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楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

やっておいて良かったぁ

2025年04月15日 | 環島


丁度7年前の今頃、4/1から4/20に自転車による台湾一周の旅(「環島」ファンダオ)に出た。

戻ってきて『日台の架け橋・百年ダムを造った男』を読んで、嘉義市にある「八田ダム」をどうしても見たくて再び7/6から7/11にリュック一つで旅をした。

日本が台湾を統治していた時代に八田與一氏が造った農業用水ダムの物語である。
台湾の人々は戦争で不慮の死を遂げた八田氏の功績を称え、今も慰霊祭を営んでいる。


この二つの旅をgoo blogで綴ったが、有料サービスのMy booksで2ヵ月余りかけて編纂し、3月末にようやく出来上がった。

B-6版214ページ。カラー6,320円、白黒2,978円と値段は高いが、goo blogの突如終了のお知らせ。
やっておいて良かったぁ。





台北から462Km


 

九份 2018.4.16   ※本文は「份」を変換出来ず「ふん」表記。







2018.4.13 花蓮「太魯閣渓谷」






八田輿一像  後方で奥さんと眠っている

MyBooksで『私の台湾一周自転車旅』を製本中

2025年03月09日 | 環島



goo blogの有料会員(524円/月)になって、1月からMyBooksで製本作業をしてきた『私の台湾一周自転車旅』の出来上がり見本がひとまず出来た。

2018年4月に20日間かけて台湾島を自転車で一周した旅をメモを基に2022年2月から4月まで断続的にブログに綴ったが、いずれパソコンに埋もれてしまうから費用は結構高くつくが記念に製本化してみることにした。


タイトルやサイズなどの体裁を決めて、blog記事を指定すればあっという間に製本化されたが、文章と写真の配置がblogとは若干異なる。
写真だけになっているページ もかなりあった。

少しずつ〝編集〟をしてきたがここまでひと月くらいかかった。
誤字、脱字のチェック以外に、その作業内容は大きく分けて二つあった。

一つは文章の切れ目とか段落の取り方の整理。
2〜3文字がページを跨いだり、段落がなくて文章が繋がったりしていたので、
出来上がり画面を見ては原稿画面で修正を加え、再度出来上がり画面で確認しなければならない。コピペはキー操作になる。

もう一つは写真の処理。
サイズ変更、ある程度の位置変更は出来るが、そのことによって出来る空白に文章を持ってくるのは慣れると感覚的に出来るようになったがひと工夫いる。
方法をもう少し調べる必要がある。


これらの作業でページ数をかなり減らしたが、現在の「仕上がり見本」ではA6版カラー刷り200ページで6,270円と結構高い。当初より2,000円位安くなった。

注文期限は4月末。もう暫く編集を続ける。
その頃は北国にも桜が咲いている。



2025.3.5 花の名は忘れたが冬の間ずっと咲いている。


My Books

2025年02月22日 | 環島

2025.2.22  7:45 冬霧か


今朝はマイナス12℃。
これから数日寒い日が続く予報だが、その後は春だ。


goo blogの「MyBooks」を使て、2018年の台湾一周自転車旅の製本作業に取りかかって間もなくアクセスできなくなった。
このことを事務局にメールしたところ不調を確認したとの返答が直ぐにあり、20日には修復されて作業を続けられるようになった。

しかし、goo blogのホームページの「お知らせ」には22日現在で「ブログ書籍化機能の不具合について」が記載されたままである。
「悪いことは早く、良いことはゆっくりでも良い」という昔の職場の先輩の言葉を思い出した。


製本作業をしていると台湾の人々の優しさに触れた日々が蘇ってくる。
中でも島の南端の山中で宿が見つからず日がだんだん暮れかかって心細くなっていた時に出会った台湾の若いサイクリス2名だ。
4月ということで休業中だった別荘の経営者に電話連絡を取ってくれて、場所を案内してくれて。ひと晩泊らせて貰うことが出来たのは本当に助かった。

