楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ④ 

2021年10月11日 | 『私の自転車旅物語』

 

壱岐島は魏志倭人伝に「一支國」と記されていた。16世紀にはすでに麦焼酎が造られていたという。そのためか、泊まった国民宿舎では焼酎を勧められた。

 

2016年4月20日の朝、薄曇りの中を壱岐島郷ノ浦港から島の北部に向かってスタートした。

田んぼの中を走る道路はよく整備されていて、自転車で登校する中学生に所々ですれ違った。元寇に備えた砦の跡や慰霊碑らしきものが残っている集落もあり、古の国土防衛の最前線の島であったことを感じながら北上した。

 

 

快晴の中、昼前には宿の国民宿舎『壱岐島荘』に到着した。玄関横に今の天皇皇后両陛下が皇太子・妃の時(昭和44年)に宿泊したことを示す記念碑があった。

フロントに荷物を置かせて貰って近くの観光地に向かった。

 

 

黒崎半島の先端にある壱岐のシンボル猿岩。高さ45mの自然によって造られた奇岩は「そっぽを向いたサル」にそっくり!

神話の舞台にもなっていて壱岐島が流れてしまわ

ないよう神様が建てたと言われている。

 

 

サル岩の近くの小高い丘にある「黒崎砲台跡」。巨大な穴だ!

昭和3年から6年をかけて完成。戦艦の主砲が据えられ、対馬海峡を通過する艦船を攻撃するために設置されたが、ただ1度だけ試射が行われたのみで、実戦で使用されることなく終戦後に解体された。

口径約41㎝、砲身の長さ約18m、弾丸の重さ約1トン、東洋一と言われた。

 

 

海産物、野菜、漬物などが売られていた。

 

「壱岐イルカパーク」は貸し切りだった。

 

 

 

壱岐島北部の海岸と勝木漁港。

 

 

宿泊した国民宿舎『壱岐島荘』の温泉からの眺め。少しずつ天気が崩れてきていた。

 

 

4月21日。暴風警報が出ていたけれど壱岐島の海は嵐の前の静かさかのように鎮まっていた。

気を揉んだが波が4m迄ならフェリーは運行するとのことで、昼前に芦辺港に対馬からの博多行きが入船した時はホッとした。

 

博多までの2時間の船旅で4月1日に南のトカラ列島・中之島へ行き、九州を縦断し、壱岐島に渡った長い自転車旅を想い出していた。

 

(「壱岐島」は終わって、続きの2019年の「対馬」は追って綴ります)

 

 


『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ③

2021年10月10日 | 『私の自転車旅物語』

 

福岡の沖に壱岐島と対馬がある。対馬から韓国の釜山まで50Kmほどだ。

どちらも福岡県ではなく、長崎県に所属する。

この話しは2019年に対馬に行った時に観光地のバスガイドさんの話しを横から聞いていて知った。

 

調べてみるとその経過は複雑だ。

もともと壱岐と対馬は宗氏が治める対馬藩だったが明治維新の廃藩置県で飛び地の領地を持っている佐賀県に編入されいる。

その後、1874年(明治7年)に起きた江藤新平・島義勇らをリーダーとして不平士族が反乱した「佐賀の乱」の懲罰的な意味合いで1876年に佐賀県は長崎県に組み込まれて無くなった。「お家取り潰し」といったところか。

因みに島義勇は佐賀藩主・鍋島直正とともに蝦夷地を視察し、後に鍋島直正は初代開拓使長官、島義勇は初代開拓判官として、札幌市の東西南北の道路で区切られた都市計画の骨格を作っている。両人とも人望があった。

中央政府は薩長で占められ、佐賀は北の辺境に回されていたことも〝反乱〟の伏線なのだろうか。

 

佐賀県は強力な運動を起こし、7年後の1883年(明治16年)についに復活したが壱岐、対馬はそのまま長崎県の所属のまま今日に至っている。

 

壱岐、対馬の人は県庁に用事がある場合は遠い長崎に行かなければならず、対馬の議会では近くて交通の便も良い福岡県に編入する運動も起こっているとバスガイドさんは話していた。

 

《壱岐で訪ねた場所》

 

壱岐島は人口26.000人、南北17Km、東西15Kmの小さな島だが、その存在は中国の歴史書「魏志倭人伝」にも、日本の「古事記」や「日本書記」にも記されているという。

巨石古墳や建立から千年を越す神社、小さく古い祠が数え切れないほど点在し、島そのものが古代日本の博物館と言われている。

 

自転車旅は郷の浦港から北上して北部の景勝地などを巡り、勝本町の国民宿舎に1泊して芦辺港から福岡に戻るという短いものだったが、機会があればゆっり回りたい島だ。

(つづく)

 


『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ②

2021年10月08日 | 『私の自転車旅物語』

 

《2016年4月:鹿児島→トカラ列島→鹿児島→天草→熊本→福岡→壱岐島》

 

《2019年4月:博多→(壱岐島経由)→対馬→釜山(観光)

 

2016年4月19日、九州縦断北上を終えて福岡港から1泊で壱岐島を往復した。

博多港から対馬行きの九州郵船のフェリーが出ていて壱岐島は途中下船になる。

 

3年後の2019年に対馬まで行ったので『自転車旅物語』として壱岐、対馬を連続して綴ることにする。

 

 

2016年4月19日、博多港の出港は真夜中の0:05、壱岐島の南部の郷ノ浦港到着は2:15なので寝過ごすわけにはゆかない。壱岐島下船の乗客は指定されたエリアで仮眠を取り、船員さんが起こして回るというスタイルだった。

