刮目天(かつもくてん)の ブログだ!

諸悪の根源は、
日本ヘイトの占領政策基本法を憲法にしてることだよ!
日本人の道理を護れる憲法に変えよう!

本当のA級戦犯はこいつらだった(;一_一)

2020-02-22 23:47:36 | 歴史問題

何が(誰が)日本を亡国のあの戦争に導いたのか?
|ゲスト:林 千勝(近現代史研究家)|山岡鉄秀(@jcn92977110 )のTSJ1
TSJ(THE STANDARD JOURNAL)


山岡さん有難うございます。林 千勝さんの研究成果は素晴らしいですね。

戦前から戦後の歴史の闇、つまり戦後政治と敗戦利得者の正体がほぼ完全に暴かれたのではないでしょうか(^_-)-☆

やはり日本は戦前からスパイ天国だったということですね。

戦前の米国も同様で、日本も共産主義がはびこってましたね。

コミンテルンのスパイが戦前の日本政府の中枢に潜り込んでいたことは朝日新聞記者尾崎秀実のスパイ事件で明らかになりましたが、共産主義者を一網打尽に出来なかったのは日本の敗因の一つでしょう。

さらにソ連の背後に国際金融資本が居たことは馬渕睦夫さんなどの話から知っていましたが、ロックフェラーの太平洋問題調査会のメンバーやロスチャイルド系のスパイも居たのですね。彼らに愛国心は無かったということでしょうかねm(__)m

大政翼賛会を作って戦争に引きずり込んだ功労者は、

戦後政治を支配して藤原の世を再興する野望のあった近衛文麿か?

共産主義国家を実現して日本を支配しようと考えた風見章(かざみあきら)か?

でも近衛は戦後直ぐに自殺するが、本当は裏切り者として共産主義者に殺されたということなのか?それとも国際金融資本?(^_-)-☆(2020.2.24 赤字修正)

そして、戦争に突入した帝国陸海軍は戦争勝利のシナリオを持っていたので、

戦争反対の昭和天皇も認めざる得なかったのだが、

実際は勝利の作戦をさせず、敗北する最悪の作戦「真珠湾攻撃」をしたのは、

海軍左派の米内光政・永野修身・山本五十六の謀略だったのか。

利用価値のなくなった山本長官を米軍に始末させ、

知り過ぎた永野軍令部長を巣鴨プリズンで病死させたのは、

共産主義者か国際金融資本の手先だろうね。

東京裁判で敗戦の真相がばれないように口封じということだね。

そして愛国者の仮面のまま往生して銅像まで建てられた米内光政だが、

殺された二人をそそのかして敗戦に導いた黒幕ということか?

米内は共産主義者の風見と連絡を取っていたのだから、

やっぱり真正サヨク=共産主義者だったということなのだろうか(´・ω・`)

でも戦後体制を作るためには、風見も米内も国際金融資本にとって利用価値があったということだよね。

それでも米内は酒好きで病気持ちだったので1948年〈昭和23年〉には死ぬのだが。

「近衛文麿の野望」が潰え、敗戦後日本の政治体制を構築したカラクリ。
|ゲスト:林 千勝(近現代史研究家)|山岡鉄秀(@jcn92977110 )のTSJ1


風見 章だが、以下のような人物だ。
1909年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、国際通信、朝日新聞記者などを経て、1923年から5年間、信濃毎日新聞主筆として労働者や農民の側に立った論陣を張った。林千勝によると、風見は1927年(昭和2年)岡谷製糸争議に加わり、社説で共産党員と同じ運動論を連日展開した。また、同年12月から1928年1月まで「マルクスに付いて」という署名記事を信濃毎日新聞に12回連載し、共産党宣言を最大級の賛辞とともに紹介した。(Wiki「風見章」より)


戦後日本の「帝国陸軍悪玉論」プロパガンダで、

シナ共産党に「日本が侵略してごめんなさい」と、

お詫び一辺倒の外交路線に導いた真犯人だったのだね(; ・`д・´)

近衛と一緒に日中戦争・日米戦争を煽った「平和に対する罪」のA級戦犯のくせに。

日本の大手新聞社は風見と共謀していたから彼らもA級戦犯だった。

だから、戦後、自分たちの敗戦革命の謀略を隠ぺいして、

帝国陸軍にすべての罪をかぶせて

まんまと生き延びるだけじゃなく、戦後の言論の主導権を握った。

真相を暴露する愛国者を言論弾圧・言論封殺して国民を欺き、

強固な戦後体制を維持してきた悪人どもとその弟子たちだ。

戦争で亡くなったすべての人とその家族に謝るべきじゃないのかm(__)m


彼らの仲間が教育界でも労働組合でも主導的立場となって

日本の言論空間を支配続けてきたから

戦後70年間も帝国憲法にも国際法にも違反する

日本ヘイトの占領政策基本法を民主的な憲法だなどと国民を騙して、

反日政治体制という魔法を維持できたわけだ。



日本が自律国家となるためにまず何を為すべきなのか?
|ゲスト:林 千勝(近現代史研究家)|山岡鉄秀(@jcn92977110 )のTSJ1



そしたら、国際金融資本は孫悟空のおシャカさまか?

