楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

モヤモヤ感

2021年11月29日 | 日記

理不尽なことが無く、

教育と芸術・文化を重んじ、

安全で、格差の無い社会を実現する。

 

立憲民主党の代表選挙に立候補した4名の国家像を繋げると申し分無く素晴らしい。

誰が代表になっても是非実現して欲しい。

 

そのためには政権を奪取しなければならない。

 

日頃の活動を地道に積み上げ、

地域の実情に配慮しながら野党共闘し、

政権構想を分かりやすく説き、

投票を強く促す。

 

「戦略」としては王道であり、誰が代表になっても是非実現して欲しい。

 

しかし何か霧がかかったようなモヤモヤした代表選挙だった。

どうしてかなと考えたら具体的な「戦術」が曖昧だったのだ。

 

キモだと思う「連合」と「共産党」との関係をどうするのか。結局、分からなかった。

 

4候補者とも「小選挙区制である限り政権奪取には候補の一本化しかない」と言っているが、総選挙で具体的な説明の無かった「共産党との限定的閣外協力」について、代表選挙で連合、共産党との合意内容を明らかにしてもっと議論すべきだった。

 

名称のアレルギーはあるとしても、今どき共産党が暴力革命を志向していると考えている国民はいないだろうし、気を使っている「連合」の700万人組合員から出ているのは200万票程度という見方もある。

 

政権奪取と政権構想を分ける戦術は考えられないものか。“世代交代、女性登用”でお茶を濁すようなことでは「任せて大丈夫か」という有権者の不安はいつまでも解消されない。そんな気がする立憲民主党代表選びだった。明日決まる。

 


これが配膳ロボットかぁ

2021年11月27日 | 日記

 

用事があって上京した折に横浜港と“港の見える丘”などを半日ぶらぶら歩いた。普段自転車に乗っていても歩くのはまた別だ。結構足腰にきた。

ツール・ド・フランスに日本人で初出場した今中大介は、自身もそうだし他にも1Kmも歩けないプロ自転車レーサーは珍しく無いと何かに書いていた。

 

 

夕方、予約をしておいた中華料理店に義理の妹と3人で入った。

何故かコロナも落ち着いていて、平日の夜とは思えないほどの人出だったが、流石に海外からの旅行者の姿は無かった。

 

 

レストランに入るのは何年ぶりだろう。

店は家族連れ、友達同士、一人、とお客さんはまちまちで2時間制の客席はそこそこに埋まっていた。

受付で客席の方を見ると通路に配膳台のようなものがあり、やがてそれが料理を運ぶロボットであることが分かった。

 

最近、配膳ロボットが随分と普及しているという。回転寿司で注文した寿司が列車などに乗ってスーッと目の前にやって来るあれのフロア版とでも言おうか、通路を巧みに曲がりながらやって来る。

 

 

「今日の特別料理」と書かれた北京ダックや日本の刺身など値の張るもの?が最初に数品運ばれてきて一皿ずつ取って「確認」のボタンを押すと隣のテーブルに器用に移動する。

以後はテーブル席のタブレットで食べ放題の品々と飲み物を注文すると、ロボットが随時注文品を乗せてやって来る。

 

AIの時代。レストランも機械化が進むのだろうけれど何だか〝味気〟ない。

料理は五感で味わうものとは言うけれど、もう一つ、創る側との触れ合いも大事だ。

 

リモートの授業も会議も経験したことの無いオジサンには「配膳ロボットで食事」は馴染めそうも無い。しかし、世の中がどんどん変わっている。

 

 


今冬南極を歩いている日本人

2021年11月24日 | 日記

今、南極を歩いている日本人冒険家がいる。

 

阿倍雅龍さん38才。自身と同じ秋田県出身の白瀬矗中尉が果たせなかった人類未踏のルートで南極点到達を目指している。

食料等を積んだ100Kgのソリを一人で曳いて、距離約1,200Kmを70日間かけて来年の1月16日に到達する予定だ。

 

白瀬中尉といえば1910年代始めにアムンセンとスコットが南極点の人類初到達レースを繰り広げている頃に極点の直前まで進行したが、悪天候と食料の制約から付近を「大和雪原」と名付けて引き返し、仲間を無事帰還させたことで有名だ。

 

南極点は日本人としては2018年1月6日に荻田泰永さん(当時、鷹栖町在住)が1,130Kmを50日間かけて〝徒歩・単独・無補給〟の初到達を成し遂げ、マスコミでも大きく取り上げられた。

