楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

継続は力なり

2020年11月29日 | 日記

半年くらい前から応募している「北海道新聞日曜版のクロスワードプレゼント」の当選者に自転車仲間と思しき人の名前が載っていた。同じよう

なことをしているんだなぁと暫く会っていない顔を想い出した。

 

よし、続けよう。

ところで当たった時の収支勘定はどんなものなのだろうか。記憶の彼方から確率計算を呼び戻してみた。

10人(当選者数)÷7,224人(今回の正解者)×5,000円(ギフト券) =7円 (1回応募当たりの期待値)

5,000円÷7円 =715  (当たるまで葉書を出す理論回数)

715回×63円 =45,000円 ! (葉書代)

 

う~ん、これはギフト券が当たっても40,000円の赤字だ。

 

しかし、以前に「ぶんちゃんグッズ」が当たった。

それも25名だから凄い確率だ。

 

 

世の中、理屈通りには行かない。

明日を信じて。笑

 

 

 

 

 


まずは、話して、聴くことから

2020年11月28日 | 日記

歴代総理大臣が、国会の演説とは別に就任記者会見を開き、政治を担うに当たっての決意と抱負を語っていたような情景が頭に残っている。

TVが普及した小学中~高学年の頃、子供乍らにも今度の総理大臣は名前は何で、こんな顔をしていて、こんなこと考えているんだとボンヤリと認

識したものだった。

 

炭鉱という格差の激しい特殊な社会で育ったせいか、教室の窓の外を行く“鉢巻き”隊を見ながら、先生が何故あのような行動が起きているのかを

易しく説明してくれた記憶がある。考えてみれば当時の先生は立派である。おかげで政治との出会いが自然だったように思う。

 

スェーデンでは学校教育で政治をテーマにした討論を徹底して行っており、それが若者の選挙投票率を高めていると聞いたことがある。

今、この国で政治への無関心、不信感が高まっているのは学校教育で政治に触れることがタブーになったことも要因の一つではないか。

解消するのは容易なことではない。

 

菅総理大臣は9月に就任して2ヵ月経つが、今なおフリー会見を頑なに拒んでいる。官邸廊下での“立ち話”でも質問は受け付けずにクルッと立ち去

って行く。

 

驚いたことに国会答弁では、いきなり「いずれにしましても」と原稿を読み上げたこともあった。答えをはぐらかす時の慣用句である「いずれに

しましても」をいきなりとはいくらなんでも酷い。政治不信が加速する。

 

 

「前例を打破し、国民のために働く」と言うのであれば、まず、アベ流のぶら下がり立ち話をやめて、きちんと一問一答の記者会見で国民に向か

って説明し、国民の声を聴き、答えを見いだすというところからやって欲しいと、まさに“心から”お願いする次第だ。

記者会も強く申し入れするべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


いつまでも「自粛」は続かない

2020年11月26日 | 日記

《2020.11.21 16:00 サッポロファクトリー》

 

先日、数ヶ月ぶりに札幌に出た。お世話になった方の最後の定期演奏会があり、「不要不急」ではなかった。

「不要不急」の判断は主観的なものなので、他人からは「なにそれ」みたいなことも当事者にとっては「今しかない」ということもあると思う。

 

コロナ対策で「自粛」してくださいという呼びかけも、つまるところ「不要不急」の判断を個人に丸投げしているということで、誰も責任を取ら

ない、取りたくないという気持ちが透けている。

事実、政府は思い切った対策を打ち出さない。結果、医療現場が疲弊し、役所の実働部隊が疲弊し、個人にはストレスが溜まって行く。

 

最近はJRも運賃が高いので札幌へは車で出かける。演奏会の会場であるhitaruに近いショッピングセンターで食事、買い物をすればそこの駐車

料金が割引になるというので車を入れた。

昼にセンター内のイタリアンに入ってみた。若い店員さんが7人いたが先客は年配の4人のグループのみ。暫くして2人連れが来て何だかホッとし

た。

 

後になって、3連休初日のその日の人出を映したTVを見ていると、新千歳空港は人混みだが札幌駅周辺はまばら。あの人達は何処へ消えたのだろう

か。夕方にシヨッピングモールの飲食店街の中を覗くと客の姿は殆ど無く、やはり店員さんが手持ち無沙汰で立っていた。

 

経済というアクセルと医療というブレーキを繰り返す“モグラ叩き”のような政策を続けていては街の経済はさらに深刻な事態に陥り、個人のスト

レスも溜まるばかりだと改めて感じた。

 

