楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ⑧

2021年10月31日 | 『私の自転車旅物語』

 

2019年4月8日 (対馬二日目)

遣唐使の中継基地であった「西漕出」でひと休みしてこの日の宿泊地である「神話の里公園」へ向かった。

 

 

 

途中、「万関瀬戸(万関橋)」を通過した。

日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を迎え撃つ水雷艇の基地として、島の東側の三浦湾と西側の浅茅湾を繋いだ人工運河だ。どちらの海域へも出撃が可能となった。

この辺りは幕末にもロシアとイギリスが軍事の要衝として占領しようと争っている。赤い橋の下にゆっくりと潮が流れていた。

 

 

万関橋から20Kmほど走って「神話の里公園」に着いた。

 

  
 
公園の入り口に海神を祀る「和多都美(ワタツミ)神社」がある。海神の娘を祭る海宮で、拝殿正面の5つの鳥居のうち2つは海中に立ち、潮の干満によりその様相を変えて神秘的な雰囲気を漂わせるという。

 

 

「神話の里公園キャンプ場」は入り江の奥にあった。「近くにスーパーがあります。」ということだったが見つけられないまま着いてしまった。


和多都美神社の広場にいた家族連れの若き父親に聞くと「こちらの道に入らずもう少し先に行ったところです。」とのこと。

結構、戻ることになるし、夕食前に烏帽子岳にも登りたかっので携行のアルファ米と缶詰で済まそうとしたら、「今朝買ったものですから大丈夫ですよ」とオニギリ2個をいただいた。

地元の人の親切に感謝する。

 

対馬はアップロードが多く、重量軽減のためにテントは持参しなかったのでリーステントを東屋に張った。隣に元うなぎ屋のオヤジさんがいた。

持ち寄りの握り飯、アルファ米、鰯のみりん干し、ベーコン、味噌汁の晩飯を一緒に食べながら姓名判断のうんちくに耳を傾けた。

鰻職人の修行をしている時に出会った製紙会社の重役さんの影響を受けて改名までするという懲りようようだった。

奇数-偶数が繰り返されるのが良いとのこと。トータル字画数はラッキーナンバーとして使うと良いらしい。本人は58。58才で鰻屋を店終いして車旅を楽しんでいた。

宿泊地は娘さんと携帯電話で連絡を取り合って決めていたようだった。

 

 

 

 

公園の中に烏帽子岳(展望所176m)の登り口があった。145段の階段(手すりつき)を登ると見事なリアス式海岸を360度見渡すことができた。

複雑に入り組んだ海岸線と無数の島々、気象条件がよければ韓国の陸影を望むこともできるらしい。前日に寄った「金田城跡」が遠くに見えた。 

 

 

(つづく)


ポタリング終了

2021年10月30日 | 円 -bicycle-

 

《恵庭中央パークゴルフ場 初霜 2021.10.18》

 

朝のポタリング(自転車散歩)はコースの漁川河川敷道路の横のパークゴルフ場に一度霜が降りて流石に冬の手袋をしていても指先が冷たくなってきた。

 

 

いつも一緒のAさんが「そろそろお終いにしようか」とのことで26日で今シーズンを終了した。

その後何もしないでいたけれど今朝はあまりに天気が良いのでぶらぶらと走ってみた。

 

家の近くまで戻ってくると、後ろの方からベルの音がする。振り返るとAさんだった。やはり天気に誘われたようで大笑いになった。生活のリズムは急には変えられないものだ。

 

 

期日前投票と最高裁裁判官の国民審査をして近くの公園を散歩した。

紅葉もそろそろ見納めだ。

 

 

 

 

 


オールゼロの国会議員

2021年10月29日 | 日記

総選挙の投票まであと3日となった。

 

議員として莫大な歳費を得つつも、

・国会で一度も質問せず、

・質問主意書も一度も出さず、

・なんの役職にもついていない、

そういう議員を「オールゼロ議員」というのだそうだ。

某党に多いらしい。

 

