楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

2022 農作業支援 -野菜苗づくり-  

2022年04月29日 | 農作業ヘルパーの記

 

近所の農家に作業の手伝いに行くようになって4年目になった。農作業が少し分かってきた程度で体力は低下する一方だ。

今シーズンは先週から述べ6日間、野菜の苗を作っている農業法人に出掛けた。

 

ハウスでの仕事は初めてだった。

恵庭岳にまだ雪が残っていて風は冷たいがハウス、倉庫内での作業が主なので寒さは気にならない。

しかし、作業は基本的に「苗」を育てている「土」の運搬。重労働だ。(農作業はみなそうだが・・・)

 

2月にハウス内の苗作りが始まるらしい。

農家、ストア、大手種苗会社向けに時期別、品種別に播種、植え替え、温度管理がきめ細かく設計されていて、作業は入口の苗移植と出口の出荷だ。

 

作っているのはシソ、トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、レタス、キャベツ、枝豆、セロリ、スイカ・・・。それぞれにいくつかの品種がある!

 

苗移植は女性のピンセット作業、出荷は男の力仕事。棚又はダンボールに詰められてトラックで近郊や遠くは帯広、旭川にピストン輸送される。

 

ハウスが数十棟林立する広い農園内で、多種多様な作業を社長と助手1名が30~40人の男女を相手に切り盛りする。流石にプロだ。

 

苗というと綺麗、小さい、軽いのイメージしか持っていなかったが、店頭に並ぶまでに実に複雑な手間と時間、労力が投入されていることがよく分かった。

 

「苗を買った人は沢山の収穫を期待し、長く使います。そのつもりで丁寧に扱って下さいね。」

社長の言葉がストンと落ちた。

 

朝の自転車散歩の河川敷にエゾヤマザクラとこぶしが色づいてきた。

畑では間もなく今年の農作業が始まる。苗が立派に育って食卓に届きますように。

 

 

 

2022.4.29  6:30

 

 


サポリージャ行進曲  

2022年04月26日 | 日記

『サポリージャ行進曲』というウクライナの曲を知った。

指揮をしているのは4年前まで九州交響楽団の首席クラリネット奏者だった横浜在住のタラス・デムチシンさん(38才)。ウクライナからのリモートだ。

演奏しているのは福岡在住の九州交響楽団の元の同僚で、ちらもリモート合奏。

 

西日本新聞がこの演奏のことを伝えている。

タラスさんは、今年の1月に一人暮らしの病弱な父親を心配して祖国ウクライナに帰郷したところ、戦争の総動員令によって日本に戻れなくなり、ポーランドとの国境近くのリビウに避難している。

 

親戚、友人は従軍しており、大砲の音が大地を揺るがす中で平和の大切さを九響の仲間にSMSで送ってきたのが昔の仲間とのリモート演奏に繋がった。

 

マーチはSMSで共有され、ストレスを抱えるウクライナ人を元気づけたという。じっと聴いていると民族音楽のような感じがし、明るく、祖国への愛がしみじみ伝わってくる曲だ。

 

タラスさんは息子の年上だが、誕生日が同じで九響在籍中は何度かお会いする機会があった。ブルーの瞳の明るく紳士的な青年だ。

父親と一緒に日本に戻る手続を進めていて、5月には作曲家である父親の曲を演奏するのを心待ちにしている。

早く停戦が訪れて演奏会が実現して欲しいと心から願っている。

 

 


北国にも春の兆し

2022年04月22日 | 農作業ヘルパーの記

《2022.4.20》

 

今日(4/21)、道南の松前町にある松前城のソメイシノの開花が発表された。

平年より6日早く、去年より5日遅いという。

仕事で道南の江差町に暮らしていた時に、森町の桜公園とともに時々出掛けたものだった。

札幌の円山公園の開花予想は23~24日頃とか。

北国にもようやく桜が辿り着いた。

 

朝の自転車散歩の河川敷で、ついつい「サクラ折るバカ」をしてしまった。

ヤマザクラだけれど花の色は自然に咲く時と違ってやはり薄くなるものだ。

 

