楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

本当にオリンピック

2021年06月29日 | 日記

6割以上の日本国民が「いまオリンピックはやらない方がいい」と考えている。

 

BBCのTV司会者のロス・アトキンス氏が26日の番組で「新型コロナウイルスのパンデミック対策で世界中が様々な行動を制限している中、なぜ東京オリンピックが決行されるのか」という解説を行っていた。

なぜ五輪は決行されるのか、BBC司会者が解説 - BBCニュース

冷静で網羅的で的確な解説だったように思う。

 
 
日本の世論動向、収入の73パーセントは放映権料が占めるIOCの経営体質、総選挙を控えてオリンピックを政権浮揚に繋げたい菅政権、投資した巨額の資金と中止に伴う経済損失の拡大の実態を述べ、
 
 
言ってみれば「泣く子と地頭に勝てない」日本だが、パンデミック拡大の責任は取れるのかと言外で問うような内容だった。
 
 
片や「仕方がない」と沈黙している日本のジャーナリズム。長いものに巻かれろの敗北宣言がなさけない。
 
 
ロス・アトキンス氏の結びが凄い。
 

曰く、IOC幹部のディック・パウンド氏は5月にイブニングスタンダード紙の取材で「見えないあるいは予測しなかったアルマゲドンでも無い限りこの手のものはやるものだ」と述べたが、

しかしこの1年半は先の見えない予測しなかった出来事だらけだった。

 

東京大会がハンデミックにどう影響するのかも予測出来ない事態になりかねない。

 

それがリスクだ。実際にどうなのか間もなく判明する。

 

管首相に「反対直言」をした閣僚が複数いたという。「オレは勝負している」と聞く耳を持たなかったらしい。

こんなリーダーに付き合う必要性は全く無いのに「開催」される。あの太平洋戦争もこうして始まったのだろうかと実体験している思いだ。

 


気持ちの良いポタリング

2021年06月27日 | 円 -bicycle-

 

朝から快晴で気持ちの良いポタリングだった。漁川河川敷道路から田園地帯の10~20Kmほどを毎朝のんびり走る。

 

 

遠く恵庭岳の雪が消えて、秋蒔き小麦も少し色づいてきた。8月上旬に収穫される。(左;今年4月)

 

 

 

馬鈴薯の『北海50号』だろうか。かつて恵庭にあった農水省の原原種農場で品種開発されたが登録に至らなかったため品種開発番号のまま栽培されている。近所の馬鈴薯畑はほとんどこのイモのようだ。

男爵より目が浅く、似たようなホクホク感がある。さっぱりしているのでサラダには向いていると思う。

 

 

薄ピンク色の花は『男爵』だろうか。明治末期にイギリスを原産とする品種「アイリッシュ・コブラー」が川田男爵によって七飯町に導入されてからジャガイモの代名詞になっているオバケ品種だ。

 

近くの道の駅に隣接して“花の街恵庭”の象徴的な広場『はなふる』が今年オープンした。来年の6月25日からの「全国都市緑化フェア」の会場として整備が進んでいる。

 

朝のポタリングのコースも多彩に、カラフルになってきた。7月になると早出し馬鈴薯の収穫が始まる。

 

 


2021農作業支援 -春大根- 

2021年06月26日 | 日記

《奥のコンテナから取り出してコンベアに乗せると、葉の切断、洗浄、サイズ選別まで自動。ダボール詰めは女性陣が行い別のコンベアに乗せると手前のベルトベルト梱包機に至る》

 

夏大根と漬物用秋大根があるのは知っていたが北海道にも春大根というものがあることは知らなかった。

4月初めからトンネル栽培をして3ヵ月で出荷される。その年の気象にも留意して品種を選ぶのは経営主の腕の見せ所らしい。

JAから連絡があって今週は3日間、8:30から午前中だけの洗浄作業に行ってきた。5月の田植え以来だ。

選別作業をするパートの女性陣が減って、半日操業になっている。

 

