楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

サトウクン

2020年07月30日 | 日記

キャベツの収獲に陣形がある。畝毎に最前列の人が包丁で切り取り後ろに控える人に手渡し、最終的に最後尾からゆっくりついてくるトラクターの傍の人が受け取って前部に乗っている金属製カゴに収める。きっちり納めるにはコツがいる。

先日訪れたT農場の陣形は、フロントの切り取り隊が4名、中継隊が2名、積み込み隊が2名だった。何だか学生時代にやっていたRugbyに似ていると思った。初心者の私はまず中継隊に“配属”された。

暫くすると、積み込み隊にいたTさんから、「佐藤さん、ラグビーをやってましたか。」と聞かれた。びっくりした。どうして私のことを知っているのだろうか。「だって手渡しの腕の使い方がラグビーのようだし、強くて怖い(笑)。」

もう一人の積み込み隊の人からは「目の高さに送って貰えますか。」と注文が。Rugbyのパスは相手の胸を目がけて送る。目より上の高さは受け取る人の身体が伸びてタックルを受けるとダメージが大きいので避ける。

自然に身体が覚えた動作は無意識に出てくるものでなかなか消えない。人生、70年を生きてきて、ものの考え方、行動が唯我独尊になっている気がする。

“山なり”のパスを送りながら一日が終わり、帰りにTさんから「サトウクン」を貰った。キャベツの新品種という。甘みが売りらしい。人に寛容でありたいと戒めている。

それにしてもワールドカップのTV中継の威力は凄いものだ。今日(7/30)はカボチャの収獲だ。どんな「展開」があるか・・・。朝から快晴だ。

 

 


我が家の「鑑賞イネ」が出穂

2020年07月27日 | 日記

春に田植えの手伝いに行った先のTさんから貰った「ゆめぴりか」の苗を“観賞用”にプランターで育てていたら出穂した。

7月25日に自転車で出掛けた月形のキャンプ場が満杯でがっかりして戻ってきた時に気づいた。道中でイネの出穂を見ていたので何だか嬉しかった。栽培技術が劣っていて草丈はバラバラ、葉の色も良くないが義理堅く育ってくれた。

 

 

 

5月に籾を苗マットに降ろして10センチ位になるまでハウスで育てから田植え。それから2ヵ月ちょっとで穂が出て、天気が良ければ間もなく今月末から8月初めに受粉するはずだ。最近は苗を移植する方法ばかりではなく、籾を水田に直播する方法も普及しているようだ。

イネは見た目に派手さは無いけれど積算温度で生育する精密機械のようで眺めているのが好きだ。学生時代も就職して畜産を担当していた頃もイネ科の牧草が周りの風景だったせいかもしれない。

10年ほど前に歌手の加藤登紀子さんが原発を考える一助として配布していた「長崎被爆イネ」の籾を知人から貰い受けて栽培したことを想い出す。やはり空籾が半分くらいあり、福島原発事故の教訓も風化していると思ったことがあった。

コメは凄い作物だ。何年でも同じ水田で障害を起こさずに育つ。他にこのような作物は無いはずだ。1粒の籾からおそよ150粒の米が出来るとされているので、20粒で茶碗一杯分になる。桁違いだ。因みに馬鈴薯は15~25倍。明治期に北海道に渡った日本人が故郷を思い、寒冷地のイネの栽培に執着したことが理解出来る。

米の花のひとつひとつはたった2時間しか咲かない。穂の上の方から下に順番に白く淡い小さな花を1週間くらい付けている。道端から観ても気づかない。どこまでも控えめで地味な作物だ。

じりじりと暑い日の午前中に静かに花を咲かせている。

 

 《長崎被爆イネ 2012に栽培したもの》

 

 

 

 

怯懦(きょうだ)

2020年07月26日 | 日記

最近、ラジオで「怯懦(きょうだ)」という言葉を知った。ネット検索して詳しく調べてみた。

- 臆病で気が弱いこと。いくじのないこと。しかし強がりを言う。また、そのさま。-

 

文章語なので会話で使われることは無く、説明文やレポートの類でも見られず、近代の文学作品などで稀に用いられる程度という。

共通するりっしんべんの『忄』は心を示すが、「去」の意味は離れていくこと、逃げ出すこと。「需」は雨ごいをする巫女の意味で、様子を伺いながら待っこと。

別の言葉で言い換えるなら「怖がり」や「小心者」。親しみを排除したいときに好まれるとある。


用例。

  • 土壇場になって逃げだしたくなる、自分の怯懦な心を叱り飛ばした。
  • しかしそれは、生きて恥をかくことから逃げたということであり、怯懦に他ならない。

 