・国会議員1人年間経費は約7,500万円(2019予算ベース;歳費、立法事務費、交通費、秘書3人経費ほか)、

・国会1日経費は約3億3,600万円(2019予算ベース;議員経費、人件費、国会・議員宿舎等施設費ほか)、

 

・政党交付金は約318億円(総務省;2017年実績)、

・衆議院選挙費用は約597億円(総務省;2017年総選挙)、

 

莫大な税金だけが使われ国会もろくに開かれていない。

 

有権者の4割くらいの人が「投票先が分からない」と答えるという。

NHKは特設サイトで最高裁裁判官の「国民審査」の資料のように、「オールゼロ」の国会議員を公開してはどうか。

 

投票に行かないということは莫大なお金を払って「白紙委任」しているに等しい。何も言えないことと同様である。

 

 

最高裁判所 裁判官の国民審査 特集サイト2021|経歴や注目裁判での判断は|NHK

「夫婦別姓」や「一票の格差」など重要な問題にどんな判断を下してきたのか?

NHK NEWS WEB

 

 


『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ⑦

2021年10月28日 | 『私の自転車旅物語』

 

2019年4月8日。

晴天の朝、洗濯物を干していた民宿の若女将の見送りを受けて二日目の宿泊地の「神話の里公園」に向けて出発した。70Kmの行程だった。

島の中央部の東側の三浦湾と西側の浅茅(アソウ)湾に挟まれた対馬で一番細くなっている地域にある。

近くには日露戦争時の水雷艇の出撃基地となった人工運河の「万関瀬戸(万関橋)」、遣唐使の中継地となった「西漕手(ニシノコギイデ)」、海神を祀った「和多津美神社」、リアス式海岸を一望出来る「烏帽子岳(176m)」などが点在している。

 

出発して厳原港の近くにスルメ加工場があった。

 

対馬が中国大陸と陸続きだった時代に渡ってきた天然記念物のツシマヤマネコには会えなかった。北海道で羆に出会うより確率は低そうだ。

 

 

2時間近く走って対馬中央部の東側の三浦湾に面した「小船越」に到着した。道路に「西漕手」の表示が出ていたが車だと通り越してしまいそうな小さな看板だ。

 

小さな丘を越えて東側の西漕手に向かう。小舟は担いで越えたという。

 

西漕手に到着。当ブログのタイトルカバーに使っている。

 

入江に木漏れ日が注ぎ空気がひんやりしていた。遣唐使も未知の国を調査し、その成果を持ち帰るという点で命懸けの"探検家"だったのだと思う。

 

 

 

遣唐使は九州北部から壱岐島を経て「西漕手」で大船に乗り換えて中国を目指した。

この「北ルート」は「白村江の戦い」で朝鮮半島・新羅との関係が悪化した時期は使われず、黄海、沖縄諸島を航行する「南ルート」が使用されたが海難が続出したという。

 

ひと休みしてさらに北上した。(つづく)


『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ⑥

2021年10月26日 | 『私の自転車旅物語』

 

「対馬」が「対島」でないのは古代中国の人が遠く海に浮かぶ二つの島影のようなものを見て、支配下に置こうと卑下する時に使う『馬』の字を充てたという説がある。邪『馬』台国も同じとか。

中心部が括れた細長い形が二つに見えたのだろう。

 

面積は東京23区よりも広く、島では沖縄本島、佐渡ヶ島、奄美大島に次ぐ。9割を占める森林が海に落ち込んで周辺は綺麗なリアス式海岸だ。

 

古代中国の文化や政治制度、仏教を持ち帰った遣隋使、遣唐使の中継地であり、稲作技術の通り道であり、唐・新羅連合軍に敗れた「白村江の戦い」、元寇の襲撃、秀吉の朝鮮出兵、和解の朝鮮通信使の接遇、近くは日露海戦など、古代からの歴史が詰まった島を3泊で巡った。

 