年配の人は半世紀に亘って日本統治を経験しているがとても親日的であった。

台湾海峡に緊張が漂う。
2018年の頃でも総督府には自動小銃を持った軍隊がいて、桃園国際空港には大勢の警察官、民間警備員がいた。

中国との間で何かあれば米中核戦争の危機が眼前のものになる。
日本は確実に巻き込まれる。
トランプへの朝貢外交から周辺国を重視した自立自尊の外交に転換しなければならない。

blogの製本を始めた

2025年02月10日 | 環島
2018年の4月に3週間かけて台湾島を自転車で一周した。
老若男女、優しい人々にお世話になった。何度も助けられた。
あの島で絶対に紛争が起きてはならない。

この時のことを2022年になってgoo blogに綴ったが、いずれPCに埋もれてしまう。それならば活字で残したいと思い、blogの有料会員になって製本してみることにした。

「環島(ファンダオ)」というカテゴリーの記事をmy booksという製本・書式化機能を使って操作するとアッという間に170ページのB6版の本になった。

しかし問題は料金。
カラー印刷で1冊8,000円近くになりびっくりだ。
1ページ当たりの単価が決まっているので何んとかページ数を減らすために仕上がり原稿を見ると写真の納まり具合でページの余白が結構ある。

文章と写真が効率よく納まるように写真のサイズを小さくしたりするなど、これから日々の合間を見て編集作業だ。
直してはゲラを見て、また直してゲラを見て。
編集者の気分になってなかなか面白い。8,000円もそうして考えると楽しみの見返りか。

注文が出来る有効期限は4月。
思えば新千歳空港を出発したのも雪が融けた4月1日だった。
その頃までに完成させたい。


※どなたかgoo blogのmybooksで製本経験のある方、何かアドバイスがありましたら何でも結構です。お願いします。




台湾の皆さん、加油!! 

2024年04月07日 | 環島

2018.4.13  花蓮市内

2018年の4月に半月ほど、自転車で台湾一周旅をした時に太魯閣(タロコ)渓谷を訪れたことがあった。

前年に大きな地震があって、落石の危険があったので花蓮市内からは日帰りバスを利用することにした。


「タロコ」とは台湾原住民タロコ族の言葉で「連なる山の峰」の意味という。その名の如く、太魯閣渓谷は台湾島の東側の花蓮市から西側の台中市へと2,000m級の険しい山々を縫って続く。

川が削った断崖絶壁にへばりつくようなトンネル続きの道路から谷底を見ると大理石の岩肌と緑色の川が美しい台湾の有数の観光地だ。


先日、 4月3日に台湾東部沖でM7.7の大地震が発生した。
ニュース映像によると花蓮市内のビルは倒壊し、太魯閣渓谷も崩れ落ちた巨大岩石と土砂で道路が埋まっている。


台湾を自転車で走っているとよく『環島ファンダオ?』と声をかけられた。
そうだと答えると、『加油ジャーヨウ!!(頑張れ)』と励まされた。

今以上の被害が拡大しないこと、一日も早い国土の復興を願う。

心優しき台湾の皆さん、加油!!



太魯閣渓谷にあった郵便局に近くのお寺の尼さんがいた。








2018.4.13 イワツバメの巣がたくさんあった。

人力だけの難工事は3年10カ月を要し、212名が殉職したという。 トンネルの壁面には鑿の跡が刻まれていた。
人間の底力は凄いものである。


ニュースで台湾政府の素早い救災対応を見ていると、地震国のこの国の税金の使い方があちこちで間違っていることが分かる。



『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)- 5 台風の中、帰国

2022年04月18日 | 環島

2018年7月10日

 

赤道付近から台湾のすぐ東に台風が接近。

予報は翌日の11日にかけて北西部を進んで大陸に向かうというものだった。

帰国日(11日)を直撃なので予定していた市内見物を取り止め、善後策の検討だ。

 

