楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

腰の据わらない野党第一党

2023年02月28日 | 日記

間もなく衆議院で2023予算の採決が行われる。

昨日(27日)の衆院予算委員会総括質疑を聞いていたが、〝子育て予算の倍増〟ひとつ取っても岸田首相の答弁は相当いい加減だ。

頭ごなしに閣議決定した防衛予算とは打って変わって、「数字ありきではない。」「内容はこれから整理して6月の骨太方針に大枠を示す。」と繰り返すだけで、倍増のベースがGDPなのか金額なのか、いつ実現するのか、曖昧にして答えなかった。

 

事の発端になった15日の予算委員会の中継も聞いていたが、岸田首相は、「2020年度の家族関係社会支出がGDPで2パーセントを実現しているので、それを倍増しょうと言っている。」と間違いなく答えている。

それが「家族関係社会支出」を指すことは初歩的な国語の問題だ。

にも拘わらず、である。

 

厚労省の国立社会保障・人口問題研究所の昨年8月の発表によると、2020年度の「家族関係社会支出」(子供・子育て関連支出)は10兆7536億円で、GDP比は2.01%。

倍増させるには約11兆円の財源が新たに必要になる計算だ。

統一地方選の前に〝財源論=増税〟に話しが及ぶのを避けたのだろう。

これでは口から出任せ、まったくもって無責任だ。

 

アメリカ、自民党右派、財務省の間で木の葉のように揺れ動くのが岸田首相だ。

自民党の少子化担当相経験者は「首相の勘違いではないか。家族関係社会支出だけで倍増するのは相当難しい」と述べているというし、政府関係者も答弁内容について「事前に聞いていなかった」と驚いたという。

 

16日になって、松野官房長官は「将来的な倍増を考えるベースとして家族関係社会支出のGDP比に言及したわけではない。」と釈明したがどうみても理解不能である。

首相答弁書の責任者である木原官房副長官までが、BSTVで「子どもが増えれば予算は増える。出生率がV字回復すれば早いタイミングで倍増する。」と言い出す始末である。

 

今に始まったことではないが、政府の国民軽視、国会軽視には呆れる。

それでも予算は予定調和の如く粛々と国会を通過してゆく。

 

曖昧な答弁に終始する首相に対し、野党第一党の立民党泉代表は23日の自身の質問が終わって記者団相手に「へんてこな倍増論だ。」と鬱憤晴らしをした。

しかし、そんな悠長なことを言っている場合ではない。

 

首相から「丁寧に」どころか、まともな説明がなされないのだから、「国会軽視」として、〝審議拒否〟すべきだった。

岸田首相も何かにおどおどしているが、野党の先頭に立つ泉代表も〝提案型〟に拘って闘う気迫が感じられない。

働いている人は見ていない時間帯の国会中継で、質問の合間に「我が党は、」と政策集の話しをしたところで響かない。

ニュースでも取り上げられない。

 

岸田首相はこれまでも「令和版所得倍増」や「資産所得倍増」といったスローガンを打ち出したが雲散霧消している。

もっと厳しく国会対応すべきだし、日頃の地道な活動に取り組んで欲しいものだ。

攻め所満載なのに、これでは統一地方選はおぼつかない。

 

ここまでおかしくなった政治と行政。選挙は大事だ。

 

 


シンセサイザーのバッハ

2023年02月26日 | 日記

何となくバッハを聴きたいことがある。

-バッハには精神の塗り薬のような優しさがある-  阿部公房

                      

ラジオでシンセサイザーのバッハを初めて聴いた。

最初にシンセサイザーを始めたウェンディ・カルロスに『スウィッチト・オン・バッハ』(1968年10月)という歴史的アルバムがあるらしい。

冨田勲はこれを聴いてシンセサイザーを始めたという。

 

バッハ ブランデルブルク協奏曲第5番

 

〝音楽は時間の芸術〟とよく言われる。

絵や文字や形として残らず、残っているのは楽譜だけ。

演奏は時間とともに流れ、次々に消えて行く。

シンセサイザーを聴いていると特にそのことが凝縮しているように感じる。

 

まさに〝一期一会〟なのだが、その中に変化しない、変わらない価値があるから何となくあの曲をと聴いてみたくなるのだろう。

バッハであれば〝精神の塗り薬〟というのはそうかなと思う。

 


