OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

おせち作り

2005年12月30日 | 季節の話題
今日は朝からおせち作りに忙しい。
毎年作る料理はほぼ決まっている。
栗きんとん、黒豆、煮しめ(里芋、にんじん、コンニャク、ハス、ごぼう、凍み豆腐、しいたけ)、紅白なます、白インゲンの豆きんとんなどなど。

あとはカレー味のウズラの卵。
これは実家の時からの恒例で、ウズラの卵を100個ほど茹でて皮をむき、出汁と醤油、カレー粉で味を付けた煮汁につけておくもの。
子供達の好物で、100個の卵は、ああいつになったら皮むきが終わるのかとイヤになる頃、誰かしらの手が伸びて皮向きを手伝って、その合間に一つ二つと向き手の口に卵が消えていく。
剥き終わる頃には80位になっているのだろうか、その卵を付け汁に入れいったん煮立てたあと、密閉容器に入れて保存する。
なぜこれがおせち料理に入ったのかは不明だが、途中で減ってしまう事も含めて、楽しみな我が家の逸品となっている。

私が台所で大忙しをしている間に、夫は雑巾を片手に家中をうろつき、蛍光灯を新しくしたり、ドアノブの周りをきれいにしたり、それなりにゴソゴソと動き回っている。
これも毎年の30日の我が家の風景。

成人式の打ち合わせ

2005年12月28日 | 家族の話題
来年1月に娘が成人式を迎える。
上の二人の時には、高校の卒業式の時に買ったスーツを着て出かけただけで、特に用意は要らなかったのだが、女の子はそうも行かない。
春頃から振り袖を用意して、写真はどうしようか等と心づもりをしていたのだが、結局秋に私が1週間も旅行に出かけたので、写真の前撮りなどの計画は吹っ飛んでしまった。
まあ、学校がひまな2月頃にゆっくり撮ればいいよね…なんてね。

で、年が明けたらまもなく成人式当日。
美容院の予約をさせたところ、今時は事前に何度も打ち合わせや準備があるらしい。
今日は夜1時間以上かけて、今後の予定や、当日の髪飾り、髪のスタイル、帯の結び方など事細かに打ち合わせをしてきたようだ。

すべて娘にお任せで、一切口出しをしないつもりの私だったのだが、帯結びだけは「ふくら雀」にしてもらいなさいとリクエストした。
娘も納得して、美容師さんに話したところ、「今年は、黒田清子さんの影響でふくら雀の希望が結構あるのよね。」と言われたそうだ。
全然そんなこと気にしてなかったのに…と機嫌を悪くしている。
ミーハーだと思われたのが気に障ったようだ。
皇室でも使われるほど、オーソドックスで格式のある結び方なのだからと、慰めた。

それにしても、事前に何度も出かけて、爪のマニュキュアをしたり、まつげパーマをしたり…、成人式もずいぶんハデになっているのだなとビックリ!

距離感

2005年12月28日 | 母のこと
弟の所の一番チビの甥がOT園へやってきた。
赤ちゃんの時から同居し、おばあちゃん子で育った孫なので、母にとっては一番思い入れの強い子かもしれない。
普段は野球のチームでの練習や試合でなかなかこちらへは足が向かないのだが、冬休みでやっとおばあちゃんを訪ねることができたらしい。
母は、久しぶりの孫に相好を崩している。

甥と一緒に弟のお嫁さんもOT園を訪れた。
けっこう久しぶり!

四人でおしゃべりをしていて気が付いた。
L子さんは「お正月もいろいろ楽しい催しが計画されていて良いですねぇ」
「来年の暮れには、忘れずに○○を用意しますね」
普通の会話なのに、私はいちいち飛び上がる。

L子さんにとってはお正月も、来年も、母が生きている限りOT園にいるのは自明のこと。
でも母は、毎日「明日は退院なのよね」と信じて、帰宅することを楽しみにしている。
私は…。

私も母が生きている限りOT園に居ることは承知している。
それを母に説明し、納得させたこともあった。
ただ、帰宅のことに関してまったく意見を受け付けず、自説を曲げようとしない母を見て、争うことを辞めた私にとっては、一週間後の予定を母に話す事なんてとてもできた話ではない。
お正月のお飾りやお供え餅も、母のいない時にそうっと部屋に飾ってくる。
10日後もここにいることを言って聞かせて、悲しい思いをさせるのがいやだから。

でも、L子さんの話を聞いている母は、お正月のことであろうと、来年の暮れの話であろうと、とくに聞きとがめることもなくニコニコと話し続けている。
フーン、こんなこと言ってもいいんだぁ~!

