2019年4月8日。
晴天の朝、洗濯物を干していた民宿の若女将の見送りを受けて二日目の宿泊地の「神話の里公園」に向けて出発した。70Kmの行程だった。
島の中央部の東側の三浦湾と西側の浅茅(アソウ)湾に挟まれた対馬で一番細くなっている地域にある。
近くには日露戦争時の水雷艇の出撃基地となった人工運河の「万関瀬戸(万関橋)」、遣唐使の中継地となった「西漕手(ニシノコギイデ)」、海神を祀った「和多津美神社」、リアス式海岸を一望出来る「烏帽子岳(176m)」などが点在している。
出発して厳原港の近くにスルメ加工場があった。
対馬が中国大陸と陸続きだった時代に渡ってきた天然記念物のツシマヤマネコには会えなかった。北海道で羆に出会うより確率は低そうだ。
2時間近く走って対馬中央部の東側の三浦湾に面した「小船越」に到着した。道路に「西漕手」の表示が出ていたが車だと通り越してしまいそうな小さな看板だ。
小さな丘を越えて東側の西漕手に向かう。小舟は担いで越えたという。
西漕手に到着。当ブログのタイトルカバーに使っている。
入江に木漏れ日が注ぎ空気がひんやりしていた。遣唐使も未知の国を調査し、その成果を持ち帰るという点で命懸けの"探検家"だったのだと思う。
遣唐使は九州北部から壱岐島を経て「西漕手」で大船に乗り換えて中国を目指した。
この「北ルート」は「白村江の戦い」で朝鮮半島・新羅との関係が悪化した時期は使われず、黄海、沖縄諸島を航行する「南ルート」が使用されたが海難が続出したという。
ひと休みしてさらに北上した。(つづく)