『リバーサルオ-ケストラ』

2023年02月24日 | 日記

毎週水曜は夜更かし。

夜10時からのBS『ヒロシのぼっちキャンプ』を見るのが楽しみだった。

ところが1月からTVドラマ『リバーサルオ―ケストラ』が被ってしまった。

 

TV録画機能がよろしくない。

まぁどんなものかとドラマの第1話を見て、22日で早や第7話になった。

〝ヒロシ〟さんとは多分3月いっぱい御無沙汰だ。

 

赤字続きで存続の危機にあるオ―ケストラ(児玉交響楽団)を変人指揮者(田中圭)とコンクールでのある出来事により、表舞台から消えていた天才バイオリニスト(門脇麦)が団員と一緒になって立て直すという物語。
 
軽快なテンポとちよっと誇張した作りは2006年にTV放映された『のだめカンタービレ』を想い出させる。
 
その頃、息子は音大生。
演奏家としてメシが食えるのは卒業生の数パーセントと聞いていたが、何故か妙に腹を据えていた自分が懐かしい。
本人が「プロになる」という明確な目標を持っていたからかな。
 
 
この番組で流れる演奏はどこのオケだろうかとエンドロールを追っても出てこない。ピアニストの清塚信也氏が番組協力していることは分かった。
 
つい最近、神奈川フィルハーモニー管弦楽団であることをSNSで知った。
何と10年ほど前に息子がオーボエの契約団員で大変お世話になったオーケストラだ。
 
その頃はドラマと同じく、まさに経営再建中だった。
ファンの皆さん、後援団体、役所のバックアップで乗り越えた。
 
何か縁があるドラマで、益々、親近感が増した。
 
 
ドラマでは〝ポンコツ児玉交響楽団〟という言葉がよく出てくる。
実力派オケの団員さんが敢えて音色とかハーモニーのレベルをそれなりに落として、徐々にブラッシュアップさせてゆくのは流石にプロである。
 
門脇さんはバイオリンを引くとか。
出演の皆さん、難しい演技をこなすのも流石にプロだ。
 
 
 

第7回の前日の2月21日に神奈川フィルのスペシャルコンサートが開かれ喝采を浴びた。


『太陽のかけら』 - 谷口けいの軌跡 -   

2023年02月22日 | 日記

年が明けてから時々だるさを感じたり、若かりし頃からの持病の腰痛が強くなったり、

いよいよトシかなと思う日々、『太陽のかけら』(大石明弘;登山家&ライター)を読んだ。

 

 

文庫本357ページのまるまるが以前に書いた女性登山家谷口けい氏の人生で埋まっている。

2015年に43才で冬の北海道の黒岳で滑落死した世界的なアルパインクライマーだ。(少数パーティで最低限の装備により、短時間で岩と氷の壁を登攀するスタイル)

 

ヒマラヤの未踏の壁の登攀が中心の活動だったので最悪のことが起こりえるが、それがまさか黒岳とは。。。

 

2023年1月28日のブログ記事一覧-楕円と円 By I.SATO (goo.ne.jp)

 

著者の大石氏は、けいがヒマラヤを登り始める前からの知り合いで、数年間、アルパインクライミングを教えて貰っていた登山家だ。

けいの父・尚武氏の「彼女は世に送り出されたとき、使命を与えられてきたような気がするんですね。それなりに果たして、もう戻って来なさいと言われて、天に帰って行ったんじゃ無いかと思ったりしてね。」という言葉が強く突き刺さったようだ。

「冬壁では果たすことの出来なかったパートナーとしての役回り」として、けいの「軌跡」を多くの人と「シェア」(けいがよく口にしていた言葉という。)して、「使命」の意味を感じて欲しいと『太陽のかけら』を執筆した。

 

息もつかせぬ人生が綴られている。

ざっと拾うと、 

1990年、繊細すぎるほど繊細だった18才の高校生の時に1年間のアメリカ留学に向かう。

帰国するや行き先も告げずに家を出る。3ヶ月後に父あてに送られて来た手紙には、「いったい、何のために生きるのか。私は受験生をやめます。」と書かれていた。

3年が経って届いた手紙には、明大文学部地理学科に入学し、無事に1年を終えたことが綴られていた。

自転車クラブに所属してニュージーランド南島をツーリングしている。

親に頼らず自立した学生生活だった。

 

