楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

プーチンのウクライナ侵略

2022年02月27日 | 日記

最近、「再帰的無能感」という言葉を知った。

アメリカの思想家が新自由主義の帰結としている。

 

競争を促進することで国民の分断を生み、内需は頭打ちになり、経済はますます低迷の一途を辿ることになった。

体制を批判したところで、何も変わらない。抵抗するよりは適応した方がよいとする「学習性無力感」の広がりが新自由主義の帰結だという。

当てはまることばかりの世の中になっている。

 

24日、ロシア、というよりプーチンがまさかの正面切ってのウクライナ侵略を始めた。

人と人が殺し合う戦争は絶対にやってはならないことだ。

断固、反対だ。

 

〝ヨーロッパの穀倉地帯〟と習ったウクライナが焦土と化しつつある映像を見て胸が痛む。

双方の兵士にも危険な地域でリポートするジャーナリストにも家族がいることを考える。

在日ウクライナ大使館が赤十字国際委員会に数千のロシア兵士の祖国への搬送支援を依頼しているという。

 

一刻も早く停戦のためのテーブルが必要だが、国連は無力化し、アメリカもヨーロッパも利害得失を調整して経済制裁を考えているようにしか見えない。

 

「再帰的無能感」は新自由主義を覆う病だが、ことの性質は違ってもプーチンの暴挙にロシア国民が反対運動を起こし、世界に反戦行動が広がっていることは解決に向けた一条の光だ。

世界が、一人が一人が無力感に押しつぶされずに声を上げ続けるしかない。

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 - 6 (台南へ)

2022年02月25日 | 環島

 

 

2018年4月6

前日に親切にして貰った黄さんは独身で、妹さんと暮らしていると話していた。

別れ際、昼食の七面鳥の炒め物を納めたケースをバイクの格納スペースに入れる時に、袋に入った沢山のバターロールパンが目に入った。

七面鳥は妹さんとの夕食に持ち帰ったのだろうか。いい女性に巡り会えることを祈って7:00に台湾南端へ向けてペダルを踏み始めた。

 

 

嘉義市街地。バイク、バイク、バイク。(前日撮影)

バイク軍団に付いていれば間違って自動車専用道路に入ることは無いので安心だ。

 

 

嘉義市内から南へ5Kmほどの所に〝北回帰線〟のアーチがある。(前日撮影)

北回帰線は北緯23度26分の緯度線であり、気候区分が温帯から亜熱帯に変わる。南半球には南回帰線がある。

 

日本から最も近くで北回帰線を体験出来るのは台湾島であり、島はほぼ南北に二分されている。

南部地域は雲間から太陽が出ると一気に30℃を超える。日焼けで手足の皮が二度剥けた。

「夏至」は太陽が北回帰線に到達する日であることを知った。台湾では太陽がほぼ真上に来るらしい。

 

 

 

国道は二輪車専用レーンがあり、対面通行になっている。道路脇で豪快に豚肉を売っている店があった。

冷凍・冷蔵庫らしきものはあるが亜熱帯の常温下でブロック肉から量り売りをしていた。

『環島1号線』を70km走り、 昼前に台南市に着いた。

 

 

≪史跡の「赤嵌樓」の入り口と全景≫


17世紀に台南を占拠していたオランダ人の砦だが、1653年に鄭成功が彼らを追放し、跡地に中国式の楼閣を建てた。鄭成功と降伏するオランダ人の像が建っていた。

 

 

 

台南は国内の北と南から 観光客と食べ物が集まるという。寿司屋もあった。昼食に食べてみたがネタは日本と同じ。統治していた時代の名残りかもしれない。

 

この日の宿は小径が入り組んだ住宅街にあった。民泊のような一戸建てで、なかなか見つけられずギブアップ。カーディーラー店に飛び込んだ。

翻訳アプリで事情を話すと宿に電話をしてくれて、奥さんが車で迎えに来てくれた。台湾の人は本当に親切な人ばかりだ。後ろをついて行き無事、宿に到着した。

 

 