2等船室の大広間で殆ど眠れない状態で真っ暗な厳原港に到着した。

 

 

ところが2019年の対馬行きの時は2段ベッドのこじんまりとしたドライバーズ・ルームに案内された。自転車を乗せて初めてのことだった。ドライバーには違いない(笑)

この時は対馬までなので安心して福岡港出航後に直ぐに寝入ったが大きな揺れで目が醒めた。壱岐島と対馬の間を北上する対馬海流にさしかかっていたのかもしれない。流れが早く強いのか。

日露戦争ではバルチック艦隊がここを通過北上し、待ち構えていた東郷平八郎率いる日本海軍と交戦した末に旅順港に逃げ込んでいる。

壱岐島には巨大な砲台跡、対馬には潜水艦出撃のための人工運河が残っていた。

 

がらんとした郷ノ浦港フェリーターミナルの2階待合室の長椅子で朝が明けるまで安心して眠った。近くに二人の魚釣りの青年が同じようなことをしていた。

7:00頃、売店のおばさん達が仕事にやってくる物音で目が醒めた。夜も明けていてターミナルの回りには段々の田んぼが広がり、狭い島では海のギリギリ近くまで耕作地として利用していることが分かった。

 

1階のロビーで朝食のパンを買って食べ、自転車を組み立て壱岐島の自転車旅を始めた。まだ肌寒い季節だった。

(つづく)

 

《博多のビル街と“川端通り”の屋台街 2016》観光客相手のためか値段が高く見学だけ。


岸田に奇襲は似合わない

2021年10月06日 | 日記

2日にラジオ出演した小沢一郎は「日本人はムード、雰囲気ですぐ変わり、岸田新政権で風向き、潮目が変わった。野党は政権を取るという強い意思で本気で纏まり、強いアピールと分かりやすい政策が必要」と語っていた。

「管に悪いところを全ておっかぶせて辞めさせるところが自民党の凄いところ」とも。総選挙は非常に厳しいという認識に立っている。

 

気を引き締めよといっているのか、或いは本当か。百戦錬磨の策士の言葉だけに気になる。

 

立憲代表代行の平野博文選対委委員長が小沢に協力を求めたことに枝野が不快感を示しているらしく、総力戦なのにいまだ隙間風が吹いている。

勝たなければ何も始まらないのに。

 

“ご祝儀支持”が言われているが共同通信では55パーセントと思いのほか低い。

 

投票行動の研究によれば、小泉郵政改革のように具体的な政策があって選挙に突入する場合は別として、世論調査の支持率と実際の選挙の投票率の関係は曖昧らしい。

世論調査の高い支持がそのまま政党への投票率を伸ばすかというとそれほど大きなものではないという。

自民党・公明党へ投票する有権者は25パーセント程度らしく、世論調査で自民党内閣支持率は40パーセント程度なので年齢層にもよるが自民党支持者の半分程度は他党に投票していることになる。

 

岸田政権はまだ何もやっていない。一説には当落が危うい選挙区の大臣が多く、政治とカネに纏わる話しも甘利幹事長を筆頭に尽きない。

 

振り返れば2017年衆院選で、自民党は小選挙区では得票率は半数以下だったが75%を占める議席を獲得した。比例代表では、自民、公明両党が獲得したのは87議席で、定数176の半数に届かなかった。

 

逆も真なり。

小沢一郎の思いが杞憂に終って欲しいものだ。

ご祝儀世論調査に頼った駆け込みボロ隠し選挙の投票行動がどうなるのか。岸田に奇襲は似合わない気がしている。

 

 

 

 


樽前山登山

2021年10月03日 | 日記

畑は馬鈴薯、コメの収穫が終わって、キャベツ、大根の収穫と収獲が近い大豆、ビートの除草の真っ最中だ。

今週もJAの農作業支援で忙しくなりそうだ。

 

 

なので今日は妻と樽前山(1,022m)に登山した。何年ぶりだろうか。

コロナ緊急事態宣言解除の日曜日とあって、7合目駐車場に入るのに40分ほど待たされた。

 

 

 

 

7合目駐車場から頂上までは約1時間。

快晴のハイキング日和だった。風は強かったぁ。

 

 


『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ①

2021年10月03日 | 『私の自転車旅物語』

雁の編隊を観るようになった。

自転車シーズンもそろそろお終いだ。

朝の最低気温が10℃を切ると野宿も厳しい。

晴の日の多い10日頃に支笏湖を通り、美笛峠を越えて鄙びた蟠渓温泉に一泊するツーリングで遠出は納めにしよう。

 

先日、火野正平氏がTV『こころ旅』で壱岐島を走っている姿が再放送されていた。

2016年にトカラ列島、天草、熊本、福岡と走り、1泊で壱岐島に足を伸ばしたことを想い出したた。

 

ブログの

『 私の自転車旅物語 2016』-九州の旅-

で福岡到着まで綴った。

 

次の『私の自転車旅物語』は壱岐島と2019年に縦断した「対馬」とを結ぶことにしよう。

 

福岡の沖に浮かぶ小さな壱岐島と対馬。

古くは大陸文化の窓口となった国境の島である。

 

壱岐島は古事記の記載から、邪馬台国の前身ではないかとの説があり、対馬は日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を迎え撃つ拠点となった。

 

小さな島は周辺国との文化と戦の接点として大きな役割を担った歴史がある。

 

 

(つづく)