いろいろ考えた。

帰るのを1日延ばすか。

はたまた空港まで行くだけ行って、飛ばなければ戻ってくるか。

ホテルは予約しておくか、どうするか。

 

泊まっていたホテルはやはり延泊の人が多く出て、午前中には満室になってしまい、紹介して貰った台北駅近くのホテルに行ってみることにした。

 

11日を予約しておいて、飛行機が飛ぶことになったらキャンセル出来るかどうかフロントの女性に尋ねると、当日キャンセルなので返金は出来ないとの返事だった。

自己都合ではなく、台風という不可抗力によるものなので救済出来ないか、念のため聴いてみた。

返答は「飛行機が飛ぶ場合は一応、空港から電話してください。考えてみます。」との前向きなものだった。台湾の人は本当に優しい。

 

ひとまず期待して、午後から泊まっているホテルの近所を散歩した。台風の生温かい風が吹いている。

 

  

 

ホテルの裏は餃子、小籠包、肉饅頭などの食べ物屋が密集していた。調理しているところが通りから見える。

 

 

 

昼食は、これが最後かな・・・と4月にもお世話になった「牛肉うどん」にした。

隣の女性が食べている豆腐のようなものも注文してみた。歯ごたえがあったので豆腐ではなさそう。何かのパテかな。唐辛子を付けて食べると美味しかった。

 

由緒ありげな看板、掛け軸゛に店の古さを感じる。

外へ出ると風が強くなり小雨が混じってきた。

 

2018年7月11日

 

 

4月、7月に台湾で泊まってきたツーリストホテルの朝は大体、このような地元料理のバイキングだった。屋台のように香辛料は強くない。朝食付で3,500円~4,000円くらいか。

 

 

朝から台風に包まれている。

しかし、「目」の中にいるのか、風が無い。

 

空港に着いて、予定通り飛ぶとの案内にホッとする。警察官、警備員の姿が目に付く。

直ぐに確保しておいた台北駅近くのホテルにキャンセルを入れる。

台風の影響は殆ど無く、予定どおり離陸。

 

無事、帰宅してホテルの名刺のアドレスにメールすると、数日して「返金手続をするのでホテルの領収書と搭乗券を送って下さい」との返答が来た。

暫くして、指定した口座に全額が振り込まれて〝余話の〟台湾旅は終わった。

Thank you,Miss Coco さん!

 

       

       桃園空港


PS.台湾が平和で、優しく、親切な国であって欲しい。


(お終い)

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)-4  台北に戻る

2022年04月17日 | 環島

ウクライナ戦争に絡めて〝台湾有事〟が報じられることがある。

内戦で中華民国を倒した中華人民共和国が、領土として台湾を併合しようとする動きが顕著になってきているからだろう。

ウクライナ戦争は最早プーチンよる犯罪、テロ行為であり、未然に防ぐ方法は本当に無かったのか。

台湾有事があってはならない。隣国の日本の外交に果たす役割は重大だが、アメリカの指南が無ければ何も出来ない政治家が心許ない。

 

 

 

2018年7月9日

 

MRTの美麗駅忘れ物センターで前日、電車に置き忘れた旅行ガイドブッグを受け取り、台鉄で台北へ向かった。

 

 

台北から再びMRTに40分ほど乗って、「北投温泉」に向かった。

台湾の太平洋岸には所々温泉地があった。北投温泉は台北の奥座敷の風情だ。ドイツ人によって発見され、統治時代に日本の温泉文化が入ったという。

 

高級ホテルのリゾート施設が多いが公衆浴場の「瀧乃湯」でかなりの熱湯に浸かった。

1923年に当時皇太子だった昭和天皇が巡行で訪れている。

 

 

 

 

 

台北市内に戻って、ランドマークの「Taipei 101」からの夜景を眺めた。

508mの高さがあり、5Fまではショッピングモール街、そこから直通エレベーターで89階の高さ388mの展望台へ。

夜景は値千金。

遠く、桃園空港の航空機の発着を見ることが出来た。

 