シャワーを浴びてひと休みして隣の喫茶店に入った。

 

 

何と、そこで二人目の中年の〝黄さん〟に出会った。喫茶店の常連さんで、東海岸の花蓮にある「太魯閣(タロコ)渓谷」の岩石崩落の危険は無いか尋ねると、よく行くそうで、丁寧な地図で注意点を教えてくれた。

お互いにたどたどしい英語なので時間がかかった・・・(笑)。

 

 

 

喫茶店にもう一人いたお客さんが近所の食堂のオヤジさんで、夕食に出掛けると食事代は全て無料にしてくれた。ずっと香辛料の効いた内臓料理を食べていたので暫くぶりの煮魚が旨かった。

台湾の人々は嘉義の黄さんをはじめ、皆さん本当に親切な人ばかりだ。

自分は出来ているのだろうか。。。

 

 

翌日、気持ちの良い目覚めだった。素泊まり3,000円くらいだったと思う。

(つづく)


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 - 5 (阿里山へ)

2022年02月23日 | 環島

 

北海道は記録的な大雪が続いていますが。。。。

 

2018年4月4

 

 

台中市から嘉義市までの100Kmを台湾鉄道で輪行した。駅の窓口でメモ紙に〝台中→嘉義〟と書くと切符が買えた。

運賃は144元(TWD)、650円くらい。別に自転車が350円くらい。

 

  

 

自転車は各車輌に3台ほどをベルトで固定するエリアがあるが、学生はママチャリをそのまま持ち込んでいた。

特急以外は組み立てた状態でOKなのでバッグに入れる手間が省けて快適だ。

主要な駅はホーム階段に自転車を押して上れる専用レーンか、エレベーターが整備されていた。

自然豊かな北海道はトンネルばかりの 新幹線から頭を切り換えて、自転車ツーリングを売りにした別の投資をしてはどうかと改めて思った。今からでもローカル線を残すための方策として取り組んで欲しいものだ。

 

車中で日本との合弁会社を退職した同世代の 人にお会いした。中学のクラスメートと続けている 小旅行とか。日本語で楽しい2時間を過ごすことが出来た。

 

 

嘉義駅に着いた。駅前で予約した宿の場所をネットで調べていると、青年が日本語で話しかけてきた。

名前は黄さん。日本語を勉強していて富士山が観たいという。嘉義駅に勤務していて、この日は午前中で仕事が終わったところだった。

嘉義は七面鳥料理が美味しいからと近くの屋台でお昼をご馳走してくれた。親切に宿まで案内してくれて、台湾の人の親切さに触れる旅の始まりだった。

 

「旅店」と看板の上がった日本の旅館のような宿に着くと、フロアに経営者の母親と思しきおばぁさんがいて、カタコトの日本語で話しかけててくれた。

日本統治時代の「国民学校」で習ったという。

「台湾人を抑圧した蒋介石一派は嫌いだったけれど、港や道路を作ってくれた日本人には感謝しており、好きだ」と言ってくれた。旅で出会った人は大抵、同じ感想を持っていた。

 

 

夕方、近くの商店街を歩くと何かのお祭りをしていて、民族楽器の演奏を聴くことが出来た。胡弓、チャルメラ、ドラの音が旅情を掻き立てた。

 

2018年4月5

嘉義駅前からバスで阿里山国立公園へ日帰りで向かう。

台湾の最高峰「玉山」(3,982m)から延びる支脈の全体を『阿里山』と総称するという。黒岳、旭岳などの連なりを大雪山と呼ぶのと同じだ。

 

《阿里山駅から絶壁奇岩の「塔山(2,663m)」を望む》

 

阿里山の最高峰は海抜3,952mの玉山。真珠湾攻撃の時の暗号になった〝新高山ニイタカヤマ〟である。

その手前の「祝山」の日の出は美しいらしいが、1泊して早朝に専用の〝日の出列車〟(登山鉄道)に乗り換えなければならないので、諦めて阿里山駅より少し高い「神木駅」まで行って山々を眺めた。

 

 