母と私はあまりにも関係が近すぎて、気持ちが同調しすぎてしまうようだ。
私は適正な距離感を保って、冷静に母と対しなければと反省させられた。
スープの冷めない距離に住んでいるのはいいことだけど、気持ちまで認知症の母のそばでオロオロしているのは賢いことではないのよね。

スープの冷めない距離

2005年12月26日 | 母のこと
姫路のSさんからお餅を送って頂いた。
昨日おうちでお餅つきをなさったそうで、忙しい合間を見つけて、つきたてのお餅を発送して下さったとのこと。
年の暮れで、宅急便の配達時間が一定しないのだが、11時過ぎに我が家に到着。

「よし!何とか間に合いそうだわ。」と0T園へ電話。
「頂き物を食べさせたいので、お部屋での昼食にさせて下さい」とお願いする。

いただいたお餅は2種類。
あんこのお餅は少し堅めなので、レンジで短時間温め、タッパーへ。
白い丸餅(なつかしいわ~、関西のお餅!)はオーブントースターで焼いてお醤油入りのタッパーへ。
大急ぎでOT園へ向かう。

「ねぇ、まだ、あったかい?」
「あ~ぁ、あったかいわよ。おいしいねぇ~!」
この言葉が聞きたいばかりに、あわててうちを飛び出したのだから、その甲斐があったというもの。
「スープの冷めない距離」だからできることよね。

母の部屋で、二人差し向かいでお昼のひとときを過ごす。
窓から差し込む日差しがぽかぽかと暖かく、穏やかな時間だった。

レバー入りクッキー

2005年12月25日 | 家族の話題
3連休の間になんとか年賀状を書き終えてしまわなくてはと、パソコンに向かって作業。
2006年度版の年賀状は、我が家の愛犬、クチャ君の写真がメインに配置してある。

「くうちゃん、こんなに顔がプリントされて使われてるけど、モデル料もらったの?」と娘が尋ねている。
「そうねぇ、モデル料とクリスマスプレゼントを兼ねて、クッキーでも焼いてあげようかネェ。」

〈作り方〉
1、小麦粉・サラダオイル・タマゴをボールで捏ねる。
2、鶏のレバーは茹でて、細かくつぶしておき、1に加えてよく混ぜる。
3、小さな団子状に丸めてつぶし、コイン型にして天板に並べる。
4、170℃のオーブンで30分ほど焼いたら出来上がり。

我が家のくうちゃんは、おっとり型、静かにボーっとしていることの多い犬なのだが、クッキーを作っている間中大騒ぎをしていた。
家の中に立ちこめたおいしそうな匂いには、本能を刺激する、抗いがたいものがあったらしい。

OT園でも、今日はクリスマス会があって、ビンゴゲームなどをして楽しんだよう。
母の部屋には、景品の歯ブラシ立て(?)が置いてあった。
夕飯は、クリスマスディナー。
蟹のピラフ、牛バラ肉のワイン煮、サーモンのマリネ、グリーンカールとオレンジのサラダ、ほうれん草のクリームスープという献立。
一人一人に今日のメニューを書いた紙が配られていた。

なんと素晴らしい歌声!