日本国民が愛国心から、日本の真の独立を目指していくら頑張っても

オシャカさまの手から独立できない仕組みだったのか?(;一_一)

でも頑張らないといつかは日本がオシャカになる(´・ω・`)


このオシャカ様には慈悲心がないのだ!


いや、シナの生物兵器と罪務症の緊縮財政でそろそろ日本もご臨終かも知れない(;´Д`)

すべての日本を愛する日本国民よ、いい加減に気づこうよ!

日本が日本国民ファーストの政策ができる独立国家になるためには、

最終的には従米属国の戦後保守と

親中・親韓反日サヨク・リベラルを両方とも追放しなければならない!

安倍さんの成果は約束を守らない反日コリアの実態を国民に明らかにして

日本国民にコリア離れさせたことだが、

親中反日リベラルの排除までは届かない!

大手マスメディアと反日野党の連中は何とかして安倍政権を倒したいのは分かる(^_-)-☆

でも愛国的な日本国民はほとんど気づいているので、

与党の8割以上の親中反日リベラル政治家を政界から追い落とせば

70年間もの戦後体制の構造が壊れるよね(^_-)-☆

それでも省益ファーストの官僚が居た。彼らは緊縮財政を維持すれば消費税を増税できる。

消費税を増税してデフレを維持したまま、法人税を減税して大手企業への天下り先を確保する。

大手企業には消費税も法人税も免除して、内部留保金が天下りの持参金じゃないのか?(;一_一)

そして日本の財界はシナに囲われているので日本はシナ離れができないのだが、

今回の人民解放軍の生物兵器漏えい事件の影響でシナ経済は完全に崩壊だから、

本来ならば日本の財界はシナ経済を見限ってもいいはずなのだが、

日本人は何時まで経ってもお人よしだから、

シナ経済を何とか持ち直させたいのか?

弱みもたくさん握られているんじゃないのか(;´Д`)

このままならば日本はシナ共産党と心中だね|д゚)

日本を愛する日本国民は、

第一に、日本国民の生命・財産・自由を護り、

日本をこのデフレ不況から脱出させて

国民を豊かにしてくれる真の愛国者を国会議員にしよう。

日本国民を貧困化・少子化させる

政府・官僚・国会議員・マスメディア・御用学者を日本の政界・言論界・教育界から追い出そう!

人物をよく見ないと、日本の窮状に付け入って、

甘い言葉で潜り込む反日リベラル・サヨク・共産主義者に権力と税金を握られたら

日本国民は更に地獄が待っているから、候補者の人物をしっかり見極めよう!


【参考記事】
日本の貧乏神は誰だ?(;一_一)


元国税調査官が暴露。「日本の法人税は世界的に高額」という大嘘
国内2019.07.02 13603 by 大村大次郎『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』


コメント

チャイナチス崩壊の予兆か?(^_-)-☆

2020-02-17 14:05:45 | 日本再生


人類の敵・悪魔の政権が崩壊する瑞兆!

しかし巻き込まれる人民や周辺国は悲劇だ。

これがシナ大陸の歴史だ。三国志の時代も戦乱で人口が9割減った。

それでもシナ人民は16億にもなっている。逞しい人たちだ!

大惨事に備えて日本国民をまじめに護る真の愛国者の国会議員に全て取り換えないと

日本は持ちこたえられない(;一_一)

悪魔の手先、自民党の集金兵の方たちに武漢を視察していただき、

ホントに5千円が必要か直に見てもらうのはどうでしょう?

日本に戻りたいと言っても、

武漢からの人は日本に入れずに隔離しましょうね!( ^)o(^ )

これで日本の政治は良くなりそう(^_-)-☆

あ、公明党のみなさんも是非ご一緒に!

今回の視察団は千人ぐらいでしょうか?(*^▽^*)

【新型コロナ速報】人為的に操作された痕跡?医師が指摘する「武漢肺炎/COVID-19の疑惑」 - Dr.林が語る"自然界には存在しないタンパク質"とは? (TVが報じない新型コロナの真実①)

2020/02/16 藤井厳喜の『ワールド・フォーキャスト』


中国共産党は人類の敵ですよ!

もしも来日したら国際刑事警察が逮捕して、裁判に掛けましょう!

米国にやってもらってもいい!

中国で拘束されているすべての人を解放させましょう!

これ以外に人類の敵から救い出す手段はないでしょう( ̄0 ̄)



【公告】大紀元が『九評』(共産党についての九つの論評) と題する一連の社説を発表

共産党と自民党は戦友だったのか?(≧◇≦)


習主席来日実現で一致 新型肺炎支援「深く感謝」―日中外相
ニュース2020.02.16 0 by 時事通信


シナ共産党は日本のODAのお陰で軍事大国になって、

日本の領土を侵略し、世界の覇権を狙っているのが事実だ。

シナ共産党は困っている時だけ感謝し、

状況が好転すれば恩を仇で返すとすでに証明されているのに、

何故、助けなければならないのだ!