我が家の「ハナミズキ」はどうか・・・。サクラの後の楽しみだが、昨年、思いきって剪定して貰ったので期待はしていないが。

 

桜の便りとともに、今年もJAの農作業支援事業が始まった。

取り敢えず20日-22日の3日間、家庭菜園向きの苗づくりを行っている農業法人に出掛けることにした。

 

専従の人が30~40人近くいる大きな農場で、2019年に一度だけ行ったことがある。

シソやトマトの苗のポット移植をしているが、種類がとても多い。3月にハウス内で播種し、小さな形に育ったものを大きめのポットに移し替える作業だ。

ハウス内のベルトコンベアの傍で立ったり座ったり、土を運んだり、二日目が終わって、筋肉痛の鎧を着ているようだ。笑

年々、体力が落ちてくるのを実感する。自転車旅を続けられるよう、今年もガンバルぞ-っ。

 

ベルトコンベアーと苗ポット(シソ)

《別種類のシソ》

 

《トマトの苗もこんなに小さい》

 

 

これらの苗が連休の頃に店頭に並んで春が本格化する。


ウクライナ戦争報道

2022年04月20日 | 日記

ウクライナ戦争でロシア軍は南東部のマリウポリに総攻撃をかけ、多数の民間人の遺体が見つかった首都キーウ郊外のブチャよりも厳しい状況になる恐れがあるという。

これからさらに凄惨な戦いの状況を目の当たりにすると思うと胸が息苦しくなる。

 

ニュースショーの戦闘シーンなどで「日本語による吹き替え」が行われるTV局が気になっている。

言葉は心の奥底からの感情の発露でもあると思う。

吹き替えは目の見えない人への配慮があるのかもしれないが、ではニュース番組が全てがそのようになっているのだろうか。難しい問題ではあるが。

 

こんな言い方は失礼かもしれないが、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人々の代弁方法として、安っぽい吹き替えは当事者の怒り、悲しみ、訴えを伝えるうえで適当でないのではないか。

それは吹き替えしている人の感情に過ぎないと思う。

 

母国語で必死に訴えている姿には字幕ーパーが相応しい。

時には吹き替えがドラマかゲームでもやっているような間違った感覚を引き起こし、現実に起きている戦争の悲劇を伝える力を失うな気がするからだ。

 

もうひとつ。番組で外交、軍事の専門家を「お客さま」と紹介する局がある。

「加わっていただく」「解説をお願いする」ではないかと思いながら観ている。

これはウクライナ戦争に限ったことではないが。

 

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)- 5 台風の中、帰国

2022年04月18日 | 環島

2018年7月10日

 

赤道付近から台湾のすぐ東に台風が接近。

予報は翌日の11日にかけて北西部を進んで大陸に向かうというものだった。

帰国日(11日)を直撃なので予定していた市内見物を取り止め、善後策の検討だ。

 

いろいろ考えた。

帰るのを1日延ばすか。

はたまた空港まで行くだけ行って、飛ばなければ戻ってくるか。

ホテルは予約しておくか、どうするか。

 

泊まっていたホテルはやはり延泊の人が多く出て、午前中には満室になってしまい、紹介して貰った台北駅近くのホテルに行ってみることにした。

 

11日を予約しておいて、飛行機が飛ぶことになったらキャンセル出来るかどうかフロントの女性に尋ねると、当日キャンセルなので返金は出来ないとの返事だった。

自己都合ではなく、台風という不可抗力によるものなので救済出来ないか、念のため聴いてみた。

返答は「飛行機が飛ぶ場合は一応、空港から電話してください。考えてみます。」との前向きなものだった。台湾の人は本当に優しい。

 

ひとまず期待して、午後から泊まっているホテルの近所を散歩した。台風の生温かい風が吹いている。

 

  

 

ホテルの裏は餃子、小籠包、肉饅頭などの食べ物屋が密集していた。調理しているところが通りから見える。

 