作業ハウスに行くと早朝に機械で掘った丸々の大根が10個のコンテナに入って積まれている。半日の処理量だ。

3人で洗浄機のコンベアに乗せる。葉っぱは畑で大体カットされているがダンボール詰めのために更に切り揃えられ洗浄ドラムへと運ばれる。

スーパーで売られている大根の葉っぱが殆ど無いのはこのためだ。ミニトマトやメロンのようにヘタやツルを付けなければならない果菜類もある。

「消費者が・・・」とよく聞くが消費者はどこに居るのだろうか。ただでさえ減少している労働力がそのための作業に割かれる。日本の農産物の規格には「消費者が・・・」という意味の無い拘りがある。

 

などと考えながら単調な作業は続く。

今回のO農場は昨年の秋大根の作業で行っていた。息子さん二人のうち、長男は園芸の〝武者修行〟に出ているとか。

次男も農業を継ぐ決意をし、両親の指導を受けて我々と一緒に働いている。将来、仲良く兄弟で農場を営めればいいなと思う。

 

帰りに大根を貰って味噌漬けを作って貰った。

来週も続く。

 

 

 

 


ラグビーイギリス遠征

2021年06月25日 | 楕円 -Rugby-

オリンピックの陰に隠れてあまり報道されていないが、ラグビーの日本代表がイギリスに遠征している。

ワル-ルド・カップでは熱狂的なブームを巻き起こした日本ラグビーであり、対戦相手がブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズというイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの一流選手を集め4年に一度編成されるドリームチームなのにである。

 

今回の遠征は昨年の暮れに決定している。日本ラグビー協会と言えば森喜朗氏が君臨している。オリンピックを巡って国内で様々な問題が起きている中で密かに静かに行動してきたのか。

そうだとしたらRugbyらしからぬ振る舞いだ。これで勝ちでもしたら「実は」と突然の大活字スポーツ報道になるのだろう。

 

試合は日本時間で26日(土)。 23:00から日本テレビ系列地上波で中継される。

スタジアムの収容人員は約67,000人で、現地の新聞報道ではチケットは最初の抽選販売で5万枚が売り切れたが、収束しかけていたコロナ感染が再び拡大しており、定員の3分の1に満たない16,500人の観客の前で行われることになりそうだという。

 

ライオンズは日本代表戦の後、本番の南アフリカ遠征を控えている。2019年のW.Cで優勝した同国代表のスプリングボックスとのテストマッチシリーズなど8試合を予定している。こちらは無観客の可能性が高く、常識的な判断だ。

 

日本戦はアフリカ遠征の調整試合との見方もある。フランス、イタリアなど近くに相手はいるのに日本代表チームがコロナ感染の危険がある中で、〝不要不急〟とは言わないまでもあっさり出掛けたのは疑問が残る。

かつてアマチュアリズムの権化と言われたラグビーのプロ化、商業化はオリンピックに劣らない。今回の遠征試合も国内某薬品メーカーの冠大会となっている。ここにも止めるに止めれない事情があったのだろう。

 

アルコール片手のプロスポーツ観戦が当たり前になり、気がついたら自分も札幌ドームでそうしていた。〝スポーツによる感動〟はワールドカップ、世界大会で十分味わえる。いや小さな大会に大きな感動が生まれたりする。

「するスポーツから観るスポーツ」に変貌し、今やプロスポーツは興業になった。

 

 


『 私の自転車旅物語 2016』-トカラ列島 お終い- ⑤中之島

2021年06月23日 | 『私の自転車旅物語』

野草地に係留されていたトカラヤギ。島内の山道を自転車で走っていると後ろでガサガサ音がして振り返るともっと毛が長く野性的なヤツがいた。

 

トカラ列島は火山列島であり、最近は地震が多くて心配だ。100万年前の噴火によって出来た「底なし沼」がある。底が泥状になっているので島民から恐れられているが地下湧水量が多く、発電に利用されていた。

 

いつの頃からトカラ列島に人が住み始めたのか興味深いが、中之島では縄文後期の集落跡や土器が発見されている。

 

海辺で赤道付近からの渡り鳥を観察をしている研究者に出会った。 毎年、ひと月ほどワゴン車に寝泊まりして海上からトカラ富士(御岳980m)めがけて飛んでくる個体を数え生態の変化を探っているのだという。

最近は減少傾向にあるとのこと。ビワの実を貰った。

 

無人の小臥蛇島。

 