この事実に気付いているすべての日本国民は国賓に反対だろ!!!

天皇陛下を政治利用して、生物兵器をばら撒く人類の敵を助けるなど、世界に顔向けできない!

もしも復活でもして、日本が呑みこまれてしまうと、

日本人が民族浄化されることは

モンゴル・チベット・ウイグルの歴史で証明されている。

日本政府は何を考えているんだ!(; ・`д・´)

安倍政権・与野党の国会議員はこんな醜態を世界にさらして恥ずかしくないのか!
コメント (5)

【祝】日本建国(令和二年)

2020-02-11 13:06:31 | 古代史
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およそ千七百四十年前の今日、奈良県桜井市纏向遺跡で初代天皇(大王おおきみ)が祭祀王として即位されました。「記紀神話」では神武天皇が九州から大和に乗り込んで武力で征服したとしていますが、三世紀後半にヤマト王権発祥の地の纏向遺跡で出土する外来系土器に九州のものはほとんど有りませんから、神武天皇が東征したのではないことが分かります。九州に在った邪馬台国が東遷したのでもありません。つまり一方的に纏向ヤマトが敵対する北部九州の倭国を武力で滅ぼして日本を建国したのが考古学から分かる事実です。

纏向ヤマトによって滅ぼされた大国主と台与は祟ります。「日本書紀」では以下のような話になっています。崇神天皇の御代に伝染病が流行り、民も反抗するようになりました。三輪山の大物主大神(大国主大神の和魂にぎたま)の子供を呼んで祀らせれば収まるというお告げがあったので、その通りしたら国がおさまったという話です。実際は、纏向ヤマトの後ろ盾の呉が魏から帝位を禅譲された西晋によって280年に滅びましたが、親魏倭王卑弥呼の後を継いで西晋に朝貢していた宗女台与の倭国を滅ぼした纏向ヤマトは、今度は西晋に追討されることを怖れ、戦死した台与と大国主狗古智卑狗(久々遅彦)の間の子ホムダワケを探し出して祭祀王にしました。そして纏向ヤマトが女王台与の倭国を受け継いだ国であることを内外に知らせ、建国の地である纏向を卑弥呼の時代の倭国の都「邪馬台」国と同じYamatō̈(ヤマトゥ)と呼ぶことにしました。ホムダワケ応神天皇の即位によってそれまで敵対していた勢力が和睦して、大きな倭国=大倭国を創建したことから、纏向を大和と書いてYamatō̈(ヤマトゥ)と呼ぶようにしました。これが日本建国の真相だと突き止めました。(注1)(2020.2.20 注1を追加)

大和朝廷は建国時に不慮の死を遂げた三柱の貴人(卑弥呼・台与・大国主)の祟りを最も畏れ、地震や落雷などの天変地異や疫病を抑えていただくように、ゆかりの地である邪馬台国の宇佐神宮、縄文海人ムナカタ族の姫イザナミを母系とする卑弥呼や台与の出身地である不弥(うみ)国宗像大社・伯耆国宗形神社をはじめ日本各地で手厚く祀りました。特に、国譲りをした大国主については、その先代・先先代の久々遅彦らが造成した纏向ヤマトの地の大神神社で祀り、さらに出雲には日本最大の杵築大社を造り祀りました。今上陛下までの歴代の天皇陛下には皇祖神の霊(みたま)と一体になる厳しい修行によって、国家の安泰・国民の安寧をひたすら祈り続けていただいています。


日本は民を大御宝とする天皇陛下を戴く世界最古の国です。外来の征服民族が武力で造った征服王朝ではありません。日本は天御中主を始祖とする歴代の皇祖神によって護られた神霊の国なのです。皇祖神の力で列島に住むすべての人々の大きな和によって成り立つ和国なのです。今日は、日本国民にとって日本国が何故建国されたのか、その深い意味を静かに考え、ご先祖の霊に感謝する一日にしたいと思います(合掌)。

【参考記事】

日本建国の真相はこれだ!(^_-)-☆


【検証9】奴国の大王は凄かった(*^^)v


古代史を科学するには?(^_-)-☆


本当は怖い七福神の謎(;一_一)

日本神話の正体は?(その1) (その2) (その3)

(注1)「記紀」では応神天皇の父は仲哀天皇とされているが、「日本書紀」の記事から計算すると仲哀天皇は父ヤマトタケルが薨去して34年目に生まれたという勘定になる。住吉大社の伝承では仲哀天皇のモガリに神功皇后と住吉大神が夫婦の密事を交わしたとあり、仲哀天皇が応神天皇の本当の父でないことを暴露している。関祐二さんは本当の父親は常に皇后に寄り添っていた武内宿禰ではないかとしている。武内宿禰は五代の天皇に仕えた三百歳の老人という設定になっているが、魏志倭人伝で狗奴国の官狗古智卑狗が狗奴国王卑弥弓呼よりも先に紹介された狗奴国王の臣下の中でも最重要人物であることから「記紀」の中で武内宿禰とされた人物だと推理した。詳しくは、「狗古智卑狗という人物?(^_-)-☆」を参照。(2020,2,20 青字追加)

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権力者は権力維持のためにウソをつく!