阿倍さんは既に2019年1月に日本人初のルートで南極点に到達している。今回は白瀬中尉の時から110年という節目の年に「しらせルート」を完成させるべく11月19日に「大和雪原」を出発した。

 

阿倍さんは白瀬中尉への思いが強い。

「17年の冒険人生の集大成、幼少期からの夢。念願の人類未踏しらせルートによる南極点単独徒歩到達にチャレンジする機が熟しました。元は病弱ないじめられっ子だった僕も、鍛え続けてここまで来ることができました。今こそ夢をつかんで証明します。人の夢が受け継がれていく事を。支えて下さる全ての皆さまの思いと共に、南極点に立ちます。」と語っている。

 

少しずつ高い夢を描いて入念な準備の下に挑戦を続ける・・・自転車旅をしていて少なからずお二人から影響を受けていると思うことがある。

世知辛く明るい話題の無いこの頃、新年の朗報が新聞の片隅にでも載ることを待つとしよう。

 

 


初めての自家栽培シイタケを味わう

2021年11月22日 | 日記

2021.11.20

 

季節外れに顔を出した庭のシイタケが成長している。

マイナスの最低気温が続きそうなのでの収獲を始めた。

といっても5個のうち、先ずは大きいのを2個だ。勿体なくて・・・。

ほだ木に菌を植え込んで2年目だ。

 

 

傘の裏は真っ白だ。スーパーで買ったものしか知らなかったのでびっくりだ。

 

 

 

一晩寝かして、翌朝にすまし汁、その夜はアヒージョにして味わった。

弾力が違った。野生の濃い味がした。

 

今日は夕方から雨が降り続いている。

残りの3個をどのようにして味わうか、話しのネタにもなっている。

 

 


MVP

2021年11月21日 | 日記

高校の英語の授業は中学と違って、文法とリーダーに分かれていて何か違うなぁと思ったものだった。

1年の夏休みにI先生がリーダーの『Spring has come 』とかいうタイトルのページを丸暗記するようにという宿題を出した。

 

『Spring has come 』の内容は忘却の彼方だが、アメリカ人が大リーグの開幕を今か今かと待っている様子が描かれていた。

草木が芽吹き、真っ青な空が広がり、つむじ風が舞って、球場のマウンドが水分を吸って盛り上がってきて・・・、アメリカ人がいかに野球シーズンの開幕を心待ちにしているかが生き生きと書かれていた。

I先生は中学でさんざん教えられた堅苦しい主語、述語とかの文法より、英文というものに触れさせて英語圏の文化を感じて貰おうとしていたようだった。

 

今年のアメリカ大リーグのMVPに大谷翔平選手が選ばれた。何故か『Spring has come 』のことを思い出した。

二刀流の大谷選手に出会ったアメリカ人が最初は驚き、続いて興味を持ち、そして遂にはその魅力に取り憑かれた姿が重なったからだ。

 

アメリカ人には「野球は打つゲーム」という原点があるらしい。審判のコールがボール、ストライク、アウトの順番なのはそのためで、日本では長らく「投手」の側に立ったストライク、ボール、アウトの順番だったという。

ノンフィクション作家の佐山和夫氏によれば、アメリカで野球が始まった頃の投手はヒジを曲げずに下手投げで打ちやすいボールを投げ、打者は良い球は必ず打つというルールの下でホームランを競ったようだ。

試合が終わると観戦していた子ども達はホームベース付近に順番待ちの列を作り、投手の優しいボールを打ってはボールを追わない大人達のおかげでランニングホームランを楽しみ、家に帰ると家族にその爽快さと喜びを話した。

「野球は打つゲーム」という原点はこうして受け継がれたという。

 

中学時代に野球部にいてキヤッチャーで6~7番を打っていた。野球の上手な子は大体エースで4番だった。入部した時の3年生のエースもそうだったし、球を受けていた同級生もエースで4番だった。選抜高校野球も然り。

「打つ」「投げる」が分業化した現代野球だが、大谷選手を見ていると「エースで4番」がそのまますくすくと成長して「4番でエース」になったようだ。

発祥の国で新しい野球感が生まれるとしたら誇らしく嬉しいことだ。

 

I先生の左手にはいつも真っ白い包帯が巻かれていた。ひよっとして先生は何かがあって諦めたけれど野球が好きで好きでたまらなかったのではないか。大谷翔平選手を見ていてふとそう思った。

 


災害は忘れた頃にやって来る

2021年11月18日 | 日記

厚生労働省の「アドバイザリーボード」の医療専門家や自治体の担当者らが新型コロナウイルスの「第5波」までの医療対応について、「実行性のある確保病床数でなかった」との検証結果をまとめた。