トカラ列島は南北162Kmの日本で最も長い行政区域だが、総人口は1,000人に満たない最高僻地5級地である。一番大きな中之島でも屋久島の16分の1の広さで人口は150人余りしかいない。孤島の連なりだ。

そして琉球と本土の狭間で教育、自治の制度から取り残された格差の歴史がある。明治19年の小学校教育義務化令から遅れること44年、明治22年の市町村制から遅れること19年、昭和20年8月の終戦を実際に知ったのは3ヶ月後、本土復帰は昭和27年だった。

かつて小学校長から村長に転じ、物資輸送を充実させるために村営フェリー会社を立ち上げたのもこうした歴史がベースにあって、本州との繋がりを強くしようとしたことの表れだったと思う。

 

博物館で"ボゼ"という不思議な仮面を見た。中之島から奄美大島寄りの悪石島の伝統行事「ボゼ祭り」に使うものだった。

毎年お盆の最終日に現れて悪霊払いをしてくれるという。ボゼが持ち歩く棒には赤い泥水が付いていて、子供や女性を追い回わして塗りつけるという奇祭だ。赤道の雰囲気だがどこか雪国のナマハゲに似ている。

 

海岸に銭湯のような温泉が2カ所あった。奄美大島方面から移り住んだ人達と鹿児島方面からの人達とで入浴する温泉が異なるという。やや熱め。ノンビリ浸かった。

 

滞在は1日だったけれど自給自足型のノンビリした村の姿と開き直ったかのような人々の強さに触れた。診療所は無く、月1回の医師の巡回とネットによる投薬システムなので元気でなければ暮らせない。

最近は若い人も増えて何年ぶりかで子供が生まれ、島を挙げてお祝いしたという話しを宿の夕食時に聞いた。生憎の曇り空だったが、星空が綺麗らしい。

 

帰りのフェリーは定時11:15から遅れること1時間だった。〝島時間〟とのこと。港には見送り、出迎えのおばちゃん達が集まっていた。

 

 

乗船して民宿の1泊5食目の弁当を食べた。

鹿児島港到着は18:40の予定だ。鹿児島の「リトル・アジア」に1泊して、指宿、枕崎、天草、熊本、福岡と回る予定だったが熊本であの大地震に遭遇した。生きた心地がしなかった。 

 (この先はいずれ「2016九州自転車旅」で)

 

《トカラ列島から戻って「2016九州自転車旅」のルート》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2016』-トカラ列島 - ④トカラ馬に会った

2021年06月22日 | 『私の自転車旅物語』

鹿児島からトカラ列島へ向かう「村営としまフェリー」の終点は奄美大島だ。トカラ馬のいる中之島は鹿児島を出て口之島の次の2番目の島になる。自転車は車両庫の側壁に係員がロープで固定する。

フェリーは月・火と金・土の午後11時に出港し、一番近い口之島には翌朝の5時20分に到着する。乗り越さないよう早めに甲板に出ると口之島港の灯りが日の出のように見えた。

岸壁では赴任してきた先生方を生徒達が吹奏楽で出迎えていた。心温まる光景だった。

 

各島から鹿児島へ戻るのは奄美大島からフェリーが戻って来るまで最短で2日後になる。海が荒れれば1週間は覚悟しなければならない。

 

6:20 中之島到着。ここでも勇壮な太鼓による先生方の歓迎式があった。

 

港から自転車で10分ほどの民宿「なごらん荘」に到着して朝食。島の宿は1泊5食が標準だ。その訳は、島には食堂、商店、コンビニは無いので港から宿に直行して先ずは「朝食」を摂ることになる。

続いて島内見物などして昼に一度戻って「昼食」。再び島内見物に出て「夕食」。翌日の「朝食」を摂ってから11:15の鹿児島行きフェリーに乗船し、弁当の「昼食」ということで"1泊5食"になる。

中之島でただ一カ所の自動販売機。

 

朝食後に民宿のおばさんに「あそこは高台で坂が急なので自転車は無理じゃない」と言われたトカラ馬放牧地に向かった。北海道には無いジリジリとした日射しを背中に受けて坂を登り切り平坦地を行くと深い森の放牧地でのんびりと草を食むトカラ馬がいた。学生時代から45年、遂に出会った!との思いだった。