この頃の安倍首相の様子からこれほどピタリとした“説明文”は無いように思った。

次のような用例もある。

  • どうやら彼は、逃げて生き延びるような怯懦者になるくらいなら武士らしく戦って死のうと考えているようだ。

残されたチャンスとしてこれほど相応しい用例は無いがもはや精気が失せている。


自転車旅で初めてのこと

2020年07月25日 | 円 -bicycle-

 

自転車の旅を始めて15年近くになるがキャンプ場がどこも満杯で泊まれずに家に戻ったのは初めての経験だった。

Covit-19で今年は控えていたが7月も終わるので70Kmほど先の月形町皆楽公園キャンプ場に24-25日の2泊の予定で向かった時のことだ。

北海道旅行の気運が高まっていて好天予報の4連休でもあるので途中の長沼町から念のためにキャンプ場に電話してみた。

話し中が続き、悪い予感が的中した。申し訳なさそうに「既に制限数に達しています。」と告げられた。次ぎに北村のキャンプ場に電話すると「温泉が工事中です。」これでは行く楽しみが無い。

気を取り直して新篠津温泉キャンプ場に電話を入れるとまたしても予感が。。。やっと繋がった返答は「今は大丈夫ですが到着順です。」

それからMTBチャリを漕いで到着したのは昼過ぎのこと。一目散に受付に向かうと「本日、250組に到達しましたので受け付けは終了しました。」と悲しい張り紙が1枚貼られていた。

聞くと、いつもより間隔を取っているので空きスペースはありますが時節柄皆さんにお願いしていますのでご理解く下さいとのことだった。

Go-to 何とやらに関係の無い人や外気に触れて伸び伸びしたい人の多いことに唯々ビックリするばかりだった。我も含めて。

 

ダメだろうなと思いつつ岩見沢のキャンプ場にも電話してみたが同じ返答だった。まぁ暫くぶりに走ったからいいかと納得して家に“救援の車”を要請した。

到着まで新篠津キャンプ場の小高い丘で太陽を浴びて昼寝を楽しんだ。

 

途中、秋まき小麦の収穫と稲の出穂が始まっていた。秋が近いことを感じた一日だった。

 

 

 

《小型作業ヘリによる水田薬剤散布 2020.7.24  11:00》


コロナは政治の浄化から

2020年07月23日 | 日記

「官僚冬の時代」という言葉があった。財政難が顕著になり、国家予算にシーリングという手法が採り入れられ始めた40年くらい前のことだ。

新たな行政需要にどう対応するかよりも、当時の大蔵省が指示する予算の削減を如何に実現するかという後ろ向きの仕事が役人の評価の対象になった。嫌気が差した霞ヶ関の官僚が次々に政界、民間へと転身した時代の言葉だった。

政府の支離滅裂で無責任なコロナ対策が止まらない。〝安倍一強の経産省官邸〟が国家の危機管理という重大局面で一気に馬脚を現したが、霞ヶ関官僚の疲弊も根っこにあるように思う。

官邸に人事で首根っこを抑えられ、自立性を失っていることに各省の実働部隊の職員はやる気を無くし、余計なことをして睨まれるより、言われたことだけやっていれば良いという消極的な考えに立ってもおかしくない。

もともと日本の公務員はアメリカ、ヨーロッパ主要国と比べて決して多くはない。加えて、安倍内閣の一連の疑惑、不祥事の過酷な対応で心身に不調を来たした戦線離脱者の増加でマンパワーの疲弊にさらに拍車をかけているのではないか。

その結果、官邸から次々に下りてくる「思いつき政策」と「誤魔化しの国会対応」に以前にも増して日夜忙殺され、“仕事は外注”され、〝やっつけ仕事〟の山が築かれいるのが今の実態のように思えてならない。

“Go Toキャンペーン”の惨状はなるべくしてなったと考えれば行政だけを攻められない。経産官邸は頬被りしたままで尻拭いは担当省が矢面に立っている。これでは省庁のヤル気の喪失という悪循環が繰り返される。

