OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

リフォーム工事

2005年08月29日 | Weblog
息子たち二人が使っていた部屋を娘用にリフォームすることにした。
壁紙やライトはすべて娘の選択に任せて、ピンクで統一。
カーテンやベッドも女の子らしいものを選択した。

たいへんなのは部屋にあったものの片づけ。
「本もDVDも絶対捨てない!」と宣言した夫の本等々を段ボールに詰めて積み上げる。
息子たちの荷物もまだまだ沢山置いてある。
これもせっせと段ボールに詰め込み、まるで倉庫番のゲームのように工事の進捗に合わせてあっちへやったりこっちへやったり。
誰も手伝ってくれないので、ほぼ孤軍奮闘状態。

母の所に行って「今、リフォームでたいへんなのよ!」と訴える。
「でも、きれいになるから楽しみだわね。」
「完成したら、わたしもY子ちゃんのお部屋見たいから、一度呼んでちょうだいね。」

我が家のマンションの階段で車椅子を「ヨッコラショ!」とやっている自分が浮かんでくる。
でももう少し状態がよくなって、人手があれば、一度や二度はそんなこともできるかもしれない。
それまでのお楽しみ…かな?


Y叔父の3回忌

2005年08月28日 | Weblog
Y叔父の3回忌に弟と二人、母の名代で出席。

横浜の駅から少し歩いたところにあるはずのお寺に行ってビックリ!
お寺の建物が消えている。
空襲で焼け、戦後すぐに立て直したものだったらしく、耐震性等々に問題がありとのことで、新築することになったのだとか。
そのため、今回はプレハブの仮本堂でお経を聴いた。

叔父が亡くなってもう2年が経つのかなあと思う反面、叔父の葬儀の時にはまだまだ元気のよかった母を思い出す。
お経・墓参の後の会食では、叔父たちから母のことでいろいろリクエストがあがる。
「時々外出しているなら、今度はどこかで一緒に食事ができるように手配してよ。」
「一緒にカラオケに行きたいから行けそうな店を探して」etc.

一番「姉さん贔屓」のT叔父は、酔いも手伝ってか、涙を流しながら早く母に元気になって欲しい、一緒に熱海の温泉に行きたいと話す。
母が元気だったら、T叔父たちと杯を重ね、賑やかにおしゃべりをし、二次会・三次会と夜遅くまで楽しく過ごしたのだろう。
こんな席に母がいないのは他の親戚にとっても、何となく物足りないものらしい。
何しろ法事大好きの母だもの。


いよいよベッドに格上げだよ~!

2005年08月23日 | Weblog
OT園に入所してほぼ6ヶ月が経つ。。
入所して2日目にベッドから落ちて以来、床にマットを置き、母はそこで寝ていた。

2日ほど前に生活相談員の方から話があり、いよいよベッドに戻して下さるとのこと。
「もう、むやみに興奮なさることもなくなったし、落ちて危ないこともないと思いますので。」とのこと。

自力で座ることができない母も、ベッドになれば角度を調節して座ることができる。
今までは、持参したおやつなども寝たまま食べにくそうに口に運んでいたが、これからは座って食べられる。
小さな変化だけど、明るい気持ちになった。

幸せになるために必要なこと

2005年08月22日 | Weblog
母はここのところ、とてもホームシックが強いようだ。
といっても、OT園がいやなわけでもないらしい。
ただ「家が恋しくて…」ということのよう。

顔を見るなり「ああいいところに来てくれた。すぐに連れて帰ってちょうだい!」と言う。
「いつになったら帰れるのか、聞いてきて。」

なだめるためにいろいろ話を試みる。
「帰っても今の身体の状態では困るだけでしょう?」
「ここが寂しいって言うけれど、家に帰ったらここよりも会える人が少なくなってもっと寂しいよ」
「お母さんが家に帰ったら、私は今みたいにしょっちゅうお母さんに会えないのよ」
「前みたいに外出したりできたり、家で好きなことができたら、いつでも家に帰れるのにね」
「お母さんは私の家に帰る訳じゃあないでしょう?いつうちに帰れるかはYちゃん(弟)に聞かなくちゃ」etc.