1998年に卒業し、就職するが3年で退職。

主な登山歴は、

2001年にはアラスカ・デナリ登頂と山岳アドベンチャーレース参戦。

翌2002年から2003年は野口健のエベレスト清掃登山隊・登頂、2006年マナスル登頂、2007年チョモランマ登頂、2008年にはインド・カメット南東壁を初登頂して、世界的に権威のある「ピオレドール賞」を女性として初めて受賞。

その後も20013年にシスパーレ南西壁試登、2015年にネパール・パンドラ東壁を試登して帰国後、同年の12月21日に黒岳で帰らぬ人となった。

 

12月25日からはキリマンジャロのガイドで出掛ける予定だったという。

悲しくも24日のクリスマスイブがお通夜となってしまった。

 

自分とは何かという問いを懐に忍ばせ、43年の「人生は新しい自分を発見する旅」を駆け抜けた。

人生80年として、40年は折り返し地点。後半の40年はエネルギを他者のために使おうと、亡くなる前年の2014年に女子大登山部の海外遠征のサポートでネパールの未踏峰に出掛けるなど、新しい活動に入った矢先だった。

 

「やってみなければ分からない。」

幾多の雪と岩の壁をキャンバスに自分の理想のラインを描き、その知識、経験を社会に還元しようとしていた人生だった。

 

人生の後半も残り少なくなったが、遭難が報じられるまで全く知らなかった登山家の生き方から勇気をもらい、最近の倦怠感を吹き払ってくれた。

 

「仲間やネパールなどの遠征先の人々をその底抜けの明るさで太陽のように照らし、今、そのかけらが私達の心の中で輝き、燃えている。」と著者が語っている。

 

演奏:兵庫芸術文化センター管弦楽団

指揮をしている佐渡裕がこの楽団で国内外の新進気鋭の若手音楽家を育成している。

 

谷口桂(本名)さんは、さだまさしのファンのヤマ仲間に「嘘っぽくて嫌い。」と語っていたそうだが、海外からの帰国機の中で『風に立つライオン』を見てから変わったそう。

ある日、友人が家を訪ねると室内にずっと流れていたという。

葬儀の時も。

 

 

左手前の「パンドラ」は〝未完のキャンバス〟になった。

 

 

 

 

 

 


暫くぶりの枝野質問 

2023年02月18日 | 日記

防衛大臣の国会答弁に整合させるため、領空侵犯した気球は撃墜もあり得るということになった。武器使用の範囲を変更するのだという。

 

森友学園事件を想い出す。

「私も妻も関係していない。」という当時の安倍首相の国会答弁に整合するよう、公文書を改ざんし、不都合な文書を隠蔽した。

 

どちらも政権の都合のいいように〝後追いで〟法規や公文書を変えてしまうという手法だ。

 

順序は真逆だが、似たような強権的なことが国の重要な方針転換においても行われている。

閣議で事実上決定してしまい、〝後追い〟の国会議論は閣議決定に整合するよう、核心を曖昧にして答えず、時間切れで多数決に持ち込む手法が定着している。

 

こうしたことでは民主主義が成り立たない。

安倍政権の負の遺産だと思う。

 

2月15日の枝野幸男衆議院議員の暫くぶりの予算委員会質問を聞いた。

原発と敵基地攻撃に絞って質問していたのは戦術として良いと思った。

その中であまり報道されていないが注目される質問があった。

 

〝原子炉は動き出すと内部を見ることは出来ない。運転期間が60年以上も可能となるような基準変更を考えているが、経年劣化をどのようにチェックするのか。

確かに世界で最強の?「安全基準」は原発を作る時のものであり、運転が始まったら人類未知の領域だ。

なお且つ、炉ばかりでなく、水と電気の設備が破壊されたらアウトである。

 

〝敵地攻撃能力は1956年の政府見解で憲法上、法理的には可能という見解は支持するが、ミサイルに関しては基準が必要。我が国領土・領海に着弾することが不可逆的になり、かつそのことが外形的に明確になった時という基準で何か問題があるか。〟

確かに、ある国のミサイル発射をキャッチし、敵基地攻撃をしたが相手国のミサイルが我が国の領土、領海とは関係が無かったということがあり得る。

 

