祐さんの散歩路 Ⅱ

日々の目についたことを、気ままに書いています。散歩路に咲く木々や花などの写真もフォトチャンネルに載せました。

・ 「テロ」というビジネス

2015-07-12 01:35:57 | 政治

アメリカは戦争をすることによって利益を得ようとする集団があり、世界中に難癖をつけて戦争を始め、すき放題をしています。しかし,段々とまともな戦争ができにくくなって来ている事から、テロという形態の戦争に切り替え始めています。自国民を犠牲にしてテロ集団から狙われていると錯覚さえさせれば、アメリカ国民がテロに対する攻撃を容認するよう仕向けるわけです。このテロの形態をとった戦争は、今までとは違い「いつでも」「どこでも」始めることができます。このことを北川さんはドラえもんの「どこでもドア」と表現しています。以下、北川 高嗣氏のフェイスブックより転載します。



戦争

北川 高嗣
DAY7. こと。「どこでもドア」

これは、シリアでも、ガザでもなく昭和20年5月25日の東京である。
それまで空襲を受けていなかった山の手に470機ものB29が来襲。


日本はすでに戦争に突入している。
「テロ」と呼ばれる戦争の形態は、いつでもどこでも、戦場となりうるドラえもんの「どこでもドア」のようなもの。扉を開ければ、そこは戦場だ。


イスラム国は、国と認定されていない。だから、アイシス(ISIS)と呼び、「戦争」とは呼ばない。「テロ」と呼ぶ。この、テロと呼ばれる新しいタイプの戦争は、大義も必要なく、正義も必要ない

ひたすら、「極悪非道」、「言語道断」であり、(はい、そのように演出されますので)断じて許すことはできない。


情報網や移動手段の発達した「フラット化した現代」には先の大戦のような「前線」はなく、何時でも何処でも瞬時に戦場になる。ドラえもんの『何処でもドア』が現実の物となったのだ。


すなわち、このアルカイダやイスラム国のような「テロ集団」をプロデュースしさえすれば、いつでも「新しいタイプの戦争」を起こすことができる。

「核保有の疑惑」を演出し、結局大嘘だとばれても、「保有していないことを証明できないほうが悪い」などという、【苦しい言い訳】を編み出す必要もない。

国境周辺に火種を仕込み(尖閣、竹島、北方領土のような)Divide & Conquer戦略で戦争を誘発する必要も無い。(もうみんな、「わかって」いるのでなかなか乗らない。アベシのように、言われたように煽る人間はもう希少絶滅種だ)

「戦争」(テロでも良い)さえ起これば、あとは、一方的な攻撃、あるいは、【両サイド】に、兵站供給(兵器、爆薬、燃料、医薬品など)していれば、需要と市場は創造され続けハッピーな人は、ハッピーなのだ。

なので、その演出は、できる限り、悲惨で、極悪非道であってほしい。で、アルカイダも、イスラム国も、CIAによってプロデュースされている。資金提供されている、という供述は、あちこちで出ているが、そもそも、【彼らにリクルートされ、組織化された】ものだ。


ムジャーヒディーン(مجاهدين mujāhidīn)とは、アラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味するムジャーヒド(مجاهد mujāhid)の複数形。一般的には、イスラム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たちのことを指す。
アフガニスタンのムジャーヒディーンには、アフガニスタンのみならずイスラム世界の各地から志願兵として若者が集まってきたが、【その中心人物がアブドゥッラー・アッザームで、ウサーマ・「ビン=ラーディン」もその志願兵の1人だった】ということが知られている。
」(詳細紹介済み。決定的証拠はこちら。組織したご本人談。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=855022881257985)

大義や正義や、国を巻き込む仕込みが「不要」であり、「言語道断」でカタがつく(アベシも菅官房長も、全関係者が大合唱)お手軽なこの仕組みは、非常に簡単に兵站供給ビジネスを創造できる、【新たな発明】いわゆる、ビジネスモデルである。全く(パレスチナ問題、宗教民族闘争に)無関係な、カネをばらまいてくれる国を、簡単に巻き込むことができる。

トリクルダウンで国民を騙せないとなれば、次は、ショックドクトリン、「惨事便乗型資本主義」に、「人道支援」?(実態は、仕込みテロの残渣である難民処理、非常に言い方は悪いが、わかり易く言えば、原発の使用済み燃料のようなもの。後始末だ。ここ、千も承知なのでツッコまないでください。)をリミックス。

アベノミックスは、次は、何をリミックスするのだろう。

【写真】千回単位の空爆がもたらすものは、「焦土」である。
 戦後を繰り返したいのであれば、「焦土」をプロデュースすれば良い。

これは、シリアでも、ガザでもなく昭和20年5月25日の東京である。
それまで空襲を受けていなかった山の手に470機ものB29が来襲。

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