2005年12月22日 | 趣味(読書・洋裁・音楽・映画)
銀座の王子ホールでのクリスマスコンサート、クレマン・ジャヌカン・アンサンブルを聞きに行った。

今日の連れは娘。
チケットが2枚とれたので、誰に声をかけようかしらと迷っていたところ、「私が行く!」と娘が志願。
「フーン、興味あるんだ。」とちょっぴり嬉しく思っていたら、「前に銀座で食べた、ウニクリームソースのパスタがおいしかった。今年もコンサートの前に食べに行こうね。」だって。
何はともあれ、娘とのお出かけは嬉しいもの。
いそいそと出かけた。

第一部は、カウンターテナー、ドミニク・ビス氏のソロ。
曲はルネッサンス期、イギリスの歌曲。
カウンターテナーと言っても、高音域の美しさ、珍しさだけで聞かせるのではなく、なんとも豊かな表現力・説得力のある歌声。
家でよく聞いているマドリガルのCDの中のおなじみの曲もあり、うっとりと聞き惚れる中、プログラムは進んでいった。

隣の娘は、まるで大海に漕ぎ出した小舟のように、盛大に船をこいでいる。
一部と二部の合間の休憩時間に、「退屈なの?」と尋ねたところ、「ウ~ン、α波出過ぎ!きれいな曲だから起きて聞いていようと思うんだけど、いつのまにかあっちへ行っちゃてるのよね。聞こえてるんだけど…」との答え。

第二部は、クレマン・ジャヌカン・アンサンブル(リュート奏者を含めて6人)によるプログラム。
カウンターテナーのビスさんの声も素敵だったけれど、背の低いテナーのおじさんの声がまたすてき。
あっ、バリトンのひげのおじさんの声も良いわ~、でもでも、もう一人のはげのバリトンさんも深い声。
一番イケメンのバスのお兄さんの声は?などと夢中になって聞いているうちに、一曲目が終了。
結局バスのお兄さんは一曲目は歌わず、二曲目に声を出した時には、その美しい低音にうっとりしてしまった。

でも、一人一人の声ではなくて、全員でのアンサンブルが素晴らしい。
歌詞が分からないのはとても残念だが、それでもまったく退屈するひまなく、心から夢中になって楽しめた。
あんなふうに、拍を共有して、美しく、整然とそして自由に、音楽を表現できるなんて、と感動してしまった。
機会があったら、また是非聞きに行きたいグループのひとつ。

今年のクリスマスコンサートは、大当たり!と満足な一夜だった。

一品持ち寄り忘年会

2005年12月21日 | お友達
洋裁の先生から、忘年会のお誘いをいただいた。
各自、料理を持ち寄っての昼食会。
母の事故で中断して以来(もう1年以上)、レッスンには1度も行っていない。
でも、せっかく声をかけて頂いたのだからと、伺うことにした。

前日の晩に、パンプディングを用意。
プリン液の中に、さいの目に切った食パン・干しぶどう・オレンジピールを入れてラム酒の風味を付け、キャセロールで焼いたもの。
簡単な割りには、しっとりしていておいしい。

当日の午前中に、もう一品、「レンコンのはさみ揚げ」を作る。
子供達のお総菜用に作る時には、豚挽肉を使うのだが、今日はちょっと上品にエビのすり身を作って挟んだ。
揚げたてが一番おいしいけれど、まあ冷めてもけっこういけると思うのだけれど。

先生のお宅では、久しぶりに合う洋裁仲間とおしゃべりを堪能した。
もちろんテーブルにはそれぞれの自信作が賑やかに並ぶ。
けんちん汁・チラシ寿司・蟹爪揚げ・サラダ…。
デザートは紅茶のシフォンケーキ、食べ切れそうにないおはぎは3個ずつパックに入れられ、おみやげ用に配ってくれた。
主婦の集まりらしい、気取らない楽しい集まりだった。

話題も、介護から子育て、健康談議、旅行の話など。
「余裕ができたら、またレッスンにもいらっしゃい!」のお誘いも嬉しい。

帰りにOT園へ寄り、もらったシフォンケーキを母に差し入れる。
「やっぱり手作りのは、おいしいわ!」と喜んでいた。
「クリスマスには、私が焼いたフルーツケーキ食べようね!」と話すと、「その頃は久が原(実家)だわね」との答え。
どうしても、思いはそちらに向かってしまうようだ。