初日は2019年4月7日だった。

早朝のフェリーで厳原港に到着し、近くの民宿に荷物を置いて、早速、20Kmほど北の『金田城跡(カナタノキアト)』に向かった。

途中までは自転車、城山の「城戸跡」「城壁・防塁跡」は徒歩で2時間ほど巡った。

7世紀の倭国(日本)の頃に唐の侵攻を防ぐために“防人”が配置された山城の跡だ。防人は関東の若者が多かったという。

 

《金田城が築かれた城山の麓 2019.4.7》

 

《金田城跡から見た浅茅湾の入江》

 

《防塁跡》

《城壁  ここで朝食・昼食のサンドイッチを食べた》

《城門の跡》

 

歴史を紐解くと、

山城が築かれる前の朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の三国だった。

645年、唐は朝鮮半島の北に位置している高句麗に侵攻する。高句麗と百済から攻められていた新羅は、利害関係の一致から唐と連合する。

その頃、南部の百済は大飢饉に襲われ国政も治安も悪化。そこに目を付けた唐は新羅を従えて660年に百済を滅ぼす。

百済の生存者らは復興を目指し、古くから交流のあった日本に援軍を求め、663年、朝鮮半島の南西部にある白村江(ハクスキエ)という場所で、日本(倭国)が支援する百済軍と、唐と新羅の連合軍が海戦が勃発。日本は当時大国だった唐の軍に敗れる。

668年には高句麗も新羅に滅ぼされ、朝鮮半島は新羅によって統一されて唐、新羅、日本(倭国)という国家が成立し、「国境の島」は常に国家間の緊張関係の最前線にさらされることになった。

遣唐使もこれを機にしばらく途絶え、日本は国防を強く意識するようになる。
661年に急死した斉明天皇の後を継いだ息子中大兄皇子は、国の守りの最前線として浅茅湾の南岸にそびえる城山に「金田城」を築き防人を置いた。

 

予断になるが、中大兄皇子は天智天皇として即位するが672年に死去。その息子・大友皇子と斉明天皇の弟・大海人皇子が、皇位継承をめぐって地方官や豪族たちを巻き込む日本古代最大の内乱である「壬申の乱」が起きている。

結果は国防など天智天皇の急激な改革に不満を持っていた地方豪族たちを味方につけた大海人皇子が天武天皇として即位した。

 

夕方、民宿に戻った。

 

カサゴの仲間の「ホシクイ」という魚の汁物が出た。工事で長期間泊まっている長崎の若者が仕事が休みだったので港で釣ってきたものだった。

「ホシクイ」は朝鮮海峡で口を一杯に開けている姿が星を食おうとしているのではないかと付けられた呼び名であることを3日目に泊まった島の北部の宿で知った。

 

《民宿の隣の家 春先は〝朝鮮風〟が強く、こうして石垣で囲われた民家が目についた》

(つづく)

 

 

 

 

 


久し振りのKitaraコンサート

2021年10月25日 | 日記

《札響公式イッターツイッターより 2021.10.23》

 

久し振りにKitaraホールで札響定期演奏会を聴いた。( 第641回 2021.10.23-24)

指揮の井上道義さんはコロナ前のX´masコンサート以来。3年振りか。

 

 

会場までの中島公園を歩いていて、季節の流れとは逆に冬から春になったような気分だった。コロナ規制からの開放感か。紅葉が真っ盛りでフリーマーケットも開かれていた。

 

前半の武満徹作品が終わって井上道義さんがマイクで二つのことを語りかけた。

・武満徹は「自分の作品は札響に是非演奏して欲しい」と希望していたこと。

・北海道には釧路生まれの作曲家伊福部 昭という“宝”があること。

なので、札響には両者の作品をどんどん取り上げて欲しいと。

 

考えてみると黒澤明の『乱』のテーマ音楽は竹満徹が作曲し、演奏は札響だった。

映画『ゴジラ』のテーマ音楽で有名な伊福部 昭は2拍子で力強く大地を踏むアイヌ舞踏の影響を受けたのではないかと言われている。

 