《阿里山森林鉄道 「神木駅」》

 

神木駅は嘉義駅から2,000m以上の標高差がある。気温差は15℃くらいあったと思う。バスと森林鉄道を乗り継いで2時間半ほどかけて到着した。

 

 

台湾は亜熱帯だが、阿里山駅周辺には桜があった。

 

 

国立公園の中には巨大な紅檜、千歳檜の原生林が広がり、中でも「ご神木」は高さ50m、推定樹齢3,000年とあった。

太古 が眠るような森林を散策した。

 

嘉義の街に戻り、翌日からのツーリングに備えて、夕方の1時間ほど、道路走行の練習をした。

日本と違って左側通行(車輌は右)なので、交差点の曲がり方に慣れなくてはらない。

自転車は少ないがバイクが圧倒的に多い。走行車線は車と区分されているが幅が広く、湧くように現れるバイクに飲み込まれそうだが、皆さん運転が上手で巧みに交わしてくれる。

(つづく)

 

 

 

 


降ったぁ !

2022年02月22日 | 日記

 

 

札幌に通勤していた頃、車も走れず、駅まで長靴を履いて歩いたことがあった。

それ以来かな。

 

野鳥餌台は埋没、

家は山小屋の気分 (笑)。

 

今週末から春に向かうとの予報を信じて、今日は一日、除雪。


東京五輪記録映画の疑惑

2022年02月20日 | 日記

観ていないが、昨年12月26日にNHKBS1スペシャル『河瀬直美が見つめた東京五輪』という番組が放送された。

東京五輪公式記録映画の監督を務める河瀬直美氏と映画チームを2020年末から1年にわたり密着取材した前・後編99分の大型番組である。

 

このBlogでも以前に書いたが、取材を受けている男性のシーンに付けられた字幕に放映直後から疑問の声が多数上がっていた。

映画『あん』 - 楕円と円 By I.SATO (goo.ne.jp)

 

NHKは字幕は「誤り」と説明していたが、世論に抗しきれず内部調査を行った結果、確認作業を行わない「杜撰な対応だった」と調査報告書(2022.2.10)で謝罪し、事実で無いことを認めた。

 

14ページの「調査報告書」を読んでみた。

5回に亘る試写・台本検討は事実確認が行われないまま字句の修正だけが行われた経過をまとめたに過ぎないことが分かる。

ねつ造ではないかと疑われるこの問題の核心は「誰が」、「何のために」だ。報告書は当たり前ながら全く触れていない。

〝臭い物に蓋〟〝トカゲの尻尾切り〟のこれまでの一連の政治疑惑の幕引きとそっくりであり、現場スタッフの「杜撰な対応」で片付けようとするNHKの姿勢がありありだ。

 

そして最も驚いたことは、NHK前田会長が国会で「意図的にやるのであればもっと上手くやるはず。」というおよそ公共放送の責任者として信じられない答弁をしていることだ。

裏を返せば、世論誘導を気付かれないようにやろうと思えばその技術はあると言っているに等しい。本当に恐ろしいことだ。

 

調査報告のあった日、BPO(放送倫理・番組向上機構)は「深刻な事案である可能性がある」として、審議するこを決めた。

当然である。

 

間もなく2030年札幌冬季大会の誘致活動が本格化する。

どこまでも疑惑がつきまとう東京五輪。そして人権問題、ドーピング疑惑に揺れた北京大会。

河瀬直美氏がどのような視線でオリンピックを見つめたか、そこは大いに興味がある。

 

◆ 問題の画像テロップの変遷 -NHK調査報告書より抜粋- ◆

<かつてホームレスだった男性><デモにアルバイトで参加していると打ち明けた>

<五輪反対デモの参加者><実はアルバイトだと打ち明けた>

最終テロップ;<五輪反対デモに参加しているという男性><実はお金をもらって動員されていると打ち明けた> 

 


今朝の出来事

2022年02月18日 | 日記

 

朝起きて部屋から庭を見ると雪の上に黒い斑点が広がっている。

 

 

