昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

こどもの日もしくはその意味付け

2024-05-05 07:20:56 | 日記
予言の話から「運命はあるか」と問われ、誤差、乱れはともかく「揺らぎ」がある以上、運命はない説を支持しますとお答えしました。
予知予言が無限の可能性の1つを示すという説や、SF小説ナイトヘッドの様な、予知ではなく未来の創造とする可能性は否定できませんが。

でも同時に「運命はある」とも言えるかもしれないですと。

zipいや刹那縁起。もし時間というものが無ければ、瞬間的に最初から最後まで同時に起こることになります。僕ら3次元の住人はそれを引き延ばし順番に体験しているのであるとすれば、揺らぎを前提とした不確定事象すら包含した「運命」はあるといえるかと。どこからどう見るかの違いで同じものだと。

こどもの日の爽やかな朝空に、鯉のぼりは一匹も泳いでいませんでした。

お子さんが少なくなったこともあるのでしょうし、単なる風習慣習であり、益をもたらすわけでもない無駄な労力とコストがかかるモノ・・・それも1つの合理的効率的考え方で、現代とマッチしているのでしょう。

ただ、論理的思考という檻から逃げ出せない以上、ヒトには物語が必要なのです。紙や金属ですらない数字でしかない「貨幣」で実体物資が手に入る不思議、思い込みによる株価の変動をおもえば、すでに物語の住人であることはご理解いただけるかと。

1つの視点に従い1本のレール、線上を進むのは秩序維持には最適で生きやすいかもしれません。が、世界は横にも上下にも、そして知覚不可能な領域をも持ち、広がりを持っていることを知っておくのも必要なのでは。

愛や夢、希望、思いやりなんてものは虚構であり存在しません。が、同時に無いものを有ると信じる事で、現実に影響を与える物としてそれは存在し、人が生きるための重要なファクトになる様な気もします。