2020-02-08 10:28:15 | 日本再生

三橋TV第194回【安倍政権の最大の特徴は「平気で嘘をつく」こと】
10,157 回視聴•2020/02/07



2019年10月の増税後のGDP成長率はまだ公表前だが、2019 年 7-9 月期のGDP成長率(季節調整済前期比)は、2 次速報値において、実質 0.4%(年率 1.8%)、名目 0.6%(年率 2.4%)となった。実質成長率、名目成長率ともに 1 次速報値から上方改定となった。 (2019 年 7-9 月期GDP速報(2 次速報値)~ ポイント解説 ~ )駆け込みがない現状維持じゃないかね?



内閣府によれば、昨年末の一致指数の基調判断
景気動向指数(CI一致指数)は、悪化を示している。
景気動向指数 令和元(2019)年 12 月分(速報)の概要


11月家計支出、2.0%減=消費増税の反動減続く(時事ドットコムニュース>図解>【図解・経済】1世帯当たりの実質消費支出)
先が思いやられる。

アベノミクスの取り組みの結果、力強い成長を続けてきたってか?(;一_一)

安倍総理や黒田総裁は一体どういう神経しているのだろうか(´・ω・`)

権力者や政権与党は権力を維持するためにウソをつきたいのは分かるが、

もしもウソをつけば日本国民全体の利益のために

国会の場で政権与党のウソを暴き、

正しい方向に持って行くのが野党の役割だろう。

そのような国会での正しい議論を支えるのが多くの国民の意見を代弁するマスメディアの役割のはずだ。

これが正しく機能していたら政権与党もウソをつくことはできないので、

公約を忠実に果たそうと真剣に努力するはずだ。

国民主権の民主主義が正常に実現される政治の仕組みだろう。

ところが、現状は政権も与野党もマスメディアも国民の立場に立っておらず、

日本国民を裏切って利権にどっぷりとつかっているから、

権力者たちも平気でウソつけるわけだ。

多くのマスメディアは利権のためのプロパガンダを垂れ流すフェイクニュース機関に落ちぶれている(; ・`д・´)

それでもジャーナリストなのか?>(怒)<


他に選択肢がないから結果的に反日本国民=反日政権の史上最長の政権が実現されてしまった。

国民を騙す反日政治詐欺集団じゃないか(; ・`д・´)。

安倍政権は外交や防衛で良いこともやっているので、完全否定するわけではないが、現状は余りにも酷すぎる。

米国も国民を裏切る同じような状況だったが、多くの米国民がチャイナ・マネーに集るリベラル政治家やそれを支える利権まみれのリベラル・メディアのフェイクニュースに気付いて、ディープステートも民主党政権のやり過ぎは政治不信を増大させるのでヤバイとみて、アメリカ・ファースト=国益重視の愛国者の大統領が登場した。

それを見た小池百合子氏も、崖から飛び降りる覚悟で、戦後のしがらみをリセットして国民ファーストの政治の流れを作ろうとしたのだが。

しかし、リベラルを排除するという正しい本音を言ったばっかりに、利権ファーストのリベラル・メディアが反安倍・小池支持から一斉に反小池に豹変してしまった。

恥知らずにも、自分のことはさておき、自分ファーストとまで中傷し、酷い人格攻撃に邁進したのは誰だった?

従米属国親中指向で利権まみれのリベラル自民党を支持する多くの戦後保守の論客も加わり、都議選での怨念から小池氏への激しい個人攻撃が行われて、多くの国民に劇場型選挙手法の民主党を選んだ悪夢を思い起こさせてしまった。

その結果、希望の政治の流れがストップ。

更にその結果を見た安倍総理も多くの国民の支持を裏切り、

自民党内の反日リベラルに完璧にすり寄ってしまい、

反日リベラル長期政権による国民貧困化を深化させてしまったというのが現状だ。

笑ったのは親中利権屋の連中だから、調子に乗ってやり過ぎたIR汚職を東京地検も摘発したが、本丸は何階だ?