音楽に限らず北海道の持ち味、身近な宝を見いだして「皆で何かをやって欲しい」というお客さんへのメッセージにも受けとれた。

 

「土建屋」「一村一品」「時のアセス」「試される大地」。

歴代の道知事の時代を表す言葉があった。「コロナ禍」でままならなかったと思うが、鈴木知事から将来ビジョンが語られないのが気になる。

 

この日の演奏曲目は、

武満徹: 「グリーン」「鳥は星形の庭に降りる」

プロコフィエフ: ロメオとジュリエット(道義セレクション)

だった。

 

《生誕90年を記念して制作された像がこの日公開された》

 

 


『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ⑤

2021年10月22日 | 『私の自転車旅物語』

2016年の壱岐島に続いて、2019年に対馬を自転車旅した。どちらも4月。

 

 

対馬の南部の厳原(イズハラ)港から200Kmほどを縦断北上し、北部の比田勝港に自転車を置いて海上50Km先の韓国・釜山に水中翼船で渡るという旅だった。

港で出入出国手続きをするのは初めての経験だった。

 

 

2019年4月7日博多港0:05のフェリーに乗って直ぐに寝た。知人のYさんと再会し、『博多もつ鍋』で呑んだ 酒が心地良かった。


壱岐島に寄港する時の船内放送で目が醒めた。2時間くらい 経っていただろうか。2段ベッド8人のドライバーズルームは ずっと貸切だった。

3年前に壱岐島で下船し陽が昇るまでフェリーターミナルで 仮眠していたことを想い出していた。


再び眠り、大地震の夢で目が覚めた。 船は対馬海流を横断して揺れていたのだろうか。
万葉の頃、或いはもっと前の古墳時代から倭の国と大陸 との往来がこうした波のうねりの中で行われていたのだろう。

 

 

午前6時前に厳原港に着いた。港のすぐ傍まで山が迫っていた。下船し、早朝の街を歩いている人に予約していた民宿の場所を尋ねると皆さん首を横に振った。

後で知ったことだが、大型店に化粧品や薬などを仕入れに来ている韓国の人達だった。看板のハングル文字が国境の島であることを印象づけた。

 

民宿『ペコちゃん』に着くと韓国からの5~6人のグループが朝食を囲んでいた。荷物を置いて早速20Kmほど北の「金田城」へ向かった。“防人”の城だ。

(つづく)

 

 

 


争点はボケてはいない

2021年10月20日 | 日記

岸田首相は自民党と公明党が選んだ首相。やっと国民がこの国のリーダーを選ぶ権利を行使出来る。

 

総裁選で「岸田は吹っ切れた」とマスコミは報じたが、いざ首相になって“岸田カラー”が消えたと大騒ぎしたところでボスの談合の結末として分かり切ったことだった。

口を開けてぼた餅を待っていた人物であることを今一度思い起こせば全ては合点が行くというものだ。

自民党総裁選を指して、「事実上、日本のリーダーを選ぶ選挙」などという長年続くマスコミのミスリードはそろそろ止めて欲しい。

 

総選挙が公示されて報道に「争点がボケている」が多いような気がする。最近の世論調査では国民の7割が「安倍・管政治のストップ」を求めているというのに。

このことこそ争点の第一ではないか。政治倫理という土台を変えなくては。〝明日のニンジン〟でずっと騙されてきた。

 

これからは自民党総裁選と対比した「総選挙情勢」報道が続く。

「政治倫理の建て直し」の観点で選挙区も比例も投票先を決めているのでどんな分析が出て来ても何ら影響は受けないが、他の人はどう考えているのだろうかと今回に限らず選挙の度に思うことがある。

 

米調査企業ギャラップが政治観に関する調査を毎年実施している(9月1-17日)。

米国が抱える問題を民主主義体制の下で判断する「米国人たちの力について、米国人自身はどう考えているか」という設問がある。

 

55%は「判断力有り」と考えているが、これは調査開始以来の最低記録であり、1976年に86%と最高に達し、その後は2009年まで70%以上を維持していたが、以降は低下する一方だという。