 

鹿児島県の天然記念物で絶滅危惧種のようなこの馬、1952年(昭和27年)に鹿児島大学の先生が日本固有の純粋種として紹介するまで世間に全く知られていなかったという。952年はトカラ列島が日本へ返還された年だった。

奄美大島の隣の喜界島からサトウキビ製造の労力として宝島に持ち込まれたが絶滅し、列島では中之島だけに30頭くらいが展示放牧されていた。ドサンコもそうだが背線と首筋が横一線の和種馬の特徴を示している。

学生時代に初めて教科書の写真を見た時の小柄で黒光りして素朴さと忍耐力を秘めた姿を見て、時間が戻ったような不思議な感覚だった。

 

日本の稲作は朝鮮半島から九州北部に伝わったというのが定説だが、哲学・思想家の吉本隆明は神話等を重ね、「どちらでもいいことだが」と前置きし、南西諸島から高千穂、さらに適地を求めて大分の宇佐、そして瀬戸内経由で畿内に広がったのではないかとの九州南部伝来説を述べている。

和種馬の分布も九州南部から畿内へと広がり作業使役に伴って北上している。何か通じるものがありそうな気もする。

 

放牧地の管理人さんはホンジュラス人がご主人の日本人女性で、アメリカで文化人類学と環境学を学んでコスタリカにいた時に募集を知って中之島に来たという。訪ねた時の2年前のことだった。

フェリー到着時に港に向かえに来てくれて民宿への道案内もして下さった。今はどうされているだろうか。

暫しトカラ馬を眺めてから島内巡りに向かった。 (つづく)


『 私の自転車旅物語 2016』-トカラ列島 - ③トカラ馬に会いに中之島へ

2021年06月21日 | 『私の自転車旅物語』

2016年4月1日 

 

鹿児島港から奄美大島に向かうフェリーの出発時刻の23:00まで時間があるので錦江湾に面した薩摩藩主島津氏の別邸『仙厳園』を見物したり、奄美大島行きフェリーの乗り場を確認したりして過ごした。

園内にある反射炉は世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産となっている。

 

 

 

トカラ列島の島々に鹿児島から荷物を満載した木造の小さな船が着くと子供達が『都会の匂いがする!荷物は何か!』と言いながら乗り込んで来たという。

島に赴任するために乗船していた小学校の校長がその光景を見て、「島には教育の前にすることがある」と後に町長となり、鋼鉄の立派なフェリーを村営で就航させた。今の"としまフェリー"だ。

 

深夜便のフェリーに沢山の見送りの人が来ていた。船のデッキに垂れ幕が沢山下がっていて、島に赴任する先生達が乗っていることが分かった。『〇〇先生、大好きです!またいつか』の声が掛かっていた。

4月1日、隣で男の新人先生が涙ぐんでいた。まさに船出の日だった。ジーンと来たことを覚えている。

フェリーは定時の23:00に汽笛を鳴らした。(つづく)

 

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2016』-トカラ列島 - ②輪行で鹿児島到着

2021年06月20日 | 『私の自転車旅物語』

2016年3月31日、恵庭岳に雪が残る季節に千歳空港10:40発の福岡行きSky Markに乗った。九州への自転車旅は前年の熊本・高千穂越えの旅に続いて2回目だった。

LCCのSky Markはフレックス価格で、安い時は福岡まで6,000円台のチケットをゲット出来きて自転車も無料なのが嬉しい。

 

大きい輪行袋を使えば前輪を外して古チューブでレームに縛りつけるだけ。トータルで20Kgに収まれば手荷物1個とともに無料になる。

昔は空気を抜くように言われた時代もあったらしいが今はチェックしないので通常の空気圧のまま預けている。

 

2016.3.31  13:15 福岡空港到着。空港職員の方が到着ロビーまで運んでくれる。重たいので恐縮だ。

 

福岡から鹿児島まで都市間バスで輪行。あいにくの小雨模様だったが車窓から桜を見ることが出来た。

 

20:30頃 鹿児島の宿に到着。薄明かりの知らない街で何度も道を尋ねた。ライダーハウス「リトルアジア」は様々な国のツーリストの“足跡”で埋まっていた。

ここは2段ベッドの4人相部屋。韓国の青年とカタコトの英語でなんとか。部屋は綺麗で調理室とシャワーが用意されていた。ラダーハウスは旅人同士なので慣れると楽しい。

 