その場その場では「そうよねぇ」と納得してくれる。
でもその3分後には、「うちに帰りたい!いつになったら帰れるの?」
私も母と一緒に迷路に入り込んだような気分。

冷静に母の様子を観察していると、OT園で仲良く話ができるお友達もできているようだし、介護士さん・看護師さんたちとも顔見知りになりいろいろおしゃべりもして、午後のレクでも楽しむ時間が増えているように見える。

自分のことを冷静に分析するのはとても困難なこと。
母の身体のこと、実家の家族のこと、いろいろ考えると今の母の状態は決して不幸な状態ではないと思う。
でも、現状を決して認められない母にとって、今の生活は幸せではないのだという。

人が幸せになる第一歩は、どんなにつらくても、まず自分の現状を認めることから始まるのかなあ。

「生きていてもつまらない」と言う母に、
「私はお母さんが生きてくれて嬉しいのよ。去年の今頃を考えたら、一年後にお母さんと笑ってお茶が飲めるなんて想像できなかったもの。」と返す。

考えてみれば、結婚して以来、こんなにしばしば母と会うことなんてなかった。
事故にあったのは悔しいことだけれど、こうやって母と過ごす時間を与えられたことは幸せなこと。
母には申し訳ないけれど、私だけでも幸せになるために今の状態をきちんと把握していこうと思う。



携帯電話のトラブル

2005年08月20日 | Weblog
6月末、娘のたっての希望で、携帯をauからdocomoへの変更した。
ところが、この機械(バッテリー部分)が時々勝手に発熱し、短時間で電池切れになることがあった。
初めは購入3日目ぐらいに問い合わせのためにドコモショップを訪れたが、「その状態の時に来なければ対処できない」と言われ、そのまま帰された。

情けない思いで、その後一月ほどかなり我慢して使用していたが、たびたび同じことが起こる。
母を連れての外出先で、(出がけに充電をしてきたにも関わらす)電池が切れて電源が入らなかったりなど、本当に困ってしまったこともあった。

「交渉事は本気で、場合によっては喧嘩するくらいの意気込みで」との長男のアドバイスを受け、再度shopへ向かう。
事情を説明し、調べたり、データを移したりと長々待たされたあげく、同機種の新しいものと交換してもらった。
その時の店員の言葉が、「同じことがまた起こらないとは限らない」。
信じられな~い!!

でもその予言通り、一週間のうちに3度以前と同じトラブルが起こった。
仕方がないからまた交換に。
今度は別の会社(パナソニック→NTT)のものに替えてもらう。
今度もなにやかやで一時間ほどかかった。

ウ~ン、やっぱり納得いかない!
確かに新しいものに代わったから、これからトラブルはないかもしれないのだが、それだけでいいのだろうか?
とくに「お詫びの言葉」も聞けなかった。
どちらかといえば、こちらの使い方に誤りがないかを確認されるばかり。
いっぱい困ったことはあったし、何度も足を運ばされたし、ダウンロードした著作権がらみのデータは移せないし、等々はすべて帳消しになってしまうの?
トラブルがあった時にその会社の本質が見えるとしたならば、今回のdocomoの対応はまあ通り一遍、誠実なものとは言い難く、なんとも後味の悪いものだった。

お盆休み

2005年08月17日 | Weblog
8/13から9日間が、夫の夏休み。
といっても、帰省する田舎があるわけでもないわれわれ夫婦は、特に何をするわけでもなく、ボヤーっと家で過ごすのが毎年の恒例。
「どこに行っても暑いしね~」
「人混みに言っても疲れるだけだし」
こういう点ではとてもよく意見の合う夫婦。

今年も気を合わせて、二人でだらだらと過ごしている。
時々近所に買い物に行ったり、映画を見たり、ランチに行ったり。
こういう生活をしていると、何年か後に確実に訪れるであろう定年後の生活が思われる。

たまの夏休み、普段疲れている身体をできるだけ癒して欲しいと思ってのだらだらだけど、毎日になったらたいへんだ!
今から少しずつ、何か有意義に過ごせるように準備が大事だとも感じた。

80歳の誕生日祝い

2005年08月13日 | Weblog
舅がこの8月で80歳になるという。
とにかくお祝いをしようと、弟夫婦と夫の家に集合。

メインは魚料理にすることとし、熊本の魚屋さんに注文。
旬のカンパチとサザエに、カワハギ、ハガツオ、アオリイカも添えて刺身の大皿ができあがる。
アラや肝の煮付け、シイラのバター焼きなどもつくる。
お赤飯と野菜料理は家から持ち込んだ。
揚げなすとオクラの煮浸し、枝豆のすり流し寒天寄せ、キュウリとシソの酢の物etc.