夜中に風が吹いてヒバの枯れ枝でも落ちたのかといつものように野鳥の餌を持って外へ出る。それは小さな灰色の羽だった。

 

これはいつも庭の餌台にやって来る四十雀のものではないか。

カラスに襲われたか。

子供の頃に山にスキー遊びに行って同じ光景を見た記憶が蘇った。

 

見かけない生活になっただけで自然界ではあの頃から生き死にをかけた厳しい生存競争が変わらず続ているということか。ハッとする。

 

目に付かないから無くなったということでもない。

ウィルス然り。

 

《2022.2.18 7:30》 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 - 4 (日月潭へ)

2022年02月17日 | 環島

 

2018年4月3日

 

 

台中市内からバスで2時間ほど山間部に入る『日月潭』に日帰り観光した。

 

 

周囲35Kmの淡水湖で洞爺湖のような印象である。

湖の北側が太陽、南側が月のように見えることからこの名前がついたという。早朝は霧に覆われ、日中はエメラルド色に輝き、黄昏時には赤く染まるいう。

右上が唯一の島である「拉魯島」。かつては大きかったが1999年の地震で沈んで今のような小島になってしまった。

 

 

台湾メーカーの〝GIANT〟のレンタサイクルで湖を半周した。

 

 

日月潭には先住民の小集落が再現された「九族文化村」があるが、あいにくの休館日だったのが残念だった。正面のロープウェイを登った先にある。

台湾は16の先住民族が認定されている。

太平洋戦争の時に日本軍の義勇兵となつて、フィリピン 、 ニューギニア など密林地で闘った高砂族は有名だ。戦後補償の対象外であり戦争悲劇のひとつだと思う。

 

《先住民族の居住エリア》

 

先住民族は大陸から来た漢民族によって島の中央部の脊梁山間地へ追いやられた歴史があるという。

日本統治初期の1930年(昭和5年)には、山間地の霧社(現在の仁愛)で日本の高圧的な同化・隔絶・封じ込め政策に抗してセデック族よる反日蜂起事件が起きている。

 

 

土産品店には先住民のカラフルな衣装とともに、日本の蓑笠のようなものが陳列されていた。発祥はこの辺りなのだろうか。

 

 

湖畔の移動式売店。野菜、肉製品ともに豚肉が常温で販売されていたのにはびっくりした。

 

 

帰りのバス。4月という時期のせいか、空いていた。

大学の看板あり。

 

(つづく)

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 -3 (台中へ)

2022年02月15日 | 環島

 《ガイドブック》


2018年4月2

朝、仮眠した桃園国際空港の到着ロビ-からバス乗り場に移動すると澄み渡った青空が広がっていた。仰いで旅の無事を祈る。

札幌の気温は10℃程度だったので荷物を担いでいるとじっとり汗ばむ。気温差は15℃以上。

身体を慣らし、台湾の道路事情と生活様式に慣れ、旅行日数を抑えるために、出だしは輪行することにしていた。

山間の「日月潭(湖)」と「阿里山(山岳)」をゆっくり見物したいという希望もあった。

 

筆談で都市間バスのチケットを買い、1時間ほど乗って昼前に台北に着いた。

《ご飯と鶏肉の炒め物のあんかけ風?》

 

自転車を組み立て、ぶらぶら走って食堂へ入った。

壁に品書きがあるが70元(TWD)程度、350円くらいと安いが写真は無いのでどのような料理なのかさっぱり分からない。

入り口で注文を取る店もあるので、その時は身振り手振りで一度店内に入れて貰い、ひとまず一品を指さしで注文してからゆっくり品定めをした。(笑)

以後、旅ではお客の食べている料理を指して注文することにした。どれも香辛料が効いていて内臓を使ったものが多く、不得手な人はレストランが無難。

因みに台湾もアジア圏特有の屋台外食の食慣習がある。

 

腹ごしらえをして、早めに予約していたツーリストホテルをスマホのカーナビで捜した。翌日の嘉義市も予約しておいたが、以後、宿は当日の昼にアプリの「Booking com」で検索し、予約した。素泊まりのツーリストホテルであれば1,500~3,500円で泊まることが出来る。