最近、霞ヶ関志望者の激減、若手職員の転出、心身の病の発症が多いと言われている。新たな「官僚冬の時代」の到来だ。政治を正常化させないと行政組織も正常化せず、コロナ禍も拡大する。結局は国民が損害を被る。考えなければならない深刻な問題が発生していると思う。

 

 

 

 

 

 

 


本物のプロ

2020年07月21日 | 日記

《暗闇を抜けて光をめざすさまを音楽で表現したベートーベン。今年は生誕250年》

 

7月17日に九州交響楽団も5ヵ月振りに演奏会を再開した。検温、手洗い、マスク、隔席、演奏時間の短縮などの対策を準備してこぎ着けた。観客も演奏者も団の人達も感動の演奏会だったに違いない。

大学のRugby部にいた頃、先輩に「1日休めば戻すのに3日かかる。1ヵ月休めば3ヵ月。」とよく言われた。事実そうだった。夏休み明けは身体も重く、心肺機能も低下していた。

Covid-19が漂う環境にありながら、プロ野球もサッカーJリーグも相撲も長らく自主練習で体力と試合勧を維持し、今、観客の前でのプレーが始まっている。

各地のオーケストラも70名~80名のアンサンブルを直前の数日間のリハーサルで取り戻し再開している。コロナ禍でプロというものの凄さを見た。

観光のみならず、どの業界も存続の危機に直面し、必死に再起の努力をしている。にも拘わらず、安倍首相は国民の前できちんと語れず、麻生副総理は世間を逆撫ですることでしか存在を示せない器であることが改めて露呈した。あまりのお粗末さに唖然とする。

その場限り。何事もウヤムヤにしてやり過ごす術に長けた政治のプロはいても、“信頼”を基盤に国民をリードする政治家が見当たらない。

都道府県知事に丸投げしている間に再び感染爆発して人の交流が閉ざされることがないよう、「検査と隔離」の徹底で経済再起動を目指す方向性が必要だ。

 

《練習場から演奏会場へ機材等の搬送》

 

《アクロス福岡シンフォニーホール 2020.7.17 「午後の名曲」》

 

《ファンの暖かい声援!》

 

《指定の空席にはファンの声援》

 

《鳴り止まないカーテンコールで団員全員が再登場》

 

 


「covid-19」より恐ろしい

2020年07月18日 | 日記

自閉してしまったアベ首相。「covid-19」の都内の感染者数がニュース速報される。やることが違う気がしてならない。“だからどうするか”が無いからだ。

かつてはNHKがジャーナリズムのオピニオンリーダー的な役割を果たしていたが今は無残、期待するべくもない。

「黒を白と言われれば否定できない。」なる元会長の就任発言は官邸の周到な準備と布石であったことを痛感する。そのような政権を金儲け人参に釣らされて選択してしまったということだ。

マスコミは感染者数の周りでPCR検査体制と陽性者の収容体制が進まないことを何ヶ月も繰り返し話題にするだけで、「Q.何故でしょう。A.分かりません。」で終わる。もうこれは止めないと収拾つかなくなり、「数字の操作」が始まるのではないか。

まさかこの国でと思っていたことを平気でやる政権であることを目の当たりにした。我々も知らず知らずに術にはまって正常な感覚を失いつつありはしないか。「covid-19」は根拠の無い言霊ような政策を誤魔化せば済む問題ではない。

しかし、最も警鐘を鳴らすべき「専門家」は政府の下で繋がる御用達グループと化している。議論も公開されず、曖昧な“霞ヶ関文学”の書き手になってしまった。「黒を白と言われれば否定できない。」の悪夢が蘇る。

「covid-19」でもモリカケ、サクラ、ケンサツ等でさんざん見てきた政権の誤魔化しと責任転嫁の兆しがある。

 

 


オーケストラの始動

2020年07月15日 | 日記

2020.7.7 九州交響楽団 コロナ対策のための試演の模様 指揮者の下野竜也氏はパネルでガード

 

2020.7.7 九州交響楽団 コロナ対策のための演奏家配置検討 ステージマネージャーさん

 

札幌交響楽団が演奏会再開に向けて試演をしたニュースが流れていた。国内のプロオケが対策を十分にとった上で5ヵ月振りの演奏会を再開したり、再開のための準備を進めている。