三人の孫たちはそれぞれ都合があって、参加、不参加を強制しないこととした。
娘はわれわれ夫婦と一緒に夫の実家に行き、しばらくおじいちゃん・おばあちゃんのご機嫌伺いをした後、浴衣に着替え東京湾の花火へ。
今日はピンクのナデシコ柄の浴衣に赤い帯を文庫に結んで。
孫の浴衣姿に年寄り二人とも満足そうだ。

次男は、都合により欠席との連絡が入る。
長男は、3組の夫婦が食事を終える頃、休日出勤の仕事を終えて駆けつけた。
といっても、「雨が降り出したから、迎えに来てよ~!」との電話で私が駅まで車で駆けつけたのだけれど。

舅はたいへんなご機嫌で、お酒の量も食欲もなかなかのもの。
そして、「もう年だから、昔ほど飲めなくなったし、食べられなくなったよ」と盛んに訴える。
そのたびにみんなが声をそろえて、「充分だよ」「りっぱなものです!」と大笑い。

月末に、舅姑は「80歳の記念旅行ツアー」で礼文島に出かけるらしい。
元気で何より、いっぱい楽しんできて欲しいと思う。
でも、旅行社がツアーを組むほどに長生きの人が多くなったことも実感する。
確かに「高齢社会」が到来している。

話題のそらせ方

2005年08月12日 | Weblog
二日ほどOT園へ行けなかった。
そのせいかどうか、今日はホームシックが強い。
「今日は何が何でもうちへ帰るから、すぐタクシーを呼んでちょうだい!」
強い調子で迫る。

おせんべでも収まらない。
部屋に置いてあるきれいなお花(レクの時間に自分で作ったアレンジメントのよう)を褒めてみたりもするのだが、決心は固い。

足が痺れているというので、右足をさする。
「気持ちがいい」と喜びながらも、家の話。
「そろそろ梨がなっている頃かネェ?」
「どこに?」
「うちの前の畑よ、ほら、こんにゃく屋の角を曲がったところ。」

実家の前には、梨畑もないし、こんにゃく屋もない。
「昔はあったのよ。川の脇」
「おかあさん、それ、うちじゃあないでしょう。白楽のうちのことでしょう?」
「そうよ!白楽のうちがわたしのうちでしょ!」
母が白楽に住んでいたのは、結婚前のこと。
もう、50年も前の話。

足をさすりながら話をしていると、いろいろな時系列と場所が組み合わさって、母の頭の中に存在していることがわかる。
OT園と入院していたT大学付属病院も同じ場所のような、違うような。
「うち」も実家や母の育った白楽の家やその他想像してこしらえた場所も混じっているようだ。

そうこうしているうちに夕食のお迎え。
「今日は夕食食べないで家に帰るはずだったのに…」という母に、介護士さんはさりげなく、
「あら~、困ったわねぇ、来週もリハビリの予約入れてあるわよ。」
「それが終わるまでここにいた方がいいんだけどなぁ。」
「あら、そうなの。仕方がないわねぇ。」
あっさり収まったことに、ホッとする。
何でこんなに上手に話題をそらせられるんだろうと感心。

食堂では、看護師さんが私の顔を見て、「K子さんでしょう?」と母に尋ねている。
どうやら、ホームシックのあまり、だいぶ看護師さんの手を煩わせていたようだ。
「K子を呼んでちょうだい!」を連呼して、困った看護師さんは「K子さん」についていろいろ質問をしたのだろう。
「ずいぶん長くお話伺ったのよねぇ。」

夕飯の席では、例の「黄色い壁の家」のはなしが始まる。
「あそこに女の子が座っているでしょう?」(見えないけど…)
先日差し入れた松茸昆布を楽しそうに食べ始めるのを確かめて、OT園を辞した。