感染拡大時には、病床使用率が50~60%なのに入院できない患者が多く出たことから、今後は「現実に運用可能な病床数」を積み上げるよう提言している。

 

ベッドがあっても医療スタッフが不足していては有効活用出来きないことや精神疾患や透析などの病気の対応もあるので病床は簡単には開けられないことは繰り返し指摘されていた。

しかし、自宅放置による死亡が続発し始めた頃から「確保した重症病床を上回る感染拡大」との報道が目立っていたので課題が置き去りににされていたことに驚いた。

 

今後の感染対策の指標はこれまでの感染者数を重視したものから医療の負担割合を重視した5段階の「レベル」に変更される。

緊急事態宣言などの「強い措置」は3週間後に病床が埋まるか重症病床の使用率が50パーセントを超える場合に知事の判断で発動するらしい。丸投げである。

 

政府は病床使用率80%以上を目指すとしているが、発表を鵜呑みにしていると「第6波」でも悲惨な〝災害〟が繰り返されないとも限らない。

最近のマスコミ報道をコロナ関連に限らず懐疑的な目で見ている。

 

世界で最も早くワクチンを行き渡らせたイスラエルでその効果が半減し、再び感染拡大していることが気になる。

 

〝10万円相当給付〟が示していること

2021年11月15日 | 日記

すったもんだの挙げ句の果てに18才以下の子供一人当たり10万円相当の給付が行われることになった。

岸田首相は「迅速に決めた」と言うが何のことはない、総選挙前に国会を開いていればもっとましな政策がとおに実行に移されていた。

 

子供は独立し、年金暮らしには直接に影響が及ぶ話しではないが、岸田首相の「聞く力」とやらと与党の「数の力」によって、今後益々〝スジワル〟な政策がゴリゴリと進められると思うと無関心ではいられない。

一番の懸念は行政組織のトップである霞が関が想像以上に機能低下を引き起こしているのではないかということだ。マスコミはそのことにあまり関心が無いようだ。

 

所得基準を「世帯」ではなく「世帯主」にしたために、夫婦共稼ぎの高額所得家庭が対象となり得ることは役所の担当者が制度設計している時に直ぐに気付いたはずだ。

にも関わらず政治決着された。

 

さらには印刷、配布などの行政コストが掛かることが明らかなクーポン券の併用は、一説では公明党ではなく、財政規律を金科玉条にする財務省の主導で決まったらしい。

雑誌でバラマキ批判をした財務次官に役所が忖度したのだろう。

そして、何と言っても基本となる政策の目的も効果もはっきりしていない。

 

かつて、霞が関には政治の暴走を止める役割があったが、「この政策はマズイ。やるならこの方法だ」というチェック機能が果たせていないのは国民にとっての損失である。

 

岸田首相は自民党総裁選の立候補に当たって「民主主義の危機」を訴えた。首相になって記者からこのことを問われて「政治と国民との間に乖離がある」と答えたという。

その「乖離」が何故生まれたかの検証が全く無い。

 

安倍政権以来の側近による〝官邸政治〟で行政組織が歪められ、国民の側に立った塾考が行われなくなっていることの積み重ねが「乖離」の大きな要因ではないか。

政権交代は基本政策の方向転換と共に、行政組織の再生に繋がることでもあると〝10万円給付〟は示している。

 

 


椎茸さま

2021年11月13日 | 日記

1年前の当ブログの記事がメールで送られてきて、去年の初雪が11月11日だったことを知った。まだ最低気温が3℃辺りなので初雪はもう少し先になりそうだ。

 

《2021.11.11 右の2本の上と下に椎茸が出ている》

 

そんな今年の11月11日に椎茸が五つ顔を出しているのを発見した。菌を植え込んで2年目のこの秋は毎朝、ほだ木を眺めるのが楽しみだったが気配は無く、来年の楽しみにしようと暫く眺めることはしていなかった。

大きいのは直径5センチ位なので今月初め頃に出たのだろうか。保護色なのか目立たない。

10月下旬に雨が降ったり晴れたりの日が続き、最高気温もこの時期にしては高かった。ひよっとして勘違いしないかなぁと冗談半分に思っていただけにびっくりだ。

 

小さな〝椎茸さま〟を冬間近のこの時期にどのようにして育て、そして味わうか、暫く楽しませてくれそうだ。

天気予報からも目が離せない。

 

 

 

 

 

 