 

 

昼食は、これが最後かな・・・と4月にもお世話になった「牛肉うどん」にした。

隣の女性が食べている豆腐のようなものも注文してみた。歯ごたえがあったので豆腐ではなさそう。何かのパテかな。唐辛子を付けて食べると美味しかった。

 

由緒ありげな看板、掛け軸゛に店の古さを感じる。

外へ出ると風が強くなり小雨が混じってきた。

 

2018年7月11日

 

 

4月、7月に台湾で泊まってきたツーリストホテルの朝は大体、このような地元料理のバイキングだった。屋台のように香辛料は強くない。朝食付で3,500円~4,000円くらいか。

 

 

朝から台風に包まれている。

しかし、「目」の中にいるのか、風が無い。

 

空港に着いて、予定通り飛ぶとの案内にホッとする。警察官、警備員の姿が目に付く。

直ぐに確保しておいた台北駅近くのホテルにキャンセルを入れる。

台風の影響は殆ど無く、予定どおり離陸。

 

無事、帰宅してホテルの名刺のアドレスにメールすると、数日して「返金手続をするのでホテルの領収書と搭乗券を送って下さい」との返答が来た。

暫くして、指定した口座に全額が振り込まれて〝余話の〟台湾旅は終わった。

Thank you,Miss Coco さん!

 

       

       桃園空港


PS.台湾が平和で、優しく、親切な国であって欲しい。


(お終い)

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)-4  台北に戻る

2022年04月17日 | 環島

ウクライナ戦争に絡めて〝台湾有事〟が報じられることがある。

内戦で中華民国を倒した中華人民共和国が、領土として台湾を併合しようとする動きが顕著になってきているからだろう。

ウクライナ戦争は最早プーチンよる犯罪、テロ行為であり、未然に防ぐ方法は本当に無かったのか。

台湾有事があってはならない。隣国の日本の外交に果たす役割は重大だが、アメリカの指南が無ければ何も出来ない政治家が心許ない。

 

 

 

2018年7月9日

 

MRTの美麗駅忘れ物センターで前日、電車に置き忘れた旅行ガイドブッグを受け取り、台鉄で台北へ向かった。

 

 

台北から再びMRTに40分ほど乗って、「北投温泉」に向かった。

台湾の太平洋岸には所々温泉地があった。北投温泉は台北の奥座敷の風情だ。ドイツ人によって発見され、統治時代に日本の温泉文化が入ったという。

 

高級ホテルのリゾート施設が多いが公衆浴場の「瀧乃湯」でかなりの熱湯に浸かった。

1923年に当時皇太子だった昭和天皇が巡行で訪れている。

 

 

 

 

 

台北市内に戻って、ランドマークの「Taipei 101」からの夜景を眺めた。

508mの高さがあり、5Fまではショッピングモール街、そこから直通エレベーターで89階の高さ388mの展望台へ。

夜景は値千金。

遠く、桃園空港の航空機の発着を見ることが出来た。

 

 

《台北駅裏のツーリストホテル》

 

台風が近づいていた。予定通り帰れるだろうか・・・。

(つづく)

 

 

 

 

 


春眠暁を覚えず

2022年04月16日 | 日記

 

2022.4.14

 

家の周りも近所の畑からも雪が完全に消え、冬眠から醒めた。

朝のカーテン越しの陽の光に春を感じる。

“葡萄の涙”が自然の脈動が始まっていることを知らせているようだ。

しかし、眠たい。

 

自転車散歩を始めた。

恵庭岳からの風はまだ冷たい。

朝の出来たてのような空気が肺の隅々に行き渡り、シヤキッとする。

 

家に戻って、パソコンの海外メディアを開く。

日本の報道は、新聞もTVもコメンテータもニュースソースが一つで気味が悪い。

 

ウクライナ南部、東部で何が起きているのだろうか。

沈黙がやがて目を覚ましても狼狽えるだけの現実がいつまで続くのだろうか。

 