 

《台北駅裏のツーリストホテル》

 

台風が近づいていた。予定通り帰れるだろうか・・・。

(つづく)

 

 

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)- 3 高雄・愛河

2022年04月15日 | 環島

 

2018年7月8

 

八田ダムのある嘉義市から台湾鉄道で高雄市に移動した。

4月の自転車旅では道に迷った"愛河の夜景"を観るためだった。

高雄市は台北に次ぐ人口約190万人の港湾都市。愛河で街が東西に別れている。

 

さて、今回は迷わないよう、Tax.に乗った。運転手に"愛河の夜景"の写真を見せると、「ビューポイント」がやはり分からず、車内電話で通訳サービスセンターに繋いでくれた。

案内の女性と話をして、結局、「夜景が綺麗でビールの飲める場所」に向かうことで運転手に伝えてもらった。

このような通訳サービスは韓国の釜山の地下鉄でもボランティアの人を見かけて助かったが、観光地などでは有効な方法だと思う。

 

スタートすると、運転手は「青春時代」を台湾語で歌い始めた。上手なので私、拍手。運転手はノリに乗って終わらない。車はどんどんビルの谷間へ・・・。


通訳センターから正しく伝わっているのだろうか。不安になり一度止めてもらい再確認すると間違いなさそうだ。


海の近くとばかり先入観を持っていたが、愛河は街中を通っているのだ!4月の失敗は思い込みによるものだった。運転手と「Bar東京」とかいう店の前で固い握手をして別れた。

川面に映る光が何とも綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

 

愛河から歩いてMRTの美麗駅に寄った。

台湾鉄道とMRTのレッドライン、オレンジラインが交叉する高雄の交通の要となっている駅で、「光のアーチ天井」と名付けられたガラス天井はイタリアの芸術家が描いた絵を4,500枚のガラス版で再現している。

列車の乗り換えで行き交う人が色鮮やかな天井に足を止めていた。 

駅ピアノも。

 

 

 

 

美麗駅からMRTで高雄市内に入り、ビジネスホテルの部屋で気が付いた。旅行のガドブックが無い。MRTの中で見ていて座席に忘れたらしい。

ホテルフロントに尋ねると忘れ物は美麗駅の忘れ物センターに届くという。翌日、台北と北投温泉へ向かう時に台鉄に乗るので寄ってみることにした。

 

(つづく)

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)-2  八田ダム 2

2022年04月13日 | 環島

 

 

2018年7月7日

 

4月の自転車旅で日程的に行けなかった『八田ダム』のことを家に戻って本で読み、訪れることにした。

台北から鉄道で南下して嘉義市辺りに来ると水田が広がり、その水は『八田ダム』から引かれていたことが分かった。

正式な名前は「烏山頭(うさんとう)ダム」。

 

第二次大戦中に台湾総督府の技師だった八田與市氏が10年をかけて 完成させた農業灌漑施設は台湾西南部の平野を潤し、台湾の人が親日的であることの理由にもなっているそうだ。

 

《水上駅》

 

日本の新幹線車両を入れた台湾鉄道の高鉄(新幹線)に乗ってみた。

台北の傍の南港駅から高雄近くの左営駅まで1時間45分。そこから普通列車に乗り継いで北に戻り、ダムのある水上駅に着くと物凄い スコール。駅舎で晴れるのを待って、タクシーでダムへ向かった。

 

運転手にその旨を筆談で示すと、65才以上なら900TWDで案内してくれるという。 その理由は分からなかったが4,000円くらいか。多分、割り引いてくれているのだろう。

身振り手振りだがお互いの思いを想像し合うコミュニケーションは楽しく、生き物の原点回帰を感じる。

ダム到着まで台北を10:00に出発して4時間が経っていた。

 

《ダム建設作業に使用された鉄道機関車》

 

人跡未踏の「烏山頭」に八田與一氏がダム建設を発案したのは1920年(大正9年)。それから10年をかけて完成させた。現在のお金で5,300億円という巨費が投じられた。