障子貼り

2005年12月19日 | 季節の話題
週末をゆっくり過ごしたので、今日は朝からはりきって障子貼り。

我が家の障子は、4枚。
はずして、古い紙をはがし、きれいに洗って干しておく。
その間に、窓4枚と網戸をきれいに掃除。
北側の窓は、磨りガラスになっているので拭き上げればいいのだが、南の2枚はしっかり磨く。
サッシの隅の汚れまできれいに落としていると、まるで今年の私の罪までが洗われていくよう。
12月の大掃除は、私にとって普段怠けている事(特に掃除・整理整頓)への免罪符のようなものらしい。

ところで、この免罪符と言う言葉、現在では「贖宥状」というらしい。
2年ほど前、受験生だった娘に「免罪符」という言葉を使ったところ、「何、それ?」と尋ねられた。
「えーっ!世界史取ってるのに、だいじょうぶ?」とあわてて免罪符の説明をしたら、「な~んだ、それ贖宥状のことじゃない。」と言われて、今度はこっちがあわてた。
ラテン語のIndulgentiaの訳なのだが、罪を許す(免罪)のではなく、罪に対する罰を軽減する証明書だったことから「贖宥状」という語の方が適切なんだそう。
でも、贖宥状なんて言葉じゃ、どうも感じが出ないな。

で、乾いた障子の桟に糊を付け、障子紙をかぶせるようにして貼り、乾かせば、年末のイベントの一つが終了。
障子に糊を付けている最中、テレビを点けてみたら、「古畑任三郎」の再放送をやっていた。
そして、偶然にも、犯人役は福山。
「ラッキー!良い子にしているご褒美だわ」とにんまりして、横目で見ながら、障子を貼り終えた。

OT園に行って、車椅子を押しながら、思わず「イタタ!」と腕をさすっていたら、母が心配そうな顔で見ている。
「障子貼りのせいよ」と説明し、「あら、私、今年の大掃除はできそうにないわ、どうしましょ」とあわてる母をなだめた。
そういえば、母も暮れになるとせっせと家の中を片づけていた。
片づけが下手なのも、暮れの気休めの大掃除も、母譲りなのかもしれない。

恩師H先生からの葉書

2005年12月17日 | その他いろいろ
OT園からの帰り、メールボックスを覗くと、見覚えのあるフォントで書かれた葉書が見える。
大学時代のゼミのH先生からのもの。
H先生からのお便りは、いつもこの特徴のあるフォントが使われているので一目でわかる。


「今の時期に何?」とちょっと胸騒ぎ。
なんでも春に脳梗塞になられて、目に障害が残られたので、研究生活は断念、大学も来年3月で退職なさるとのことだった。
「便りのないのはよい便り」というけれど、本当にそうだと思う。

さて、それからがたいへん。
同じゼミの友人にメールを入れたり、後輩から電話があって話し合ったり。
お見舞いに行く?それともお見舞い状?
退職のお祝いはどうするの?等々。

H先生には、大学時代に本当に親身にご指導頂いて、卒業後もそれなりに親交が続いている。
卒業してもう28年…かな、いまだに頭が上がらない。
ご病状はどうなのかしらと気になりながらも、こわくて電話もできないなんて、だらしのないことよと呆れてしまう。

とりあえず、「お大事に」とのお見舞い状を書いた。
去年母が事故にあった時、そして入院中、家族としてどんなお見舞いが嬉しかったか、どんなことを母が喜んだかなどを思い出しながら。


母校のイルミネーション

2005年12月15日 | 季節の話題
母校の大学から同窓会のメルマガが来た。
今、キャンパスはライトアップされていて、とてもきれいだとのこと。
今日は、ちょうど四ッ谷に行く日なので、ちょっと早めに出てキャンパスを覗いてみることにする。

OT園経由で四ッ谷に向かったので、あまり時間がなく、駆け足でメインストリートを通り過ぎる。
暗くなったキャンパスの並木の一角が小さな明かりで飾られていた。
私たちが学生の時(う~ん、30年前くらい!)には、こんなのなかったっけ。
あまり昔のことなので、そこのとこの記憶もない。

新宿や銀座のイルミネーションを思うと、とても貧弱な飾りだったけれど、その質素さがかえって好もしく感じられた。
やはり母校には、特別な思い入れがあるようだ。