営業補償には限りがあるし、ウイルスそのものはこの地球から消えるわけでもない。人間、「自粛」は精神的ストレスを伴い、いつまでも続かな

いと思う。

菅政権がワクチンという“神風”を待って、一発逆転を考えているとしたらあまりに無責任だ。広く一般に使用出来る段階になった時に、それが

COVID-19に効果があるとは限らないからだ。

 

盛んに議論されるGOTOは本質の問題ではない。旅行も今、その人にとって気分転換が必要であれば「不要不急」ではないのではと思ったりもす

る。

小賢しい飲食作法の普及もいいが、政府はセオリーどおり、「検査」「感染者の隔離と医療」の体制整備に資金を投入し、個人が個人の責任で行

きたい所へ行ける「普通の生活への回帰」に取り組んで欲しい。政策転換が必要だ。

 

気のせいか寂しげなクリスマスツリーを見ていて思った。

 

 

 


役所の再生

2020年11月24日 | 日記

霞が関から若いキャリア官僚が大量に去っている。

共同通信によると、2019年は20才代で87人。これは6年前の21人の4倍にあたり、「自己成長したい」というのが理由の半数近くに上るという。

 

これから1年以内に退職を考えている30才未満の職員も1割程度いるというから人材流出は暫く続くのではないか。

およそ公務員倫理にほど遠い、忖度昇進、疑惑反論答弁、公文書改竄に従事させられ、挙げ句の果てに世間から叩かれるのであればヤル気を失

う。こうなるのは目に見えていた。

 

最近の国会で、直ぐに行き詰まるような粗雑で支離滅裂な答弁が繰り返されている。コロナ対策も行き当たりばったりで右往左往している。職員

不足、時間不足と無関係でないのではと感じている。

地方の行政機関もとばっちりを受けて多忙を極めているのではないか。これまでの安倍・菅政治で行政組織が蝕まれ、崩壊しかかっている。いや

崩壊した。かつて末席にいた者として残念で悔しい。

 

公務員を批判するのは簡単だ。しかし、医療現場もそうであるように、どこの行政機関も人手不足の中で、休日、昼夜も無く働いているはず

だ。手が回らなくなって個人情報の秘匿に関わるような仕事もどんどん民間に委託されて行くだろう。

 

他国のことを云々する前に、優れた人材の流出は国益の損失であり、やがて政策の不完全さとなって自分達に跳ね返ってくることに国民はもっと

気づくべき時と思う。

 

市民から公職選挙法違反などの疑いで安倍晋三が告発されている「桜を見る会」に動きが出てきた。観測気球を上げるような検察のリークが気に

なる。

 

“秋霜烈日”の気概を取り戻し、「本丸捜査」をやり遂げて欲しい。それが役所を再生させる魁となるのではないか。

世論の高まり次第だと思う。

 

 

 

 


“先生たち”  札響 岩崎弘昌先生

2020年11月22日 | 日記

《札響Hpより 「hitaru」2020.11.21》

 

《プログラムより》

 

21日に札幌文化芸術劇場『hitaru』で札響の演奏を聴いた。ボックスのステージも馬蹄型の客席も天井が高く、Kitaraとは反響時間が違うのだろう

か、下野竜也さん指揮の大編成のオーケストラからマーラーの5番が分厚くホールに充満した。出だしのトランペットは今の憂鬱な空気を吹き払

うように聞こえた。

 

この日と前日は長年に亘り首席オーボエ奏者を努めた岩崎弘昌先生の最後の定期演奏会だった。高校で吹奏楽部に入った息子がオーボエを担当す

ることになり、マイ楽器を購入するために札幌のK楽器店に行ったことが岩崎先生との繋がりの始まりだった。品定めをしていただいたのが店に

よく顔を出す岩崎門下の細田てる美先生だったからだ。それが契機となって細田先生のレッスンに通うことになった。

 

マーラー5番の有名な第4楽章「アダージェット」を聴きながら様々なことを想い出していた。息子は高校の時に岩崎門下の発表会に出演させてい

ただき、終了後の集まりで先生から聞かれた。「君はどの道を行きたいと考えているのか」息子は答えた。「プロを目指します」と。

 

この時、音大と指導者のアドバイスをいただき、何も分からない私達家族の道標となった。札響のコンサートでお会いする機会にいつも励まして

いただいて、息子も念願のプロオーケストラの奏者になることが出来た。孫弟子の関係になるという。

 

演奏会が終わって、岩崎先生がいつものように身の回りの演奏道具を鞄に納め、この日の花束を納め、舞台から去る時に残っていた観客から期せ

ずして大きな拍手が湧いた。思いっきり拍手した。

 

先生は愛用のオーボエを小さく掲げて拍手を受け、深々と一礼して舞台を去った。目頭が熱くなった。

 

コロナ禍で直接お話をすることが出来なかったのは残念だった。

岩崎先生、有り難うございました!