刻々と命が奪われる凶悪犯罪なのにプーチンを拘束するための強行突入も出来ず、

「戦争だから」と理性が麻痺して行くゆくことが恐ろしい。

頭が朦朧とするのは春眠のせいだけではない。

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)- 3 高雄・愛河

2022年04月15日 | 環島

 

2018年7月8

 

八田ダムのある嘉義市から台湾鉄道で高雄市に移動した。

4月の自転車旅では道に迷った"愛河の夜景"を観るためだった。

高雄市は台北に次ぐ人口約190万人の港湾都市。愛河で街が東西に別れている。

 

さて、今回は迷わないよう、Tax.に乗った。運転手に"愛河の夜景"の写真を見せると、「ビューポイント」がやはり分からず、車内電話で通訳サービスセンターに繋いでくれた。

案内の女性と話をして、結局、「夜景が綺麗でビールの飲める場所」に向かうことで運転手に伝えてもらった。

このような通訳サービスは韓国の釜山の地下鉄でもボランティアの人を見かけて助かったが、観光地などでは有効な方法だと思う。

 

スタートすると、運転手は「青春時代」を台湾語で歌い始めた。上手なので私、拍手。運転手はノリに乗って終わらない。車はどんどんビルの谷間へ・・・。


通訳センターから正しく伝わっているのだろうか。不安になり一度止めてもらい再確認すると間違いなさそうだ。


海の近くとばかり先入観を持っていたが、愛河は街中を通っているのだ!4月の失敗は思い込みによるものだった。運転手と「Bar東京」とかいう店の前で固い握手をして別れた。

川面に映る光が何とも綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

 

愛河から歩いてMRTの美麗駅に寄った。

台湾鉄道とMRTのレッドライン、オレンジラインが交叉する高雄の交通の要となっている駅で、「光のアーチ天井」と名付けられたガラス天井はイタリアの芸術家が描いた絵を4,500枚のガラス版で再現している。

列車の乗り換えで行き交う人が色鮮やかな天井に足を止めていた。 

駅ピアノも。

 

 

 

 

美麗駅からMRTで高雄市内に入り、ビジネスホテルの部屋で気が付いた。旅行のガドブックが無い。MRTの中で見ていて座席に忘れたらしい。

ホテルフロントに尋ねると忘れ物は美麗駅の忘れ物センターに届くという。翌日、台北と北投温泉へ向かう時に台鉄に乗るので寄ってみることにした。

 

(つづく)

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)-2  八田ダム 2

2022年04月13日 | 環島

 

 

2018年7月7日

 

4月の自転車旅で日程的に行けなかった『八田ダム』のことを家に戻って本で読み、訪れることにした。

台北から鉄道で南下して嘉義市辺りに来ると水田が広がり、その水は『八田ダム』から引かれていたことが分かった。

正式な名前は「烏山頭(うさんとう)ダム」。

 

第二次大戦中に台湾総督府の技師だった八田與市氏が10年をかけて 完成させた農業灌漑施設は台湾西南部の平野を潤し、台湾の人が親日的であることの理由にもなっているそうだ。

 

《水上駅》

 

日本の新幹線車両を入れた台湾鉄道の高鉄(新幹線)に乗ってみた。

台北の傍の南港駅から高雄近くの左営駅まで1時間45分。そこから普通列車に乗り継いで北に戻り、ダムのある水上駅に着くと物凄い スコール。駅舎で晴れるのを待って、タクシーでダムへ向かった。

 

運転手にその旨を筆談で示すと、65才以上なら900TWDで案内してくれるという。 その理由は分からなかったが4,000円くらいか。多分、割り引いてくれているのだろう。

身振り手振りだがお互いの思いを想像し合うコミュニケーションは楽しく、生き物の原点回帰を感じる。

ダム到着まで台北を10:00に出発して4時間が経っていた。

 

《ダム建設作業に使用された鉄道機関車》

 

人跡未踏の「烏山頭」に八田與一氏がダム建設を発案したのは1920年(大正9年)。それから10年をかけて完成させた。現在のお金で5,300億円という巨費が投じられた。