さらに、米中貿易戦争で窮地に陥っていた人類の敵を救済支援するための国賓招待まで閣議決定する羽目になり、天皇陛下の政治利用を危惧していたところ、更に拙いことにシナの生物兵器(SARSにHIVを混ぜたような免疫の出来にくい人工的な新型コロナ・ウイルス)が漏えいしたことによってシナ自身も酷い状況に陥り、まだまだこれから被害が世界中に拡大するから、パンデミックだろう。これによって国賓が消滅になれば良いことだが、シナ経済崩壊が進み共産党政権の存続も危ぶまれる状況だ。その影響から世界恐慌と安倍政権の経済運営の失敗による令和恐慌がかなり高い確率で起こるはずだ。

もしも人類の敵のシナ共産党の政権が崩壊すると、これ自体は良いことなのだが、殺人ウイルスに感染した何億もの人民が国外に出ることになる。日本列島や朝鮮半島は古代からシナ大陸の難民が流れてくる場所なのだ。北朝鮮は既に汚染されて崩壊中か?南にも広がるだろう!

日本はいくつかの離島に難民を日本国民から隔離する対策を真剣に考え、早急に実施する必要があるが、日本国民よりも外国人を優先する今の日本政府に、どこまで国民を護るまともな対応ができるのか、本当に心配だ。これこそホンマの悪夢じゃないのか(;´Д`)

今のような緊縮財政による国民貧困化で国民全体を蔑ろにする

間違った利権政治の流れと

ワイドショーなどでフェイク・ニュースを垂れ流す反日リベラル・メディアの酷い実態に

多くの日本国民が気付き、

反日リベラルではない、従米属国の戦後保守でもない、真の愛国者の国会議員を選んで

経済政策と外交・防衛政策を日本国民ファーストの方向に舵を切らないと、

このまま日本は衰退して、完全に立ち上がれなくなるぞ。


【関連記事】
今必要なのは真の保守政党だ!(*^▽^*)


新型肺炎はカナダで作られた?2つの有力説を検証してわかった生物兵器説より恐ろしい事態=高島康司
2020年2月10日  MONEYVOICE
(2020.2.11 追加)
コメント (2)

【検証11】定説の根拠を疑え(^_-)-☆

2020-02-01 10:59:26 | 古代史
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邪馬台国大和説は纏向遺跡が女王卑弥呼の都(みやこ)邪馬台国としている。その旗頭は著書やシンポジウムなどで大和説論者として活躍されている大和の考古学の第一人者の石野博信先生だ。昨年の2019年4月にも「邪馬台国時代の王国群と纏向王宮」(新泉社)を出版されて、そこで改めて大和説を主張するようになった根拠を「纏向遺跡は邪馬台国の候補地となるか」(pp.120-141)を中心に述べられているので、今回は主としてここを話題にしたい。


卑弥呼が使った土器は何式か?という話から始まる。卑弥呼が登場する前の「倭国乱」が起こった時期について「魏志倭人伝」では「その国も、もとは、男を王としていた。男が王となっていたのは七、八十年間であったが国が乱れて、攻め合いが何年も続いた。そこでついに、一人の女性を選んで女王とし、卑弥呼と名付けた。」(藤堂明保他、「倭国伝」講談社学術文庫2010,p.111より)とある。范曄の「後漢書」には「倭国大乱」の時期を「桓帝・霊帝の間(一四六~一八九年)」(同書p.32)とあるのを「梁書」に後漢霊帝の「光和年間(一七八から一八三年)」と書き替えてあるので、「卑弥呼が女王の位についたのは一八〇年代末から一九〇年頃となる。」とされた。そして「魏志倭人伝」に二四七年か二四八年に卑弥呼が死んだとあり、さらに次の女王台与が仮に二八〇年ころまで続いたとすればとして、西暦一九〇年から二九〇年頃までが邪馬台国時代としている(石野同書、pp.121-122)。

しかし、卑弥呼が女王に共立された時期だが、「倭国乱」が光和年間までで終わるということは「魏志倭人伝」のどこにも書いていない。「後漢書」は「倭国大乱」が始まったのは桓・霊年間だろうとしたのを「梁書」ではさらに光和年間に絞ったようで、光和の直後に乱が収まったというその根拠は怪しい。元々「魏志倭人伝」では男王がいた時期は、その男王を、107年に後漢に朝貢した師升王とその系統と考えると「魏志倭人伝」や「後漢書」では桓帝の時代から乱れ始めて霊帝の頃までは師升の一族が倭国王だったと考えられるが、その後は誰が王か分からない程本格的な混乱が長く続いたと考えられる。混乱が長年続いてようやく卑弥呼が登場すると考えるべきだ。

何故なら「魏志 韓伝」では桓帝・霊帝の頃に半島でも濊人・韓人が強盛になって混乱したとあるので、「倭国大乱」の時期と重なるのだから、半島情勢と連動していると考えられる。そうすると、半島情勢が収まる時期までは倭国乱が続いたと考えられるのだ。つまり公孫氏が204年に帯方郡を設置した時期だ。半島が静穏化したので、倭国では敵対勢力と話し合って女王を共立して混乱が収まったということだと推理できる(注1)。