今年もニシン漬け

2021年11月11日 | 日記

2021.10.27

近所の農産物直売所に漬物野菜の大根、キャベツなどが並んでいる。今年もそんな時期になった。

小さい頃に母親から言われて、玄関先で大根を洗っていた頃を想い出す。荒縄で編んだ束子だった。冷たい水で指先の感覚が無くなり、早く終わって欲しいと思った。

 

今は綺麗になって売られていて扱いやすくなったが、大根を干している家を殆ど見かけなくなった。

麹菌や糠などを使った簡単で素朴な漬物はヨーロッパのハム、チーズなどに引けを取らない発酵食品文化だと思う。

 

 

今朝、漬けて5日目のニシン漬けの塩味をみた。まずまず。あと一週間寝かせる。

沢庵はひと月後。もう雪が積もっているだろう。

 

ニシン漬けも沢庵も作り方は母親がやっていた姿からの記憶だ。

ネットに細かいレシピが出ているが、分量は全て目検討。

 

身欠き鰊ひと袋は米のとぎ汁(今は無洗米なので糠汁)にひと晩漬けて置いて適当にぶつ切りにする。

人参と生姜は千切り。大根3本、中ぐらいのキャベツ2個はひと口大に乱切りする。

麹ひと袋、塩適量、刻んだ唐辛子少量とともに樽につけ込んで材料の2倍くらいの重しをかけて終了。

重しは2~3日して水が上がったら半分にする。

 

2021.1.06

作業場はベランダ。

 

 

 


『 私の自転車旅物語 』-壱岐・対馬の旅 -   番外 

2021年11月09日 | 『私の自転車旅物語』

 

 

対馬藩主であった宗家の菩提寺が厳原にある。初代藩主・宗義智(よしとし)の長男・義成が父親の法号に因んで万松院と名付けた。

事務所で対馬藩を揺るがせた「国書偽造事件」の話を聞いた。

家に帰ってから調べてみると。。。

 

秀吉から義父の小西行長とともに朝鮮出兵の先鋒を命ぜられた義智は、戦後は家康から一転して和睦に取り組むよう命ぜられる。

義智は藩の財政のためにも途絶えた貿易を再興したい一念で懸命の努力をする。そんな中、李氏朝鮮から国交回復の二つの条件を突きつけられた。

 

朝鮮出兵時に「朝鮮国王の墓を荒らした人物の引き渡し」と「徳川家康から朝鮮国王への国書の提出」だった。

ひとつは罪人を差し出して解決出来るが、「国書の提出」は難題だった。先に出した方が隷属することを意味するから家康が了承するはずがない。

 

義智が取った行動は“二枚舌外交”だった。

朝鮮には家康の名を用いた偽の国書を提出し、国書の返書を携えた使節団が家康と第2代将軍・秀忠に謁見する段になって、その返書までも偽造し本物とすり替えた。

こうして対馬と李氏朝鮮との間の交易が復活したが、以後、対馬藩では朝鮮から使節が来る度に辻褄を合わせるための国書の偽造が続けられた。

何だか両者の言い分を聞いて無害な立場を保つことに優れた岸田首相の政治手法を思った。

 

この件が発覚したのは実に30年後のことだ。長男の義成の時代に、時の家老・柳川調興が対馬藩の秘事を幕府に密告したからだった。

幕府直参になろうと画策する調興と義成の間の確執が原因だったという。

 

寛永12年(1635年)に3代将軍・家光の御前で、宗義成と柳川調興の双方の申し開きが幕府の旗本と大名の衆目の元に行われた。

結果は、朝鮮との交易は従来通り対馬藩に預けるべきと判断され、義成は無罪、調興は津軽へ流罪となった。

こうして幕閣を揺るがした対馬藩ぐるみの国書偽造事件は一応の決着をみた。

 

私益より国益を重視したと考えれば納得がいくが、事はそう簡単ではなかっただろう。長い間の暗闘、評定後の遺恨が想像される。

 

顧みて今。

森友、加計、桜、1.5億円、学術会議・・・・。

杜撰なコロナ対策予算、オリンピック予算の執行・・・。

今も私益に塗れた疑惑が満ちている。

 

総選挙が終わり、世間もメディアも安倍・管政権の政治疑惑を忘れたかのような間隙を突いて安倍派が巧妙に旗揚げした。

政治の基盤は信頼と透明性である。政権と当事者が不誠実な対応を続けて30年後に残っている僅かな歴史資料が公開された時にはそれ迄に失った国益も多々あるだろう。

政権交代という〝評定〟を今どう実現するか、野党第一党の立憲民主党の正念場だ。どちらの意見も聴いて迷走することは最悪である。