台湾の農地の2割、香川県の広さに匹敵する面積を潤している。3年輪作で稲作が出来るよう精緻な給排水路が敷設されていて、その総延長は地球を半周するほどの長さという。

 

 

《八田與一氏像とご夫妻のお墓(像の後方)》

 

八田ダムは地元では「烏山頭水庫」と呼ばれ、今は大きな公園になっている。調査設計から完成まで携わった八田與一、外代樹(とよき)夫妻が小高い丘から珊瑚潭と 呼ばれる堰き止め湖を眺めていた。


小雨が続いていたが、ご夫婦のお墓を遠くに見つけた時だけ一瞬南国らしい暑い陽射しが注いだ。印象的だった。

 

 

『日台の架け橋・百年ダムを造った男』(斎藤充功著;時事通信社 2009年)によれば権威ある編年史の「日本土木史」に八田與一氏の功績は一行も記されていないという。

日本国内の功績ではないということか。。。であれば了見が狭く、寂しいことだ。


地元では毎年ご夫妻の慰霊祭を行っているとのことだった。『八田ダム』と言うとタクシーの運転手が親切に案内してくれたのも八田與一氏の人徳であろう。

 

八田與一には2男6女の子供がいた。

嘉義市の建設現場や東京、アメリカ出張で家を空けることが多く、子供を育て、家を守り、與一氏を陰ながら支えていたのが同郷金沢出身の妻外代樹だった。


昭和17年、日本軍は南方に作戦展開し、政府は資源獲得を目的として「南方産業開発派遣隊」を編成している。八田與一氏も選抜されるが、知識と技術に加え、土木屋を使いこなす能力を高く評価されたことが後の悲劇となった。


マニラに向けて乗船した「太洋丸」が同年5月8日の夜に五島列島沖合で魚雷により撃沈され殉職する。

享年56歳。その後、妻外代樹が『八田ダム』の周辺を散策する姿が見られたという。


終戦の9月1日未明、外代樹はひとり宿舎を抜け出しダム放水口へ向かった。紋付き白足袋だった。
机の上に「玲子も成子も大きくなったのだから、兄弟、姉妹仲良く暮らしてください。」と書かれた便せんの遺書があったという。


因みに八田與一氏を育てたのは道庁技師から東京帝大工学科教授に転じた広井勇である。道内の港、鉄道工事に数々の業績を残している。


農業の分野は違うけれど遠い先人の志と質の高さに触れた「八田ダム」だった。

 

「太洋丸」の写真

 

妻外代樹が身を投じた「放水路」

 


『 私の自転車旅物語 2018 』-台湾一周 (余話)-1  八田ダム 1

2022年04月12日 | 環島

             

 

2018年4月の台湾一周自転車旅で行きの日程を変更した時のこと。

LCCから返金を受けてチケットを取り直そうとしたら、返金分が新千歳と台北の便に限って使えるポイントで支払われた。日本円にすると約16,000円、有効期間は180日だった。

〝往復で半額近い運賃になる〟という気にさせる。逃すのも何だか勿体ない気にさせる。なかなか考えている。

 

妻はエスニック系の食べ物はダメなので、これ幸いと?

7月にザックひとつで2度目の台湾旅に出た。

 

目的地は4月の旅で日程的に行けなかった「八田ダム(烏山頭ダム)」、道に迷って観ることが出来なかった〝東洋のベニス〟こと高雄の「愛河」の夜景、そして台北近くの「北投温泉」などにした。

7/6-11の1週間、自転車旅とは違って日没と宿の確保を気にしない旅だった。

 

 

軽装だったので、戻ってきた時に新千歳空港の税関で「どちらへ?何日?」と聞かれた。

ひよっとして怪しまれたか・・・(笑)。

 

 

7月6日


4月にもお世話になった台北駅近くのツーリストホテルに再び泊まった。

到着した日に懐かしいスタッフお二人に再会した。

 

(つづく)