図は纏向遺跡の築造と関わりある唐古・鍵遺跡と一緒に、纏向遺跡の遺構・遺物の変遷を示すものだ。卑弥呼が女王に即位する時期が丁度、纏向遺跡で大溝が掘削され、遺跡が成立する時期なのだ。だから邪馬台国大和説では女王卑弥呼が纏向遺跡を都として造ったのだとしている。だが、女王の即位と纏向遺跡が成立する時期が同じだからと言って、纏向が邪馬台国だとは言えないことは、纏向遺跡の外来系土器から分かるのだが、これについて以下のように書かれている(石野、同書pp.129-130)(注2)。

纏向遺跡では、その土器の分布状況からきわめて特徴的なことがわかってきた。出土した他地域の土器=外来系土器だ。九州系の土器では筑紫と豊後の土器がある。瀬戸内海沿岸の伊予・讃岐・阿波と日本海沿岸の出雲・伯耆・因幡などの土器、北陸・東海・関東の土器もある。これはいったい、どういうことなのか。他地域の土器がどのくらいきているかというと、調査地点によって異なるが、全土器量の一五から三〇パーセントくらいの割合で出土している。
<途中略>
土器が動くのではなくて、人が動いて土器が動く。たとえば大分の人が大分の名産物を壺に入れて持ってきた。それがカラになって捨てられて、いま遺跡に落ちていると考えるのが普通で、単純に言い直せば、一〇〇人のうち一五~三〇人は外来の人たちがいる街、それが纏向だということになる。一〇〇人のうち三〇人が外来人の街というのは、この時代の普通のことかといえばとんでもないことで、三世紀の近畿の一般的集落では一〇〇人のうち三人から五人が普通だ。たとえば大阪府の池上曽根遺跡とか、あるいは奈良県の唐古・鍵遺跡などの、近畿地方の弥生時代の大集落ではよその地域で作られた土器が出てくるが、その数は三パーセントから五パーセントだ。したがって、街の中を一〇〇人のうち三から五人くらいの外来の人がブラブラ歩いているのが普通で、二〇人から三〇人になると、これはきわめて異常ということになる。
<途中略>
邪馬台国はどこにあるかは、外来系の土器、よそから来た土器がたくさん落ちている所を探せばいい。いまも田圃・畑に土器片は落ちている。これらの土器片の分布調査をていねいにおこない、その土器片がどこでつくられたかを一所懸命に調べれば、発掘しなくてもある程度都市的な要素を持った候補地を探すことができる。そういう点からみても、纏向という遺跡は邪馬台国の候補地の一つになると思っている。

という主張から、纏向遺跡の外来系土器のデータを見つけた。オリジナルの図では石野・関川が1976年に提案した旧編年で時期が示されているので、年代が示されている現在の纏向編年(石野同書p.123の図)との対応を調べて赤字で記載した(ズバリ対応表が見当たらなかったので素人の刮目天が調査した。間違いがあれば指摘してください(*^▽^*)。


確かに、日本列島の様々な場所の土器がきているが、このデータでは外来系土器は15%で、その約半分は東海のものだ。外来系土器が30%というのはどういうことなのか全く不明だ。そして器種は甕が60%以上ある。纏向遺跡では各地域の首長層が居住する掘立柱建物が数多くあることが分かっているので、その従者が米などを煮炊きしたということなのだろう。水田はない純粋の政治的な目的で人々が集まった都市なので、唐古・鍵遺跡から外来の人々のために食物を運んできたのだろう。

そこでこの図からは先生が主張する筑紫や豊後の土器があったのか全く分からない。しかし同書の中に、筑紫と豊後の土器の記載を見つけた(石野同書pp.158-159)。

まず筑紫の土器だが、卑弥呼の治世に造られたとする勝山遺跡から鍛冶製鉄に使う送風管の先端部(ふいごの羽口)の断面が北部九州で見られるかまぼこ型の土器の破片が出土していた(纏向勝山遺跡1次調査)。近畿では断面形状はちくわ型なので、多くのヒトやモノが集まる卑弥呼の都と考える纏向遺跡にも北部九州の鍛冶技術が導入されていたということなのだ。

しかし勝山遺跡から布留0式土器が見つかっているとWIKI「纏向勝山古墳」にあったので、勝山遺跡が造られた時期は纏向4類の後期、およそ270から280年頃になるのだ。この時期は卑弥呼の時代ではなく、次の女王台与が西晋に朝貢した266年よりも後だ。刮目天が、纏向ヤマトに倭国が滅ぼされ、ヤマト勢に北部九州が占領されたと推理した時期なのだ。だから北部九州の人々は纏向にはきていないが、北部九州を占領したヤマト勢の誰かが纏向ヤマトに北部九州の鍛冶技術を持ってきたと考えれば、北部九州の甕が出土していない事実と合致するのだ。

また、豊後の土器は国東半島の安国寺遺跡のものらしい。安国寺遺跡から大和型纏向甕の完成品が二点出土しているので、これも上と同じヤマト勢が国東半島を占領した時期に、ヤマト側の人間か安国寺遺跡から在地のわずかな数の人が纏向にやって来たという解釈でつじつまが合うのだ。