 

しかし、ホテルといってても安宿は雑居ビルの中に入っているから見つからない。通行人に予約書の略図を見せて三人目でようやく辿り着いた。

 

  

《2018.4.2 台中》

自転車を建物の中に入れられて、なかなか小綺麗だ。ぐっすり眠れそう。

 

明日は台湾中部最大の景勝地『日月潭』の日帰り観光だ。

フロントの女性がバス乗り場までの丁寧な地図を書いてくれた。

夕食は宿の炊事コーナーを使って、コンビニもので済ませた。

 

(つづく)

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 - 2

2022年02月13日 | 環島

 

 

2018年4月1

夕方に新千歳空港を発って、九州上空を過ぎて何も見えない海上飛行になってからはビールを飲みながら台湾のマップを見たりして過ごした。

20:00頃、明るく輝く台北の上空から桃園国際空港に到着。

 

空港周辺の道路は自転車に乗ることは出来ない。台北市内に出るにはMRT(地下鉄のような新交通システム)で30分くらいだが、宿を予約したところで夜の知らない町で自転車に乗って探すのは至難の業だ。

そこでどうするか。台湾自転車旅のブログを読むと、「空港に泊まった。」とある。さらに「入国審査の時に、その日の宿の予約書の提出を求められるが理由を話すと通過させてくれる。」とあったので気楽に考えていた。

 

ところが、入国ゲートで男性管理官がかん高い中国語でまくし立てる。どうやら宿泊予約書が無いので「入国させない!」と言っているらしい。これはハプニングだ。

あやしげな英語で日本語の分かる入国管理官をお願いすると、中年の女性がやってきて別室へ。

 

二日目は台中市のゲストハウスを予約していたので書類を見せるとOKになった。

係官;「空港に泊まるところはありませんよ。」

私;「長椅子で寝ます。」

係官;「お気を付けて。」

 

というわけで晴れて台湾に入国することが出来た。

荷物の受け取り場所に行くと既にコンベアは止まり、自転車とサイドバッグ二つが取り越されて壁に立てかけられていた。

 

3万円くらいを台湾ドルに替えて(1TWDは4~5円)、到着ロビーへ。

先着と思しき台湾人家族が長いソファで寛いでいて安心する。

そして何とソファにはUSBジャックの付いた小さなテーブルが附属していた。

やれやれ、これで眠れる。

 

環島は時計と逆回りにした。大陸側の南下も太平洋側の北上も風の吹き方が追い風になり易いらしい。

翌日は空港から台南市までバス輪行することにしていたので、乗り場を確認して寝袋に入ったのは23:00を過ぎていた。 

(つづく)

 

 


寒さのピーク

2022年02月12日 | 日記

                                                                                                                        2022.2.11

札幌圏の記録的な大雪でトップしていた札幌駅発着の特急が5日ぶりに大幅減便で再開されたとの今朝の新聞。

幹線特急がこんなに長いこと運休していたことは記憶に無い。

もう無縁になった通勤列車も大幅に乱れていた。

 

札幌に勤めていた頃は雪害で運休、遅延があっても朝は遅れながらも何とか職場に辿り着き、夜は遅い時間までにはいつも動き出していたので、職場の仲間と駅周辺の居酒屋に停滞して時間待ちするのが常だった。

店は同じようなことを考えているサラリーマンで大いに賑わっていたものだった。

 

JR北海道は大幅な赤字経営の中でコスト削減と廃線を続けている。安全運行の人員と設備の態勢は大丈夫なのだろうか、心配になる出来事だった。

函館から札幌までの新幹線延伸も経営に負担をかけているような気がしてならない。

 

住んでいる街にも6日から断続的にベスト3に入るくらいの雪が降った。

寒さもマイナス15℃前後の日が続き、庭のハナミズキに樹氷が付いた。

秋に専門家に思いきって剪定してもらった。5月に花が着くのを楽しみに待つ冬もあとひと月だ。

 

       2021.5.21