昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

目的と手段の分化

2024-05-03 08:29:01 | 日記
移民の受け入れに消極的な日本を、排外主義的だとして米大統が非難しました。それはいいのですが、中露と併せて経済問題や低迷と結び付け結論付けるところに、この政権の弱点を感じます。大統領選対抗馬がモンロー主義の権化でありますから、やむを得ないのでしょうが。

ビサ侵攻戦の失敗から軍事力と法律(規律)の重要性、そして傭兵の限界を知った「君主論」でお馴染みマキャベリ。理想主義隆盛のルネサンス期において、政教(道徳含む)分離の現実主義を唱えました。全てに共感できるわけではないのですが、その「目的と手段の分離」には刮目します。

移民受け入れは、人道的に基づくものなのか、経済的メリットを狙っての事なのか。

言語化した手段としては同じでも、基準内容は著しく異なります。一石二鳥はほぼまぐれのご都合主義、二兎を追うものは一兎も得ない確率が上か。
やってみなけりゃわかりませんが、効果の大きいものは、当然リスクも大きくなります。

また、When Rome, do as the Roman do (ローマに行ったらローマ人の様に振舞え)、郷に入れば郷に従え的英訳。
米では機能しているのでしょうか。欧州文化だから関係ないか?

環境変化に際し痛みを伴いながら変化するのも生物ですから、勿論否定するものではありませんが、変化せずに生き続けるサンショウウオ、ナマケモノ、イチョウ、各種微生物などもいるわけで、ガラパゴス化選択もまた否定されるものでもないかと。

レッドリスト入りしてその内滅びる可能性大でしょうけど。
ただ、環境変化によっては彼らしか生き残れないケースもあるでしょう。