これからもお元気で!

 

《「hitaru」にまだ咲いていた花みずき  紅葉の花を観たのは初めてだ》

 

 

 

 

 


『JR上野駅公園口』

2020年11月20日 | 日記

柳美里という作家の本を読んだことはないし、この度、アメリカの有名な文学賞を受賞するまで芥川賞作家であることも知らなかった。何故か分からないが、何十年ぶりかで賞を取った本を直ぐに読んでみたくなった。2014年の『JR上野駅公園口』という小説だ。

 

主人公は福島から出稼ぎで上京してきて路上生活者になった男。

時代は1964年東京オリンピックの前年なので中学3年の頃だ。上野駅は鉄道華やかなりし時代の東北、北海道の玄関口だった。

 

当時のことを振り返ると、中学校を卒業して集団就職で上京する仲間がクラスの3分の1はいた。彼らは夜汽車に揺られて上野駅に着き、そこからまた乗り継いで中京方面の紡績工場に向かう女子もいた。「金の卵」ともてはやされ経済成長の始まりを担った。

 

今、上野界隈には公園に美術館や芸術大学、コンサート会場があったりして、仕事や私用で上京の折によくぶらりと歩いた。

ある暑い昼下がり、『JR上野駅公園』から上野公園方向に歩いた時のこと、綺麗に掃除された陸橋の白い広い道で、路上生活者らしきじっと考え事をしている老人、分厚い本を読んでいる青年を見かけたことがあった。

 

また、ある夕方には、公園で炊き出しに並ぶ日雇い労働者の列の傍を通りかかったことがあった。岡林信康のフォークの一節が聞こえてくるようだった。

 

1964年東京オリンピックの時に、路上生活者は強制的に排除されたことを何かの映像で知っている。

 

そして、脳裏に焼き付いているのは学生時代に駅構内で若い女性が一見でヤクザと分かる男に連れ戻される映画のようなシーンだ。やっと辿り着いた故郷の入り口にまさに手が掛かったときのように感じたが、何も出来ない傍観者でしかなかった。

 

上野界隈は綺麗な街だけれど昔のJR上野駅はどことなくどんよりした重たい空気が漂っていた。後になって、故郷に帰りたくても帰れない人達の思いも沈んでいたのかと思うようになった。

 

「世の中には“中心と隅”がある。隅に追いやられるということを書きたかった」作者の言葉だ。

小説でどんな風に地方と都会、希望と失望の交差が描かれているのだろうか。

Amazonで検索してみたら、在庫切れで入荷の予定は立っていない。なおのこと早く読んでみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レッドキャベツの利用

2020年11月18日 | 農作業ヘルパーの記

 

お洒落に料理皿の飾りに使う野菜だと思っていたレッドキャベツに食用と色素用の二種類があることを10月の農作業で教えて貰った。色素用は硬

くて食用には向かないが、カブなどの酢漬けの色付けに使えるというので農家で1個を貰い、何回かに分けて刻んで酢漬けにしてもらったとこ

ろ、時間が経つにつれてしんなりと柔らかくなり、漬物として立派な味の仕上がりになった。塩分もゼロだ。

 

レッドキャベツは形は小さいが巻きがしっかりしていてとても重く日持ちが良い。色素用は規格の選別も無く、コンテナにどんどん放り込まれて

取引先に運ばれる。清涼飲料水の着色用なので価格は安いらしいが、「漬物用」としても売り出したらどうだろうかと思いながら柴漬けのような

色の酢漬けを摘まんでいる。

 

鮮やかなワインレッドの成分は何だろう。ポリフェノールは含まれていないと思われるが、茹でるなりして色素を抽出したものに焼酎と氷を入れ

れば立派な?ワインになりそうだ。来シーズン、手に入ったら試してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ラストソング

2020年11月17日 | 日記

スペインの慈善団体がアップした動画が話題になっていた。(BBC  2020.11.12)

それはアルツハイマー病を患う女性が、チャイコフスキーの「白鳥の湖」を聴いて、振り付けを思い出し、踊り始める動画だった。

 

曲が進むにつれて、遠い過去を取り戻すかのように表情や手先などの動きが生き生きとなってゆく。

女性は元バレリーナのマルタ・ゴンザレスさん。キューバでバレエを習い、1960年代にニューヨークで主宰するバレエ団とともに活躍していたと

いう。

 