岸田首相はどちらにもまともに答えなかった、答えられなかった。

「検討する。」とも言わなかった

全てが拙速で議論が不足。議会制民主主義の根幹が揺らいでいる。

 

建て直しは選挙で〝まともな議員〟を選ぶことを地道に続けるより方法が無いと改めて思う枝野質疑だった。

 

 


電力規制料金の便乗値上げ

2023年02月16日 | 日記

家を建てた30年前頃は〝オール電化〟がブームだった。

北電も住宅メーカーも石油ボイラーは10年も経てば交換しなくてはならないけれど、安い深夜電力を使った温水器はその必要は無いので、長い目で見れば〝お特〟という触れ込みだった。

一応、危険分散も考えて、給湯と台所の熱源を電気にし、冬期間の暖房は石油ストーブによるパネルヒーターとした。

 

それがウクライナ戦争で原油・天然ガス価格が高騰し、すっかり様変わりした。

電気料金は既に前年の1.4倍になり、この冬の灯油代がどうなるのか、小まめな湯温や室温の設定管理、消灯などの自衛生活を送っている。

 

ところが大手電力会社が申請している4月からの「家庭向け規制料金」の値上げ申請について、15日に「電力・ガス取引等監視委員会」の専門委員会が〝値上げ申請には燃料費以外も含まれ、最大限の努力をしているのか疑われる〟との審査結果を発表した。

北海道電力では再生エネルギーの買い取り価格の値上げ分が含まれ、東京電力では広報費を含んでいるという。

これでは制度のルールを逸脱した〝便乗上げ〟だ。

 

現在申請されている値上げ幅は28.08~45.84パーセントだが、専門委員会の試算では単純に電気料金に反映されないが、3~13パーセントに低下するという。

 

パフォーマンス好き、あっさりと前言を翻すので信用出来ない河野太郎消費者大臣が何やら電力会社のトップと会談している。

経産省が申請を大幅にカットした時に、「どうだ。」と胸を張るための算段か。

 

メディアはあまり報道しないがこの先、委員会の審議内容をつぶさに報道して欲しい。

 

 


山口2区だけではない。  

2023年02月14日 | 日記

 

地盤、看板、カバンは昔から言われてきたことだけれど、ここまで端的に日本の政治を可視化してくれた功績は大だ。

 

すぐにHpから家系図が削除され、今はHpそのものが閉鎖されているとか。

そこらも見事に馬脚を現してくれている。

 

あとはこちらの問題だが、それでも当選するところがこのような候補者が出てくる以上に深刻だ。

 


坂本龍馬と浦臼町

2023年02月11日 | 日記

先日、開拓農民であり、画家としても日高山脈など、十勝の四季折々を温かい筆致で描いた坂本直行氏のドキュメントがNHKBSで(再?)放映されていた。

東京の義理の妹夫婦宅で見ていて、「坂本家の墓」が北海道中央部の浦臼町にあることまでは話題提供したが、その経緯はすっかり忘れてしまっていた。

老化はどんどん進む。

 

帰宅して自転車ツーリングした時の資料を読み返した。

JR浦臼駅近くの国道沿いに「坂本龍馬家の墓」の看板が立っていて、町の博物館に資料が展示れている。

 

125年前の1898年(明治31年)に、龍馬の姉・千鶴の次男の坂本直寛(旧姓・高松習吉)が北見から浦臼沼の畔に入植している。

北見ではキリスト教をバックボーンにした「北光社」を設立し、浦臼でも伝道、教育、治水などの幅広い活動を展開していたようだ。札幌の円山に眠っているという。

 

直寛が浦臼に入植た年に龍馬の養子だった千鶴の長男の直(旧姓・高松太郎)が亡くなっていて、翌年、直の妻の留とその次男の直衛が直寛を頼って高知から浦臼に移り住んでいる。

 

浦臼町にある「坂本龍馬家の墓」は留と直衛のものだった。

 

画家・坂本直行氏と龍馬の関係はこれまで何度聞いてもよく理解出来なかったが、直寛の孫、龍馬の姉・千鶴のひ孫ということになる。

 

なかなか込み入っている。

この記憶は今度はいつまで持つか。。。笑

 