つまり、卑弥呼や台与が支配していた時期には纏向に北部九州の人間はほとんど来ていなかったことを外来系土器のデータが示しているからだ。

「魏志倭人伝」には、北部九州の伊都国に一大率を置いて、女王への贈り物をチェックして届ける任務があると書かれている。それをそのまま信じれば、纏向遺跡に北九州の人々が来た痕跡がほとんどないのは、纏向遺跡が邪馬台国ではないからだと考えられる。

もしも「魏志倭人伝」の一大率の記述がデマだとすると、陳寿や関係者が何故デマをいうのか全く分からない。伊都国は奴国の時代から対外交易センターの役割を担っていたという物証が数多くあるわけだから、一大率を置く伊都国を経由しないで壱岐や対馬や狗邪韓国から直接、邪馬台国に女王への贈り物を運ばなければならない理由はない。邪馬台国が纏向遺跡であればなおさら地理的に別のルートがあるはずないし、大率に秘密にしなければならない理由も考えられない。

もしも邪馬台国が纏向に在ったのならば、女王が住まう政治都市である纏向遺跡には多くの人々を抱えているので、都の外部の様子を女王に知らせる役割の部下も居るのが自然だから、女王は国内外の情報を適宜入手しないと国を統治できないのだ。伊都国側が誤魔化すこともできないだろう。

だから、纏向に北部九州の人の痕跡がほとんどないということは、纏向が女王卑弥呼の邪馬台国でない事実を示す決定的な証拠なのだ。

北部九州との交流の痕跡はふいごの羽口だと言っても、それでは北部九州の冶金技術者らが来たという証拠にはならない。もしも勝山古墳の築造期が邪馬台国の時代だとすると、纏向ヤマトの人間が北部九州の冶金作業場から盗んできたか何らかの手段で入手したのであって、北部九州の人間が纏向を訪れたという証拠にはならないのだ。つまり北部九州と纏向の双方向の人的交流はほとんど見られないので敵対国同士だったのだ。だから纏向のヤマト勢は北部九州勢によって魏・西晋との交流も妨害されていたと考えられるのだ。それが280年頃までの邪馬台国時代の畿内の状況だったのだ(注3)。

そして、纏向遺跡は前方後円墳で代表されるヤマト王権の発祥地であることも間違いない事実だ。ということは、邪馬台国は纏向遺跡ではないので、刮目天の仮説のとおり一方的に纏向ヤマトに邪馬台国が滅ぼされたとしか考えようがない。邪馬台国東遷説は成り立たない。

そして「魏志倭人伝」には明確に、女王に属さない同じ倭人の敵対国として狗奴国が紹介されている。狗奴国は邪馬台国の強力なライバルということで、宗主国である曹魏は黄幢(正規軍の軍旗)を倭国に送って魏が後ろ盾であることを示し、狗奴国をけん制している。敵対する纏向ヤマトは狗奴国であった可能性が高い。

もしも狗奴国が、たとえば北部九州に在った邪馬台国の南に存在する熊本だというのなら、山陰・北陸・吉備・東海などの支配階級の人々が集まる、邪馬台国と交流していない対立している政治都市の纏向ヤマトは一体何者なのか全く説明できない。内外の史料に纏向ヤマトとして邪馬台国と戦った記録が一切見られないが、纏向ヤマトがある時突然、列島を支配したなど到底考えられない。何も記録のない、狗奴国でもない纏向ヤマトに多くの人々が集まって、何をしていたのか全く不可解だ。纏向遺跡で出土した木製の仮面や桃のタネは何のためなのかすらその目的はよく分からない。

また、もしも東海に狗奴国が在ったとするのなら、東海の人々が来ていた纏向ヤマトは何者なのだ?敵対する狗奴国が纏向ヤマトを支配したというのであれば、邪馬台国であった纏向ヤマトが狗奴国の支配国となっているということだから、「魏志倭人伝」の記述と全く矛盾する。

つまり邪馬台国ではない纏向ヤマトは卑弥呼と敵対した狗奴国以外に考えられない。


そこで狗奴国の場所が判明すれば、范曄の「後漢書 東夷列伝倭条」の「自女王國東度海千餘里、至狗奴国」から邪馬台国は瀬戸内海を西に千余里(約450km)渡った宇佐に在ったと分かるのだ。(【関連記事】范曄だけが「魏志の筆法」を見抜いた(^_-)-☆)

「魏志倭人伝」に「鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす。年、巳(すで)に長大なれども夫婿無し。男弟有りて国を佐(たす)け治む。王と為りてより以来、見(まみ)ゆること有る者少なし。婢千人を以って自ら侍らしむ。唯男子一人のみ有て飲食を給し、辞を伝えて出入りす。居処・宮室・楼観・城柵、厳(おごそ)かに設け、常に人有て兵を持ちて守衛す。」とある。