スペイン・バレンシアの介護施設で撮影されて間もなく2019年に亡くなっているが、アルツハイマー病患者の生活向上のために音楽を活用してい

るスペインの慈善団体「Asociacion Musica para Despertar」が動画を公開した。

 

五木寛之氏が「物書きをしていると、指先にも記憶があるのではないかと思うことがある」と何かの本に書いていたことを思いだした。最近は

滅多に無いが、確かに文章を書く時に言葉が浮かぶと漢字、ひらがながを自然に書き始めることは経験してきた。

 

記憶は五感で脳内に入ってきた情報が整理されて海馬に深くしまわれているものらしいが、動画の女性には身体そのものに振り付けが記憶されて

いたのかもしれない。

 

生き物の不思議さ、神秘さは神経物質の伝達などのメカニズムだけでは到底、説明出来ないということだろう。

最期に聴きたい音楽・・・、脳内の整理がつかない。

 

https://www.bbc.com/japanese/av-embeds/video-54913564

 

 

 

 

 




ニシン漬け

2020年11月15日 | 日記

落ち葉に間もなく雪が降り積む。

今年もニシン漬けの季節になった。

 

相方は麹のものが苦手につき、我が家は食べたい人が作る。

子供の頃に母親のやっていた事を想い出して、かれこれ10年以上は適当に作っている。

次のような手順だ。

 

1.大根は11月上旬の天気の安定している頃に〝への字〟に曲がるくらいに干す。大体1週間。凍らすと使えない。

 

 

2.身欠き鰊一袋は米のとぎ汁に浸けるのが一般的だが、ヌカ汁に2日間漬けたものをよく洗って、頭と背びれと尾を除き、一口大に切る。

 

 

3.大根3本にキャベツ1個、人参1本、麹2袋、唐辛子適量を樽に混ぜ込む。

 

 

4.塩分は目検討。掌に軽く1杯くらいか。薄めにして2~3日後に好みに調整する。

 

 

重しを多めにかけ、水が上がったら木べらで混ぜる。ベランダにおいて1ヵ月くらいで食べ頃になる。

 

昔は今より相当寒かったのだと思う。小さな氷の粒が混じっていた記憶がある。

ニシン漬けに大晦日と正月の食卓の風景が重なる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


“半自粛”を心がけるだけだ

2020年11月14日 | 日記

住んでる恵庭市の新型コロナウイルス感染者も急増している。

春先は5名ほどで推移し、10月30日に10名になるまで半年あったが11月に入ってあっという間に32名になった。(11月13日現在)

クラスターも発生している。全国ニュースを聞くのとは違って、身近にウイルスが迫ってきたことを感じる。

 

疑わしい時は先ずは掛かりつけ医に連絡・相談ということになっているけれど、夏の頃に受付の女性からは「対応出来る病院は千歳にも無く、

札幌になります」と聞かされたことがあった。心細い状態は多分、今も変わっていないだろう。

 

メンバーにウイルス学、都市工学、防災学、社会心理学、ロジスティック等の多様な専門家が入った『京大レジリェンス(病気などからの回復力

の意か)実践ユニット』が「国民健康」被害と「社会経済」被害を可能な限り縮小する方法として、当初から“半自粛”を提案している。

・マスク着用、手洗いの徹底

・外出時は目・口・鼻を触らない

・食事中は飛沫に徹底注意

・換気の徹底

 

活動自粛をしなくてもこれだけで感染はかなり防げて経済も回るというもので、どれもが現在も言われていることだ。

 

そして、何と言っても重要なことは国内移動制限より、海外との水際対策だという。元々居なかったものが海外から入ってきたのだから。分析に

よると、3月の第1波も上旬に中国、韓国、ヨーロッパとの往来を制限した結果、感染スピードが落ちて、4月7日に国内向けの緊急事態宣言が出る

10日以上も前の3月28日がピークだったという。その後の海外往来制限の緩和とともに再び感染は増加に転じたということだ。

 

最近の感染急拡大を政府は絶対「第3波」と言わない。15日にバッハ会長がやって来る。じわじわと水際作戦を緩めている。オリンピック強行は

危険なことだ。

 

GOTOがどうであれ、緊急事態宣言がどうであれ、自らを守り、経済活動を守る基本は“半自粛”という当たり前の徹底だと思う。

さし当たって、付け加えるべきは、冬に向けての「換気」の習慣化だ。部屋のドアを閉めて暖めて、次ぎに5分程度窓を開けて、最後に取り込ん

だ空気を開けたドアから廊下に放出するのが方法らしい。まだ、窓を開けたことを忘れてクレームがついている・・・。