龍馬にとって、北海道開拓は一生の願いだったようで、博物館に展示されていた手紙に「一人でもやり遂げたい。」とある。

北辺の開拓と防備という先駆的な構想は後に明治時代の屯田兵制度に生かされているのだという。

 

龍馬が北海道移住の夢を叶えていれば、お雇い外国人に託した北海道開拓の姿も変わっていたのかもしれない。

 

 

今朝のTV音楽番組でアイヌの伝統楽器「トンコリ」をOKIさんが演奏していて、久し振りにCDを聴いていた。

 

 

 

唄;安東ウメ子(アイヌ文化の伝承者 1932年~2004年)

トンコリ;OKI

*イフンケとは主に女性が歌う一種の子守歌。

*もう一曲はどちらかが倒れるまで続けたことから〝心臓破りの踊り〟と言われるとか。

 

 

 


『新・開拓時代』を想い出す

2023年02月08日 | 日記

2月6日の夕方、東京からの帰りに新千歳空港で携帯電話を開くと横路孝弘氏死去の速報が入っていた。

3日に都内で亡くなられていたとのこと、享年83才は若いと思った。

 

国会議員は退いていたが、今こそ人権派でリベラルな政治家の重しが社会に必要であった。

ご冥福をお祈り申し上げる。

 

家に戻って、30年前に知事公館で撮った古いツーシヨツト写真を眺めた。

横路氏は北海道知事に当選してから道内各地を精力的に回るとともに、庁内各課の担当者とも政策の推進や課題について数年に亘って意見交換を続けていた。

写真はその時のもので二人とも若い!

 

道に就職した時は堂垣内尚弘知事、10年ほど経って横路知事、後継の堀達也知事と続いて、退職が近づいた50才代半ばで高橋はるみ知事に代わった。

思えば〝革新系知事〟が長い道職員生活だった。

 

知事選出馬に慎重だった横路孝弘氏を担ぎ出したのは元・日大全共闘の田村正敏氏らが呼びかけた〝横路孝弘と勝手に連合する若者の会〟だった。

職場で全道庁労働組合員はイニシアルのYを象ったバッジを付けていたものだった。

 

住んでいた職員アパート界隈に本人が乗った選挙カーが廻って来た日のことが今でも鮮明に思い出される。

夕闇の中に明かりが灯るベランダから沢山の手が大きく振られていて、これは勝つのではないかと予感した。投票日前日のことだった。

 

職場の飲み会で当時の課長が「当選が決まった朝は辞表を懐に家を出た。」と語ったことがあった。

保革対決が激しい時代だったが、勿論、幹部職員の交代は無く、「静かな船出」と言われた。

 

『新・開拓時代』。

横路知事が議場での就任演説で、傍聴席まで満席の職員を前に発した言葉だった。

一村一品、宇宙産業、次世代エネルギーなど5本~6本だったか、新しい北海道の創造に向けた政策方針の柱を示し、職員の協力を呼びかけた。

『新・開拓時代』の冊子はコピーされ、各課で先を争うように読まれた。

 

農業関係では十勝圏での食料コンビナート基地建設構想があった。

小麦や馬鈴薯、玉葱、畜産物など、大量に生産される道産農産物の物流と加工の基地を整備し、付加価値を付けようという取り組みだった。

安全・安心という価値も加えて、様々な形で受け継がれていると思う。

 

議会答弁の〝摺り合わせ〟が慣例化したり、予算編成で自民党の要望をほぼ飲んで財政負担の増加が始まったり、十年以上に亘って、給料天引きで負債90億円を返済した「食の祭典」や「新北海道長期計画」を巡る一部職員の汚職などの負の遺産もあったりしたが、新年の挨拶でよく茨木のり子さんの詩を引用して、自立することの大切さを呼びかけていたのが印象的だ。

人口、経済、物流などを北海道というエリアの出入で捉えた「域際収支」という概念は斬新だった。

 

今年の4月には所謂〝保・革〟による知事選が行われる。

財源も無いから仕方のないことかもしれないが、国をなぞるような失点の無い安全運転行政が続くのなら〝保・革〟のどちらが知事になっても同じではないか。

 

候補者は夢のある〝自立した北海道〟を語って欲しいものだ。

横路氏の死去に思う。

 

「北海道百年記念塔」(1970年建設)

総工費5億円の半分は道民の寄付だった。解体されるのは寂しい