ひまわり畑

2005年08月09日 | Weblog
4時ごろOT園に行くと、車椅子に座ってニコニコしている母の姿が集会室に。
「ちょうどいいところに来たわね。今帰ってきたところよ。」
「楽しかったのよ~!」と、ご機嫌な様子。

近所にあるひまわり畑を見学に行ってきたのだとか。
昔、父と行ったイタリア旅行を思い出したらしい。
みんなといろいろおしゃべりもしたし…と言っているので、多分旅行の思い出などをはしゃいで話していたのだろう。

部屋の壁には、父と二人旅先でディナーをとろうとしているところの写真が掛けてある。
エッフェル塔にあるレストランでの記念写真だとのこと。
「あの写真の頃に戻りたいわ~!」
「そうすれば、おとうさんと二人だしねぇ。」

写真に付いている日付を見ると、1985となっている。
「20年も前に戻ったら、私のお姉さんになっちゃうわね。」
「お父さんだって、うちのお父さんと同い年ぐらいよ!」

母が一人残されて心細かった10年間の生活、そして事故以来の身体が不自由な境遇、そんなことなど思いも寄らない楽しそうな顔をして若い父と母が笑っている。
そして、その父と母は現在の私たち夫婦。
今、私たちは何を準備し、何に対して心構えをしておいたらよいのだろうか。

介護士さんが「背中に少し汗をかいているけど大丈夫かなあ?」と気遣ってくれる。
「少し汗をかくのも気持ちがいいのよ」と母。
確かに、たまには汗をかいた方が、夏らしくて健康的かもしれない。
暑い中車椅子を押した彼は、もっともっと暑かったよねと母と話し合った。




若い人はいいわねぇ~!

2005年08月08日 | Weblog
夕方からエストニアのエレルヘイン少女合唱団のコンサートを聴きに行く予定。
でもその前に一仕事、というわけで、OT園に寄って母とおしゃべり。

母がさかんに言うには、今日の午後、孫のやあちゃんが来てくれたのに部屋の鍵が開かないばかりに顔を見せずに帰ってしまったという。
「やあちゃんが来たのは昨日でしょう?」
「昨日も来たけど、今日も来たのよ!」
「ほんとう?」
「ほんとよ!」
変だなあと思いながら姪にメールで確かめる。(もちろん来ていないという返事。)

今日の母は陽気だけれど、混迷が激しい。
自宅のそばの商店に買い物に行く話をするのだが、どうもおかしい、車椅子で買い物に行って苦労したことなどを話す。
昨年事故にあって以来、病院から OT園へと移ってきたわけだから、自宅の周りで車椅子に乗ったことなんてないはず。
指摘すると、「え~っ、あれは夢だったのかしら~」

夕食のために食堂へ移動する際には、私に話しかけてきたおばあさんにけんか腰で間違いを指摘する。
「もっと穏やかな言い方をしたら」と言うのだが、
「できない!!」のだそう。
どうしたのかしら…。

食堂で母のとなりに立ち、食事が運ばれるのを待っていると、「若い人はいいねぇ~!」という声。
まさか私のことではないと知らん顔をしていると、もう一度。
お隣のおばあちゃまが私に話しかけていた。
どうやら、私がはいていた白のレースのスカート(私がデザインして縫ったもの!)がお気に召したよう。
他の方からも「素敵なスカートだねぇ。」「若い人はきれいなものが似合っていいねぇ。」と声がかかる。

そうかあ!ここでは私も若い人なんだあ!
「久方ぶりに、若い人なんて言われたわ」というと、
「まだまだ、若いよ!ここの人たちから比べれば…」と母。

ほめて頂いたのに気をよくして、コンサート会場へ向かう。
エストニアという国についてはよく知らないけれど、なかなか素敵な少女達、そしてよく訓練された歌声、陽気なステージだった。
赤を基調にした民族衣装もかわいらしくて、エストニアを訪れてみたいと感じた。
そして、一緒にステージに立った「Mコダーイ合唱団」。
昨年まで娘が在籍していた合唱団だが、年齢も様々、小学生も多いことを考え合わせても、決して引けを取らない歌声で、ちょっぴり誇らしくさえ感じられた。