楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ②

2021年10月08日 | 『私の自転車旅物語』

 

《2016年4月:鹿児島→トカラ列島→鹿児島→天草→熊本→福岡→壱岐島》

 

《2019年4月:博多→(壱岐島経由)→対馬→釜山(観光)

 

2016年4月19日、九州縦断北上を終えて福岡港から1泊で壱岐島を往復した。

博多港から対馬行きの九州郵船のフェリーが出ていて壱岐島は途中下船になる。

 

3年後の2019年に対馬まで行ったので『自転車旅物語』として壱岐、対馬を連続して綴ることにする。

 

 

2016年4月19日、博多港の出港は真夜中の0:05、壱岐島の南部の郷ノ浦港到着は2:15なので寝過ごすわけにはゆかない。壱岐島下船の乗客は指定されたエリアで仮眠を取り、船員さんが起こして回るというスタイルだった。

2等船室の大広間で殆ど眠れない状態で真っ暗な厳原港に到着した。

 

 

ところが2019年の対馬行きの時は2段ベッドのこじんまりとしたドライバーズ・ルームに案内された。自転車を乗せて初めてのことだった。ドライバーには違いない(笑)

この時は対馬までなので安心して福岡港出航後に直ぐに寝入ったが大きな揺れで目が醒めた。壱岐島と対馬の間を北上する対馬海流にさしかかっていたのかもしれない。流れが早く強いのか。

日露戦争ではバルチック艦隊がここを通過北上し、待ち構えていた東郷平八郎率いる日本海軍と交戦した末に旅順港に逃げ込んでいる。

壱岐島には巨大な砲台跡、対馬には潜水艦出撃のための人工運河が残っていた。

 

がらんとした郷ノ浦港フェリーターミナルの2階待合室の長椅子で朝が明けるまで安心して眠った。近くに二人の魚釣りの青年が同じようなことをしていた。

7:00頃、売店のおばさん達が仕事にやってくる物音で目が醒めた。夜も明けていてターミナルの回りには段々の田んぼが広がり、狭い島では海のギリギリ近くまで耕作地として利用していることが分かった。

 

1階のロビーで朝食のパンを買って食べ、自転車を組み立て壱岐島の自転車旅を始めた。まだ肌寒い季節だった。

(つづく)

 

《博多のビル街と“川端通り”の屋台街 2016》観光客相手のためか値段が高く見学だけ。