このblogを始めるきっかけになったのは、母のことだった。
母の日常の様子を書き、その変化が確認できるように、そして少し愚痴も書いたらスッキリするかもと書き始めた。
その後、自分の生活のあれこれを綴るようになって、今では母が登場する回数は激減している。
とはいえ、ここは母について記録する場だと思っている。
さて、現在の母はとても元気で明るい。
この夏の変化は、尿取りパッドを多く使用するようになったことと、なんだかなの服装が多くなったこと。
もう一つ、一緒にいる時の話題がとても少なくなったこと。
大きな変化ではないけれど、少し認知症が進んだのかなと危惧していた。
話題の大部分は、お天気について。
「風が吹いている」または「今日は風がない」、これをひたすら繰り返す。
「雲がきれい」、「あの雲は黒くて怖い」etc.、窓から見える雲の様子を繰り返し話題にし、時によっては、「あんな怖い雲見たくない」とカーテンを閉める、かと思うと、「まだ明るいのにカーテン閉めておくなんて変」とカーテンを開けに行く、これを何度も繰り返す。
(多分、数分前に自分が言ったことを忘れてしまうから、こんなふうに何度も同じ事を繰り返すのだろう)
二人で向き合っていると、あまりに話題がないので、テレビを点けておくことも多い。
「水戸黄門は、私が子どもの頃からテレビで見てる」
「暴れん坊将軍ねぇ、ホント長く続いているよね、子どもの頃によく見たわよ」
って、そんなはず無いよね、テレビでが登場したのは、母が結婚してしばらくしてからのはず。
でも、覚えていることもたくさんある。
「あっ、三つ葉葵の紋だから、徳川だわね」なんていう、とてもちゃんとした発言もある。
それに、時々私が間違いを指摘すると、「仕方ないのよ、今の私は、頭がゴチャゴチャして、昔のことと今のことの区別が付かないんだから」というような、客観的発言があったりもする。
「まだらぼけ」というけれど、まだらのボケ部分がちょっと多くなったかなというふうに感じられていた。
昨日、OT園の帰り、ケースワーカーのNさんに呼び止められて、どうもこのところ認知症の度合いが進んだようだと告げられた。
失禁が多くなったこと、また、別の部屋に勝手に入ってしまうこと、ベッド回りの散らかし方が極端な日があることなどが、このところ目に付く言動らしい。
Nさんの所にまで具体的な変化が上がっているところを見ると、実際に介護に当たっている職員さんがかなり困っていることが多いということなのだろう。
週に2度ほど尋ねている私にも、思い当たることがたくさんある。
だからといってどうこうできるものではない。
「そうなんだ」と、母の現状を、園と私の間で確認するというだけ。
その確認が、ちょっとつらい。
わかっちゃいるけれど、他の人から冷静に指摘されるとね。
母のこれからを考えれば、現段階でオタオタしていてはいけない。
「何が起こっても仕方がない」、「どんな状態になっても、笑ってすごせる瞬間が一瞬でも多くなるように」、そんなふうに腹をくくっているつもりだけれど、「認知症が進んでいる」と告げられるのは重い。
とはいえ、私と過ごす母はおおむね笑顔。
私がいない時も、けっこう賑やかに楽しく過ごせているようだ。
それを幸いとして、これからも暮らしていくしかないよね。