自転車旅にいつも持って行く『旅をする木』。今はぼろぼろになった。

ひと晩寝て“刻を忘れるトカラ列島”中之島へ深夜フェリーの旅だった。 (つづく)

 

 


「安全・安心」が説明されないオリンピックに突入

2021年06月18日 | 日記
17日の政府のコロナ対策に関する基本的対処方針の決定により、「上限1万人」の観客を入れたオリンピック開催が事実上決まった。これによって620万人の人流が起きるとの試算もある。
 
開催か中止かの議論からいつの間にか観客を入れるか入れないかの議論にすり変わった。政府も大会組織委員会も「安全・安心」なオリンピック実現のための具体的な対策を説明しない中で半数の国民から遊離した議論だげが先行する。
 

国会で「パンデミックの中での開催は普通でない」」と言っていたコロナ感染対策分科会の尾身会長に「アリバイづくりかな」と思いつつ期待した。

結果は分科会の専門家有志と取り纏めた見解は政府側の掌にあって、予想したとおり巧妙に〝オリンピック観客上限1万人〟に利用された。

 

気になるニュースが出ている。

6日付けのBBC電子版が「国際オリンピック委員会(IOC)が15日に発表した関係者の隔離措置などを定めた厳しいガイドラインは、7月1日に見直しが予定されており、イギリス選手団はIOCと東京大会の組織委員会と前向きな対話を続け、組織委員会の橋本会長には文書が送られている」旨を伝えている。

他の国も追従しかねない。今でも穴だらけのバブル方式が“外圧”でこれから骨抜きにされそうな気配を感じる。外国に言われると弱い国民性があるからだ。

 

国会は閉幕。このまま視界不良のオリンピックに突入してインド株で感染爆発が起きれば大混乱必至である。「始まれば国民は忘れてしまう」という政府の“成功体験”にまたもや飲み込まれてよいのだろうか。

「尾身提言」というか、専門家のシュミレーションやデータ提供が開催ひと月前というのもあまりに遅く無責任だがまだ時間は残されている。

政府は「尾身提言」の扱いを大会組織委員会に丸投げしたが、管首相はずっと「安全・安心」を言ってきた。マスコミは議論を巻き起こし、政府の二重、三重のセーフティネットを引き出す役割がある。

 

《近所を散歩していて「アカゲラ」をみつけた 2021.6.17》

 

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2016』-トカラ列島から天草、壱岐 - ①45年目にして実現  

2021年06月17日 | 『私の自転車旅物語』

 

 

鹿児島の沖合に種子島があり、その南に屋久島があり、更に南に飛び石状にトカラ列島がある。人口160人の一番大きな中之島に数十頭の日本在来の『トカラ馬』が自然状態で放牧されている。

大学時代にRugby部の部長であったS先生の講義で知った。教室の窓から遠くを見ながら話しをする姿が印象的でいつか訪ねたいと思っていた。

自転車旅を始めて間もない2016年に実現した。卒業して45年目のことだった。

 

トカラ列島は〝刻が止まった悠久の島々〟と言われている。口之島から奄美大島手前の横当島まで、無人の4島を含む12島が南シナ海に飛び石状に連なる。

縄文後期の遺跡が発掘されていて、日本書紀の7世紀頃の記述にある"吐噶喇(トカラ)"が名前の由来ではないかとみられている。馬とともに大陸文化が伝わってきた。

鹿児島から中之島までは「十島としま“村営”フェリー」で6時間30分。

 

旅のルートは福岡まで飛行機、鹿児島まではパスによる輪行。中之島まで往復して鹿児島から指宿、枕崎、天草、熊本、福岡まで自転車で北上す予定で組んだ。

ところが・・・、熊本に泊まった4月14日の夜9時過ぎにあの大地震に遭遇した。  

 

JRも道路も寸断!どうするか・・・。

福岡にいる息子から大牟田まで走れば(50Km)そこからは西鉄で福岡に入れるとの情報があり、何とか辿り着いた。

 

思いで深い旅の顛末を折々綴ります。 (つづく)