敗です!
ああ言えばこういう。
老獪な母にはかないません!