卑弥呼の統治を補佐する男弟は、伊都国に常駐する一大率という刺史のような役割の伊都国男王で、倭国王師升の一族だろうと推理できる。この男王が敵対していたムナカタ海人族を懐柔して宗像の卑弥呼を女王に立てた人物だ。倭国の政治の実権を持ち、都市部から離れた要害堅固な居城の中の卑弥呼が太陽神から授けられた神託によって政治を行っていたと考えている。孫栄健さんが推理したとおり、魏朝廷から倭国軍の大将として黄幢を授けられた大夫難升米が男王だろう。(2020.2.6 赤字修正)

婢千人というのはシナのいつもの大げさな表現だ。卑弥呼が死んだときに奴婢が百余人殉葬したとあるから、女王に仕える婢は百人程度と考えてよいと思う(注4)。そうすると、卑弥呼の居城は宇佐津から駅館川を遡った安心院町の三女神社の在る台地に在ったと分かる。「日本書紀 神代上第六段一書第三の条に「日神が生れた三柱の女神を、葦原中國の宇佐嶋に降らせられた。今、海北道中に在す。なづけて道主貴(みちぬしのむち)と曰す。筑紫の水沼君らの祭神である。」とあり、水沼氏が奉祭したという土地の伝承もあり卑弥呼は三女神とされた宇佐神宮の一品八幡比売大神なのだ。

宇佐平野には全長200mを超す環溝を設けた小部遺跡があり、長官の伊支馬(いきま)が居館を置いて、大分平野などを含む広域の邪馬台国全体を統治していたと考えている。赤塚古墳は前方後円墳であるので、ヤマト勢が宇佐を占領して、その地を支配した将軍の墓だと考えている。

【参考記事】
小部遺跡で古墳時代の大型掘立柱建物が発見されました宇佐市社会教育課ホームページ

【検証5】纏向は邪馬台国じゃないよ!(^◇^)

古代史を科学するには?(^_-)-☆


(注1)中平銘鉄刀が4世紀後半頃の築造の奈良県天理市東大寺山古墳から出土しており、中平は光和の後に続く184から189年。
「「梁書」に「光和の時倭国が乱れて、卑弥呼が女王になった」と書いてあり、「中平」年号の刀があるということは重く考えるべきであろう。」(石野同書、p.132)
その時期はまだ半島は乱れていたから、卑弥呼が女王になったので後漢の朝廷や公孫氏が与えたというのは怪しい。別の目的で作られたこの刀を4世紀にヤマト勢が半島に進出した際に入手した可能性が高い。

(注2)その後の210年頃纏向石塚古墳が築造されている。最初の前方後円墳のようなので、纏向遺跡を造った人物の墓だろう。吉備との繋がりを示す弧文円盤が見つかっている。刮目天は吉備大王天照大神ニギハヤヒの直系で狗奴国王卑弥弓呼が旧奴国王族を纏向の地に呼び寄せて、対邪馬台国問題を話し合ったものと推理している。この石塚古墳は卑弥弓呼王の墓だと考えている。この纏向1式の時期に特に吉備の土器が増えて、その後は順次減少しているのが分かる。大王が亡くなったので、本籍地の吉備から弔いのために多くの人々が集まっているということだろうね(^_-)-☆

(注3)邪馬台国に魏が正規軍の軍旗を届けたことから、敵対する狗奴国は呉を後ろ盾にしていた可能性が高い。呉の紀年銘鏡が山梨県と兵庫県でそれぞれ1面づつ発見されている。つまり、邪馬台国と狗奴国の抗争は三国志の魏と呉の代理戦争でもあったのかも知れない(^_-)-☆

(注4)多分日食によって伊都国男王の命令で卑弥呼の世話をする一人の男に殺されたのだろう。彼が男王に神のお告げを伝える役目であり、宮室に出入りできる唯一の男子にだったから分かる。卑弥呼はいつものように宮室(三女神社)の南西の河原に湧き出ている温泉に入っていたところを突然引き出されて殺されたと推理できる。その場所が日食に因む「ヒカケ」という地名だったのだ。その地に同名の三女神社が造られ、頓宮つまり卑弥呼の墓の遥拝所だったようだ。さらにそのすぐ北側に下市横穴群が掘られており、アマテラスが岩戸隠れした場所だと誰かが示唆したようだ。恐らくその場所に人聞菩薩(にんもんぼさつ)という謎の僧が造ったとの伝承のある乳不動があるから、横穴を掘った人物も人聞菩薩に関係がありそうだ。人聞菩薩は実在人物ではなく宇佐氏の中興の祖の僧法蓮(ほうれん)が関係しているらしい。実際には法蓮か彼の弟子が造ったのだろう。ヒカケの三女神社の西側の摂社は殺された卑弥呼の怨霊を封じ込めるために造られたものだろう。背筋が凍るような霊気が漂っている(;´Д`)これについてはまた、改めて詳しく述べたい。
卑弥呼の墓は見つかってるよ(^◇^)

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