台湾の農地の2割、香川県の広さに匹敵する面積を潤している。3年輪作で稲作が出来るよう精緻な給排水路が敷設されていて、その総延長は地球を半周するほどの長さという。

 

 

《八田與一氏像とご夫妻のお墓(像の後方)》

 

八田ダムは地元では「烏山頭水庫」と呼ばれ、今は大きな公園になっている。調査設計から完成まで携わった八田與一、外代樹(とよき)夫妻が小高い丘から珊瑚潭と 呼ばれる堰き止め湖を眺めていた。


小雨が続いていたが、ご夫婦のお墓を遠くに見つけた時だけ一瞬南国らしい暑い陽射しが注いだ。印象的だった。

 

 

『日台の架け橋・百年ダムを造った男』(斎藤充功著;時事通信社 2009年)によれば権威ある編年史の「日本土木史」に八田與一氏の功績は一行も記されていないという。

日本国内の功績ではないということか。。。であれば了見が狭く、寂しいことだ。


地元では毎年ご夫妻の慰霊祭を行っているとのことだった。『八田ダム』と言うとタクシーの運転手が親切に案内してくれたのも八田與一氏の人徳であろう。

 

八田與一には2男6女の子供がいた。

嘉義市の建設現場や東京、アメリカ出張で家を空けることが多く、子供を育て、家を守り、與一氏を陰ながら支えていたのが同郷金沢出身の妻外代樹だった。


昭和17年、日本軍は南方に作戦展開し、政府は資源獲得を目的として「南方産業開発派遣隊」を編成している。八田與一氏も選抜されるが、知識と技術に加え、土木屋を使いこなす能力を高く評価されたことが後の悲劇となった。


マニラに向けて乗船した「太洋丸」が同年5月8日の夜に五島列島沖合で魚雷により撃沈され殉職する。

享年56歳。その後、妻外代樹が『八田ダム』の周辺を散策する姿が見られたという。


終戦の9月1日未明、外代樹はひとり宿舎を抜け出しダム放水口へ向かった。紋付き白足袋だった。
机の上に「玲子も成子も大きくなったのだから、兄弟、姉妹仲良く暮らしてください。」と書かれた便せんの遺書があったという。


因みに八田與一氏を育てたのは道庁技師から東京帝大工学科教授に転じた広井勇である。道内の港、鉄道工事に数々の業績を残している。


農業の分野は違うけれど遠い先人の志と質の高さに触れた「八田ダム」だった。

 

「太洋丸」の写真

 

妻外代樹が身を投じた「放水路」

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)-1  八田ダム 1

2022年04月12日 | 環島

             

 

2018年4月の台湾一周自転車旅で行きの日程を変更した時のこと。

LCCから返金を受けてチケットを取り直そうとしたら、返金分が新千歳と台北の便に限って使えるポイントで支払われた。日本円にすると約16,000円、有効期間は180日だった。

〝往復で半額近い運賃になる〟という気にさせる。逃すのも何だか勿体ない気にさせる。なかなか考えている。

 

妻はエスニック系の食べ物はダメなので、これ幸いと?

7月にザックひとつで2度目の台湾旅に出た。

 

目的地は4月の旅で日程的に行けなかった「八田ダム(烏山頭ダム)」、道に迷って観ることが出来なかった〝東洋のベニス〟こと高雄の「愛河」の夜景、そして台北近くの「北投温泉」などにした。

7/6-11の1週間、自転車旅とは違って日没と宿の確保を気にしない旅だった。

 

 

軽装だったので、戻ってきた時に新千歳空港の税関で「どちらへ?何日?」と聞かれた。

ひよっとして怪しまれたか・・・(笑)。

 

 

7月6日


4月にもお世話になった台北駅近くのツーリストホテルに再び泊まった。

到着した日に懐かしいスタッフお二人に再会した。

 

(つづく)