つまりはアメリカ人は政治課題についての他人の判断力を互いにあまり評価していないという傾向が強まっているというとだ。

 

自分を基準に考えるはずだから「他人は必ずしもそうは思っていない」という人が増えてきているということだろう。

原因が報道とのギャップだとしたら数字に惑わされないように注意すれば良いだけだが、政治課題を巡る〝国民の分断〟が静かに進行している結果だとしたら将に民主主義の危機だ。この国も他人事で無い。

 

ギャロップ調査は今回の総選挙を無用な対立を生む枝葉の政策論争ではなく、政治の透明性、公平性という多くの人が共有する「幹」の部分が問われる選挙にする重要性を教えてくれる。

腐った土台に何も建たない。

この意識がまだ共有されているうちは「他人への信頼感」も持ち続けられるのではないか。今回の総選挙は本当に大事だが報道がミスリードになっているようで気がかりだ。

 


新米の季節

2021年10月16日 | 日記

スーパーに「新米」の並ぶ季節になった。

コロナ禍によって外食需要も減って価格は値下がり傾向、在庫も増えているようだ。

 

《2021.5   T農場》

 

田植えの時期に農作業の手伝いで行ったTさんから今年も「ゆめぴりか」の玄米を1俵買った。夫婦二人だと1年間で少し余る。本当にコメを食べなくなった。若かりし頃の半分だ。

量が減った。パンを食べるようになった。蕎麦など粉物を食べるようになった。

 

「新米」の定義はややこしい。廃止された食糧管理法の米穀年度では「収獲時期」(11月1日から1年間に収獲されたもの)、JAS法では「精白や袋詰めの時期」(収穫した年の12月31日までに精白や袋詰めされたもの)で定義している。

なので収獲した年の年末までに精白又は袋詰めされていないものは米穀年度では新米でもJAS法では新米とならない。

北海道では10月に収穫して11月には精米されるので食い違いが生じることは無いけれど、現役の頃に飲み会のネタになったりした。

スーパーの米袋表示を見ると〝新米の頃〟を想い出す。

 

今日、Tさんの新米を5Kgほど摺ってきた。

清々しい気分になる。

世の中もそうあって欲しい。こちらの“1票”も大切に使わなくては。

 

2021.10.16

 

 

 


蟠渓温泉(伊達市)へ今年最後のツーリング

2021年10月14日 | 円 -bicycle-

ツーリング納めで蟠渓温泉に行った。晴天特異日の10月10日は雨だったので、今年は12-13日にした。

気温19℃、よく晴れた。

 

今回のルートは恵庭から支笏湖まで車で送って貰い、帰路はいつもの洞爺湖半経由ではなく、壮瞥町から伊達に抜ける山道を走り、JR輪行で戻るという〝省エネ型〟にした。(80Km)

 

 

 

 

美笛峠の紅葉はイマイチだった。暖かいせいだろうか。

遠く支笏湖の湖面が光って見えた。

峠から下って大滝地区を過ぎると蟠渓温泉だ。宿は2軒が残っている。

 

世の中には奇遇というものがあるものだ。

10年ほど泊まっていた蟠渓温泉の旅館が3年前に閉館し、泊まりはその向かいの宿に変わった。

今回、到着すると玄関前のワゴン車の運転席に見たことのある顔が・・・。

何と、閉館した旅館のオヤジさんだった。

 

昔の馴染みのお客さんと伊達から温泉に浸かりに来たとのこと。びっくりだ。

やはり蟠渓のお湯が懐かしいらしい。久し振りにワインを飲みながら積もる話しをした。

今は菜園を楽しんでいるとのことで互いに元気でいたことを喜んだ。

 

 

帰路は昭和新山(右)と有珠山(左)が良く見えるコースだった。

 

伊達紋別駅からは輪行。

恵み野駅まで普通列車で4時間。東室蘭と苫小牧で2時間近くは接続待ちのいつもの鉄道ノンビリ旅だった。