福岡に拠点を置く九州交響楽団も 7月7日に指揮者の下野竜也氏と医療専門家を交えた試演を行い、演奏家同士の間隔等をチェックした。管楽器の飛沫は思ったほど飛ばないらしい。

そして、昨日から7月17日の演奏会に向けたリハーサルが始まった。全員で音を出すのは2月下旬以来という。どこのオーケストラも億単位で収入が激減していて、身内に関係者がいる親としてひとまず安堵し喜んでいる。

オーケストラは特定の大企業や自治体がバックについているところを除いて、大半は観客収入と各種助成金で運営されている。税の優遇措置があることから剰余金の積み立てが出来ないので突発的な事態への対応に限界があり、支援金募集の呼びかけを行っている。

ドイツ文化相の「音楽は平時だけのものではない。生命維持に必要不可欠」という言葉に国柄、文化、精神のレベルを感じてしまう。まだ100年の日本のクラッシック音楽だが、コロナ禍でその域に近づいて音楽界に活気が戻って欲しいと願っている。

 

《2020.7.14  練習場風景》

 

《コンサートホールの客席はこのようなメッセージが張り出されるとのこと。》

 

※写真は西日本新聞社と九響の提供のもの。


2020農作業支援 -大根の選別-

2020年07月14日 | 農作業ヘルパーの記

夏大根の真っ盛りだ。選別作業に出掛けた。

そこのゴミ、あそこに捨ててください。パートのおばさんにそう言われてプラスチックケースの中を見ると切断された立派な大根がごろごろ入っていた。

重たいので台車に数個を積んでトラクターのバケットの中に“捨て”、洗浄機への大根投入の仕事の場所に戻る時に、選別作業をしているおばさん達をチラッと見た。

包丁でスパスパと大胆にカットしている。曲がったり、少しでも虫食いの跡がついていると3分の1くらいしか残らない。それがスーパーで「カット大根」として売られている。

その他大勢の立派な「ゴミ」はトラクターで畑の傍の林に運ばれ、春には跡形も無く水になって土に戻っているという。

あぁ何と勿体ないことか。若い経営主の父親と昼からビートの雑草取りをしながらそのことを聞いた。

「規格に納まらないと値段は半分になってしまう。分かっているけど高く売るためには仕方の無いことだ。」ブロッコリー収獲の時にも聞いた呟きだった。

食べることが出来る手塩に掛けた作物が捨てられるのは忍びないことだろう。

スーパーで1本の大根を買った「消費者」たるパートのおばさん達は家庭であんなに大胆に捨てたりしない。ヨーロッパの量り売りを採り入れるなど、そろそろこの国の農産物流通を本気に考える時代ではないか。

今日は暑そうだ。どんな作業になるのかな。

 

《家の葡萄の実がつき始めた。 2020.7.12》


ウポポイ

2020年07月13日 | 日記
 
 
白老町にあるポロト湖沿いの細い林道を奥に入ると静かな林間キャンプ場がある。
 
2007年の夏に「アイヌ民族博物館」で開催されていた“ポロトコタンの夜”を体験するために自転車で訪れたことがあった。
 
夜8時から9時まで、アイヌの住居であるチセは幻想的な雰囲気だった。
 
火の神への祈りで始まり、歌、鶴の舞、民族楽器のトンコリの演奏、最も重要な儀式であるイヨマンテの踊り、最後は自家製サケの薫製であるトゥバの試食、これらがアイヌ族の血を引く長老の解説で厳かに進行した。
 
このたび、辺り一帯がウポポイ(民族共生象徴空間)として整備され、「アイヌ民族博物館」が新装オープンになった。
 
観光資源に埋没することなく、北海道先住のアイヌ民族に伝わる自然と共生するイオル(居住空間)の精神文化と自決権を深く理解し、伝える施設として定着して欲しい。
 
北欧では先住民の言葉が学校で教えられ、国会議席が優先的に付与されていると聞く。この機会に議論を始めるべきだがそのような気運はない。
 
かつて、農業政策でも「ウタリ対策」というものがあった。“箱物”の環境施設整備が中心だったが、積極的に手を上げる地域もあれば、「知られたくない。」と静かにしている地域もあって複雑な思いをしたものだった。
 
アイヌ民族の人権を重んじる新法が長い闘いの末に制定されたのは、なんと10年ちよっと前のこと。落ち着いたら又自転車で『ウポポイ』を訪ねて先住民の歴史に触れる時間を持ちたい。